入院記

 

須賀章雅

 
 

墓参りに行かなければならないと考えていた。田舎にある父母の墓へ一度線香をあげに行かなければなるまい。最近のわが不調、この数年の低落ぶり、没落ぶりは長いあいだ両親の墓を放ったらかしにして荒れるにまかせてあるのに起因するのかもしれぬ、もとより信仰心などなく、墓参りで人生がいささかなりとも上向くのであれば、一日無駄にするのも後々意味があると思うような恩知らずの親不孝者が一念発起、旅費捻出のために無理をして倉庫で日がな一日、ただ黙然と中身の分からぬ箱を積み上げる日雇い仕事をやり、入った徹夜明けの水風呂が良くなかったのか、左腕が痺れ始めたかと思うと胸に激痛が走り、それはこれまでの生涯でかつて経験した覚えのない甚だしい痛みであり、堪えているうちにさらに痛みは激しくなり、鏡を見ると顔は緑色の怪人に変身しており、とりあえず這いつくばりながら身支度をして思案にくれていたが次第に呼吸をするのも苦痛となり、墓参りはまたの機会にしてまずは現在のこの狂おしい症状から解放されんがために病院へ行ってみようと決心し、水槽の中でのほほんと眠る同居者、一匹のゲンゴロウに、ちょっくら行ってくるわ、と力なく挨拶してから真夏の午前の眩しい屋外へ出てふらふらと歩み出し、電柱に凭れかかりながら片手を挙げてタクシーを拾い、何処でもいいから病院へ一刻も早く、と頼んでシートに倒れ込んで目を瞑ったのであるが、今度は沸き起こる痛みのために、ぐおおお、だの、うえええ、だの、もももーん、だのという叫びが口から上がるのを如何ともしがたく、これはきっと死ぬ、自分の存在はこれで終わる、と覚悟をし始めた辺りに到着した病院では、七人のナースたち(後から知ったことであるが皆うつくしい女たち)に取り囲まれてたちまち服を脱がされ裸にされて、なぜか剥がされなかったTシャツを捲られ、胸部に線のついたあまたの吸盤を貼り付けられ、口中にスプレーを噴射されて、「口閉じて、鼻で呼吸して」と命じられるままにすると胸の痛みはなんとか収まってくれたが、今度はストレッチャーの上で剃毛され排尿用の管をぐりぐり押し込まれて、あまりの痛みと恥辱にのたうち廻って咆哮すると、ええい、静かにおし、男らしくなさいってば、と命じる女の声は失踪した妻そっくりであり、局部麻酔をかけられて、右脚の腿から血管を通じて心臓に達する管を挿入され、左腕に点滴の管三本、鼻の穴に酸素吸入の管を取り付けられた頃には意識が遠のいてゆき、かようにしてめくるめく入院生活が始まったのであるが、私は雪の夜を駆けるウマとなり故郷D市のクラス会へ出向いたり、花火の上がる夜の病室の窓に燃え上がり溶けるヒマワリになったりしてなかなかに多忙であって、中年の眼鏡をかけた蛙を思わせる医師が喜びを隠そうともせずに説明するには、私の症状は「詩的冠攣縮性狭心症」である由で、酒煙草はもちろんタブーであるが、あなたの場合は詩を書くことが心臓の冠動脈という血管に大変な負担になっている実に特異なケースで詩はもう止めた方がいいでしょう、と診断するので、そういえば生活を顧みずに詩などにウツツを抜かしているうちにいつしか妻もいなくなり、田舎へ墓参りの算段もつかなくなってしまったのであるよなあ、と柄にもなく神妙な気持になっているところへ、トマコマイにいる兄が父と母を連れて見舞いに現れ、昔はずいぶんと夫婦仲の悪い二人であったのになあ、と懐かしさも一入なのであるけれど、珍しい症例として今しばらくの滞在を医師から請われている詩を書く男は保険にも加入しておらず、かといって現金もなく、今回の支払額が如何ほどになるかを想像すると胸に鋭い痛みが走るのを覚え、それから今や唯一の家族と云っていい存在である孤独なゲンゴロウの安否が天井から下がる重たげな雲の中、にわかに気になってくるのだった……