鳥をくわえたファミ

 

辻 和人

 
 

狙って
狙って
待って
待って

実家に預けた猫のファミとレドの様子を聞くために
ちょくちょく母親に電話してるんだけどね
大抵は「猫ちゃんたちは元気よ、元気元気」なのに
今日のは違った
大違い

「本当は昨日、こっちから電話しようと思ってたくらいなんだけど
ファミがね、庭に出していたら
鳥を捕まえてきたの。
それもヒヨドリ。15センチくらいもある大きいの。
くわえてきてベランダに座ってるから
気持ち悪くてどうしようかと思ったんだけど
お父さんがまあ入れてやんなさいっていうから戸を開けてやったら
得意そうに部屋の真ん中まで持ってくるのよ。
それで、もう死んでたんだけど噛みついたり、前足でいたぶったり
こんな大きな鳥を捕まえたことなんかなかったからすごく興奮してたみたい。
いったん離れて勢いつけて飛びかかったり
羽が飛び散るからまた外に出したけど
そしたらすごいの、鳥を食べてるの。
いやあねえ。
口の周りを真っ赤にしちゃって
そしたら食べ残しを今度はレドが食べるのよ。
羽、ベランダにいっぱい散らかしちゃって
ああもうびっくりした。
夜は甘えて布団の中に入ってきたりするんだけど
何だか顔つきも鋭くなって野生に戻ったような感じがして
恐い気がしてねえ。
やっぱり猫は狩りをする動物なんだねえ。」

‥‥‥う、う、
良かった
良かったなあ……
じぃーん
電話を切って、胸の底から湧いてきたのはそんな感想

狙って
狙って
待って
待って

そうなんですよ
狩りをする動物なんですよ
ファミは子猫の頃から虫を追っかけるのが大好きだった
蛾が飛んできました
プァタプァタ、プァタプァタ
ムニュウーン
ギザギザと曲線が入り混じった複雑な形の線が空中に描かれています
誘惑の線です
縦長にぴしっと並んだ子猫ファミの2つの瞳孔
線の先っぽのプァタプァタ揺れる点を
狙って
狙って
えいっ
あ、逃げられた
惜しい
タイミングが少し遅かったか
すると黙って見ていた母猫クロが
そろりそろりと獲物の下に移動
線のパターンをじっくり解析
後ろ脚を少し踏ん張ったか
ヒュヒュウッッ
おっ、お見事
蛾は一瞬でクロの鉤爪の中に
熟練の技に目を丸くして見入る子猫ファミ
クロが捕まえた獲物をつまらなそうに放り出すと
ファミは恐る恐る臭いを嗅ぎに近づく
こういうことなんだ
狩りってこういうことなんだ

いつしかファミは狩りに習熟した
獲物の気配を探り
その動静を目玉をキョロキョロさせて見極めるんですよ
身を隠す草陰を探し
息を殺して姿勢を低くし
しっぽは左右に鋭く振ってバランスを取るんですよ
待って
待って
一気に飛びかかる
獲物は驚いて逃げようと羽をバサバサ動かすけれど
逃げようとする必死な様子がますますファミの狩猟欲を刺激するんですよ
逃げようとするから追いかける
逃げようとするから押さえつける
爪は、今は定期的に切ってはいるものの
獲物の肉に食い込む分には十分鋭い
そして牙
ぼくと遊ぶ時みたいな甘噛みではなく
獲物を仕留めるための本噛みですよ
だがすぐには殺さない
そんなのもったいない
前足で叩いたり口でくわえて振り回したり
弱ってきた獲物がぴくぴく動く様を目の当たりにして
ファミの内部にぽっと炎が灯る
羽が飛び散ったりすると
もう、たまらない
わざと口から放して
よたよた逃げようとするところで
もう一度飛びかかったりするんですよ

鳥を重そうにくわえてのしのし歩くファミの姿は厳かで
古代の人々が敬い恐れていた神の似姿そのもの
“待つ”のが下手でよく獲物に逃げられてしまうレドは
ちょっと後をそろりそろりとついていく

