夏至のあとさき

 

工藤冬里

 
 

突端がふわとかもふとかいうより大魚のカマの弾性で崩れており、突くと夕空の文体が爛れた
髪は短く纏まり、服を着た胴体たちは給水栓の離れ方で離れて立っている
どっぷりと暮れ泥みまし赤を黒くし、青白のマスクは旗めく
あゝそれは角ゴシックで、始まりも終わりもない
余程のことなのだろう、猶予の時間は赤身魚の鎌のようにぷにぷにしている
desireの余韻、人生は後始末が全てだ

物事は繰り返されるが、タラの隣にタラの芽モドキが生え休耕田にイネ科が繁るような質の低下が見られる
ナタンの後、ヨアブのひと芝居は日曜夜の大河ドラマの次元に落ちている
空気の中には蜜があり常住食すに適してゐた(ゆきてかへらぬ)
「暗いニュースが日の出とともに街に降る」わけだが川には逆流してい部分が必ずあって、そうした渦溜まりを八艘飛びの要領で伝って遡上するのが人生である

子音のない夏が
憎しみに変わった愛について
合唱を始める夕暮れ
最期の蛍が落ちて
決意の光も夜気を吸い込み
弾け飛ぶ釦は頭上に貼り付く
これからは下り坂
写真に撮れない夜の母音の階調を
子音として通り抜ける
燃料も電波もなくなり
動けなくなった夏を
息を止めて通り抜ける
短くされることでやり過ごす
傾きの中で身を起こす
居なくなった光は鎌の音になる
➖〈solstice d’été夏至〉
それどころではなくなった、では何だったのか
夢以外が遂に子午線のようなものを超えてしまったのだ
夢以外は遂に、子午線のようなものを超えてしまったのだ

 

 

 

 

#poetry #rock musician

二十世紀の旅人

 

サトミ セキ

 

眠りに絡めとられ、寝返りすることすらできなくなってゆく、誰とも会わない、食べ物もいらない、ただ眠りだけがあればいい。そんな時間を強制終了する最終手段は、言葉が通じない国へ一人で旅に出ること。
午前四時によろよろとベッドを離れてなんとか立ち上がり、心は空っぽのまま事務的に荷造りをして、化粧もせず、朝ごはんも食べず、行く街のつづりを書いた紙とヨーロッパ中どこでも行けるユーロパスを入れた旅行鞄を持って、ベルリンの小さな部屋の扉に鍵をかける、左足を踏み出して。真っ暗な踊り場を手探りしてスイッチを入れる、ぱちん。コンクリート階段を一段ずつ下りてゆくとふるい日本語を思い出す、「千里の道も一歩から」。アルプスを越えてイタリアも海に面したフランスやオランダも、これから向かう東欧も、この古びて歪んだ階段から地続きでつながっているのだ。引きずって一歩。中庭を横切ってアパートの敷居を越えた。
旅に出る楽しさや興奮は身体には湧いてこない。ただ自分で決めた東欧への道を、決めた時間どおりに進んでいくだけ、ベルリン・ツォー駅から六時間、十時間、時には二十時間以上列車に一人きりで乗る、列車が時刻どおりに街を通りすぎる、ドイツ国境を越える、私は運ばれて東欧の最初の目的地についている。駅から出たら自分の足で歩かねばならず、重く錆びついた身体を動かして、観光ポイントを一通り感動抜きにゆっくり順々に踏んでゆく。古い城やきらびやかな教会くらいでは心は何も感じないけれど、私は旅人なのだから。

日が翳り始めた見知らぬ街で、地図を広げながらホテルを探すのは苦しい。空いているホテルが見つからず、旅の予定が狂い始める。予期しないことが少しずつ生まれる。道に迷うのも、宿が見つからないのも、言葉がわからず電車の切符が思うように買えないのも、タクシーでぼられたのも、大声で乱暴な言葉をスーパーで投げつけられたらしいのも、振り返った子供に中国人と嘲られ指を指されるのも、今日の朝まで身体も心もどこを押してもだるさがにじみ出るだけだったのに「不快だ」という感覚が戻ってきて、私はイライラし始める。
やっと空いてた安宿の共用シャワーは修繕中で使えず、部屋にはカーテンがない。石畳を走る車の音と大通りのネオンサインの光がベッドの上に降り注ぐ。暑い。夕食がわりの二個目のオレンジの皮を剥きながら、いったいどうしてこんな旅をしているのだろうかと思う。息ができない。羽虫と小さな蛾が飛び回るから鱗粉が落ちてきそうな天井の味気ない蛍光灯を消し、窓を開けて、ボリュームを増した車の轟音とネオンサインを水の代わりに裸体に浴びながら着替える。耳栓をして目を閉じ、鼓動が頭蓋骨に反響する音を聞く。麻痺したまま続けていく旅は、耳栓をした夜のようだ。やっと車が途絶えた静かな夜明けに、ようやく眠りに落ちながら無意識に耳栓を外す。ゴミ収集車が石畳の上をゴツンゴツンと音を立てて大きなゴミ箱を曳いてゆく。
中央駅へ向かう途中の地下鉄の中で、右隣にすり寄ってきた男が私のバッグのチャックを開けて片手を入れた。群衆の中でスリと真正面から向きあって目を見据え日本語で叫ぶ。イマ、カバンニテヲイレタヨネ! 久しぶりに聞く私の大きな声は、こんな響きだったのだ。
次第にアドレナリンが身体に満ちてくる。しばらく誰とも電話もしてないしファックスも送っていないから、私が東欧を旅していることを知る人はいない。いざという時のために靴下にパスポートコピーと百ドル紙幣を忍ばせようか。身ぐるみ剥がれて殺されたら、爆破テロで焼け焦げたら(君はこの国で外国人無差別テロが起こっているのを知って旅しているのか、いいえ何も知らない、案内所の男は私を呆れたように眺める)、私はヨーロッパのどこかで霧の粒子のように消滅してしまった人になる。

