aviation・飛行 航空(術)

 

Michio Sato

 
 

Recently
not flying

Already
A lot

not flying

When i was young
flied

Like a snowman in a dream
flied

I was spending time to eat

From the beginning
I should have lived

 

 

最近
飛んでいない

もう
ずいぶん

飛んでいない

若い頃
飛んだ

夢の中でスノーマンみたいに
飛んだ

食うために時間を使いはたした

はじめから
生きればよかった

 

 

*タイトルは、twitterの「楽しい英単語」さんから引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

海辺の叙景 Ⅱ

 

工藤冬里

 
 

人が死ぬというのに明るい声で
否認段階の痛みをやり過ごすように
観光地としての死を自撮りする
ガレルめいて白化したzoomの背景画像が離れた者たちのリアルとなり
宇宙をペンキ絵のショーにしたまま
聖地巡礼は換骨堕胎され
地と海と空だけなのに墓となる
感情史に於いては
クライマックスに於ける無感情が正史となる
いかなる革命もない
刺のあるまま進み
墓を撤去する

 

 

 

#poetry #rock musician

夢素描 03

 

西島一洋

 

前書き

 
 

前回と前々回に、前書きの前書きの1と2を書いた。さて、ようやく前書きを書こう。

「夢記憶交感儀」については先に書いたが、この行為をする前遡ること半年くらいだと思うが、 元名古屋の裁判所で地階には元独房や元拷問室もあるがそこの三階の元食堂で二週間程「素描行為」を行なったことがある。明治の頃の古い煉瓦造りの建物である。

元食堂は、おそらく囚人のための部屋ではなく職員用だと思う。天井も高く広い。シャンデリアも吊るしてあり、まるで宮殿のようだ。僕は、ここに裸電球を一本吊るし、畳十畳分のゴザを敷き、小さなちゃぶ台の前に鎮座して藁半紙に鉛筆で素描行為「絵幻想解体作業/筆触について」を訪れた人と対話しながら続けた。部屋は薄暗い。

二、三人が僕の周りにいて、話しをしながら素描行為をしている時、ふと、今度の僕の展覧会は「夢記憶交感儀」で、何故それを行うかについて僕が話し始めた。

この時だった。突然、数十年分の夢を一気に全て鮮明に思い出したのだ。空間が歪み始めた。歪むという言葉は適切ではない。うまく説明できないが、空間認識及び時間認識が尋常では無くなった。目の前にあるものは確かに見えるが、全て存在感や位置感が尋常では無いのだ。言葉についても同じ様だった。突然失語症になったというというか、二言くらいまでは分かるが、その前後がどんどん欠落して行く。つまり、例えば「僕は、いま、絵を、描いています。」のうち「、」の区切りの前後が欠落して行くのだ。その場に居た人達に「今、僕はおかしい。」とだけ言い放って、部屋から外に出て、廊下で両手を拳で握り締め、「これではいけない。戻れ、戻れ」と力を込めて腕を振った。

三十分ほどだっただろうか、なんとかその状態を抜け出すことができた。しかし、同時にあれほど鮮明に思い出した数十年分の夢の記憶が全て思い出せない。ただ、思い出したということだけは間違いなく事実だ。そういう感覚だけは間違いなくある。
よく死ぬ前に、一生分全てを思い出すというが、これは間違いなく本当の事だろうと、この時体験的にそう思ったし、今でもそう思う。

記憶というのは、極めて抽象的なものとして体に残るのだろうと思う。だから、瞬時にして、数十年分を一気に思い出すことができるのだ。

ただそれらは、日常空間や日常時間の認識とは違う。インプットはされている。しかし、アウトプットするには、日常の空間時間認識に置き換え無ければいけない。そういう装置というか器官というか、それが無ければ、いくら思い出しても、言語化はできない。