獲物をくわえたファミは神様になった
レドはつき従う神官になった

こんなすごいの捕まえたぞ
見るが良い、見るが良い
自慢する程に威厳と神々しさが増す
おヒゲぴんぴん、黒目ぱっちりな顔の得意げなこと!
ああ、古代、神というものはこんな感じだったのかもしれないな
堂々と民の前で弱い者をいたぶって
力を誇示する
有無を言わせない
あれってさ、民に甘えてたのかもしれないな
見るが良い、見るが良い
洪水なんか起こしたりして
民に崇めてもらいたい
これ、人間だったら悲惨ですよ
許されないことですよ
でも猫だから許されるんですよ
ファミ、ファミ
良かったね
猫に生まれて良かったね

とまあ、ぼくは自分の目では見ていないんだけど
実家の問題としてはいろいろ困ることもあるんだけど
ケータイごし
まばゆい光を背負った存在に
思わず手を合わせてしまったんですよ
狙って
狙って
良かったね

 

 

 

same 同じ

 

曽根さんに
誘われた

どう

そう
言われた

それで神田で
飲んでしまった

温燗を飲んだ

深夜
雨の道を帰った

朝に
目覚めて

雨の音を聴いていた

水道から
コップに水を出して飲んだ

冷蔵庫の
冷えたプラムを食べた

美味しかった
美味しかったな

 

 

 

生きる水

 

白鳥信也

 

 

背丈よりも高い草が山道をふさいでいる
かきわけて進む
山陰に入り草が途切れてようやく視界を確保
もう六月の半ば
若々しい緑は濃い色に変わっている
イタドリも山ウドも太い茎に
樹木に変身しようとしている
陽当たりのよい斜面に生えている太いワラビは
どれも折り取られて傷口は黒く変色しているから
この山道に人が来たのはずいぶん前だ
水の音がする
そろそろ滝が見えるはず
数十メートルの垂直な断崖を大量の水が落下する
この山道から遠望するだけだが
水滴をふくんだ風を感じる
あたり一帯 山また山
車道から全く見えないので
滝を見ようとするとこの山道しかない
去年の春もこの山道から滝を見た
五月の終わり、雪がまだ残っていた
明るい緑に包まれ
勢いよく雪解け水がザアザアと滝を落下している
静かな春の山のなかで荒々しい水音だけが響いている
滝を眺めつづけた帰りに
ホトトギスのさえずりが聞こえたから
山道をはずれて木々のあいだをわけいる
三本の漆の木が目印だ
道はないから草を踏みしめ
奥へ
奥へ
クサソテツの若芽が群生して
明るく開けた場所にふっと出た
ホトトギスの声がやんだ
まんなかの窪地に池がある
底まで澄みきった透明な水が満ちている
その水の中を
真っ黒い魚が悠然と泳いでいる
金魚のようなひれ
鮒と金魚のあいだで宙づりされたみたい
透明な水の底にはサンショウウオが数匹動いている
ゼリー状に包まれたカエルの卵のようなものも
絡まるホースになって池のなかを揺らいでいる
池の周囲のシダ類 クサソテツも揺れている
ゼンマイの綿毛も
人はきたことがないようで魚もサンショウウオもゆったりしている

しばらく見つめつづける
帰ってもなお
私のなかを落下する水
私のなかに静かに横たわる水
揺れているもの

今年も行こうと
生い茂る草
道そのものが薄れ
滝は成長した木の枝葉でさえぎられ
一部しか見えない
落下のかけら
池の入り口をさがす
三本の漆の木がない
何度道を上り下りしても
もう

 

 

 

家族の肖像~「親子の対話」その8

 

佐々木 眞

 
 

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「オレの生徒にクズはいねえんだよお!」
耕君、それなあに?
ドラマの「GTO」ですお。

「お父さん、体が悪くなったら病院でしょ?」
「そうだよ。耕君どこか悪いの?」
「悪くないお」
「悪くなったらお父さんにいうんだよ」
「はい、分かりました」

「お母さん、ぼく常磐線好きですお」
「そう、じゃあ今度乗ろうか?」
「嫌ですお」

「アイラブユーって好きなこと?」
「そうよ」
「アイラブユー、アイラブユー」

「バージンロードって結婚するとき?」
「そうよ」
「バージンロード、バージンロード」

「ビッチョビチョ、ビッチョビチョ。ビッチョビチョって、汚いことでしょ?」
「そうだよ」
「ビッチョビチョ、ビッチョビチョ、ビッチョビチョ、ビッチョビチョ」

「めちゃすきやねん、めちゃすきやねん」
「なにそれ?」

「お母さん、のんだくれってなに?」
「お酒を飲みすぎて迷惑をかけることよ」
「のんだくれ、嫌ですねえ」

YMCA GO GO GO!
YMCA GO GO GO!
お母さん、ぼくYMCAのリーダーですよ!

