風があること

 

小関千恵

 
 

風があることを見ていた

遠い空
遠い時間

この流体は
碧落からやってくる生きものだろうか

手をかざせば
掴めもしない透明な糸の束が
血を撫でるように指の間を抜けてゆく
その冷たく柔らかな感触ではっとする
空気は物質だったこと
「ない」とされやすい部分が
「ある」に満ちていたこと

それは身体を破った風だった

立ち止まり
身体を開いて
目を閉じる
風が吹いている
時が膨らむ
音や匂いが膨らむ
風は頬に髪を掠めてゆき
胸の奥までくすぐったくなる
胸から深い吐息が出てゆく
吐息という生まれたばかりの風は
たましいを乗せて
小さな虫を乗せて
花を揺らし
水を揺らし
気づかれないまま
誰かと誰かの間合いに吹いてゆく
いつかは
雲を運び
ゴミを巻き上げ
木々を揺らす
きみとわたしのあいだを吹いてゆく
星とわたしのあいだに吹いてゆく
それを見つけて
鳥が羽ばたく
雪が舞う
花びらが舞う

むかしむかしの地図で見たことがある
風の出どころは
天窓から地上を覗き込んでいる天使たちが
唇を尖らせて吹き付けていた吐息だった
ルーアハ ルーアハ って

風にならなければ
地上を巡り巡って
撫でられないだろう


たましい
呼吸

凪が落ちている
体の中
みちのうえ
一歩一歩
それを拾いながら
優しく握っていた
風で浮くこと
沈むこと
生が
どこまで飛んでゆくのかを

猫の寝息が聴こえます
ただ心地よく
浮いてゆく

目を閉じて
見ています
風のこと

 

 

 
#poetory

opposite・反対の 向こう側の

 

さとう三千魚

 
 

この
部屋の

机の前に窓がある

窓には
ガラス戸の手前に

障子の引き戸があり
日が障子に射してやわらかく

明るい

障子を開けると
西の山が見えるだろう

西の山のうえには
青空が

あるだろう

反対の
むこう側の

イタリアの
カタンツァーロの

Claudio Parentelaからメールの返事がこない

今朝

風の音が笛のようだ

 

 

*タイトルは、twitterの「楽しい英単語」さんから引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

千年花月

 

工藤冬里

 
 

ユダの声色で
腑の出た魚
トリチウムの様(やう)に捨てられた旧神は剥(ムク)れる

千年花月

薄つぺらい写真で出来上がつてゐる菊人形状の身体から満月を剥がし
その欠落について補填するのなんの
減収のはなびらで装ひ
理由のある唯一の札を引くやうに
現実と永遠を重ねる
オートバイは失恋を吠え
罪のレセプターに給油する
その愛はリッター何兆円ですか
何かわるいことをしたのではないが質(むかはり)になつてねこの視線にまで入り込んだ
生き返らせるには写真アルシーヴの配列を変へるだけでいい
サイズでも作成日時でもなく人は名前で並べ
パオの中で火が燃え
ねこは内側に揺蕩(たゆた)ふ
外で繋がれてゐた人間はウヰルスのついた無酵母の煎餅様(やう)を食べた
とりわけ白茶けた一葉が抜き取られた
決して到達しない花月に向けて

ある種のマリン・ブルーを敷き詰めた部屋で
法律用語こそが最上等リアルだつた
それを知ることはそれを愛すること
その乖離に竦(スク)み
生き返つたねこの視線を骨組みとした天蓋の白を以て
いぬの目に降る花月に揺蕩へ

 

 

 
#poetry #rock musician

correspond・文通する 一致する

 

さとう三千魚

 
 

おおきかった

昨日
夕方にみた月は

青空のなかにまるく
白く

浮かんでいた

夜の
TVニュースで

いまの月が地球にもっとも近づいていて

大きく見えるのだと言ってた

同じニュースで
この国の首相が緊急事態宣言を語っていた

今夜
風呂場に防水スピーカーを置いて

湯舟で

乾からびた胎児を聴いていた
通信なのだろう

サティは

たまたま
この季節に近づいていて

白い
そのおおきさに驚いている

月はいつもいる
地球をまわっている

偶に通信に気づく

棒杭が
佇っている

 

 

*タイトルは、twitterの「楽しい英単語」さんから引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

千年ランチ

 

工藤冬里

 
 

音楽の中世化が必然であったのであれば思想もまた中世化しなければならない
必要なのは超越ではなく退却なのだ

栄光を示すと言う
これまで二回示したしこれからも示すと言う
目に見えないけれど声を出すことが栄光を現すことになるらしい
じゃあぼくは声を出し続けていてしかも目に見えるからずっと栄光を表していることになるけど
そうならないのは全てを反映させていないからか
その欠落の周りに欲望が生じているのか

