そうそうに生前葬じみたことをしてみているのか

 

駿河昌樹

 
 

あまりになにもかもが過ぎていくので
あまりになにもかもが去って行くので
人間たちはお手製の時代の区切りなど作って
なにやかや身振りをしてみたいのだろうか
集まってしばし身もだえしてみたいのだろうか
果てのない宇宙の闇に浮いているほかないさびしさを
そうしてまぎらわしてみたいということか
そのさびしさを切々と感じるじぶんさえ
遠くないうちに過ぎていき去って行くことを
たまたま舞い落ちた星の上に今まだあり続けながら
そうそうに生前葬じみたことをしてみているのか

 

 

 

かわいそうで

 

駿河昌樹

 
 

だれを見てもかわいそうに見えてしまって
ときどき
見知らぬ人を見ながら
立ち尽くしてしまったりする

時間とよばれるものも
空間と呼ばれるものも
とりわけ人生とかじぶんとか呼ばれるものも
あんなに信じてしまって
あんなに真に受けてしまって

かわいそうで
だれを見ても
立ち尽くしてしまう

みんなみんな
あまりに
深く
だまされたままになっていて

かわいそうで

 

 

 

島影

 

島影という
葉書が

届いてた

今朝
気づいた

昨日の夕方

ポストに入れられて
夜中の雨で

濡れたのだった
ろう

たわんでいた

濡れて
たわんで

写真展の葉書は届いた

いつか
どこか

遠くの人に葉書は届くだろうか

雨のなか

傍らの人に
にぎりめしを渡す

水田に身をかがめて
母は

苗を植えていた

身をかがめて
渡す

・・・

そのアルゴリズムを通して
かなしみは抽象されるか

死後硬直の煎餅は
地中で平面となり

・・・

という手紙が

昨日
工藤冬里から届いた

そこにいる
もう長いこといる

ずいぶんといる

そうでなければ
木蓮は

白い花もつけなかった

木蓮の花は
あなたでもわたしでもない

ことばでもない

ただ
佇っていた

島影はいた

島影は
佇っていた

母は
水田に

いた

アルゴリズムから逸れていた

 

 

 

memorial ・ 代わりの人 ・(そのアルゴリズムを通して)・ 公正

 

工藤冬里

 
 

memorial

 

5000円くらいのブルゴーニュだったが捨てるのだと言った
かなり黒ずんで敗血のようであった
飲んでもう天に行こうかと冗談を言った
言葉は人間になった
既成の調性を捨て とラジオが言っていた
もう何十年言っているのだろう
挨拶は腰を浮かして
身代わりと等価が右から左へ私の体を透過していった
残るのはブルゴーニュの香だけである
こうして1986回思い出したのだ
食べず飲まないsupperは終わった
pink moon は 頭上に褪せた

 
 

代わりの人

 

代わりの人を探した
代わりの人は必ず見付かった
外に一人 内に一人 と
対応しているのではないか
頸椎にニッケル板を挟み
つばめはよく造られている と 呟く夫も
前の町に居た
痩せさせるために
奥羽街道を二週間北上した顎の肉も
三原の雲の中で直線を引かれた
細い目たちの 激流の
名残りの真雁は魚になり
川は海岸と平行に走り
最後まで海と繋がらなかった
トレーナーのトレーナーのトレーナーは
肩がなかった
アトピーの手袋は
まるで癩のようだった
銀髪と海底図は平行に波打ち
兎蛞蝓はキャベツの演壇を裏から透かせた
靨の民族は帆を下ろさず 島を躱す
幾つもの「トレーナーが猿」の王国を打ち破るためには
島を見ず 航路を追う
きみの代わりを探すために

 
 

(そのアルゴリズムを通して)

 

そのアルゴリズムを通して
かなしみは抽象されるか

死後硬直の煎餅は
地中で平面となり

窓のないタブローは
私の線を待つ

 
 

公正

 

暖色系の濃淡で構成された
意外な夕方
凱旋行列の甘い香り
牡丹色の傷

公正に殺されたい
濡れ衣を纏うのではなく
有刺鉄線を冠るのではなく

 

 

 

恐怖の下痢

 

みわ はるか

 
 

