「夢は第2の人世である」或いは「五臓六腑の疲れ」である。第78回

 

佐々木 眞

 
 

 

母とり名人Aの元のBよりすぐにチョットコイと鳴かせ上手の犬だった。9/1

悪の権化のような現政権に忠義立てしたお陰で、思いがけず立身出世した私は、高官を退任したあとも、某民間企業の参与となって、何の働きもしないのに高給を支給され、それこそ、濡れ手に粟の人生を送っていたが、何故か虚しかった。9/2

主人公と、おばあさんは、死んでいるのに、みるみる甦っていく。9/3

500円のオカキと、千円のオカキの、どちらが総合的に美味しくて、お買い得かを厳しく問うたはずの私の修士論文は、次第に論考の切っ先が厚い岩盤を外れて、回転が鈍くなり、ついには論旨自体もあやふやとなって、空中分解してしまった。9/3

たった2人だけの美人幹部社員が、マムシに咬まれて青白い顔で息を引き取っていくのを、社長の私は、ただ見守ることしかできなかった。あんなに若くて美しかったのに!
9/4

S君とB君は、オオニシマネージャーの元で、新規巻きなおしの最出発をするというので、いろいろアドバイスをしてから、市ヶ谷で別れた。どうやら私は、彼らとは別に、マルキン担当になるらしい。9/5

その男は、施設で暮している息子の食事の中に、覚せい剤を入れて、鈍い脳の働きを、活性化しようと企てたのだが、あえなく捕まってしまった。9/6

セイさんの詩集を作成した、シゲハラ印刷の社長のシガハラ氏は、セイさんが、亡くした父親を悼む詩を読みながら、思わず落涙したのであった。9/7

新橋駅のプラットフォームのごみ箱の中の日経を探している姿を、電通のヨシタケ氏に目撃され、翌日その話を聞いた上司から、私は嫌みを言われたが、その悪癖は、依然として毎朝続けられた。9/8

くの字の姿をした黒い木だけが茂っている緑の大草原を、私たちは、黙々と歩んでいた。その半年後には、北陸の厳寒のニシン棟に押しこめられ、一人ひとり引きずりだされて、全員斬首される運命にあると知る者もなく。9/9

誰かに後をつけられているのではないか、という気がしたので、それをマクようにしながら、横浜市内のあちこちを逃亡していた私だが、突然カマキリのような顔をした男にぶつかった。カマキリが眼で合図すると、彼の手下たちが私を取り囲む。ヤバイ、北朝鮮へ送りこまれるのではないだろうか。9/10

イケメンを愛した処女は、手に手をとって南洋の離島へ駆け落ちし、たった一夜の情交で一児を孕んだが、誰ひとり、それを知る者はなかった。9/10

構想10年、私は抗争するヒロセ派とヨシダ派の和平を願って、一言では尽くせぬ苦労を重ねてきたのだが、ついに昨日、両者の手打ちの会を開催することができたので、「もういつ死んでも構わない」というに気持ちになりました。9/11

私が入社した会社の会長は、キンボウ教という新興宗教の教祖だった。私は、いきなりその会社の広報室長に任命されてしまったので、やむをを得ず朝晩の勤行を共にしていた。9/12

胸の袋に小さな小さな赤児を包み、白いパンツスーツをまとった背の高い娘が、駅の売店へ入っていく。もはやこの国の女には見られなくなった、長い緑なす黒髪を微かに揺らしながら。9/13

城主は、自分の長男と次男を自分の城に招き入れ、3日3晩にわたって接待していたが、最後の夜に、私を呼び寄せ、「これから長男の城に同行して謀反の疑いがあるかどうかを報告せよ」と命じた。9/14

新入生になったばかりの僕は廻りの女性がみんな大人の美人に見え、目移りがしてどうしようもなかったのだが、ある日「あなたはマゾだから、サドの私と組むとベストよ」と誘われて、以来ドツボに嵌ってしまった。9/15

私のまわりには優れたアーティストたちが大勢いるのだが、それらの大半が、3度の食事にも事欠くようなルンペンプロレタリアーティストなので、いったい誰からどのように支援すればいいのか分からなかった。9/16

