首の痛み

 

工藤冬里

 
 

写真の女性はかなりの確率で体の暖房全部切って街角に立ち尽くし、俯いて携帯画面を見ている
首を吊れば体温と気温が一緒になって S字の頸椎も直線になるがその代わりに十世代前の非嫡出子の記憶を無理に放流するので結婚はせずに消滅した方が良いのだといった挽歌の蛇行が痛みの三日月湖を作っている

 

 

 

#poetry #rock musician

島影 26

 

白石ちえこ

 
 


千葉県市原市

ある日。
ずいぶん前に撮影したネガフィルムをようやく現像した。乾燥のため、濡れたフィルムをリールから引き出すと、見慣れない生きものの姿が写っていた。ものすごくしっかりと写ってはいるが、撮った覚えのない、知らない動物のようだった。気持ちがざわっとした。

 

 

 

夢素描 09

 

西島一洋

 

記憶喪失

 
 

夢ではない。が、前回幻覚と幻聴について書いたので、ついでと言っては何だが、記憶喪失について書いてみよう。

僕は、十六歳の時、一週間の記憶を喪失したことがある。

高校の柔道部の練習で投げられて、後頭部より畳に落ちた。そこまでの記憶は、はっきりとある。どうやって家に帰ったかも記憶に無い。それからまるっと一週間分の記憶を失った。

この喪失感というのは、文字にすることはとても難しい。喪失しているのは間違いないのだが、感覚的な喪失感というのが全く無いのだ。つまり、分かりにくいかもしれないが、喪失しているのに、喪失していないということだ。

でもこれはとても恐ろしい。

自分の知らないところで、ある時間、もう一人の自分が生きている。僕の場合は一週間だ。

もう一人の自分というのが生きていた痕跡がある。

痕跡は色々あったんだろうが、その当時の記憶として鮮明なのは、柔道の段取りの昇段試合の記録である。記録といっても小さな折りたたみ式のペラペラな紙のカードだ。

今は知らないが、柔道というとみんな講道館、あの嘉納治五郎創設のやつだ。家元制度といえば言えなくはないが、昇段試合にかかる費用はわずかだったと思う。「つきなみ」といっていたから、月一回だったのだろう。名古屋ではスポーツ会館でやっていたと思う。昇段試合といっても、負けても引き分けでも良いのだ。ポイント制で、負ければさすがに0点だが、引き分けでも僕の記憶では、0.5点、もちろん勝てば1点。何度でも昇段試合が出来るのだ。つまり、ポイントを積み重ねていけば、昇段できるという仕組みだ。

茶帯から黒帯になるのも、ちょろっとずつポイントを積み重ねていけば、そのうちなれるという、今から考えると、ゆるいシステムだった。そのおかげで、一応僕も黒帯にはなった。

その「つきなみ」のカードには対戦成績が記録してあった。

しかし、一週間前の「つきなみ」の記憶が無い。くどいようだが、明らかなる自分の行為の記録の痕跡。このもどかしさは、もどかしくもないのだ。

わかりにくいかな。自らの経験の痕跡として肯定はするが、つまり、きっとそうなんだろうとは思うが、自分の中では全く身に覚えがない。

以前の夢素描で、夢の記憶について書いたので、詳しくは書かないが、記憶というのは、極めて抽象的なもので、パルスというか、一生の経験の仔細まで、1秒にも満たないプシュッというか、ピュッというか、ツツツというか、それに完璧に集約されている。よく死ぬ前に、一生分の記憶が蘇るというが、僕は間違いなく本当だと思う。

ただ、いまだもって、あの一週間は喪失したままだ。

喪失は言葉にはできない。

 

 

 

While he was away, the dog watched over the hut.
彼が留守の間、犬がその小屋の番をした。 *

 

さとう三千魚

 
 

yesterday

in the mail box
a postcard arrived from Masahiko Kuwahara

on the postcard
a picture of Kuwahara is drawn

open space
a horse with feathers

walking

jewels hanging from heaven

I want to listen to “The Void” by The Raincoats

in the open space
there are no children

there is one hut with galvanized iron

I want to live in the hut

While he was away, the dog watched over the hut *

 
 

昨日

ポストに
桑原正彦から絵葉書が届いた

葉書には
桑原の絵が描かれている

空地を
羽のある馬が

歩いている

天から宝石がぶら下がっている

わたし
レインコーツの”The Void”が聴きたくなった

空地には
いない子どもがいる

トタンを貼った小屋がひとつ

ある

小屋に
住みたい

彼が留守の間、犬がその小屋の番をした *

 

 

* twitterの「楽しい例文」さんから引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

任せてる委ねてる

 

辻 和人

 
 

柔らかい
柔らかいぞ
うぬ?
硬い
硬いぞ

どたっと
お願いしまーすっして
ぐたっと
はい、始めまーすっした
ミヤミヤとかずとん
夕食後に時々見られる光景
肩こりさんで首こりさんで腰こりさん
月に1,2回マッサージ受けに行くんだけど
それじゃ全然足りない
ミヤミヤからの強い要請により
かずとん、定期的にツボ押し施すことになりました
「違う、そうじゃない」っていろいろ手ほどきされて
今では立派なマッサージ師(?)です

人差し指で首の両側の凹んだところをチョン
ふっと沈ませて、次第に強く
あ、ここ、ここ
ここ、硬い
ここ、凝ってる
チョン、チョン
今度は肩
肩甲骨の周りを親指で探って
くうっと凹んだ一帯
ゆっくり押して
ここ
硬い
チョン、チョン
うつ伏せのミヤミヤ
かずとんの指の動きに体を任せて
うっとり顔
びくっともしない
満足してくれてるんだなあと思うと
かずとんも満足です