演劇の一部として使って際立たせるというのが音楽を活ける方法だったが、詩に花道はあるか。

非対称が際立ちすぎてはいけない
自力で飛べないならリーダーになってはいけない
変哲ない木立の写真に
絡まった見えない羊を探せば
鉄格子越しのきみの顔が見えるだろう
羊頭からのその折り返しは変身しない隊員のようだ
スマートではあってもヒーローではない
コロナ怪獣対策の隊員はTVの中で
令和に昭和を滑り込ませている
お兄さんキャラがドブ板に白黒で立ち上がる
御同輩!と紙一重の電化羽根
パンシロンのバンカーは禁令下の駐在地で妻のランチを
首を切られた白鳥のように
詩を活ける室町にする
頬痩けたスーパーマンの力強くげっそりして
アメリカでも中国でもない
灰色のキャラメルごと飛ぶ宇宙船のなかの静止画像の地染め前の伏糊感
おお 立体よ
バナナのように直立しマカダミアの顳顬を持つ
一九六ニ年から西暦しか使わなくなった韓国に昭和はあったか
生き残る人に共通していたのは

掃除機の空洞を思い浮かべてみる
コロナじゃないよ花粉だよ
と抗弁している仮想の現実を
受け入れているかどうかだ
画面を見るとゆうちゃんて一家の中心なんだね
髪の分け目の用水路が上に延びて
今は令和だ
あらゆるGIFがあるように思える中で
欠落のみに注目しよう
英語にはないニュアンスは集められて
仕分けられぬまま
春のゴミ屋敷に
菜花として生え
生首として活けられる
天には無い光景として
生花は切られ
タイで絞められ
鯛は不躾に活け締められるから
称賛しないなら弟子にならないで済むと
花の下で論語教師の落としたUSBの
早口のワクチンのデータを届ける
光る柿の芽を早く食べなきゃ
大艱難が始まってしまうが
アーカイブは花瓶に活けられなければならない
選ばれることはミュージシャンの願いや努力にではなく憐みのあるコロナにかかっている
授業がストップして学力の差が出ることを心肺している
選ばれることと選ばれていないことの界面はない
アゴニストとアンタゴニストの汐に晒されるが
その内面は孤児レセプターのリガンドとして
高潔さを捨てずに歩む

アルシーヴに忙しすぎて見れない(ラ抜きすいません)と過ぎ越して
今年もやはり桜を見ることは出来なかったと桜の下でホカ弁のランチを食べながら思う
いつかきっと花を見れる(ラ抜きすいません)日が来る、
というのは決して充足することのない対象aであり
今年も花見なのに花の欠落を見るということになる

人の写真がアルシーヴに這入り込んでくる
見えない道徳律を守れないのだから見えないコロナから身を守るなどということはできない

いつ死ぬかわからないのに引き落とし契約などできない

 

 

 
#poetry #rock musician

花からもしっかりと見られているのでなければ

 

駿河昌樹

 
 

桜が咲きはじめている

もう満開のようになっている木もある
まだほとんど咲いていない木もある

ひとりひとり
異なった宿命を与えられている人の世のようだとも思いながら
桜の並木づたいに歩いていく

花を見る
花を愛でる
などと
平気で言ってしまいがちだが
見ることや
愛でることは
やはり
ほんとうにむずかしい
希少な瞬間に恵まれなければ
かなわない
ことでもある

花を見るとき
花からもしっかりと見られているのでなければ
見たとはいえないのだろう

この頃はよくわかっている

花がこちらを見てくれるまでには
ずいぶんと時間がかかり
こころの沈黙もかかる

こちらのこころの沈黙だけが芳香を発して
かれらの注意を引きよせる
沈黙が底知れぬ淵を出現させ
そこから花々を惹きつける芳香がのぼる

桜に見られたことはあるか

どのくらい
あるか

あったか?

それほどまでに
どのくらい
“居ない”
ことが
できてきていたか

 

 

 

tranquillity・静穏

 

さとう三千魚

 
 

夕方
校庭に子らは無く

青空に浮く

月を
みた

満月だった
白く

おおきく
浮かんでた

月はそこにいるのだろう

確かに
青空にあり

白く

浮かんでた

月には
月の裏側があり

裏側は

寒い
月は

瀕死の人のようだ

やさしい
俤を抱いている

静穏はせいいんと呼ぶのか

せいおんと

呼ぶ
のか

昨日
はじめて燕たちの飛ぶのをみた

長い旅の後に

川面を飛ぶものがいた
川岸に休むものがいた

 

 

*タイトルは、twitterの「楽しい英単語」さんから引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

千年安全剃刀

 

工藤冬里

 
 

