@150513音の羽  詩の余白に 4

 

萩原健次郎

 

 

p150513

 

もう、鼓笛の楽団が、楽器を床に置いてみなが坐している。項垂れることはないだろ、めでたい日でもあるのにと、こちらから睨み返すが、彼らとしても商売で音楽しているのだから祭りや祝い事といったって、なんの関わりもない。
でも寂しいではないか。派手に、じゃかじゃかとやってくれ。
白茶けた時間を、眼下の白道を見つめながら連れ立って歩いているだけなら盛り上がらない。そういう仕組みの中で、こちらは音を聴きそれから踊りのひとつも見せてやろうかと思っていたのに。
ぷふぅーって、軍歌、演歌、君が代か。
こちらも、「ご家庭で要らなくなった古新聞古雑誌」を集めて商売している。
音楽も目印に鳴らしている。
客は、ここらあたりの万人だから、なんとなく公共の仕事みたいに思っている。
こちらもお客も、ありがとうと言って応答しているのが変だ。
鼓笛? お囃子? なんか、聴こえてくる。
うきうきしてくる。踊りだしそう。
音羽川のかなり川上だと思う、叡山の麓から、白い帯の川面が、薄く照り返して市街へと下っている。そこへ、トラックに積んだ、色とりどりの紙をぶちまけたいと夢想する。すらりすらりとまっすぐに街へと流れ下る、絵や図や文字や、歓喜や怨恨や、願いや望みや。
紙の踊り、練り歩き、それに、伴奏付なのだから、燃やすよりいいや。
それとも、この紙の片々に一つひとつ火を灯してそれから水に流そうか。
こてきちゃん、さあはじめてよ。
ぼくはもう、準備できたよ。トラックごと突っ込んでもいいよ。
こてきちゃん、祭りだよ。
ボリュームいっぱい上げた。
「ゴカテイデフヨウニナッタ フルシンブン フルザッシ」
正法眼蔵随聞記、
夜と霧、
地に呪われたる者
ナジャ、、、、、、、、、。
いっせいに、千の蝉しぐれも重なるように。

 

 

 

ゆあーん ゆよーん

 

駿河昌樹

 

 

いまの
政府になってから
黒い 旗が はためくを 見た。*1
なんだか気分は

ゆあーん ゆよーん *2
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん *3

坊やはよい子だ、ねんねしな。*4
ねんねんころりよ、おころりよ、*5

繁華街など行きながら
映画館の前行きながら
大ヒット中の題名やポスター次々眺めつつ

『この男幇間につき』
『ラストチンピラー』

むかしヒットした映画に題名が
似ているようで
ちょこっと違う
そんな映画が多いなァと思いながら

『市民はつらいヨ』
『ハッタリ!』
『もう勝手にしやがれ』
『おバカさん』

けれど、あゝ、何か、何か…変わつた *6

『安倍と共に去りぬ』
『アベス』
『戦争も平和』
『居酒屋あっきー』
『安倍川餅の味』

あゝどこかで見たような
あの頃見たような

『コリータ』
『落胆のあいまいな代償』
『コンスティチューションを射った男』
『知識人たちの沈黙』
『フクシマ・コネクション』
『悲しみよまたこんにちは』
『コクミンハ・カンカン』
『戯夢政権』
『市民キケーン』
『おかしな、おかしな、おかしな世界』
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ニッポン』
『俺たちにも明日はない』
『文化果つるところ』
『ネオリベラリズム・パラダイス』
『地獄に堕ちた与党ども』

などなどと
ポスターを見続ける
見続けて

たらたら
たらたら

歩んでいく
滅びのほうへ
こころとか
あれやこれやの
ほころびのほうへ

(幾時代かがありまして
(茶色い戦争ありました *7

ゆあーん ゆよーん
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

(記憶といふものが
(もうまるでない
(往来を歩きながら
(めまひがするやう *8

(亡びてしまつたのは
(ぼくらの心であつたらうか
(亡びてしまつたのは
(ぼくらの夢であつたらうか *9

ゆあーん ゆよーん
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

 

 

 


*1 中原中也「曇天」
*2 中原中也「サーカス」
*3 中原中也「サーカス」
*4 東京地方「眠らせ歌」。北原白秋編『日本伝承童謡集成』第一巻。
*5 同上。
*6 中原中也「暗い公園」
*7 中原中也「サーカス」
*8 中原中也「昏睡」
*9 中原中也「昏睡」。「僕」を「ぼくら」に変えて使用。