「お母さん、たしなめるってなに?」
「そんなことしちゃだめよっていうことよ」
「お母さん、たしなめる、たしなめよう、たしなめておくれようってなに?」

「君をなくしたら悲しいでしょ?」
「悲しいですよ」
「君、君、君」

「営業ってやることでしょう?」
「そうだよ」
「営業なんて、営業なんて、営業運転されることになりました」

「ついては」ってなに?
「それについては」ということよ。

「車体構造ってなに?」
「車体の構造だよ」
「車体構造は、ほぼこうなっています。6扉車登場ね」

なんで緒形 拳「しゃべるな」っていったの?
苦しいからでしょ。
しゃべると気持ち悪くなるからでしょ。

「お母さん、ぼくはしあわせになります」
「耕君、しあわせなの?」
(無言で2階に消える)

「お母さん、お金は買い物するときでしょう?」
「そうよ」
「買い物するのはぶたぶた君だお」

「気象情報って、天気予報のことでしょ?」
「そうだよ」

「お父さん、仮面ライダー好き?」
「好きだよ」
「ぼく、仮面ライダー好きですお。こうたろうさん、好きですお」

「お母さん、おもてなしってなに?」
「気持ちよくすごしていただくことよ」
「そ、そうですよ。そうですよ。おもてなし、おもてなし」

「お母さん、気まぐれってなに?」
「自分の好きなことばかりしていることよ」
「気まぐれ、気まぐれ、気まぐれですお」

ふきのとう舎へ行く時は、桜ヶ丘駅で、降ります。
藤沢から各停に乗るか、急行で乗り換えることができます。
長後から出発して、急行に乗ったら、大和まで行ってしまいます。
ふきのとう舎に行くに時は、大和まで行かないようにしましょうね。

「お父さん、6のさかさまは9?」
「そうだよ」

「お父さん、ごきげんようの英語は?」
グッドバイ、シーユーツモロー。

「お母さん、黙祷ってなに?」
「目をつぶって祈ることよ」

「ぼくキシモト歯科いきませんお、いきませんお」

タクちゃん「しあわせになろうよ」みた?
きっとみたと思うよ。
「しあわせになろうよ」は黒木メイサでしょ?

