広瀬 勉
#photograph #photographer #concrete block wall
削っても 削っても
皮の下から 流れ出るのは
赤い血でしかない
蛆虫どもの蔓延る
この闇夜で
わたしは 目を閉じて
魔性の声に 耳を澄ましていた
赤い血は とめどなく 流れ続けた
まるで マグマが吹き出すように
わたしの意識は 朦朧とし 混濁し始めた
浮かんでは沈む 言葉の海のなかに
溺れていた
そして 痛みとともに すべての記憶が
覚醒した
能登半島地震では、家が潰れ、230人もの死者が出て、遭難者は寒さに凍え、
水や食物もなくて泣いているというのに、おらっちときたら、朝から晩まで、
コーヒーメーカーがコーヒーを抽出しない、と大騒ぎしていた。
ガザでは、悪辣非道なイスラエル軍が、おんなこどもを含むパレスチナ人を、
見境なしに殺しまくっているというのに、
おらっちは、昼ご飯をラーメンにするか、讃岐うどんにするかで、ごっつう悩んでいた。
ウクライナでは、怪僧プーチンが、おんなこどもを含むキーウ市民を、
ミサイルや無人機で、見境なしに殺しまくっているというのに、
おらっちは、川柳がうまくできないので、終日いらだっていた。
でも、
あっちは戦争、こっちは平和
あっちは地獄、こっちは天国
と、簡単には決められなくて、
戦火のさなかにいるひとが、かえって生き甲斐をかんじていたり
いっけん平和のなかにいるひとが、半分死んでいることだって、ありえるのよ。
でも、でも、
おらっちが悪いのか、そっちが悪いか、知らんけど
にんげんが悪いのか、神さんが悪いのか、知らんけど
いくさ、やめないか?
いくさ、もう、もう、やめないか?
いくさ、はよ、はよ、やめてけれ。
ああ、世界中の人々が願っているように、
すべての武器が楽器になればいい。
そうすればおらっち、もっと大きな声で、生きてる喜びなんかを、歌えるのに。

https://operatingtheatre.bandcamp.com/album/spring-is-coming-with-a-strawberry-in-the-mouth-rapid-eye-movements
随分と昔に音程ではなく音響による即興を考えていたものだ
その後無音による即興に行くわけだけれども
今はDJがそれらを一手に引き受けているが
一人でやる場合は「小さい政府」みたいな勘違いで民営化に加担したりしてはいけないよ
いつだって、ルーじゃないけど、
「リアルタイム、それが問題だ」
平行世界とのリアルタイムが無音室という見立てだったんだな
「ゲルマントのほう」を久しぶりに読んでいたら昔山谷の永山則夫研究会で会った日雇いの爺さんが「日本にはサロンさえない」と嘆息していたのを思い出した。ドレフェス事件を巡る上下左右の言論を活写するようにして事に当たれ、という意味だったのだろう。
終に語り始めたと思ったら
駝鳥のことだった
陸と呼び海と呼んだものの中で
other words,
一日が先に進んで仕舞い
永遠に取り残され続ける
一日遅れ続けている
このまま一日遅れ続ける
頬被りして遅れ続ける
大きな視野から違いを見ていると
裾野の馬が凍っている
銀次の言うように北鮮絡みの工作員に金を渡されていたかどうかだけ知りたい
国単位で考えるところから始めたんで最後は宇宙人とか言い出したんだった
落ち葉がガサゴソと街路を走るセンチメンタルな時代は終わったんだ
あとはにちゃっとした陽光にしがみつけ
月光でにおいは消えない
行をいくらかさっぴいた谷川癌たれ
とおれはおれに思う
reputation risk
虐殺のADHDは
ものをひとつひとつ
洗おうとするが
世界は片付かない
暖房は切ってよい
啓蟄だからね
雛人形のように撫で肩の
汚れ易い生木の母性を擦る
姿勢が良かった
表で考える
石を運ぶ熱意は削がれた
インドから久し振り
濁音で陽が射す
カンビュセスに宿舎
禁令の中赤貝が好きだった
山が平らになった
裾野で栽培したい
今は片付けする時ではないと考え始めた
政情不安が積み重なって
意気揚々としている時に迫害が来た
前に進めない理由は泪ではなかった
確信できたのは尽きない力による
と言うのですから
大軍
再建を第一にするならサポートする
何よりも大切にした時
1月29日、朝、愛媛新聞の書評欄を見る。「おわりのそこみえ」というタイトルは、岡田利規の「わたしたちに許された特別な時間の終わり」を思い出させる。
#poetry #rock musician
ふくろが飛んだ
宙に舞い上がり 風を泳いで
縁石の補助で一回転
追い風で膨らむ透明の膜は
木に阻まれ形を変える
枝の形に添うように
平らな膜に
遠くにいたグレーの空は
水音と両手を組んで
仲間と共にやってくる
透明の膜には透明の水が集まって
茶色も交わり地面をつくる
小さな長靴が足踏みすると
突然始まる 3小節のワルツ
埋もれた膜を知らせるように
日が沈んで陽が昇る
手を振るように会う風は
逆さの景色を空に問う
あたたかな手が触れ
知らない膜に入り込む
隣の枝がトンネルをつくる
遠くを繋ぐその道を
透明の膜は知っている
その景色は今しか出会えないことを
流れるままに 在るままに
花びらの入ったふくろが
舞い上がる
一つの花のように
息をするふりをして
————–
自由に受け取っていただけますと幸いです。
ふと道に落ちていた透明の袋、網膜、生命の膜、
3視点をくっつけたり離したりして書きました。
追伸
空からの景色はどうですか?
思えば昔から頻脈だった。
スポーツ少年団では長距離を走ったあと、脈を測るのだが、しばらく経っても脈がはやく、コーチに走り込みが足りないと叱られては
苦しいなと思っていた。
走るのが好きで、誰も見ていないところでも走り込んだりしていたが脈が戻ることはなかったのだ。
よくわからぬまま時折心臓の痛みを感じながら大人になり
せんだって、叔母を心臓の病で亡くした。
どうにもこれは頻脈だけではないだろうと
病院に。
血圧が高いですね。脈もはやい。
医師はとても優しいのだが気分はよくない。
血圧が高いのは予期していなかった。
それぞれが都合し合って生きているのだから、となんとなく自分をなぐさめて
帰宅する前に血圧計を買う。
この年でまさか血圧計のお世話になるとは、と医師にもらった血圧手帳を眺めながら
毎朝毎夜血圧計とにらめっこなのだ。
なんとも情けなく血圧は高く脈もはやいまま。
まだまだ始めたばかり、力をそっと抜いて
腕を通してしっかり布を巻きつける。