michio sato について

つり人です。 休みの日にはひとりで海にボートで浮かんでいます。 魚はたまに釣れますが、 糸を垂らしているのはもっとわけのわからないものを探しているのです。 ほぼ毎日、さとう三千魚の詩と毎月15日にゲストの作品を掲載します。

ひまわり

 

塔島ひろみ

 
 

ガサゴソガサゴソ音をたてて
カバーをかける
銀色のカバーを 自転車にかける
いたわるようにかける
何度も何度も かけなおす
赤ん坊に着物を着せるように
ていねいにかける
老人はもうこの自転車に乗ることがない
こげなくなった自転車にカバーをかける
ガサゴソ ガサゴソ ガサゴソ ガサゴソ
音は止まない
その音を 老人のうしろでひまわりが
聞いている
老人が育て
大きくなりすぎたひまわりが 聞いている
朝夕にせっせと水をもらい
グングンのびて 老人を追い抜き
伸びるほどに老人から離れ
伸びたくなくても 伸びていった背の高い 
たった一本きりのひまわりが
聞いている
老人からもはや 見上げられ眺められることもなくなったひまわりが
首を垂れて 聞いている
音がやんだ
老人は自転車から離れ おぼつかない足取りで家に入る
セミが鳴きだす
カバーに覆われた自転車と
ひょろ長いひまわり
ブロック塀
ポスト
セミが鳴く

セミが鳴く

雷が鳴る

セミが鳴く

雷が鳴る

黒いものがやってきた
雨が降る
どしゃぶりになる

カバーが気持ちいいように雨粒をはじく
ひまわりは重く濡れ 幽霊女みたくなって自転車のうえでグラグラ揺れる
雨の圧力
耐えている
自転車も ひまわりも 老人の入る小さな家も 路地も どこかで交尾するセミたちも 耐えている
私が差す傘も 坂道も 橋も 顔のない地蔵も そのそばに咲く小さな赤い花も 耐えている
雨がやむ
陽が差す
ギラギラと強く 容赦なく 照りつける

カバーにたまった水が キラキラ光る
老人がもう乗ることのない自転車を すっぽり覆い
カバーはまるで銀色の大きな生きもののように 光を放つ そして
たっぷりの水を吸収し
老人がもう見上げることのないひまわりが ゆっくり 顔をあげる
太陽に向かう

長すぎるこの世の 終わりを待って
セミがまた鳴き出す

 
 

(8月某日、高砂、地蔵堂近くの路地で)

 

 

 

誰もいない

 

たいい りょう

 
 

誰もいない
町は 人ごみに
溢れているけれど

わたしのこころには
誰もいない

目に映る人びとや光景は
何もかもが 幻影で
捕まえることなど
できはしない

わたしのこころの深奥にある
悲しみは
誰も見向きもしなければ
外へと流れては ゆかない

わたしは ひとり
湿った陽光の照射する部屋で
メランコリーに潰されている

夜の月あかりは 寂寥に深い傷を
舐めまわす

そして
何ひとつ
わたしは 過去の痛みを
思い出せない

 

 

 

水の玉

〜志郎康先生を偲んで
 

正山千夏

 
 

大学のゼミの部屋を覚えてるかい
21歳のあたしは

ポラロイドカメラを持って
河原でマーガレットの写真を写した

ワープロというやつで
嬉々としてよそゆきの文字を刻印した

赤いベースをかついで
三角形のピックで滅茶苦茶に引っかいた

ただの水の玉だった
詩の授業なんてクソ喰らえだ

白いロッカーみたいな
ゼミの部屋を蹴飛ばした

螺旋になっていたのかも
うずまく力でかろうじてまとまっていた

何者でもない
私のからだ
今もあの時も

その私の手が
その私の脚が
どうなってるのか
みてごらん

あなたは私にそう言った
ゼミの部屋を覚えてるかい

 

2023年8月27日
正山千夏

 

 

 

まぶしい夜

〜志郎康先生を偲んで
 

正山千夏

 
 

右足を引きずって歩く
右の仙腸関節も神経にさわる
泣くこともできず
静寂の爆音にただ打たれてる

1993年の裸のラリーズ
川崎のあのハコで
膝を抱えて座ってた
からだの外と中の闇

無音の洪水に身をゆだねれば
時空が消える
充満する真空のなか
ゆらゆら揺れているんだ

忘却は記憶しない
ただ再生される音の波だけが
ひどくまぶしい夜
今も揺れているんだ

 

2023年8月27日
正山千夏

 

 

 

向日葵のことば

 

藤生すゆ葉

 
 

暑さが滲む
身体が不明確になるように
道に映る影は鮮明さを増す

雲を色づける光は
地上の植物を振り向かせる
それは
誕生と別れ

扉をあけてくれたあなたは
夢のなかで最後の挨拶
人工物では表現できないその光は
ここの意識だけを残して
軽やかに旅立った

 
結末を教えてくれた朝
光の先端に 笑顔をのせて
ありがとう、と

残された意識がすべて旅立つように
願い続けた あなたの幸せを

 
片手の年月
ほほえむようになった「 」は
あなたの元へ戻れたかな

 
生命の切符を携えて降り立つときは
抱えきれない愛と共に 飛び跳ねて

忘れないで

降り注いでいる愛を
言葉の存在を

 

光へ

 

 

 

声を聴く

 

さとう三千魚

 
 

目覚めると
モコは

わたしの顔を見てた
わたしの起きるのを

待って
いたのか

モコを
抱いて

階下に降りる
庭でオシッコをさせる

あたらしい
水をあげる

老いて弱ったモコに
白身魚のお粥作ってあげる

モコ
お粥を黙って食べる

食べて
静かになって

モコは
仏間の座布団に”し”の字になって眠った

窓の外から
虫の

リリリリ
リュリュリュリュリュ

声が
聴こえる

今年の夏は暑くて
ハグロトンボの庭に浮かぶのを見なかった

最後に
電話で話したとき

“元気じゃないですよ!”とあなたは大きな声で笑った
わたしも笑った

あなたが逝って一年になる

 

 

* 2023年8月29日 志郎康さんへ

 

 

 

#poetry #no poetry,no life