あきれて物も言えない 13

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

空気を喰う

 

夕食を食べてから考えはじめて、
途中に寝て、
夜中に再開してボーッとして、また、朝になってしまった。

「2次補正 疑念残し成立」 * 1
「給付金事業委託「中抜き」」 * 1
「予備費10兆円「白紙委任」 * 1
「河井夫妻、100人に2600万円か」 * 1
「米警官 今度は黒人射殺」 * 1
「陸上イージス計画停止」「技術改修に時間・費用」 * 1
「河野防衛相「合理的でない」」 * 1
「北朝鮮、南北事務所を爆破」 * 1

最近、5日間ほどの朝刊一面の見出しです。

ここのところ、TVの国会中継をチラチラと見ていた。
この国の首相が、平気で、言い訳や、嘘とわかる嘘や、時間稼ぎの答弁をしている。
大臣や、官僚たちが指名され、忖度し、答弁している。

あきれてしまう。
すでにあきれてしまう。

政治家というのは「コトバ」の専門家だと思っていたが、国会中継を見ていると、改めて政治家は「コトバ」の専門家だと思えます。
「コトバ」の専門家は、「コトバ」の機能と効果をよく理解して、使用しているということでしょう。
「コトバ」の機能と効果をよく理解して、自分や自分たちの党派のメリットを最大に引き出すように使用しているということでしょう。

そこに求められるのは「コトバ」の真実ではなく、効果と結果だというわけだろう。
そんな「コトバ」、わたしは国会中継で、見たくも聞きたくもないのだった。

「空気を喰う」ということを思ったことがある。

一昨年だったか、
高円寺のコクテイル書房で、
広瀬勉の写真展「鎌倉詣」を見に行った時に思ったことだったか。

亡くなった女性作家や友人たちとの黒姫での写真や、
鎌倉の海辺の道路を渡ろうとする老いた田村隆一や、
旅館の一室で二人きりで撮っただろう浴衣の少女の写真や、
うなだれた黒猫、
広瀬勉の逃れ難く言い訳のきかない写真を見たときに、写真は「空気を喰う」ほかないのだと思ったのだった。

広瀬勉の写真を見て言葉を失った。
絶句した。

写真も、詩も、
この世の絶句に突き当たった時に、語りはじめられる言語なのだろう。

「空気を喰う」といえば、
詩人たち23人による「空気の日記」という連載詩がある。

「空気の日記」は、WEB誌「SPINNER」で2020年4月1日から開始された。

”新型コロナウイルスの感染拡大により、街の様子がすっかり変わりました。
多くの人々が、せいぜい悪性のかぜみたいなものだと思っていたのはほんのひと月前で、社会の空気の変化に驚いています。
未曾有の事態なので様々な出来事は記録されていきますが、こういう時こそ、人々の感情の変化の様子をしっかり留めておくべきではないかと思いました。
「空気の日記」は、詩人による輪番制のweb日記です。その日の出来事とその時の感情を簡潔に記していく、いわば「空気の叙事詩」。
2020年4月1日より、1年間のプロジェクトとしてスタートします。” * 2

と説明されています。

その連載の「空気の叙事詩」の中から、白井明大さんの空気の詩をひとつ引用させていただきます。

 
 

朝ね
暑い て起きて
熱測ってみたら三十七度もあって
きみが話してくれている
もういちど
水飲んでから測ったら三十六度五分だった
、て

二人が出かけていく
ほんの短い間に何が起きてるか
寝てるとふだん何も知らなくて

たまたま今日にかぎって耳にできたのは
暑い てぼくの耳も
いつもよりずいぶん早く
動きはじめたからなんだろう

南風が吹く
梅雨明けの白南風が
鉦を鳴らして夏を呼ぶ
カーチーベーが来るより早く

風も鉦も知らせない
息苦しさを
呼ぶ声のずっとしないままでいて   * 2

 
 

詩の言葉は、家族のいる空間のなかで、絶句して、います。

絶句して、そして吃りながら、
詩の言葉は、言葉の身体を生きようとしているように見えます。

政治家たちの言葉から遠い場所にこの詩はわたしたちを連れて行こうとしているように見えます。
その遠い場所とはわたしたち自身のなかにあるでしょう。

わたしたち自身のなかに「空気」の詩はあるでしょう。

 

作画解説 さとう三千魚

 

 

* 1 「朝日新聞」2020年6月13日から6月17日より引用しました。
* 2 「WEB誌「SPINNER」「空気の日記」プロジェクトスタートの言葉より引用しました。
* 3 「WEB誌「SPINNER」「空気の日記」6月12日(金)白井明大さんの詩より引用しました。

「空気の日記」
https://spinner.fun/diary/

 

 

 

入相の鐘が暮れ六の黄昏に微かに鳴り響く頃

 

佐々木 眞

 
 

