狩野雅之
写真は演繹すべき物ではない。写真は過去の一点で立ち止まっている。写真は未来を志向しないし過去を振り返らない。写真は写されたものの存在証明であり、存在の現れの記録である。同時に写真は表現を志向することによって芸術へと向かう。しかしそこにおいても芸術となるのはそこに写されたものであって「写真」そのものが芸術として現れることはない。写真はメディアではないし存在を入れる(あるいは保存する)容器ではない。
個人的にはそんなふうに考えています。
なにも考えずに浸っていただければこれに勝る喜びはありません。