ある事故を知って

 

みわ はるか

 
 

坂本九の歌がいいなぁと前から思っていました。
切なくて、前向きで、でもやっぱり悲しくて。
昭和の名曲だなぁとしみじみ思います。
40代で亡くなった理由をつい最近まで知りませんでした。
それがとても大きな事故で、語り継がれるべき話であるのにわたしは知りませんでした。
食い入るようにネットの記事を読み、何度もフライトレコーダーを動画で見ました。
それは、わたしにとって、ひとつひとつがものすごく衝撃的な内容でした。
どんな気持ちで揺れ動く機体の中で時を過ごしたのか。
どんな気持ちで機長はハンドルを握っていたのか。
最後、もうだめだと分かったとき何百人もの人たちは頭の中で何を思い描いたのだろうか。

事故を知った遺族の人たちもまたやりきれない気持ちでいっぱいになったのだと思います。
またすぐ会えると思っていた家族、友人、恋人。
ばいばーいと手を振って別れたばかりだった人ともう二度とは会えなくて。
それはわたしなんかが想像するよりももっともっと辛い感情のどん底に突き落とされた感じなのだと思います。

当時の機長の奥さんのインタビューがテレビで流れていました。
「生前より主人は申しておりました。
絶対に事故はしない。だけれども、もしおこってしまった時にはそれはどんな理由であろうともわたしの責任である。」
と。
それは、仕事に誇りを持った人だけが言える素敵な言葉だと思いました。

この事故に対しては、色んな立場の人が、色んな角度から意見を出しています。
わたしはこの事故の詳細を恥ずかしいことに最近知ったばかりで知らないことの方が多いです。
だから、今、そのことに関して書かれた本を読んでいます。
もっともっと知りたいのです。
日本人として知りたいのです。
そして、その時の人たちの感情を少しでもすくい取ることができたら、今生きている人間として少し認められるような気がするのです。