私は鏡の前でいったん目も鼻も口も眉も耳も全部回収してから、改めて碁石を置くように置き直すと、たちまち今まで見たことも無いような斬新な顔が出来上がった。9/17

東京の、いや日本中の散髪屋は、わたしの汚職疑惑のために全店閉鎖中なので、困り果てたが、ふと思いついてボーマルシェに頼んだら、セルビアから腕利きの理髪師を寄越してくれたので大助かりだった。9/19

K君と一諸に一膳飯屋に入ったら、消費税値上げゼロの超格安魚メニューがたくさん並んでいたので、どんどん発注してみたら、外国から輸入した名前も知れない青い熱帯魚とか腐臭を放つ馬鹿貝などばかりで、私はゲロを吐いていたがK君は美味そうに平らげた。9/21

山奥の土地が塩漬けになってしまったので、ヤクザに頼んで転売してもらったら、そのヤクザにだまし取られてしまったので、仕方ないから親分に頼んで、一家で身売りして組員になってしもうたんや。9/22

4月4日と7日の日に一緒に四つ尾山に登って、分かれ道でギフチョウを見ようということになった。9/23

東京行きの最終電車に乗り遅れたので、次の新宿行きの鈍行に乗り込んだら、どの車両のどの座席も、ぐうたれたリーマン野郎どもが座席を占拠して、眠りこけていたので驚いた。9/24

小町通りを歩いている赤瀬川原平氏の隣には、朝顔の柄の浴衣を着たこおろぎ嬢が歩いていて、右の耳にだけ青い色をしたピアスをつけていた。9/25

私がちょっと油断していると、ガラスの中の水の中に浮かべている鉄器が、ドスンと落ちて、器を壊して水浸しになってしまうので、もう朝まで寝られないのだ。9/26

東京教育大の就職課に革マルが乱入して、企業や団体からの就職票を、あたりにぶちまけた。彼らが思いっきり乱暴狼藉を働いて立ち去ったあと、なぜか地べたにリカちゃん人形、ペコちゃん人形、マルちゃん人形、エースコック人形が横たわっていた。9/27

青山の高級マンションで独り暮らしをしていたモデルが、酔っぱらったまま浴槽に入り、眠りこけている間に、どんどん高温になり、ようやく発見された時には、白骨入りのスープと化していたのだ。9/28

ともかく、おらちはとても疲れたから、会社は休む。なんかあったら家に電話してくれ、と私はカド君に頼んだ。9/29

「念願叶って、とっても良いところに就職できました」と大喜びしている学生がいるので、「どこに決まったの?」と訊ねたら「ベルギーのアントワープの小学校です」というのであるが、私はなんというてよいのか分からなかった。9/30

 

 

 

舟を出そう

 

橘 伊織

 
 

舟を出そう

東へ

薄青の空に溶けゆく星 ただ誘うままに

舟を出そう

緩い風 この頬を嬲る朝に

舟を出そう

なんの艤装すらせず

舟を出そう

時だけが徒に 遠い記憶へと移ろうまでに

舟を出そう

はるか昔の遊牧民の歌 微かに唇に遊ばせ

やがて風が 真白き帆を孕ませるなら

舟を出そう

骸たちが眠る 名もなきあの島へ向けて

 

 

 

つめたくとおく

 

小関千恵

 
 
















 

 

 

 

 

 

雲の中に扉が見えたのは
やっぱり一人で歩きはじめたときだった

ああ 詩も涙もない
無くなってしまったんだ
あんなにひともじづつ 浮かんでいたのに

‪かたちに身を寄せてはみな蒸発していく‬
‪ひかりにひかりはぶつけられ
だれかの‪大切なすまほも割れていくね
‪ひとりひとりの月が宿る液晶は粉々に砕けて‬
それでも月は これでもかと‬
‪破片のままでも愛しているのだから

いつのまにか
‪詩も涙も無くなって 水平線へ辿り着く‬
‪ひとりで歩きたかったんだ
‪ホワイトグレーの空と海の間‬を
ひかる‪たくさんの魚が飛んでいた
すまほの電池は切れている
宇宙がここまで降りてくる
呼吸をくりかえす
‪海の香りはつめたくとおく
‪なんだ向こうにはまだ‬
‪島があるんだ