再び戻って来られるのだろうかとふと考える。私は、私たちすべては、みんなこれきり何処かでふいといなくなってもおかしくない存在なのだ。昨夜、天井の蛍光灯の周りを飛び回っていた小さな羽虫や蛾と同じことで、いつ終わってしまうのか。鼓動はいつ止まってしまうのか。
「昨日まで親切にしてくれた一人の船員が今日上から落ちた帆桁の下敷きになって死んだ。旅行中に三人が熱病になって亡くなった。これは命を賭けた旅なのだ。遊びではない」
ヴェネツィアから船に乗りイスラエルへの聖地巡りに向かった人の十五世紀の日記を読む。五百年経った二十世紀の私の旅は傲岸でこれ以上ない贅沢な遊びで、いつもほんのわずかに自分が帰還できるかを賭けている。まだ帰りたい、まだ生き続けたい。そのことをからだじゅうで知るために旅をしている。自分が無事に帰宅すること、そのために私は全ての知恵と力を搾り尽くすだろう。
何ひとつ感じなかった心と身体がまず不快を感じ、次に自分を守ってアドレナリンが放出され、それからようやく好奇心がざわざわ揺れ始める。ここはいったいどういう街なのだろう。
二十世紀の手がかりは紙。パンフレットやチラシやポスター、目の前を通り過ぎるたくさんの文字と印刷された写真、街中に溢れる紙に目を走らせる。ハネや点や小さな丸や斜線のついた見慣れない文字列を地図のようにおぼつかなく辿ると、知っている言語と似た綴りがいくつかある。煉瓦の壁に貼られているポスターをじいっと見つめると、見知らぬ言葉が目の前でするりとほどけてゆく、オルガンに向かっている燕尾服の男の写真、どうやら、目の前の教会で今晩開催と書かれているような気がする。そのオルガンコンサートを聴きたくなり、明日は山脈を越える鉄道路線に乗ってみたくなる。

列車が来るまで三十分ある。雷が轟音を立て突然降り出した激しい通り雨が窓ガラスを洗う。ひび割れた天井から雨が滴って、コンクリートの床にみるみる水溜まりができる。待合室にアメリカ製のピンボールがあった。時間つぶしに私は雨漏りのする鉄道の待合室でピンボールを始める。ああ、この国は物価が安いから今まで経験したことがないほど、思う存分ピンボールができる。私は夢中になってピンボールを弾き続ける。嬉しい、旅に出て、初めて嬉しさがこみ上げてくる。嬉しい、そう嬉しいってこういう感じ、窓の外に稲光がきらめき、電気が点滅するピンボールの箱の中を白い玉が転がって消える。
二両編成の各駅停車に乗りこむと、そこはコンパートメント。重い木の扉を開けると大きく窓が開いていて、向かい合った座席におばあさんが一人で座っている。柔らかな微笑、黄色い雲のようなものと懐かしい匂いが通り過ぎた。あ、と目をあげると一面の菜の花畑だった。ああ、あんな菜の花畑の真ん中を突っ切って歩けたなら。
しばらく経つと車掌が検札にやってきて、私の切符を指しながら何か言うのだった。前の座席のおばあさんが片言のドイツ語で言う。アナタ、マエノエキデ ノリカエルベキデシタ。
小さな駅舎が立っているだけの無人駅で私ひとり下ろされて、時刻を書いた紙を渡され、単線レールの上を列車は遠ざかっていく。だんだん小さくなりながら車掌は来た方向を指さす。わかったね、次の列車に乗るんだよ。連結部の扉を開け放ち、私のために半身を乗り出して。

望みは叶うものだ。子供の背ほどある菜の花畑を列車が来るまでの雨上がりの二時間、もう充分と思うくらい散歩することになる。予期しなかった村を迷いながら歩き、教えられた時刻より三十分遅れて列車は到着し、ぼんやり定めた旅行プランは根元から崩れ落ちて、地図に載ってない小さな奇妙な村に泊まることになり、一切味が抜けた不思議な食べ物を口に入れる。向こう側から突然やってくる驚きに眩暈を感じて現実感を失い、時折恍惚となりながら、私は次第に回復してゆく。
ある夜、殺風景な食堂で野菜スープを掬って一口飲み込んだ時、そろそろ帰ろうと思った。翌朝ベルリンに戻る方角と列車を探してなんとか乗り込む。ドイツとの国境を再びくぐって、列車は深夜ベルリン・ツォー駅のプラットフォームに滑り込む。地下鉄九号線に乗って最終駅で降り、石畳の上を旅行鞄を転がして、一歩ずつ家に近づいていく。小さなアパートの階段を少し重くなった鞄を下げて時折休みながら一段ずつゆっくり昇り、鍵を回して真っ暗な部屋の扉を開ける。馴染んだにおいがする、無事に戻ってきた。深く息をついて鞄を床に置き、異国の食べ物や国際列車のにおいが染み込んだ服を脱ぐ。そして、旅に出る前は自分の声をすっかり忘れていたことも、旅した街の記憶も、すべて脱ぎ捨てながら、私はベッドに潜り込む。