Elephant in the room

…… 象くんといっしょに ……

 

長田典子

 

 

まさか真夜中
まさか勉強中に
ベッドが上から降ってくるなんて
イェ、イェイ、イェイ、

地震か?
いきなりベッドが揺れ出した
壁に収納できるマーフィーベッドってやつの
木枠が崩壊して
ベッド本体が頭の上に落っこちてきた!
イェ、イェイ、イェイ、ヘイ!

厚い岩盤の上にできた摩天楼の都市に地震は起きないはず
長年の使用によって
突如壊れたらしいマーフィーベッド
けがはしなかったけど精神的に大きな打撃を受けてしまった
ああ これじゃ明日の単語テストもだめだなぁ
現況を写真に収めて不動産屋にメールで送った
ヘ、ヘイ、ヘーイ、

(このごろ詩を書こうとすると気分がハイになり鼻歌まじりになってしまいます)

先生、このクラスに覚えられない人がいます!
巻き毛の可愛いフランス人男子が
茶目っ気たっぷりに先生に話しかける
先生は I know, I know……って笑顔で言ってるけど
Elephant in the room (部屋の中の象…誰もが知っているのに誰も触れない話題のこと)
ティーンエイジャーに混じった50代のわたしはElephantそのもので
英単語の覚え方さえ忘れていた
文中の単語を緑に塗って赤い下敷きをあてると見えなくなるやり方を思い出して
ようやく覚えられるようになったんだ
イェイ、イェイ、イェイ!ヘイ!(あらら、どんどん楽しくなってきちゃった!)

「脳にゴルフボールより大きいものができています
髄膜腫です
すでに石灰化していますが
とつぜん昏倒することがあるかもしれません」
40代最後の日に偶然おともだちになってしまった脳のなかの変なモノ
ヘ、ヘイ、ヘーイ!イェイ!

「ひとりでいる時間をつくらないようにしてください」

それは無理ってもの
夜10時になっても一人で仕事場に残っていたっけ
次の日の準備や雑務に追われ
医者の言うことはひとつも守れなかったけど
とつぜん昏倒することはないと確信して
30年も続けた仕事を辞め
憧れだったマンハッタンでの一人暮らしを始めたのだった
イェイ、イェイ、イェイ、ヘイ!
(ここでわたしは 片手を挙げてフラメンコダンサーのようにポーズをとりたい)

オーレ!

「英単語がぜんぜん覚えられないのは、頭にあるゴルフボールのせいですか?」
「そう思いたいのは人情ですがねぇ、ま、それはないでしょう(笑)
身体機能への影響は特にありません」

中学生のころ地理が大好きだった
白地図に山脈や川や平野の名前を書き込んだその瞬間に
すべてを記憶できたわたしの脳みそ
ヘイ!ヘイ!ヘイ!イェイ!

覚えられないのは
やっぱり年齢のせいか
緑のマーカーで消して文の前後から判断して覚えるやり方をようやく思い出したら
教科書の単語をほとんど緑で塗るハメになってしまった
: と ; の使い方の違いがわからなくて
そこを指差しながら先生に質問したら
先生はいちめんの緑塗りに驚いて少し後じさりした
暗記用の「緑のマーカー&赤い下敷きセット」はニホンにしかないのかな
イェイ、イェイ、イェイ、ヘイ!

イディオムのレッスンでは
毎回なんじゅっ個も並んだプリントに大パニック!
意味を覚えて二人組でクイズを出し合いなさい、って
地獄でしょ
イェイ、イェイ、イェイ、ヘイ!
先生、わたし、年寄りだから覚えられないんです!若い人つけてください!!
ってことで、わたしのチームだけ2対1でやることに(笑)
Elephantは部屋中を占領している
ヘイ、ヘイ、ヘイ、イェイ!

「何が起こるかわからないので手術はできません」

ほんと
まさか真夜中
まさか勉強中に
ベッドが上から降ってくるなんて
イェイ、イェイ、イェイ、ヘイ!

ゴルフボールって言われてもピンとこなかったな
だって、ゴルフしたことないし
直径3センチ以上って言われて、ふーん、と思ったんだけどね
よく考えたら脳ってそんなに大きくないの
そこに3センチ以上の石灰化したモノが占領してるって
ガンマナイフも無理だって
あ、つまり
ゴルフボールはElephant化しているのだな
わたしの脳の中で
イェイ、イェイ、イェイ、ヘイ!

