広瀬 勉
#photograph #photographer #concrete block wall
誰かの意見に対抗出来るような意見も人格も
持ち合わせていない僕は
ただうなずく事しか出来なかった
時には誰かの意見を借用して
さも自分自身の考えであるかの様に
振る舞っていた
自分の価値観を持たず
いつも
他人の視点と尺度を借りて来なければ
何ひとつとして判断出来ない人間だった
他人の目に良く映る僕の形を
自分の中に創り出していた
人畜無害を装い 心の中の悪魔に蓋をした
歪な世界の枠組みの外
もうひとりの僕が立ち尽くしている
不確かではあるが感じる事が出来る
その単純な思考の一面性の裏にある
もうひとつの現実から乖離した思考が
終わりに向かう歩みを止める
本来 保持するべき核は表には無く
表面に有るものは凡庸な思考の維持に過ぎない
読解困難な難解な文章を何度も読み返していた
その悪文の中に全てが存在する
僕の核が其処にある
佐藤佐太郎の
第一歌集『軽風』に
炭つげば木の葉けぶりてゐたりけりうら寒くして今日も暮れつる *
とある
「うら寒くして今日も暮れつる」
から
なんと近代は
逃げ遠ざかろうと
して
きたことか
逃げたところで
「うら寒くして今日も暮れつる」
は
どこまでも追ってくる
どこにでも現われる
佐藤佐太郎の主張した
純粋短歌
とは
なんだったか?
「うら寒くして今日も暮れつる」
から
逃げないことか
と
思われる
この世の
ひたすらな
うら寒さ
すべてのものの
暮れゆくさま
そのなかにい続けて
ただ
炭をつぐ
炭をつぐ
* 大正15年作
すべての願望は聞き入れられない
それは良いことだ
何一つ聞き入れられない
それは良いことだ
だから聞き入れられてはいけない
そう思うのは良いことだ
すべては聞かれてしまうから
そう思うのは良いことだ
聞かれないほうがいい
そう思うのは良いことだ
国を覆うバリヤーについて
地中の金本位制について
中国やイスラエルの武器の無力化について
偶像とデブリの分子化とU字塔について
淡水化について
シリカから生成する直方体の建造物について
記憶と奴隷化について
更地の果樹について
鍛冶屋と左官の移設について
石油由来の破棄について
麻糸製品について
銃口の内向きについて
告発と可視化される歴史サイトについて
学童の種取りとジャノヒゲの根の採取について
そしてすべての介入について
聞き入れられないのは
なんと善いことなのだろう
#poetry #rock musician
太陽がある
バス通りに沿って 5階建ての2号棟のベランダがある
数十個の 狭いベランダと 窓がある
竿があり 洗濯ばさみがあり ハンガーがある
洗濯物があり 布団がある
風に踊る
北風が強くベランダは北東に向いている
それでも 洗濯物があり 布団がある
ベランダごと
マットとか シャツとか 布巾とか パンツとか 靴下とか 何だかわからないものとかがある
たった1本の 油じみのついたズボンだけが干されている ベランダもある
太陽があるから
太陽があるから 干されている
太陽があるから 干さなくてはいけない
洗ったものを 湿ったものを 陽に当てないといけない
太陽に誘われて披瀝された いろんなサイズ いろんな形 いろんな用途の
吊るし方もさまざまの 布製品
みんなその家の 暮らしのもの 使われたもの また使おうとされてるもの
私は 陽に干された洗濯物を見るのが好き
太陽に向かう 干された布団を見るのが好き
団地の駐輪場には自転車がぎっしり並んでいる
駅から歩いて20分 近くに自慢できる何もなく 大きな会社もなく 店もほぼなく
町工場と しょぼい畑と ありきたりの一軒家と木造アパートと 汚い空家と
年季が入った2号棟が建つそんな場所を わざわざ訪れる人はない
このバス通りを 駅前のマンションに住む人が歩くことはない
世界中のほとんどの人が だから知らない
これら太陽に向かって光る 2号棟の洗濯物たちの眩しさを
敷地内に夏みかんの木があり 実っている
もがれないまま 鳥につつかれないまま 実っている
ベランダと塀の間のわずかなすき間に
鮮やかな黄色に たわわに 実っている
太陽があるから みかんもあった
1階の角部屋の窓が開いた
女の人が狭い狭いベランダに出 そこに干された自分より大きな布団に乗りかかるようにして 叩いている
大きな布団を 叩いている 大事だから 叩いている
太陽があるから 叩いている
(1月某日、奥戸2丁目、2号棟前で)