blast・爆破する 枯らす

 

さとう三千魚

 
 

昨日

玄関で

義母の姫林檎の花が
咲いた

ひとつ
咲いた

細い枝の先の先に白く咲いた

モコを
連れて

近所の川沿いを
歩いた

雲が
ふんわりと浮かぶのをみてた

午後には

安掛正仁さんの
瀧の

写真をかけた

玄関にかけた

瀧が落ちて
地上にぶつかる写真だ

そこに遠い命がある

ヒトは
いない

人間ではない
人間ではないところに

命がある

そこに
いる

夕方には

女がミネストローネというスープを
作った

美味しかった

ビールを
飲んだ

深夜
イタリアのClaudio Parentelaが生きているのを知った

生きていてよかった

新型のウィルスで
ヒトたちが死んでゆく

生まれたのは偶然だが

偶然に
死んでもいく

自己に拘泥して必然を探してきた

爆破する
枯らす

瀧が水しぶきをあげて地上に落ちている
命がある

そこにいる

 

 

*タイトルは、twitterの「楽しい英単語」さんから引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

千年演劇

 

工藤冬里

 
 

音楽が演劇の一部であることによって欠損を生きるのであれば
写真は死の一片であることによって充足を希求する
詩にはそうした充填がない
言語は神の一部であったが二重の意味で疎外されているからだ
ひとつはバベルであり
あ、サクラが散りはじめた
もうひとつは千年演劇に関わる言語をduolingoでは習得出来ないということなのだ
詩人は城外で犬と共に泣いたり歯ぎしりしたりするしかない
いまはそれを過度的に詩と呼んでいるだけだ
元気でなければ詩は歌えない
ところがいまは元気ではないことの領域でしか書き言葉は息をしていないのだ
それは充足の欲望とも違う
希望はないからだ
コミュニケーションの運動のみをあげつらうのは道教的現象学的経絡的であって命を賭けるに値しない
それに決着をつけるためにきみは若い頃
余はかかる思想に拠りては未だ行動すること能わず、とか言ってさんざん格闘したはずだ
それにしちゃガラ刑をライフワークとか帯つけて売ってるわね
あ、ホンダのn/が通った
ひかりは溢れているが
アルシーヴの密室で感染することが優先されるいま
サクラは黒い

今朝
怖れに満たされて女は走った
マルコのアルシーヴはそう結ばれている
そこにはスピードだけがある
サイケデリック・スピード・フリークはそこを目指した
なんだかんだ言ってその話かよ
だからコロナでこうなろうって話しでもないんだよね
えーっ、ギトギト水田商店自主休業かよ
演劇は美術と一緒でなんだかんだ助成もらって演劇とは何かみたいなところに突き進んでるけど、そもそも実験演劇って必要なのかな、とおれは思うわけ
雅歌劇鼎談風ね
音楽だと実験音楽というジャンルがあって
FBで日本のそういうの避けてるわよねあなた
でも演劇の一部という意味で言うと、実際は実験音楽じゃなくて音楽実験、つまり音楽を使った水爆実験みたいなものしかやる意味がないんじゃないかな、というところがあるんだけど、
演劇は初めから包括的なものだから、これは実験演劇じゃなくて演劇実験です、というずるい言い方は成立しないんだよね
いくら参加型にしたってそれは越えられない
美術は越えようとしてるけどね
でもそれはもはや美術じゃなくてただの運動で、金が動いているからに過ぎない
音楽の側から言わせてもらうと、音楽は演劇の一部とか謙遜に言ってあげてるわけなんだから、演劇には、なんか、こう、デーンと構えてて欲しいわけよ(笑)
でもじゃあ演劇は永遠かというとそうでもない
ローマのコロシアムでライオンに殺される側はじぶんたちを規定して、世に対して劇場の見世物であれ、と書いているんだけど、ミレニアムに於いては世そのものがなくなっていて、逆に彼らこそが復活してくる死者を迎える世そのものの側になってるわけだから、そこにはもはや演劇は存在しないはずなんだ
人類史に通底する大きな物語というレンズを通した光が焦点を結ぶまでが演劇で、彼らを含むたくさんの出し物が来るべきものの予表として置かれたわけだけど、彼らは演芸場で言えばトリで、それ以降は逆ではあるけれども暗室に映しだされる実体としての世界しかないんだ
演劇が存在しないってことはその一部ですとか言ってた音楽も存在しなくなるんだろうか
劇というものは二千年前からもう上演されなくなっていて、真の演劇というその意味のなさの殻のなかで音楽は宿を借りて住んでいたということになる
3月分の図書館の給料7千円だった
4月はゼロ
野菜売ってないので庭の蕗と野蒜食べてる
いまは骨壺作ってる
それに今まで撮った画像データ全部に「アルシーヴ」という曲を被せたUSB(まあ、映画ですね)を入れてバンキャンで売る
前にも「休日出勤」という曲と「worth to see」という写真集の入ったマイクロsdを専用の白磁の蓋物を作って売ったら久万美とかで変にウケたことがあって、それを思い出してやってみている
それで終わりにしたい

 

 

 
#poetry #rock musician

流れた

 

道 ケージ

 
 