 

 

 

 

大掃除

 

爽生ハム

 

 

わざとらしく集まって
ぼくらの忘れていた部分など
噛み合っていた
蚊などが するどく飛んでる夏
膨らんだ どんより永い夏の事
近い人間やわ
似てる うんうん
それなりに 嘘つく憑依が
美味しい恥肉
わざとらしく忠実に蚊を掌で挟み
障子をつきやぶり逃がす
蚊も殺したりしない
おおらかな人間ですよ
と 日記にでも書いといてくれ
お婆の冷や汁に また白毛が
混じっとる
美味しいきゅうりの食感が
口の中に貼りつく
お婆の孫たちは きゅうりを障子に
貼りつけて
ぺたぺた 遊びだす
成人した人間は白毛で喉が
詰まっとる
苦しそうに窒息や
けらけら わらって腹抱え
腹を通して繋がっとぉ
美味しいって幸せや
苦しいって幸せや
この家は大きいな 年々膨らむ
蚊に負けるんちゃうか
住み心地で人間は勝てへんよな
あなたの事は 忘れるかもしれへん

殺伐とした軒先

手紙が 会えない人間から届く
遠い場所から商業的な手紙や

開封

山の反対側にAEONが
路地裏にAEONが
可愛い都市の笑顔は
お婆の生活をひろげる

奥の部屋

お婆のひげに砂糖がついている
舐めて その後は
なんにもできない
こしらえた白線に 内緒で
シロナガスクジラ引っ張ってきた
部屋も障子もなぎたおして
自由に飼い馴らすペットやで
喰われて眠る 最後の安眠を
なにか他の生物の粘膜で
泣きながら 涙なんかにしない
餌になって喰われた場所が暗闇
静かに 結いしい哀しみ

洞窟

穴を塞ぐぼくらの粘膜は
障子に住むようになった

野苺

慈母は森のなかにおり
時間の端にいる
あの頃の目線では もう立てない
この落差に本格的な盲目の出現を

 

 

 

幸福な時間

 

みわ はるか

 
 

給食をかきこむように口に運んで、時計を気にしながらいそいでトレイを片づけた水曜日の午後。
一番に到着したと思った図書室にはもう大勢の下級生の姿が。
いつもは均等に配置されている4人掛けの机は隅においやられ、椅子だけが同じ方向をむくように列をなしてきれいに並べられている。
その先にはちょっとしたカウンターがあり、みんなを少しだけ上からみおろせるようになっている。
これから始まる有志の保護者による「お話玉手箱」、本の読み聞かせの会をみんな心待ちにしている。
小学校6学年のほとんどが集うこの時間、図書室は満杯になる。

図書委員長のわたしははじめに簡単なあいさつをすませ、いつものポジション、一番後ろの壁にもたれかかる。
すぐ後ろの窓からはさわやかな風が舞い込んでくる。
不思議なのは普段そんなに図書室で見かけないような顔がたくさんあること。
毎週この時間だけは広い運動場がいつもより寂しく見える。
みんなが同じ方向を食い入るように見ている。
少しも聞き逃さないようにと耳を傾けている。
そんなみんなの頭を後ろから眺める自分。
感じることは違っても、同じ時間、同じ場所、同じものを共有する。
こんな時間が大好きだった。

トイレの中にも本をもちこんで長い間籠ることがあった。
一度読み始めると食事や睡眠の時間でさえも惜しいと感じた。
卒業文集の友達への一言の欄には「もっと外で遊んだほうがいい。」と書かれたのはいい思い出だ。
そのせいかどうかはもう覚えていないが中学生時代テニス部に所属している。
図書室にある本は全部読んでやると本気で思っていた。
自分の好きな作家の新刊が出続ける限り生きていく。
大袈裟かもしれないけれどそう心から強く誓ったのもあのときだ。
小説、エッセイ、詩、伝記、専門書・・・・・あらゆる分野の本に目を通した。
田舎の小さな町で育ったわたしにとって、色々な世界を見せてくれる図書室はまるで宝石箱のようだった。

成長して、ふと母校に立ち寄ることがある。
自然と足がむくのは決まって図書室だ。
そこには配置こそ変わっているが、ところせましと本がぎっしり並べられている。
少し黄ばんだページを見つけるとなぜだか妙に懐かしい気分になった。
あのとき読んだ本を、あのときの自分と同じくらいの年の子が手にとっていると思うと無性にうれしかった。
残念なのは当時あった「お話玉手箱」の時間がなくなってしまったこと。
いつか復活することを願っている。