彼は川の地方の雇われたかみそり、と呼ばれていた
どすのメッキーとか
京成サブ
みたいなものだ
(ずっと咳してる奴がいるな)
悪が悪を挫くという
白竜みたいな図式が
イニシエからあったのだ
(ずっと咳してる奴がいるな)
いまや悪い奴らの方が真剣だ、とは「ソシアリズム」の台詞だが、
時代はさらに進んで善人も悪人もともにコロナの婚宴に招待される道ゆきとなった
(ずっと咳してる奴がいるな)
彼の真剣さが意味をなさず
十部族の(真剣な)曖昧さも意味をなさなくなったのがこの春だ
(ずっと咳してる奴がいるな)
春はコロナを見ておらず
コロナは春を見ていなかった
(ずっと咳してる奴がいるな)
おれはアーカイブ化に勤しんでいて
春にもあらずコロナにもあらず
大他者になり得ぬそれらを通して
小文字の欲望を形成することなどしなかった
最後の春はそのように換骨堕胎されて過ぎる
(ずっと咳してる奴がいるな)
春の手の中で石のように硬く
コロナの手の中で粘土のように柔らかい
でもあと一周走り忘れています、
と顳顬の光る平面によって構成されている多面体としての頭部が語る
人種の違いよりもパーツのアフォーダンスのようなものが際立つ
(ずっと咳してる奴がいるな)
経験とは後追いの電影であり
知っていたが見るまでは思い出せない記憶だ
(それにしてもずっと咳してる奴がいるな)

 

 

 
#poetry #rock musician

ポップコーン・デイズ

 

薦田愛

 
 

ちょっと古びた打ちっ放しの外壁
ちいさな集合住宅の
ここは
リビンングダイニングの壁ひとつが
いちめん型ガラス
その向かい側がベランダに出る窓
型ガラスの
外は
こぢんまりと中庭
だから
ほのかに透けて
みどり
五月だった
はじめて
足を踏み入れ
射られた
しんと
ほの暗いなかに
明るい
みどり
みどりがさしこむ
みどりに射ぬかれ
うなずき合った
合わせた目を
真向かう
ベランダの側にうつせば

大きな樹
もしかすると
桜かなあ? 桜だったら
部屋からお花見できるね
「いいねえ、花見」
そうして決まった
こころ
心を決めた
ここに住む

仕事帰りのユウキ
そのレジ袋は何?
「ポップコーン、買ってきた」
えっ、ポップコーン?
なんで?
「だって、ポップコーンみたいじゃない?
満開の桜って。
見てると食べたくなるんだ、ポップコーン」
そうかなあ
満開の
ポップコーン
なんだか
アメリカン・テイスト
ニューヨークかどこかで桜を見ながら
ポップコーン頬張ってるひとって
いるのかな
ベランダの向こうの
〈もしかして〉が
もみじ、はだか木
〈やっぱり〉になり
寒さのゆるむ速度を追い越すように
ある日
色づくつぼみに気づくと
そこからあっという間
雨に濡れた枝からしたたる滴もあたたかいのか
見れば二輪、三輪
ほころんで
ユウキ
咲き始めたよ
「ほんとだ」
言葉少なに見やっていたのが
つい三日前だったか

アルミケースのフライパン型パッケージ
へえ、やっぱりアメリカ製なんだ
火にかけると
ぽぽっ ぽぽぽっ
ぱぱぱぱ ぱぱん ぽぽぽぽぽ
ユウキの手もと
みるみる
ミルクイエローの花はな花
リビングダイニングいっぱいコーンの匂い
「どうぞ」と澄まして注いでくれるビール
鉢に山盛りの花はな花
ポップコーンって
映画館で手探りしながら食べるだけじゃなかったんだね
塩と油にまみれた指をなめなめ
泡と花とを交互に口にする
あけはなつ窓からの風は
まだ少し冷たい
むすうの花はな花を抱えて身震いする
いっぽんの

明けの声
メジロにスズメ、ヒヨドリにアゲハ
蜜は日に日に吸われ
いっさんに散るとき
白いと見えていたものが薄あかい
吹き寄せられて
側溝に溜まる紅が朽ち
枝ひとつも忘れない入念さで若葉が覆い尽くすと
それはそのまま
蝉のねぐら

そして

ふたたびの春
ちいさな集合住宅のある町
その町のあるクニ
その、クニのある星いちめん
覆い尽くす
おそれ
はやりやまい
声をあわせ笑いあい
くみかわすことを
あきらめこらえようと
こもる人びとの窓
けれど
二輪、三輪、先を競う
花はな花は
枝枝からこぼれ
きこえない声に
揺れ
「買ってきたよ、ポップコーン」
それにビールね
この窓の内側
小さな集合住宅の
リビングダイニングをコーンの匂いに染めて
ふたり
咲ききって散り初める
いちにちを寿ごう

 

 

 

贈り物

 

