resound・鳴り響く こだまする

 

さとう三千魚

 
 


降ってる

今朝

鐘の音

聴いた

汽笛の

音も
聴いた

長崎で聴いた
坂の街を

聴いた

四谷で

鳴り響いてた
教会の鐘が鳴るのを聴いた

きみの

歌うのを
聴いたよ

水平線を縦に並べて滝にしてみる *1

今朝

墜ちたよ

空から
墜ちたよ

鳴り響いている
光ってる

いまも

鳴り響いている
鳴り響いている

 

 

*タイトルは、twitterの「楽しい英単語」さんから引用させていただきました.
*1 工藤冬里の歌「2020」より引用しました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

千年コロナ

 

工藤冬里

 
 

コロナは私の所為で興った
私を再び独りにならせるために興った
私の為に店は潰れた
私の所為で空は墜ちた
私が生きるためにコロナは興った

私の益の為にコロナは興った
私がカドカワにならない為に興った
私の所為で人が死んだ
人の所為で私も死んだ
私が死ぬためにコロナは興った

 

 

 
#poetry #rock musician

ALMOST YELLOW~雲古蘊蓄譚

 

佐々木 眞

 
 

その1 ウンチを我慢する

宇治拾遺物語の第76段に「仮名暦誂えたる事」という短いコラムがある。

そこには3日連続で「雲古すべからず」と書き込まれた偽カレンダーを信じた生女房が、
「左右の手して、尻をかかへて、いかにせん、いかにせん、と、よぢりすじりするほどに、物も覚えず、してありけるとか。」
団鬼六のロマンポルノではないけれど、我慢に我慢した挙句に、とうとうしてしまったんだあ。
可哀想に。

 

その2 ウンチを見る

むかしむかし、京の北白川にあった重度の障害児(者)施設で、黄色い風呂を見たことがある。
黄色と映ったものは利用者が排泄した雲古で、それは冷めた風呂水と上から下まで完全に混ざり合って、微動だにせず午前10時の太陽に浮かんでいた。

そのとき私は、福祉の仕事というのは、このウンチがいっぱい浮かんだ風呂に飛び込んで、障害者の体を洗ってあげることなんだ、と思った。

 

その3 ウンチを踏む

私はうっかりしていて、(恐らく石ころの上にとまっている小型の茶色いチョウがテングチョウかヒメアカタテハかを確認しようとしていて)道端のウンチを、ムギュっと踏んだことがある。

運動靴がズヌっとぬめって、明後日の方角にずれてしまって、相当不気味だった。

義姉のエイコさんは、蛇を何回か踏んだことがある、そうだ(今度会ったら確かめてみよう)。

私はまだ蛇を踏んだことはないが、あの明後日の方角にズヌっとぬめっていく感じは、限りなくそれに近いのではないかと、密かに考えている次第である。

ウンチを踏んだズックは、洗っても、洗っても、臭かった。

 

その4 ウンチを掴む

むかしむかしのそのむかし、丹波の綾部の上野の丘に小学校があって、私は放課後に、同級生と便所掃除をしなければならなかった。

便所は汚れている時と、そうでない時があったが、汚れている時には、おおかたでぶでぶのオオツキマサト君が、率先してキレイにしてくれるので、僕らは、ほとんど何もする必要がなかった。

するとある日、突然そのことに気づいたように、オオツキマサト君が「お前らあ、いっつも、いっつも、ずるいやないか。わいらあ、今日はなんもせえへんさかい、お前らあで、しっかりやらんかいな」と怒鳴って、ぷいと校庭に出ていった。

オオツキマサト君が去ったあと、便器の傍には、プリプリの巨大なウンチが、ぐんにゃりと横たわっていて、微かに湯気が立ち上っていた。ついさっき誰かがやらかした出来たてのホヤホヤ、ちゅうやっちゃ。

アカオ君やキタハラ君やカワギタ君と一緒に、僕はしばらくその黄色いプリプリの巨大なウンチを眺めていたが、いつまでたっても誰も手を出さないので、これはもう僕がやるしかないと思って、僕は恐る恐る、その臭い立つ巨大なやつに両手を伸ばして、ぐウンとつかんだ。