雲ひとつない青空が広がるとある日。
こんな日でも無意識に本に手がのびる。
「こらっ、たまには外で体でも動かさないと!」
旧友の声がどこかから聞こえたきがした。

 

 

 

今日も駄目の人

 

根石吉久

 

 

私は、百姓の真似事をやる他に、英語塾もやっている。主にインターネット上で、スカイプというソフトを使っているので、生徒の住所はあちこちだ。かつては北海道から九州まで、今は山形県から福岡県までか。よくわかっていない。一度も顔を合わせたことのない人たちにレッスンしているので、なかなか住所も覚えられない。レッスンを始めるときに、一応住所を教えてもらってあるが、手紙でも出すようなことがなければ住所を調べることもない。
スカイプを使うのにカメラを使うと、音声が途切れたりすることがあるだろうと思いレッスンでは音声だけでつなぐ。この場合、都合がいいのは、私の顔や着ているものが相手にわからないことだ。
畑で百姓をやっていて、軽トラックに戻って時間を確認したら、レッスン開始まであと10分しかないというようなことが何度かあった。百姓仕事の道具もやりかけの仕事もほったらかして帰宅する。シャツにモミガラがくっついているし、手の指の爪の先には黒い土が入っているし、顔は日に焼けてまっくろけのケだし、ぼさぼさアタマだし、要するに英語のレッスンのコーチにはとうてい見えない。カメラを使わないでいてよかったと思う時は、そんな事情の時でもある。
ところが、通塾の生徒の前で姿を見られないままレッスンすることはできない。仕方がないので、畑から舞い戻ったばかりの格好でレッスンすることがある。泥のついたシャツ、泥のついた手、砂埃でジャリジャリする顔や首。

入塾したばかりの生徒が、私の格好を見て馬鹿にしたような顔をすることがある。

そういう生徒は、なるべく早く退塾してもらうようにしている。がんがん怒鳴りつけたりもする。英語なんかやる以前の問題が親にあるのだと思う。泥がついていたり、砂ぼこりが髪の毛の間から落ちて、机の上がジャリジャリしたり、英語で言うところのred neck であったりする者を、小馬鹿にするような目つきで見る者の家の中でも、親たちにそういう感覚があるのだと思う。言ってみれば、第一次産業の格好を馬鹿にする感覚と言えばいいのか。第一次産業の人口がどれだけ減っても、泥や砂を馬鹿にするような者は、俺がお前の英語を馬鹿にしてやんだよ。そんな根性のやつが英語なんかできるようになったってろくでもねえし、くだらねえ。

その昔、家を自作したので、コンクリートをよく練った。コンクリートも服に付着するとなかなか取れない。
東京で娘が学生をやっていた頃のある日、現場でコンクリートを練ったまま、着替えもせずに新幹線に乗った。新宿の紀伊国屋の前で待ち合わせていたので、紀伊国屋の前で娘が現れるのを待った。なかなか来ない。かなり待ってから、娘が人混みの中に立ち止まってこちらを見ているのをみつけた。こちらから娘に近づいて、なんで立ち止まっているんだと訊いたら、「わかんないの?」と言った。「お父さんの周りだけ、人が何十センチも離れて立ってるんだよ。汚い服に触るといやだから」と娘が言った。そういえばそうだったかもしれないが、別に気にもとめなかった。
住んでいる千曲市というのは田舎で、田舎にいれば人が10センチとか20センチのところまで近づいて来るなんてことはまずない。長野駅に行けばあるだろうか。長野駅でも30センチやそこらは人と人が離れている。50センチや60センチ離れていることだっていくらでもあるので、紀伊国屋の前でも60センチや70センチ人が離れていても普通だと思っていた。

新宿を歩きながら、レストランの脇を歩きながら、「ここで飯食うか」と聞いたら、「駄目だって」と言われた。曇りのないガラスから店内を見ると混んでいたので、あまり味で外れないんじゃないのかと思ったのに。

私は今日も「駄目だって」のままだ。
今日は里芋の種芋を土の中に埋めた。

 

 

 

幸福な時間

 

みわ はるか

 

 