西暦2020年6月18日、
霊園の入相の鐘が暮れ六の黄昏に微かに鳴り響く頃、
おらっちはアベノマスクをアベノ事務所に送り返し、
国産種を圧倒して無暗に繁殖する特定外来生物、
すなわち台湾リスと画眉鳥をば、パチンコんでばんばん撃ち殺しながら、
モリ・ガソリンスタンドの跡に盤居しているミニストップまでやって来たあ、
と思いねえ。

すると見よ!
7台の巨大な陸送トラックが、威風堂々と停車しているではないかあ。
そしてそれらのトラックのフロントガラスの上、
バスなら「行き先表示板」にあたる場所に、
よく爆走トラック野郎たちがそおしているよおにィ、
思い思いの書体とデザインで描かれたステッカーが貼られていたぜィ。

 

勝利する人

 
最初に「勝利する人」と描かれたトラックから降りてきたのは、“ジャンケンポン必勝法
の人”だった。

「勝利する人」は、太い右手の拳を上下に振りながら、
「最初はグー、ジャン、ケン、ポン!」と、おらっちに迫って来たので、
思わずチョキを出すと、その男はグーだった。

「あんたはチョキ、おいらはグーで、おいらの勝ち。別に金を取ろうという訳じゃあないから、もう一回やってみないか」
と男が言うので、今度はおらっちが、
「最初はグー、ジャン、ケン、ポン!」と言ってからパーを出すと、相手はチョキだった。これで2連敗だ。

「おいらはこのトラックに乗って、会う人ごとにジャンケンしとる。何千何万という人とジャンパンしたけど、今まで一度も負けたことなし。それは長年の経験から編み出した“ジャンケンポン必勝法”を知っとるからだあよ。

ええか。最初はグー、だから、続けてグーは出さない。出すのはパーとシチョキ。
しゃあけんど、グーからパーよりも、チョキの方が出しやすい。
よっておいらは、いつでもグーを出すんや。

同じ相手と2度やる時は、相手は今度はパーを出すから、おいらはチョキを出す。
あんたにそうしたようにな」

と言うて、「勝利する人」は、首猛夫のようにアッハと笑った。

 

働く人

 
「働く人」と描かれた2台目のトラックから降りてきたのは、幼馴染のノブイッチャンやった。

ノブイッチャンは、おらっちと同じ西本町に住んどった小学生時代の友達で、信夫山の彼は、栃錦のおらっちを、よくサバ折りで負かしたもんやった。

半世紀以上も前の旧友との再会に、2人ともギャッと驚いたが、その驚きと喜びは明後日の方角にさて措いて、ノブイッチャンは、なんで自分のトラックを「働く人」と名付けたのか、その理由を語ってくれたんよ。

「わいらあ、長いこと倉敷の石油コンビナートで働いとったんやけど、おんなじ土方やったら、郷里で働いちゃろ思うて、帰省したんや。
ほんでなあ、東本町の道路工事でアスファルトで簡易舗装したとき、町長はんに約束したんや。

ほんまはこんなちょろいアスファルトやのおて、頑丈なコンクリにせにゃならん。
今回はしょうがないけど、次回は最新型の戦車が通っても大丈夫な、アメ公と、も一回戦争しても勝てる頑丈な道路をつくってみせまっせ、と。

ほんでもって、それ以来、とりあえず、おらっちは、生コン運送専門の運転手になったんや……」

 

遊ぶ人

 
「遊ぶ人」と描かれた3台目のトラックから降りてきたのは、大学の先輩のタダさんだった。

千歳烏山に住んでいたタダさんを訪ねると、いつもシェークスピアを原書で読んでいたが、すぐに彼の兄貴や“怒りのチビ太”を誘って“徹マン”に突入し、それに飽きるとボロボロの“ケンとメリーのスカイライン”の助手席におらっちを乗せて、深夜の246を時速150キロで突っ走った。怖かったゼイ。

「やあ、ササキィ、元気かい。ここらへんの里山では、ゼフィルスが採れそうだな」
「去年の今頃、あそこらへんでミドリシジミを目撃しましたぜ」

挨拶もそこそこに、タダさんはトラックの後部から、蝶採集専用の大きな絹素材のネットを取り出し、ミニストップの駐車場で、2度、3度と軽やかに振りまわした。

タダさんときたら、真冬の深山幽谷に出かけて、越冬ちうのルリタテハやアカタテハを叩き起こして捉まえる“怒涛のおめざ蝶フリーク”として、コレクター仲間では鳴り響いているのよ。

しかし、まさか陸送トラックの後部を、世界中の蝶たちが自由自在ににはばたく空中楽園として改造し、全国を移動しながら、子供たちに解放していたとは、おらっち不覚にも知らんかったぜィ。

 

戦う人

 
「戦う人」と描かれた4台目のトラックから降りてきたのは、高校の同級生でただ一人天下のオックスフォード大学に入った秀才のオオツキ君だった。

「どうして“戦う人”なの?」と尋ねると、オオツキ君はドアから身を乗り出して、
「あんなあマコッチャン、長いこと生きてきて、ボクようやっと分かったわ。人世はどこまで行っても、戦いなんやね」と、阿呆くさい総括をしながら、次のように語った。