流れて来るものは、何なのか
思いやる気持ち
やさしさの心映え
ベルトに次々流れ来る

流れ出すものは何なのか
感謝、見返り、裏心
天地無用!
言語無用のアルバイト

福岡から明太子、あまおう、京都から竹の子
大分の生鮮野菜、佐賀和牛、タカノのフルーツ
下北の生鮮魚、福島から蟹、北海道はうに
どこやらののどくろ

これをすべて横浜港南・金沢・南に
(集中する邸宅もござる)
冷気とドライアイス
軍手・マスク持参
ヘルメット・安全靴は貸与

流れ来たものを
腑分けする深夜
流れ来る言葉を押しとどめ

(休憩1時間)
薄汚れたベンチと壊れた便器
洗剤もアルコールもない
「黒猫」は黒く、あまり鳴かない

01は取り入れ、10は流す
これが間違いやすい
荷物を投げ返される
言葉はない

言葉なき肉体の労働
報いなのか
言葉なしを試されているのか

夜明けの帰路
運河に何かが
一つ流れていた

 

 

 

ペッペポアゾ

 

南 椌椌

 
 


© kuukuu

 

ペッペポアゾのことを語ろう
ほら はるかの岬の突端 
崖の上にゆれてるような 
ブリキで覆われた季節の番小屋だ 
ピンクのペンキが剥がれてる
そこをねぐらの ペッペポアゾ
むかし漁師だったのか
夏には 古稀を迎えるそうだ

ペッペポアゾとはだれか
ペッペポアゾ ペッペポアゾ
繰り返えすと うわごとのようだね
愛と忘却に満ちたうわごと
月の明るい夜には
ブリキ小屋の前で歌ってる 
ぴーるにるにり 口笛吹きながら ✶1
歌うのは半島のわらべ唄

空0月よ 月よ 明るい月よ
空0李太白の 遊んだ月よ
空0桂が植えてあるそうな
空0玉の手斧で 伐り出して
空0金の手斧で 仕上げをし
空0草葺三間 家建てて
空0父さん 母さん 呼び迎え
空0千万年も 暮らしたや
空0千万年も 暮らしたや。 ✶2

ペッペポアゾ ペッペポアゾ
絵に描いたような小舟で 海へ
口笛吹いて 積んできたもの
ワカメや雑魚があふれている
ヒトがよくて いつも笑っている 
友として申し分のない 哀憐の人だ
それだけのこと 本人だって知っている
その本人か 別の本人か

さて 大漁の春ともなれば
ペッペポアゾは 心して 
ご近所に気前よく配る
火を焚いて 飲んで歌って踊る
鍋にはワカメや芽かぶや青葱
蒟蒻なんてあふれるほどだ

岬の上に建てられた掘っ立て小屋
ピンクに塗られて風次第
ゆらゆらバランスをとって
巧みな柔構造の棲家で 
踊る人語が爆ぜる 呵呵呵呵
ペッペポアゾと哀憐の友は 笑う
取りそこねた蒟蒻がころころころころ

空白空白空白空✶ ✶ ✶

ペッペポアゾ ペッペポアゾ
あの泥人形の ペッペポアゾ
泥土のなかでむっくり起き上がり
まさぐるようにボックの手を掴み ✶3 
はやくはやく 練って伸ばして叩いて
ボックという神の手の中で 
早く生命を吹き込め 形代だ
こんなんじゃなくて 肌理こまかい
どこかのダビデみたいな
済んだまなざしがほしいんだ
ペッペポアゾは叫ぶ
難しいのだこの世のボック
あの世の土塊の泥人形の
ペッペポアゾ ペッペポアゾ

実は今日の今日さ
太陽輪(コロナ)の浜で 土偶の欠片が見つかった
そう思ったら おまえの泥人形じゃないか
身長5糎くらいの仏さんが 悲しげに二三体
ペッペポアゾの係累に違いない
ほぼ三頭身の安定した体躯
さりげなく胸で手を合わせ
祈ってるのか 胸が痛いのか
ボックという神が
あの日のことを思い出している

インド北部埃たつスノゥリから
陸路で明媚ネパールに入る
国境の税関は 素朴な交易役場
髭面しかつめ パスポートにドンと印を押す
ネパール人やチベットの僧侶は素通り
そばで裸足のガキらが笑っている
ここからルンビニは近い
ルンビニは釈迦が生まれた村
ゆかりの地だけど 聖地然とはしてない
ローカルな観光地のような
ゆるい早春の空気がいい
乾いた井戸のかたわらに 
乾いた天竺菩提樹
手を出してなにかねだる子どもたち
とりあえずねだるふりして どこふく風

釈迦がなんの花か 天竺薫る花の下
母親の右脇の下から 生まれたという
乾いた大地の乾いたルンビニ
お釈迦さまが産湯を浸かった池
日干し煉瓦の段々めぐらした
沐浴名勝になっている
そのなかにコトワリなく足を浸して
地球の歩き方をパラ見していた
軽率に過ぎないか ペッペポアゾ
あるいはボック

ルンビニは懐かしいなと タラさんと話す
タラさんはルンビニ生まれで
我が家からぶらり七分のところ
ネパール料理の店を開いている
穏やかで愛らしい目
タラさんとはエニシヤっていう
馴染みのカウンターで
ルンビニやポカラの話 
この国で 子どもを育てること
希望よりも 不安のまさるまなざし
タラさん 寡黙な人だけど
スピリッツ三杯呑めば すこし饒舌になる
笑顔がいいぞ 一杯おごりましょ
遠くのなにかが 見えてるような タラさん 

白状すれば なるほど タラさんも
ペッペポアゾも ボックという神も 
どこのだれだか 不在童子
ぴーるにるにり ぴーるにるにり 
ゴータマ風靡の 出自をもって
麦笛吹いて 踊りましょ

 

✶1「ぴーるにるにり」韓国の詩人・韓何雲の詩「麦笛」のなかに出てくる笛の音。
✶2 『朝鮮童謡選』金素雲訳─岩波文庫所収の朝鮮全土で謡われたというわらべ唄。
✶3空0ボックは「不在童子」地方の方言で「僕」のこと。