給食をかきこむように口に運んで、時計を気にしながらいそいでトレイを片づけた水曜日の午後。
一番に到着したと思った図書室にはもう大勢の下級生の姿が。
いつもは均等に配置されている4人掛けの机は隅においやられ、椅子だけが同じ方向をむくように列をなしてきれいに並べられている。
その先にはちょっとしたカウンターがあり、みんなを少しだけ上からみおろせるようになっている。
これから始まる有志の保護者による「お話玉手箱」、本の読み聞かせの会をみんな心待ちにしている。
小学校6学年のほとんどが集うこの時間、図書室は満杯になる。

図書委員長のわたしははじめに 簡単なあいさつをすませ、いつものポジション、一番後ろの壁にもたれかかる。
すぐ後ろの窓からはさわやかな風が舞い込んでくる。
不思議なのは普段そんなに図書室で見かけないような顔がたくさんあること。
毎週この時間だけは広い運動場がいつもより寂しく見える。
みんなが同じ方向を食い入るように見ている。
少しも聞き逃さないようにと耳を傾けている。
そんなみんなの頭を後ろから眺める自分。
感じることは違っても、同じ時間、同じ場所、同じものを共有する。
こんな時間が大好きだった。

トイレの中にも本をもちこんで長い間籠ることがあった。
一度読み始めると食事や睡眠の時間でさえも惜しいと感じた 。
卒業文集の友達への一言の欄には「もっと外で遊んだほうがいい。」と書かれたのはいい思い出だ。
そのせいかどうかはもう覚えていないが中学生時代テニス部に所属している。
図書室にある本は全部読んでやると本気で思っていた。
自分の好きな作家の新刊が出続ける限り生きていく。
大袈裟かもしれないけれどそう心から強く誓ったのもあのときだ。
小説、エッセイ、詩、伝記、専門書・・・・・あらゆる分野の本に目を通した。
田舎の小さな町で育ったわたしにとって、色々な世界を見せてくれる図書室はまるで宝石箱のようだった。

成長して、ふと母校に立ち寄ることがある。
自然と足がむくのは決まって図書室だ。
そこには配置こそ変わっているが、ところせましと本がぎっしり並べられている。
少し黄ばんだページを見つけるとなぜだか妙に懐かしい気分になった。
あのとき読んだ本を、あのときの自分と同じくらいの年の子が手にとっていると思うと無性にうれしかった。
残念なのは当時あった「お話玉手箱」の時間がなくなってしまったこと。
いつか復活することを願っている。

雲ひとつない青空が広がるとある日。
こんな日でも無意識に本に手がのびる。
「こらっ、たまには外で体でも動かさないと!」
旧友の声がどこかから聞こえたきがした。

 

 

 

一族再会  ~短歌詩の試み

 

佐々木 眞

 

 

もうええわ、わたしおとうちゃんとこいきたいわというて母身罷りき 蝶人

 

 

祖父、小太郎は、「主イエスよ」といいながら琵琶湖ホテルで亡くなった。

祖母、静子は、急を知らせるベルを押しながら亡くなった。

父、精三郎は、お向かいの堤さんに頼まれた反物を運びながら、駅前の病院で亡くなった。

母、愛子は、寒い冬の夜、自宅で風呂上りに櫛梳りながら亡くなった。

愛犬ムクは、自分を山で拾ってくれた私の次男に、「WANG!」と叫んで亡くなった。

さて恐らく、次は私の番だ。

私は、どんな風にして死んでいくのだろう?

それを思えば、そら恐ろしい。ほんまに恐ろしい。

私は最後の審判にかけられたら、いったいどんなところへ行くんだろう?

人殺しこそやってないけど、人さまには口が裂けても言えないこともやってきた私。

天国になんか、到底行けそうにない。

絶対に行けそうにない。

では地獄か? 地獄に落とされるのか?

地獄の沸騰した釜の中で、生きたままグツグツ煮られて、閻魔さんだか大天使ミカエルだかに、ヤットコで、えいやっと舌を引っこ抜かれるのか?

それを思えば、そら恐ろしい。ほんまに恐ろしい。

ほんまに恐ろしいが、ちょいと面白くもある。

ワクワクするところもある。

あっちへ行ったら、お母ちゃんやお父ちゃんやおじいちゃんやおばあちゃんやムクに、ほんまに会えるんやろうか?

先に亡くなったお母ちゃんは、またお父ちゃんと一緒に下駄の鼻緒をすげているんやろうか?

おじいちゃんやおばあちゃんは、中庭の奥の八畳の間で、「十年連用日記」をつけたり、裁縫をしたりしているんやろうか?

ムクはムクゲの根方で、朝寝して宵寝するまで昼寝して、時々起きてWANGWANG吠えているんやろうか?