みわ はるか

 
 

土曜の朝、というか昼になるんだろうか、11時頃玄関のチャイムが鳴った。
布団の中にくるまっていたわたしはこんな時間に誰だと少し不機嫌になりながらも急いで半纏を羽織って扉を開けた。
若い郵便局員が大きな段ボールを重そうに持っていた。
無事受取人が出てきたことに安堵したのかにかっと嬉しそうに笑いながらわたしにサインを求めてきた。
「ありがとうございましたー」と若者らしく元気な声で言い終えると風のように去っていった。
そんなこんなで眠気もあっという間になくなってしまった。
そしてわたし宛の荷物にドキドキしながら依頼人欄を見るとそれは懐かしい名前だった。
所在地は遥か遠く日本の中心地、「東京都」であった。
彼女はわたしの中学時代のテニス部の同級生でとても美人な子である。
長身で肌は雪のように白く笑うとえくぼができてたっけな。
地毛がきれいな栗色で伸ばしたストレートの髪がよく似合っていた。
部活開始前のランニングではよくお互いにがははがははと笑いながらふざけあった。
木陰での休憩中には砂の上によく絵を描いた。
わたしのそれはとても下手くそだったが、彼女はさらっとかわいいキャラクターや幾何学模様のようなものを書いていた。
それはとてもわたしには真似できない上手な絵だった。
同じクラスで席が近かった時、彼女はよくわたしが一生懸命英単語を覚えている横でわたしの教科書に落書きをしていた。
「あっ」とわたしが気付くと悪びれた様子もなくあはははは~と笑いながら逃げていった。
「ふ~」と思って一度はシャープペンシルから消しゴムに持ち替えたけれど、その絵を見て消すのをやめた。
ただの、本当にただの落書きなんだけれど消すにはもったいないと思ったのだ。
それくらい彼女の絵はなにか引き付けられるようなものがあったのだと今では思う。
その時はなんだか不思議な本能で残しておきたいと思った気がする。
残念ながら昔の教科書類は全て処分してしまったのでもう確かめようもないのだけれどふともう一度見たいなと思った。
やわらかいタッチで、人やキャラクターを好んで描いていたあの作品を。

そんなことを思い出しながら段ボールの荷物の中身を取り出した。
そこには甲府で買ったと思われる赤ワイン、そしてわたしが昔から好きな日本茶の茶葉が丁寧にラッピングされた中から出てきた。
さらに奥をごそごそと探ると一枚の女性の絵と手紙が出てきた。
そこにはこう記されていた。
「こないだ共通の友人の結婚式で14年ぶりに再会できてとても嬉しかった。その時のことを忘れたくなくてその日着ていたワンピース姿のあなたを描いたよ。
ほとんど話す機会がなかったことはとても残念だったけれど昔と何も変わってないね。それがなんだかほっとしたよ。ワインとお茶はよかったら飲んでね。
また会えることを楽しみにしているよ。」
数か月前、同じテニス部の同級生だった子が結婚した。
その時、控え室で偶然会ったのだった。
14年ぶりの再会にお互い感動はしたものの席は遠くほとんど会話ができなかったのだ。
わざわざ気をきかせてこんなことをしてくれるなんてと、しばし感慨にふけってしまった。
自分を書いてくれたというその絵をまじまじと見てみた。
水彩画だと思われるそれはとてもやわらかい印象でずーっと見ていたくなるようなものだった。
わたしってこんな風に見えてるんだ、なんだか照れるなと一人ニヤニヤしてしまった。
その絵は縮小コピーして写真立てに入れ玄関に飾ることにした。
突然に華やいだ玄関はキラキラしていた。

段ボールの中をゴソゴソと整理しているともう1枚手紙が出てきた。
それには今までの近況が書かれていた。
10年程前に上京したこと、大学に通いながら誰もが知っている大手映像会社で絵を描く仕事をしていること、好きな映画監督の作品のこと、生まれ育った田舎との違いに今でも夜になると孤独を感じる時があること・・・・・。
わたしの知らない14年間がそこにはあった。
あーこんな嬉しいことはない、やっぱり彼女は描き続ける使命だったんだと何度も何度も読み返した。
慣れない都会でわたしなんかが知る由もない苦労がそこにはあるのだろうけれど、まだこれからも東京で頑張りたいと締めくくられた最後の一文には逞しさを感じた。

世の中にはこれをしたいと思ってものすごい努力をしてもどうしても報われない人が自分を含めてたくさんいると思う。
そうかと思えば本当に一瞬でさらっとやり遂げてしまう人が中にはいる。
そういう使命を持って生まれてきたような人がその道を進んでいるのはとてもいいなと思う。
そして、それが自分の古い友人の1人だと知った時の喜びは格別なものだ。

 

 

 
#poetory