 

 

 

琥珀の時間

 

芦田みゆき

 
 

 

10月23日、ジュエリーやフィギュアを製作する友人の工房「クラフト・キリコ」を訪ねた。
王子の工房をはなれ、ご自宅で再出発するとのこと。
半日、一緒に散歩したり、近所のレストランでお昼を食べたり、工房で生まれたたくさんのジュエリー・フィギュアとコレクションをみせていただいた。

 

 

 

うずら *

 

一昨日かな

新宿ゴールデン街のこどじで
松井宏樹さんの

DOTOの写真をみた

ヒトが
小さかった

秋田でもヒトは小さいが

道東では
尚更だろう

それから高円寺のバー鳥渡で
閉店まで飲んだ

翌日は
鎌倉に行った

由比ヶ浜にはヒトがたくさんいて
海が平らに光っていた

かまくらブックフェスタでエクリ発行のクートラスの屋根裏のテラコッタをみた

そこに
うずらの神はいた

うずらの卵を美しいと思ったことがある
頬にそばかすのたくさんある少女を

美しいと思ったことがある

由比ヶ浜の公会堂では
平出隆さんの”AIR LANGUAGE”のお話を聞いた

雲をつかむようだった
星雲なのだろう

帰りは
湘南新宿ラインに乗った

広瀬さんと
横須賀さんと

グリーン車でビールを飲んで帰ってきた

 

* 工藤冬里の詩「洞門行」からの引用

 

 

 

洞門行

 

工藤冬里

 
 

辻の気狂い
ただの行き違い
吉祥寺の頃から

体の中に茶筒があって
捻ると音がする

溝(ドブ)の黒
収穫は終わった
セメンの中の果実色した宝石
こげ茶のN/
納得できない事柄を考え続けるより
目の前の物を楽しむほうが良い
うずら
こわばり

 

 

 

自転車屋のおじいさん

 

みわ はるか

 
 

マンションの窓から向かいの自転車屋さんが見える。
70才近いだろうか。
白髪、眼鏡、中肉中背、すらっとしたおじいさん。
1階は自転車を売ったり直したりしている店舗、2階3階が自宅だと思われる。
カーテンという概念がおじいさんにはないのか、2階の部屋は夜になると中がよーく見える。
窓際にマッサージ付きかなと思われる大きな椅子、テーブル、その向かいにテレビが置いてあるようだ。
お店を閉めた後には必ずそこにおじいさんが現れる。
1人、何かを飲みながらテレビの方を見ている。
たまに大きな口を開けて笑っている。
たまに勢いよくビールだろうか飲んでいる。
外でお祭りをやっている日でも、数年に1度の台風が来た夜も、おじいさんはいつもと変わらず椅子に座って休んでいる。
とても幸せそうだった。

ある日、たまたまお昼にその自転車屋さんの前を通った。
おじいさんが仕事をしている時間だった。
ちらりと覗くと、おじいさんと目が合った。
口をもごもご動かしていた。
傍らにはお饅頭が箱ごと置いてあった。
いたずらが見つかった少年のように目をまん丸くしてこちらに会釈してきた。
わたしも軽くお辞儀した。
お饅頭の箱をそーっと後ろに追いやっていた。
なんだかとてもかわいらしかった。

これから寒い寒い冬がやってくる。
おじいさんはあの椅子に座り続けるだろう。
半纏でも着るようになるのかな。
熱燗でも飲むようになるのかな。

これからもこっそり迷惑にならない程度に垣間見てみようと思う。

 

 

 

 

塔島ひろみ

 
 

満員電車で運ばれていた
多くのものが足がなく、多くのものが鼻もなく、
たいていは合成樹脂だった
知らないもの同士だったから、
話す言葉を持たず、
話す理由を持たないから、
黙って運ばれ、
こんなに満員でも、車内は静まり返っている