えいやっと、つかみとって持ち上げたら、そいつは結構重くて生温かで、「これはいったい、どこのどいつが垂れたんだろう」と、不思議な気がした。

その日、僕はこの世の「実在」という奴に、初めて触れたのだった。

 

その5 ウンチを垂れる*

毎日トイレで便器に跨るたびに、私は遠い親戚の言葉を思い浮かべる。

「人間はトイレに入る時には生まれたままの姿で、本音も建前もない。これこそ人間の真の姿である」

「大事なのは、ウンコを垂れるあの気持ちだ。堅からず、柔らかからず、ロクロの廻るにまかせて、なんの技巧もなく生まれてくるのが、ほんとうの茶碗だな」

この「ウンコ哲学」を唱えたのが、ほかならぬ私の伯祖父、上口作次郎(1892-1970)である。

彼は明治25年に谷中に生まれ、小学卆業後、宮内省御用の大谷洋服店に弟子入りし、大正末期に「超流行上口中等洋服店」を開店した。

最高級オーダーメイドスーツでしこたま儲けた金で、江戸時代の大名時計や長谷川利行の作品を収集したり、東京の土を捏ねて陶器を焼いたり、ぐるぐる廻る茶室「眩暈庵」や樹上の茶室「巣寝る庵」を作ったり、「雲谷斎愚朗」と称して、いつも裸で過ごしたこの破天荒の野人を、私は好きである。

 

その6 ウンチを忘れる

それからおよそ半世紀の歳月が流れた。と思いねえ。

私は今ではそんじょそこらの三等リーマンになりおおせていて、ある日大阪支店に出張して取引先の営業マンに会って名刺を交換したら、すっかり「難波のアキンド」になった、でも昔と同じようにでぶでぶの、オオツキマサト君だった。

私は彼の顔を見た瞬間、黄色いウンチのことを思い出し、2人だけの密かな西田哲学的な体験!?について語り合いたいと思ったのだが、彼はそんな私の胸中をいささかも忖度することなく、破顔一笑うれしそうに叫んだ。

「おやまあ、綾部のてらこのマコちゃんやないか! これはこれは、粗末に扱う訳にはいきまへんな。あんじょう勉強させてもらいまっせ!」

 
 

ホカホカのウンチを入れたマッチ箱振り回しつつ学校へ行く 蝶人

 
 

*参考文献 片山和男編・「闘う茶碗~野人・上口愚朗ものがたり」

 

 

 

フレア

 

原田淳子

 
 

 

百年か
千年か
以前、以降、が生まれた夜明け

胸に宿る黒い炎
蘇生する白い炎

ガーゼは吊るされ
光を濾過して、わたしの衣服となった
窓辺のフレアスカート

輪郭を失くした軒先で
主人は煙草をふかしてる
わたしは罹災の地図を舐めて歩く

有線だけは威勢がよくて
プラットホームで空回って
乗客の肩に乗る
涙でピアスが痒い

“動くな、死ね、蘇れ”

ひとびとは触れられない細胞壁のむこう
戻れない世界、はじめまして。
きみの名は?

わたしの胸に燃えたぎるフレア
みえないから、きっとグレー
慈しむべき、まるごとの身体

試練と観察は愛を発明する
つまづいた石のうえに物語がある
希望は石の下に、密やかにある
( 死なないために )
まだ、ことばは地面のなか
詩なんて時じゃないだろう

潔癖と寛容の天秤座は泣き顔の雨
謝らないで、
あなたごと抱きしめてあげる
わたしに腕があれば

死と生の双子座は風花
春を謳う
築いた城は朽ちる
いつか観た、『王と鳥』ね

完膚なきまでに
打ちひしがれ打ちのめされ
約束は、脆く、淡く

オンラインは苦手
カメラは怖いから回さない
夢であえたら

夢がなければ、千年のあとに

夜の大学通りのベンチにて
心臓で電報を打つ
珈琲に滲んで文字は消えた

遺されたのは周波しかないなんて
文明の墓です

太陽の審判

粥をつくる
香草を刻む
いちにちの身体
まだ生かされている

命は器に盛られている

糸は切れ切れに、波を縫う