書斎にて

 

みわ はるか

 
 

畳1畳分のスペースに長方形の机、座椅子を置いている。
机の上にはペン立て、時計、電子辞書、障子で円柱にかたどったスタンド電気。
これがいつものスタイルで、ここをわたしは密かに書斎と呼んでいる。
どうしてこんなにも狭いのかというと、部屋自体は8畳分くらいあるのだが他にも置くべきものがあるからだ。
本棚、ベッド、クローゼット、ファンヒーター、プリンター。
物を最小限にしか持ちたくない、シンプルな生活を理想としているけれど、これらは必需品である。
というわけで隅のたった1畳分のスペースがわたしの憩いの場なのである。
温かいお茶を急須から湯飲みに移し、最近寒くなってきたので赤い半纏を着込み座っている。
ふっと前を向けば白い壁と目が合う。
朝がものすごく弱いわたしは夜にこの机でパソコンを開く。
色んなことを考えながら文章を書いたり、公募で応募したエッセイ作品が落選したことを伝えるメールを受け取ったり、
ここ最近島に魅了されている(できるだけ人口が少ないとこ)島への旅行をもくろんだり、
好きな作家の新刊をチェックしたり、又吉のトークライブ行きたいなぁと考えたり、
老いていく両親が元気であることに感謝しつつ妹弟がきちんと自立したことに安堵している。
お茶が大好きなのだけれど貧血がひどいので緑茶は諦めてほうじ茶を選ぶようにしている。
有名な全国のお茶っ葉を時々友人にもらうのだけれどとても嬉しい。
物欲のない若者が最近は多いとニュースでやっていた。わたしも例外ではないなぁとふと思う。
それでも必要なものは事前に色々調べて購入するのだがそれが届いたときに満足いくものだとやっぱり嬉しい。
シンプルでミニマムな暮らしに憧れていてこれからもそうであるような気がする。
友人関係も狭く深くとなった。
それが居心地がよくてしっくりくるようになった。
情報格差がいまやほとんどなくなった。
どこにいてもあらゆる情報をネットや動画で得ることができる。
でもやっぱり羨ましいと思うのは文化や芸術の中心地はまだまだ都心でありそれに憧れて上京する若者はたくさんいる。
わたしは田舎が好きなので今の場所に満足しているけれど、たまに物足りなさを感じることがないわけではない。
隣の芝は青いなのかな。

年の暮れに色んな角度への思いを思いつくままに書いてしまった。
最近、「いつもエッセイ読んでるよ」と友人からメールをもらった。
こんな嬉しいことはないなとその文面を何度も何度も繰り返し読んだ。
彼女は絵がものすごく上手で今でも彼女からもらった秋の隠れた紅葉の絵を大事に持っている。
これからも好きなだけ書いてほしいなと思ってるよ。

新しい年を迎えました。
昨年は日記のようなエッセイのようなわたしの文章を読んでいただきありがとうございました。
また今年もどうぞよろしくお願いいたします。