ポイントを通過し、電車が揺れた
私たちはグラグラと動き、圧迫し合う
ニッケル合金の私の肘が隣の女の腹を突いたが
女は痛くもないのだろう、呻きもせず少し体をずらしながら、何かを私にポトリと垂らす
女の額から黒い汗がこぼれている

咳が聞こえた

満員の車内で、誰かがコンコンと小さく、咳をしている

咳は一度止み、間をおいてまた、始まった

沈黙の車内に、咳の音だけがひびく
咳が聞こえるたび、貨物たちはムズムズと、少し動いた
みんなが咳を聞いていた
積み重なった肩のへりや、頭の後ろで、皮膚のどこかで、
その生々しい、貨物の発する咳を聞いた

Y駅で少しの乗降があり、さらに混みあった電車は橋にさしかかる
荒川河川敷に射し込む朝の日差しが、車内にも届く
貨物たちは一瞬、金色に染まった
そしてその金色の光の中で、私は
眼下に12匹のタヌキの子どもの姿を見たのだった

咳は聞こえなくなっていた
ギュウ詰めの電車内から解放されて、タヌキたちは河原で飛び跳ね、じゃれ合っている

電車はもうすぐ地下に入り、私は都営線に乗り換えて、職場へ向かう

まるで自らの足で歩いて向かうように、職場へ向かう

この足は、誰の足だろうか?
私は、モノだろうか? それとも、タヌキだろうか?

あるいはもしかして私は、ヒトだろうか?
そう思い至ったとき、背筋にゾクッと、生々しい戦慄が走った

 
 

(10月某日、京成押上線上り列車で)

 

 

 

枕辺の

 

薦田 愛

 
 

めざめて
いた
ぼんやり
ひとり
ひとの
でかけてゆくひとの
くちづけに
めざめた
まえにだったか
足もとの
あけはなされた窓からきこえる
虫の音にふうっと
ひとねむりした
あとにもういちど
めざめてだったか
ほうけて
いた

花をかかえてまっすぐ
帰ってくる
ひと
おとこの
そのひととの床に
いるのだ
てあしのすらりとしたおんなの子が
ふたり
いる
おとこは
おこづかいをあげたりしてるんだ
という
たりって何
と、おもう
ひまもない
教科書の入ってなさそうな
かばんが
ほうりだされている
と、気づくやいなや
ふたり
みかわして
わらいごえをあげて
でていった
いってしまった

おとこは
ゆうべ
花をかかえてまっすぐ
帰ってきたのではなかったか
わるびれるでもなく
でかけていったのだろう
おんなの子たちのあとを
いないのだった
だれも
わたしたちの床には
あけはなされた
足もとの窓から
みおろしたのか
タクシーが
(と、おもった)
おとこをのせて
(と、おもった)

つづらに曲がるみちを
(未知、を)
いくたび折れて
その先でいつか車はとまる
おりた場所で
おとこが
荷を解いて積みあげて
とりにくる
だれかを待っている
まっている
(と、おもった)
わたしの
窓をとおく
よぎってゆく
ひとかげがそれであろう
(と、おもった)

虫の音がやむ
鳥たちの時間
朝、だ
まばたき
そして
目をあげれば
みえていた
(と、おもった)
かげは
プラごみ回収車の
はしりさったあとに
あとかたもなく
今朝のひたいをぬらした
おとこの
くちづけが
つれてくるかんじょう
(なみのけはい
(あるいは
(なみだににたなにか
(いえこれは

わたしを去った
あまたの恋の
卒塔婆をたてた野の末で
砕けた
対の茶碗がわらいだす
誰やらのぬけがらがおどる
にゅうねんに
あやとりするのは蜘蛛
地中深くから
蘇生して
けさ
くちびるのふれたあたりから
午前九時
あさいねむりと
わるいねがえり
いくども
いくどでも死んでゆく
細胞
その底で
とおくにぶく
うずく
それは
もえるだろうか
それは
分別をこのむ
指さき
朝の
こわばりを脱いで

今宵
ひとは
おとこは
帰ってくる
今日の花をかかえて
まっすぐ
ぬけがらでもなきがらでも
ない
おとこの
弁当箱をあける
かるい
梅干しの種がぬれている