まぁ、そういうわけで
Elephant in the room は誰もが知っているのに誰も話題にしないっていうイディオムです
ティーンエイジャーのなかの50代、フィフティーズのわたしなのに
気持ちはすっかりティーンエイジャーになってしまって
昼休みに近くのレストランで外食したとき
急にソフトクリーム買おうってことになり
結局、13人中8人がソフトクリーム持参で授業に遅刻
座席についても
たらたら溶けるのをなめるのに夢中
それでも象は象
ティーンエイジャーに混じってフィフティーズのわたしは
実は耳の聞こえが悪く
どうしても聞き取れない音がある
へ、ヘイ、ヘイ、イェイ!

「何が起こるかわからないので手術はできません」

まさか
まさかね
50歳を過ぎてから語学留学をするとは誰も予想してなかったでしょうが
わたしは前から決めていたんです
部屋の中の象 Elephant in the room
気持ちはすっかりティーンエイジャーになってしまって
脳の中の象くんといっしょに
負けじ魂を発揮して
ガリ勉ひとすじ
(中学生のころ、ガリ勉っていじめられて自分をずいぶん責めたことがあったなぁ……)
でも、わたしは勉強が大好きなのです
ここに来て
そんな自分でいいんだと思えるようになりました
そんな自分が大好きだと思えるようになりました
イェイ!

(ここでフラメンコダンサーの決めポーズ)

オーレ!

負けじ魂は
はげしいくちげんかに発展
どうでもいいことで
泣きじゃくり
どうでもいいことで
早食い競争になり
どうでもいいことで
笑いが止まらなくなったりし

負けじ魂フィフティーズは
毎日がいそがしい
毎日がばかみたい

単語テストの朝
あ、マーフィーベッドが上から降ってきた夜の翌日ね
ぎりぎりまで勉強して
遅刻しそうになってタクシーで学校に向かった
そのタクシーの中でも必死に暗記
タクシードライバーは
すっごく気持ち悪いモノを見ちゃったみたいな顔をしていた
結果はさんざん
スペルがみんな前後してしまっていたの
覚えた単語のスペルが
タクシーの中で
ぜんぶ崩壊しちゃったの
イェイ、イェイ、イェイ、ヘイ!

そんでもって
マーフィーベッドは3日後にようやく修理してもらえました

「あの、いつごろから、頭の中にあったのでしょうか?」
「神のみぞ知る。子どもの頃からあったのかもしれません」

つまり脳の中の象くんは
ずっとわたしと一緒です
ニューヨークタイムズを読むときも
スタバでコーヒーを飲むときも
修理したクイーンサイズのマーフィーベッドの隅っこでからだを丸めて眠るときも
連れて行った猫のミュウちゃんに餌をあげるときも
へ、ヘイ、ヘイ!
(実はNYへは猫だけでなく象も連れて行ったってわけですよ)

そんでもって
月曜日から木曜日までは朝9時から午後3時まで語学学校
月曜日の放課後は市立図書館に映画のDVD3本を返却に行き別のDVDを3本借ります
火曜日の放課後は家庭教師に英語の勉強をみてもらいます
水曜日は市立図書館に映画のDVD3本を返却に行き別のDVDを3本借ります
木曜日の放課後は中国人の留学生に日本語を教えるボランティアをしています
金曜日の午後は家庭教師に英語の勉強をみてもらいます
土曜日の夜は教会の聖書研究会に参加します(クリスチャンではありません)
日曜日の午後は学校の図書館で勉強をします
イェイ、イェイ、イェイ!ヘイ!

負けじ魂フィフティーズは
毎日がいそがしい
毎日がばかみたい
ヘ、ヘーイ、ヘーイ!

「あなたは何も気にしていないようですね
それでいいと思いますよ」

その通り
わたし何も気にしていないんです

ずぅーっと先のことにちがいないけれど
この命が終わって焼かれたとき
頭蓋骨の中から石灰化したゴルフボールが
ころん、と
転がり落ちてくるでしょう
ほらほら、これが、あのゴルフボールです
とかなんとか
誰かが説明してくれるのかしら
ようやく象くんが話題にしてもらえるとしたら
象くんは喜んでくれるのかしら

ほらほら、これが、あのゴルフボールです
イェイ、イェイ、イェイ、ヘイ!

(幽霊になったわたしは片手を挙げてフラメンコダンサーのポーズで決めるでしょう)

オーレ!