そこへ私が「ただ今」なんて、もにょもにょ言いながら姿を現すと、
みんなびっくりしたような顔をして、
「なんや、まこちゃんやないか。よう戻ったなあ!」
と、口々に声を上げるんやろうか?

ムクはWANGWANG鳴きながら、私に飛びついてくるんやろか?

そうだと、いいな。

そうだと、いいな。

ああ、ほんまにそうなら、ええな。

 

 

 

光の疵  ふたつの川

 

芦田みゆき

 

 

あたしは橋のうえに立っている。
光が欲しくて、
光が欲しくて、光を欲して、
皮フに切れ目を入れる。
眼前の川から、
色分けされていない
大量の光線がなだれこむ。
その時、
皮フの裏側で
川が開始する。
頭部から爪先へ、
ゆるゆると、
あたたかな川は流れて…

 

R0007091-1

 

R0003276-2

 

FH020014-3

 

R0007954-4

 

FH040023-5

 

FH020019-6

 

R0008156-7

 

 

 

 

再婚、煮てたよね

 

爽生ハム

 

 

あどけない、それはない、
容姿の鶏を煮てたよね
半永久に、出会った鶏は
あの虫を納得させるために
出現した鶏

もうキカナイ、このカタカナ
融通、決まりきっている
錆びついた鍋は離婚の勲章
綺麗な離婚だな、楽器のよう

そういえば、というか
前から、思っていた
夕方のピアノの指は
まるで鶏だった

人さし指は交通事故を起こし

薬指は川の水位をあげた

小指は男を浮気させ

親指は口座の金を増やした

中指だけが痛かった

中指は長いからかな
外側ってかんじ
丘ってかんじ、鶏って容姿は
どこ行ったんだいキタナイなあ、
突然、君主が
目の前の桜に止まった

群青だった、グレーの君主を見ると
あどけなく笑ってみせた
無意味だろう
虫は体に入ってくるから
いい貰い手が来る

 

 

 

茅野、そして高遠の

 

薦田 愛

 

 

ダム湖のへりを歩いてお昼の会場へ向かいながら
傘が手放せない
お天気よかったら、もっと暖かかったらねぇ
でも満開だったし、おなかいっぱい
これ以上ないくらい桜ばっかり
そうね、それならよかった
高遠城址公園からさくらホテルへ
下り坂とカーブをきる道は湿っている
よかった、辿り着けてよかった
どうなることかと思ったもの
今朝は

ぬかった
スーパーあずさ1号に乗り遅れてしまった
四月十三日月曜午前七時新宿発の
中央本線茅野駅九時八分着の
母とふたりぶんの席をぽかんとあけたまま
目の前で発車した
低い低い空の朝

高遠の桜をみに行こう
寒いからとやめた二月の河津のかわり
そこにしかないという
タカトオコヒガンザクラを
みに行こう
母と話したのは三月初め
高遠城の名前は知っていたけれど
運転もしないから
長野の山あい高みはるかなところ
行くこともないと思っていたのに
タカトオ、と母が
上田さんからきいたのか、細川さんだったか
口にしたから
行ってみるとしたら、と調べた
ああ、行けないことはない
というか行ける
遠い
遠いよ
それでも日帰りのほうがらくだという
母の誕生日の翌日
週末の混雑を避け
休みをとって行けばいい
散ってしまうよりは咲きかけでも
茅野からはバス
目的の城址公園で三時間
ただし昼食時間を含む
そのあとに梅苑――梅苑?
桜のころに梅の花?
そんな日帰りツアーに申し込んだ春彼岸
カウンター越しに渡された旅程表の
赤で印をつけられた緊急連絡先が
まさか役だつことになるなんて
乗り遅れた場合はクーポンだから
まるまるダメになると思っていたら
違った

新宿駅でみおくってしまったスーパーあずさ
そうと気づいたのは上野でのこと
余裕をみて出かけたはずが
いつのまにか費やされ
JR上野駅山手線外回りのホームで
まっしろになる
ここじゃない
地下鉄銀座線で行かなくては間に合わない
平日朝六時半、東京のただなかで
今しがた行った一本の次はいつなのか
まっしろ
待つのがよいのか経路を変えるのが正解か
いまさら検索しなおしても、とくちびるをかむ
むなしくページを繰る私の干からびた脳
ちいさすぎるケータイの画面
立ちつくす母がことさらちいさくみえる
はらをくくる
ごめんなさい新宿から乗るあずさに間に合わなくなった
なんとかするから、とにかく向かいましょう
いやなんとかなるかどうかわからないけれど
わびるしかないではないか
私はわからないからついて行くしかないよ
そう言って母は