定期的に通っている定食屋さんで、平日の夜わたしは初めて定食以外のものを注文した。
当然何かご飯ものを頼むだろうと思っていたと思われる肌が雪のように白い店員さんは少し驚いていた。
アップルパイとアイスティーを注文したのだ。
甘いものがそんなに得意ではないけれどあのときのアップルパイは世界一美味しく感じた。
食べられる、美味しく食べられる。
ただただ嬉しかった。
そう、1日前までわたしはポカリスエットしか飲めなかったのだ。
1週間下痢に悩まされていたからだ。
頬はこけ、みるみる体重は落ち、布団から起き上がれなかった。
固形物を食すのがこの世の終わりかと思うくらい怖かった。
結論:下痢は辛い。

熱発や関節痛もあったためしばらく職場を休んだ。
ほとんどの時間を布団の上で過ごしたのだが、気分転換に少し外に出てみた。
そうすると、普段だったら知ることのない音や光景ががたくさん見えてきた。
マンションの上の方から布団を布団たたきでたたいて干す音。
ミニチュアダックスフンドをゆっくりゆっくり散歩させる高齢の夫婦。
何が建つか分からないけれど、まっさらな土地の上で何やら物差しで長さを測り続けている人。
畑をきれいに耕して立派なスナップエンドウを育てている人。
近くにある川はわたしの状況なんか関係なく淀みなく流れていたし、窓から見える中学校からは12時を知らせる
鐘が遠慮なく鳴っていた。

夕方になるとぺちゃくちゃおしゃべりを楽しむ中学生の集団が至るところに見られた。
テニスラケットを背負っている子、剣道の竹刀を担いでいる子、習字道具をぶら下げている子。
みんなケラケラ笑いながら流れる川の上の橋を渡っていた。
一日がこうして終わっていくんだなと思った。
客観的に見る機会は少ない。
これはとても不思議な気持ちで貴重な時間だった。

下痢は本当に本当に辛かったけれど、なんだかな、いいこともあったな。
そんな今回は汚い話。

 

 

 

家畜

 

塔島ひろみ

 
 

博物館で家畜を見た
家畜の剥製と頭骨を見た
ヒトが作り変えた命を見た
市場原理が淘汰した結果のブロイラーと
人の愛と執着が作り出した、異形のウマ
家畜になる前の、空を飛ぶことができたニワトリを、
家畜になる前の息子の、小さいが鋭い犬歯を見た

ブタが娘を折檻していた
奥の展示室で、棒で娘を、ブタの私が叩いている
太らせてから、おいしくなるように叩くのだ
ジタバタと騒いで、鳴く子豚を、押さえつけ、潰し、黙らせる
ブーブーブー 資本主義に負けてはいけない
鳴きながら、ブーブー、唾を飛ばしながら、ブーブー、
お前をヒトには渡さない
娘を叩く
私の家畜にするために

おいしいお前を食べるために

うなだれ、変形し、ぷんといい匂いが立つ肉になって
ブタは電車で、運ばれていった
息子と、娘と、私を乗せて、
隣の菅原さん一家を乗せて、
向いの宮島さん一家を乗せて、
家畜電車は満員だ
家族電車は満員だ

市場へ向う
生きるために、生き延びるために

じゃらじゃら小銭がいっぱい入ったお財布を持って

 

(2019年4月23日、博物館で)

 

<参考 東京大学博物館ニュース「ウロボロス」65号>

 

 

 

はくり、ひとの

 

薦田 愛

 
 

ねぐるしい夜であったか
定かではない
いくにんものひととはげしく踊り
汗して帰った
母というひととくらす
くらしていた
家に

いさかうことがあって
ほどけば何ということもせず
泣いてただただわびるつねの習いもとじこめ
しりぞいた
となりの音と気配を
隔て
ふすまいちまい
ねむれぬねむりをねむった

それは自棄というものかもしれぬ
ことばにうつすと何かがもれおちる
うつしとられたものばかりに宿る事実はうそくさい
ねむれぬねむりがやぶれ
やはりねむっていた
きみょうにしらっとしていて
びんせんというもの
しょくたく
かきおかれた文字があって
いなかった
ひとひとり
母という
ひとが