「お父さん、お母さん治ってほしいですねえ」
「そうだねえ、治ってほしいね」
「お母さん、早く良くなってね」

「お母さん僕は協力しますよ」
「なにに協力するの?」
「キョウリョク、キョウリョク」

たまもりゆうたですお。「幸せになろうよ」、の。

「お父さん、今年も旅行でお土産買いますお」
「ああそう。よろしくね」
「分かりました」

ハッケヨイ、ノコッタ、ノコッタ
お相撲ですよ。

「ヒロタカ君、クミコさんと結婚したんでしょう?」
「そうだよ」

「お父さん、セイザブロウさん、綾部の下駄屋でしょう?」
「そうだよ」
「ぼく、下駄好きですお」

「ぼく、のぞみ幼稚園好きですよ」
「のぞみ幼稚園、誰が通ってたの?」
「タクちゃんとリョウちゃんですお」

お父さん、ぼく「どんと晴れ」のナツミさん、好きですお。

「お父さん、ぼくアジサイ好きですお」
「何色が好き? 青? 赤?」
「両方ですお」

「お父さん、5はいつつですお」
「そうだね」

「お父さん、横浜線の205系はどこ行きましたか?」
「どこへ行ったの?」
「インドネシアだお」
「へええ、インドネシアかあ」

「お父さん、ぼくクワイ好きだお」
「そうかあ」
「サトイモ好きだお」

「お母さん、ぼく今日ハス見に行きますお」
「はい、行きましょうね」

「お父さん、そんなことないの英語は?」
「ノットアットオールかな」
「お母さん、そんなことないって、どういうこと?」

「ぼく、がっかりしなかったよ」
「なにをがっかりしなかったの?」
「お母さん、がっかりってなに?」

「お父さん、遅くなったらだめでしょう?」
「遅くなってもいいよ」

「お母さん、ごきげんようってさようならのこと?」
「そうよ」
「ごきげんよう、ごきげんよう」

「お母さん、誘拐ってなに?」
「ひとをつかまえることよ」
「誘拐いやですねえ」

「お母さん、心臓飛び出したら?」
「びっくりですよ」

お母さん、杉浦さん「トイレットペーパーそんなに使わないでください」て言ったよ。
そうなの。

「お母さん、簡保は簡易保険でしょ?」
「そうよ」

ぼく「ぶたぶた君のお買いもの」好きですお。
お母さんも好きですよ。

高橋さん、「またあした」っていったお。
そうなの。

お父さん、渡辺千尋君ね。ぼく順子さん。
「千尋、ダメダメ」
「お母さんごめんなさい」

「先生」と呼んだらダメですよ。「さん」と呼ぶんだよ。

「お母さん、これオオバギボウシの葉っぱでしょ?」
「そ、そうよ。驚いた! 耕君よく知っているのね」
「このオオバギボウシ、どうしたの?」
「昨日小田原のオオバさんから頂いたのよ」
「オオバギボウシオオバギボウシオオバギボウシ」

「耕君、人生楽しいですか?」
「楽しいよ」

 

 

 

20年前に書いた詩が一つ見つかったっちゃ

 

鈴木志郎康

 
 

20年前に書いた詩が一つ見つかったんで、
これって、
俺っちが
ほんとに書いたのかいなって、
驚き。
まっ、
なんとか生かしたいってんで、
この詩、
ここに書き写しちゃおうっと。
「浜風文庫」に、
発表しちゃおうっと。
ぶぶん、じゃんじゃん。

今日からは
あらゆるものがタダという
日が来た

パン屋では
店に置かれているパンは
すべてただ
つまり、
お金を払わないで持っていって
もいい
八百屋でも
キュウリ、トマト、レタス
みんなただ
スーパーにも
品物がいっぱいあって
ぜえーぶただ
欲しいだけ持っていっていい
16ミリフィルムも
ただだし
カメラもただ
現像もただだから
映画もすきにできる

店の人たちは
持っていかれれば
いかれるほど
喜んでいる

電車もただだから
好きなところへいける
ただの温泉旅行に
行って
ゆっくりと

勤めの人たちは
給料はもらえないが
仕事を面白がって
やっている

工場は
ただで資材を持ってこられて
製品をどんどん作っている

ただの温泉旅館で
ゆっくりと
湯につかっている人もいる

なにしろ
今日から
あらゆるものが
ただなのだ

ってね。
これって、
貨幣経済の否定じゃんか。
ぶぶんん、じゃんじゃん。
パン屋さん、ニコニコ、
八百屋さん、ニコニコ、
スーパーの人、ニコニコ、
主婦たち、ニコニコ、
子どもも、ニコニコ、
勤め人さんたち、ニコニコ、
いいじやんか。
ぶぶん、じゃんじゃん。
俺っちって、
なに考えてたんだ。
忘れちゃったよ。
なんで発表しなっかったんだろ。
分からないっちゃ。
いつ書かれたのか、
やぶかれたノートの切れ端には、
「窓辺の構造体」ってメモがあるから、
そのタイトルの詩が「ユリイカ」に発表された
1996年9月後の
この詩の冒頭の「10/15」ってことは、
10月15日に書かれたんだ。
二十年前だっちゃ。
忘れてちまって、
わからない。
ぶぶん、じゃんじゃん。
なんでこの詩を書いたかも
忘れちゃったけど、
まあ、面白い。
ぶぶん、じゃんじゃん。
ぶぶん、じゃんじゃん。

そう言えば、
俺っちって、
詩って、
どんどん書いて、
どんどん忘れるってこっちゃ。
ぶぶん、じゃんじゃん。
ぶぶん、じゃんじゃん。

 

 

注 この詩が見つかったいきさつ。破かれたノートの切れ端に書かれていた。そのノートはちょとメモ書きして、放り出してあったそのノートで、麻理が病気上がりの猫が食べた餌の量を記録するの使うというので、初めからのメモの12ページを切り取った。そこに書かれていた、発表されたこともなく、捨てられるかもしれなかった詩だ。このノートの切れ端の初めのところに「窓辺の構造体」というメモがあるので、この詩が書かれたのは、おそらく「窓辺の構造体」が1996年9月に書かれたので、詩の頭に10/15とあるからその10月15日に書かれたと思える。