駿河昌樹
大人になって
十分に饐えてくると
自分がなんでも知っているかのように
人は誰でも思いがちになってくる
慎み深くあれ
謙虚であれ
などと道学者めいたことを
ひとくさり言ってみたいと思うのではなく
そんなふうに慢心していられるほど
波風立たない入り江に暮らしていられるのだろうか
その証拠だろうか
などという印象を持ったりするだけのこと
ある大学の教員室に居たら
日本語の初老の女性の講師が
短歌について他の先生たちにしゃべっているのが聞こえてきた
他愛もないおしゃべりに過ぎないのだが
授業で短歌が出てきたのだろうか
あれがどうの
これがどうの
いろいろしゃべっていて
他の学科の先生たちが
「まぁ、そうですか」
「そんなもんですかねえ」
などと聞いている
わざわざ聞き耳を立てるほどの話でもない
そのうち
北原白秋の名前が出てきたので
ちょっと
耳を澄ましてしまった
「白秋も短歌をちょっと作っていたんですよ」
そんなことを言っている
白秋が作った歌のあの量を「ちょっと」と言うかねえ
と思う間もなく
「でもね、白秋の歌なんて、たいしたものはないんですよ」
とおしゃべりが続いたので
いっそう注意して耳を澄ましてしまった
「まぁ、歌人としてはたいしたことはなかったですね」
空0おや
空空空0おや
空空空空空0おや
空空空空空空空0ぎょ
空空空空空0ぎょ
空空空空空空空0ぎょ
この日本語の先生は
ひょっとして
アララギ派原理主義者かなにかなのだろうか?
それとも
独自の作風を確立なさった現代の大歌人ででもあらせられたか?
なかなかきっぱりとした白秋批判だが
いったいどこから
これだけの白秋ぶった切りの言辞が出てくるのだか
それにしても
怖いなぁと思わされるのは
あれだけの多量の歌を作った白秋を
言下に「白秋も短歌をちょっと作っていた」と断じてしまう
このノーテンキさ
あれらの歌に「たいしたものはない」と難じるにしても
「ちょっと作っていた」はないだろう
言えないだろう
そんな不正確なことは
正直なところ
わたしには好きではない白秋の歌がいっぱいあるのだが
それは彼の言語世界が好きではないということで
あれだけの多量の歌を生産し
あれだけの言語表現の力量をはっきり刻印したことまで
たやすく無視してしまうことなどできはしない
だいたい
世間であまり読まれてもいない
目を患ってからの
晩年の暗い黒々とした墨絵のような歌の世界は
齋藤茂吉の最上川詠に比肩されうるような高みに達してもいるのだし…
それを
この日本語の初老の女性講師は…
恐ろしいなぁ
と
ひたすら
思うのである
なにが恐ろしいのか
知らないということか
ちっぽけなナマクラな判断基準を肥後ナイフよろしく
いや
ボンナイフよろしく振りまわして
あちらこちら
評定し
断じ
批評して
何様になったかのように慢心することがか
たゞ
わたしは、あれ、嫌いです
と
済ましておけばいいのに
どうして人は
評するところまで行ってしまうのか
評定し
断じ
批評して
何様かにでもなったかのように慢心するところまで
行ってしまうのか
白秋については
むかしむかし
大学院で白秋を研究していたという女性と
つかの間
同じ職場で親しんだことがあった
秩父出身のその人は
いつも驚くほどのミニスカートで
まれに見るほどにムチムチした腿を
包むか包まないか
という具合にして出勤してきていて
職場は難関校受験の進学塾だったというのに
股の奥が覗き見えるような座り方を生徒たちの前でするものだから
男子学生がわたしたちに
「センセ、もうダメ、ぼくらイッチャウ…」
などと
不平とも
苦情とも
恍惚とも
逸楽の悶えともつかぬことを
話しにきたものだった
空0(ちなみに
空0(精子はじつはエーテル体なのであると断ずる
空0(トンデモオカルト説をこのあいだ偶然ネット上で読んだナ
空0(もちろん、これは「ちなみに」な話であって
空0(いま進行中の言語配列とはあまり関係がないんだナ
この女性はなぜだかわたしに好意を示すようになって
仕事の後でよく公園で話をした
その職場は埼玉県の北浦和だったので
その公園とは北浦和公園であった
空0(なんでだか
空0(この書きもの
空0(「であった」調になってきているナ
夜十時半や十一時頃までベンチで話したが
内容はその女性が見合い結婚をそろそろすることについてであったり
かつて大学院で研究した白秋についてであったりしたが
座っていると例のミニスカートがやっぱり腰の上にズレ上りぎみになるので
心おだやかならぬものがあるにはあったが
それでもヘンに陥落したりしてしまわなかったのは
彼女の髪の毛がやけに薄く
毛の一本一本の間がずいぶん開いていて
それがうまい具合のラジエーター役になってくれたからだった
わたしが短歌に興味があったものだから
過去に集めた白秋の研究資料を少しずつくれて
ついには白秋の肉声の朗読テープまで貰い受けることになった
勤め先が替わってからは
だんだん連絡が減っていって
ついに年賀さえ出さなくなったけれども
それも
この人のことを思い出すと
ムチムチした腿にひらひらの短か過ぎるミニスカートしか
思い浮かばないという事実に
どことなく
劣情の哀しみをしみじみと思わせ続けられたからで
まぁ
やっぱり
会い続けていたら
危なかったかもしれない
錨を下ろすべきでない御仁とは
どこかで
きっぱり距離を取る必要はあるもので
あるから
貰った白秋の肉声朗読は
なんだか
しゃっちょこばって
趣きも
面白みもなかったが
歴史的貴重品ということで
ずっと保管しておいた
手放したのは
詩人の吉田文憲さんから欲しいと言われたからで
あれは
文憲さんが詩集『原子野』を編集中の頃のことだった
あの詩集の原稿が送られてきて
手直しすべきところや校正をしてほしいと言われていて
こちらもずいぶん忙しい最中だったが
時間を割いてずいぶん深読みをしたものだった
吉増剛造さんが過去の詩人の肉声に特にこだわっていた頃でもあって
吉増さんとよくいっしょにいた文憲さんは
その影響もあってなのか
わたしが白秋の肉声を持っているというと
ぜひ聴かせてほしいと頼んできた
手渡してからしばらくして
考えてみれば
わたしとしてはあまり保管しておきたくもないものだったので
よろしかったら差し上げます
と伝えたものだったが
それ以降
文憲さんはあれを使って詩作をしたりしたのかしら
白秋のあの肉声テープとともに
ひょっとしたら
文憲さんに
あのムチムチの腿や短すぎるミニスカートの雰囲気までも
べったり
じっとりと
伝わっていってしまったのかも
と
今はじめて
思うに到ったのでござるヨ
なんとも
不覚であったノ