早くしなさい、なにやってるの
ぐずぐずしないで
せきたてられるこども
要領のわるい気質はのこって
年を重ねた
ひとりだけ育てた母も
年を重ねた
連れだって歩いて、つい足早になると
置いて行かれそう
仕返しされてるみたい、と苦笑
仕返しだなんて
せきたてていたのは躾だったんじゃないの?
尋ねたことはない
だから言ったでしょ
もっと早く出かければよかったのに
矢継ぎ早に言われても不思議はないのに
だまっている
言われればくちおしいが
言われなければ心配になる
埋め合わせる言葉を
探したいのに
なんとかできるか考えることで手いっぱい
次の中央本線下り特急新宿発は三十分後
茅野に九時五十一分
ツアーのバスが九時半に出ると次は二時間後
タクシーしか足がない
お城でツアーに合流できるのか
そもそもツアー参加は目的じゃないはず
合流に意味はあるのだろうか
思いが逸れる
ひとりならやめてしまうかもしれない
けれど今日は
母を誘ったのだから
いな
タカトオの桜、という
母の言葉に誘われたのだから

乗り遅れた場合、当日の後続列車、自由席に限り有効
という一行を旅程表に発見
でも中央本線だから新宿発とは限らない
千葉からぎゅうぎゅう詰めで着いたらどうしよう
三両のうち二人ぶんの席
なければ指定席
二時間立ったままは母には酷だ
もしも満席だったら……
不安がふくらむのに待ち時間は充分
駆け寄って駅員さんに聞くとやはり千葉方面発
紛らすように
現地バス営業所すなわち緊急連絡先に電話すると営業時間外
八時まで緊急事態の解消は延期
やがてぎゅうぎゅうのあずさが入線、ドアから降車に次ぐ降車
そう、月曜の朝だった通勤電車なのだ
ひとのあふれ出たあとの車両へ身体をねじ込む
ああ座れる
指定ではないし遅れてはいるけれど
向かっているね
高遠へ
地図の上なぞる思いでたしかめたしかめ
バス営業所へもう一度

あずさに、そしてツアーバスに遅れたと言うと
運転手さんは大笑い
いやいや、だからあなたにお願いするわけで
茅野駅前からアルピコタクシー、午前十時前
鼻先を逃れる
いな
乗り遅れたツアーバスに電話
城址公園で桜をみたあと
さくらホテルの食事会場で合流してください
添乗員の女のひとの声
バスのなかに響いているね
はずかしい
食事のあとバスで梅苑へ向かうから
後半で合流ってことになるのかな
山ひとつ越えて
高遠は茅野より標高が低くて暖かいんですよ、と
運転手さん
高くて遠いところと思っていたけれど
伊那、いえ、否、山あいの
お城は平山城と
あとになって読んだ案内ちらしにあった
山ひとつ越えて近づく道みち
ほのかに赤らむ木々が群れていて
このあたりはまだ木が若いから
色も濃いの
お城のほうが白っぽいかもなあ、とつぶやく

お礼を言って下りる足もとは水たまり
ライナーつきコートに携帯レインコートを重ねた母に
駅で見つけた使い捨てカイロを渡す
濡れながら広げる傘の先ほら
タカトオコヒガンザクラ
小さなほの赤みの差す花は
きゃしゃで小柄な母の手にするデジカメにも易々とおさまる
傘に鞄にデジカメ
両手いっぱい身体いっぱい桜にあずけるように母は
いっぽんからいっぽんへ
カメラを向けて
むちゅう
ねえ、そろそろ行かないと
お城に着く前にメモリがいっぱいになるよ
促す私も深々と息をついて
ケータイで一枚
タカトオコヒガンザクラタカトオコヒガンザクラタカトオコヒガンザクラ
いちめんのタカトオコヒガンザクラならぶ城址のぬかるむ凹凸を靴裏に写し取りながら
山肌おおう花はな花の綿あめ
融けかけた綿あめの甘い赤みに似た花を追ううち
ふりかえりざま羽がいじめ
低い花枝に阻まれる
しなる枝の鞭
花の虜にならよろこんでなる
母にちがいない
いな、私は
ああ、お昼の時間に
遅れないようにしなくては