「ある朝、外で奇妙な大騒ぎがする。
窓の外を見ると、道路の上に数多くの翼が波立っていた。

こんなに大勢の鳥たちが睨みあい、お互いの威嚇するように喚き散らす姿を見たのは
生まれて初めてのことだった。

漆黒の濡れ羽色で武装したハシブトカラスの大軍が、四囲をぐるりと取り囲んで俘虜にしているのは、一頭の大きな鳶やった。

孤高の王者鳶は、黒衣の集団との長時間に亘る熾烈な空中戦を熾烈に戦うたが、多勢に無勢、薄茶色に包まれた大きな肢体のどこかを負傷した模様……。

猛禽を思わせるその鋭い嘴と爪をアスファルトの上に休めていたが、やがて凶悪なカラスどもに最後の戦いを挑もうと、ゆっくりと黄金の双翼を広げたあ……」云々

 

愛する人

 
「愛する人」と描かれた5台目のトラックから降りてきたのは、郷里の西本町のヨイヤマカメラ店の跡取り息子の、ユウヘイ君やった。

「マコちゃん、増村保造監督の映画「赤い天使」をみてみなよ。

弾丸雨あられの戦場で、芦田外科医を愛した看護婦の若尾文子はんは、一晩かかって中尉の中毒とインポテンツを、文字通り“身を呈して”、ケンシンテキに治してやる。

ほんでもって、男として人世に復活した芦田中尉は、最後まで最前線で敵と戦って、見事に死んでいくんや。ホンマ、泣けるでえ。

おらっちは、若尾文子はんのような赤い天使に愛されたい。愛したい。
あんたかて、そう思うやろ?」

と言いながら、また運転席に戻っていったんや。

 

さすらう人

 
「さすらう人」と描かれた6台目のトラックから降りてきたのは、高校時代の友人のキタハラ君やった。

キタハラ君は学業も優秀だったが、独学で始めたピアノの達人で、音楽教室の片隅に置いてあったヤマハのアップライトピアノで、モザールやバッハの鍵盤音音楽をたくさん聴かせてくれた。

ので、当時「谷間に3つの鐘が鳴る」命、だった我々全員が、熱烈なクラシックファンになりました。

東京教育大学の英文科に進学したキタハラ君やったが、当時上映されていた「5つのたやすい曲」という映画をみて、ミンセイに飽き足らんかったか、賀来丸に嫌気がさしたか、よお知らんけど、せっかくの英文科をいきなり中退し、その後、アルバイトで貯めたお金と親の遺産でこの立派なトラックを買うたそうや。

ほいでもってその後部に、ハンブルグ製のスタインウェイの最新型のピアノを乗せて、放浪と演奏の世界漫遊の旅に出たそうです。

「キタハラ君、久しぶりにバッハを聴かせてくれよ」と頼むと、
キタハラ君は素早くトラックに攀じ登って、バッハの“フランス組曲の第5番”を、グレン・グールドよりも早く、ギーゼキングより少し遅いテンポで、おらっちのために演奏してくれました。

 

沈黙する人

 
最後の7台目の車には「沈黙する人」と書いてあった。
どうして「沈黙する、なの?」と尋ねたが、ドアの中の運転手は、なにも言わずにトラックの後部に消えた。

それで仕方なく、うんと背伸びをしてシートの中を覗き込むと、彼は10円玉と100円玉をいっぱい集めて、それを一枚一枚ポリプロピレン・ボックスの細かな枠に丁寧に並べている。
どうやら大量のコインを、鋳造年度別に整理整頓しているようだ。

年度別に積み重ねられたコインは、みるみる、どんどん、どんどん積み上げられ、天井すれすれの高さに聳え立っている。

すると彼は、突如せっかく積み上げた鋭く尖ったお城を、全部バアーンと叩き壊してしまったが、辺り一面に散らばった10円玉と100円玉をかき集め、またしても鋳造年度別に、高く高く積み上げていくのだった。一声も発することなく……

 

――――――――――――

やがてミニストップの駐車場を出た7台の陸送トラックは、
ハイランドの急坂を喘ぎ、喘ぎ、登りつめ
音色の異なる7種類の警笛を
「なんだ坂、こんな坂、赤尾薬局、遠坂薬局」
と思い思いに吹き鳴らして、おらっちに別れを告げ、
ホトトギス鳴く葉桜並木の向こうへと消えていったのよ。

 

 

 

absorb・吸収する 熱中させる

 

Michio Sato

 
 

meet that flower

suddenly
I meet that flower

when taking a walk
I should have always seen the flowers

I didn’t know

with that stray cat
met

did not notice

until now
did not notice

They suddenly came over

 

 

花に出会う

突然
わたし花に出会う

散歩の時
いつも見ていたはずなのに

きづかなかった

野良猫と
出会った

気付けなかった

いままで
気付けなかった

突然 向こうからやってきた

 

 

*タイトルは、twitterの「楽しい英単語」さんから引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life