この間、ちょっくら実家に帰ったんだよね
足が弱くなってきた父が心配でね
亀谷本店の饅頭片手に伊勢原へ
父はまあ思ったより元気そうで安心した
コロナ禍の最中なんで20分くらいしかいなかったけど
そのうち5分はファミへのマッサージに費やしたんだよ
12歳のファミはどっしりしたおばさん猫になってて
もう高いところにも登らないし
ヒモを揺らしてもじゃれたりしない
でもマッサージはだぁい好きさ
よっこらしょっと抱え上げて膝の上でうつ伏せにすると
どたっと
ぐたっと
リラックスしてびくっとも動かない
任せてる委ねてる
最近ご無沙汰だけど
12年前から知っているかずとんの指
細い背骨に沿って柔らかい柔らかい皮膚の凹みに潜む
小さな小さな点のような硬さを
チョン、チョン、チョン
軽く刺激して
ほうら
うっとり顔だ

それじゃミヤミヤの方も背中やりますかね
ファミよりはがっしりした骨の両側には
肉の襞があって
柔らかい
柔らかいぞ
人差し指ゆっくり沈ませていくと
キュッ、硬い
硬いぞ
見つかった
チョン、チョン
ミヤミヤ、うっとり顔で
どたっと
ぐたっと
任せてる委ねてる

ファミはお尻の周りのマッサージも大好きでね
いつもは尻尾を触ると嫌そうな顔をするんだけど
マッサージする時だけは嫌がらない
お尻の周りの肉はちょっと厚いんで
尻尾の付け根のトコから
親指に力を集めて
ヂョーン、ヂョーン
硬い点見っけて
長押し、長押し、すると
ひょん、ひょおおん、って
軽く尻尾を左右に振って応える様が
かわいいんだよねえ

さて、ミヤミヤも腰やりますよ
座りっぱなしの仕事だから腰に負担がかかるんだよねえ
まず背骨と腰椎の間
凹んでるけど柔らかくはない
ここ、親指にぐいっと力を入れて
ファミだったら強すぎるって睨まれるかもだけど
硬い、硬い点あるぞって
グョーン、グョーン
長押し、長押し
ミヤミヤ人間だから痛がらない
どたっと
ぐたっと
ますます任せてる委ねてる
よし、じゃあ次は尾てい骨のちょっと下
柔らかく、はない
半球型に盛り上がった一帯
ギョン
硬い
ギョン
硬いぞ
力を込めても大丈夫
力を込めなきゃだめ
デスクチェアに座り続けて
パソコン打ったり電話かけたり
その間上半身の重みに耐え続けてきたんだ
硬い
硬いぞって
悲鳴あげてたんだ
かずとん、助けに参上
長押し、長押し
ギョーン、ギョーン
うっとり顔だ
効くねえ

そうだ、そうだ
レドを忘れちゃいけない
レドちゃんはねえ
ファミと違って尻尾の周りを触られるのが大好きで
撫でてるとごろっと寝転んでお腹出す
お腹をいっぱい撫で撫ですると目が細く細くなる
頃合い見てひっくり返して膝に乗せる
頭から尻尾まで一気に
グョーン、グョーン
何度も往復
ゴロゴロ、ゴロゴロ
喉鳴らす音、おっきいぞ
最早どこが硬いか柔らかいかわかんないけど
ちょっと乱暴なくらいのかずとんの指で
レドもうっとり顔

ありがとうございましたっして
どういたしましてっして
気持ち良かったよっして
またやるからねっして
ミヤミヤとかずとん
夕食後に時々見られる光景
まだうつ伏せで
余韻楽しんでる

そこに伊勢原からファミが加わる
フキの植わった庭の土の下からレドも加わる
かずとんの前で
ミヤミヤとファミとレド
並んで
どたっと
ぐたっと
任せてる委ねてる
困っちゃうな
働いたばっかのかずとんの指
でもでも
奉仕を待ってる3体のうつ伏せ
このままにしとくわけにはいかない
よし、もいっちょ
頑張らなきゃだな

 

 

 

『花の歌』を弾く花へ

 

村岡由梨

 
 

気が付けば、いつも下を向いて歩いている。
顔を上げれば、雲一つない青空が広がっているのに。
際限なく続くアスファルトの道。
そこに、めり込むように歩いている。
この世界で、苦しまずに生きる方法は無いんだろうか。

花が、ピアノでランゲの『花の歌』を弾いているのが聴こえる。
胸が詰まる。
私は死ぬまでに、あといくつの作品を残せるだろうか。

冬の夜に、窓を開け放つ花。
「夜って、いい匂いがするね。」
彼女はもう、世界の美しさを知っている。
一方で、世界を怖がる花もいる。
「世界はゼリーで、自分はその中の異物みたい。」

ある時ふと、自分が尊敬する人や好きな人たちは
皆、夭折していることに気が付いた。
34歳。45歳。45歳。46歳。
今、私が死んだとして
彼らのように美しい死体になり得るのだろうか。
世界の本当の怖さをまだ知らない、
15歳と13歳の娘たちを遺したまま。

20時過ぎ、世田谷代田の陸橋にぼんやり佇んで
スマホで『花の歌』を聴く私がいた。
行き交う車の音が何度も遮るのに抗って
大粒の涙を流しながら、とぼとぼと歩き出す。
自分が帰るべき場所へ向かって。