さとう三千魚
会わなかった
どこにいるの
どこにいたの
いちど
川の淵で
くちづけたことがあった
鼻の
あたまの
濡れていた
冷たかった
どこにもいない
猫
いない
・・・
** この詩は、
2024年12月20日 金曜日に、書肆「猫に縁側」にて開催された「やさしい詩のつどい」第12回で、参加された皆さんと一緒にさとうが即興で書いた詩です。
#poetry #no poetry,no life
会わなかった
どこにいるの
どこにいたの
いちど
川の淵で
くちづけたことがあった
鼻の
あたまの
濡れていた
冷たかった
どこにもいない
猫
いない
・・・
** この詩は、
2024年12月20日 金曜日に、書肆「猫に縁側」にて開催された「やさしい詩のつどい」第12回で、参加された皆さんと一緒にさとうが即興で書いた詩です。
#poetry #no poetry,no life
さっき
テーブルの横を通った
亡くなった
詩人や
絵本作家や
絵本屋のご主人のことを
ひとびとは
テーブルを囲んで話していた
猫は
消えた
しばらく玄関にいて消えた
・・・
** この詩は、
2024年11月22日 金曜日に、書肆「猫に縁側」にて開催された「やさしい詩のつどい」第11回で、参加された皆さんと一緒にさとうが即興で書いた詩です。
#poetry #no poetry,no life
見ている
ただ見ている
すぐ横で
コミヤミヤがくるっ軽々回転
うつ伏せの姿勢から
もっこもっこ
背中が盛り上がっていくよ
上体起きて
頭がくるっ回転
窓の外の庭のゆずの木が風に騒いで
やってみろ
ほそっこいコミヤミヤの腕が
ふんにゃふんにゃ上下したよ
マットが撓み
進んだ?
ちょっぴり?
いいや、ただ体が微かに上下に揺れただけ
疲れちゃったか?
いいや、またふんにゃふんにゃ
おっと目が合っちゃったよ
でもかずとんパパに関心なし
また頭くるっと回転
ゆずの木騒ぐ
またふんにゃふんにゃ
すぐ横で
仰向け姿のこかずとんが
見ている
ただ見ている
目に特別な色はない
見ている
ただ
ふんにゃふんにゃするコミヤミヤを
見ている見ている見ているんだ
バラが
ある
わたしのなかに
ある
赤いよ
赤いバラよ
咲いているよ
真っ赤だよ
いつか
おかあさんにも
バラを
あげたい
***memo.
2024年12月14日(土)、
静岡市健康文化交流館「き・て・こ」の”き・て・こ祭”での”無一物野郎の詩、乃至 無詩!” 第32回で作った122個めの即詩です。
タイトル ” 美しいバラがある ”
好きな花 ” 赤いバラ ”
#poetry #no poetry,no life;
ゆれていたね
たくさん
時が
揺れていた
ピンクや
黄色や
白や
たくさん
たくさん
いつまでも
揺れていようね
***memo.
2024年12月14日(土)、
静岡市健康文化交流館「き・て・こ」の”き・て・こ祭”での”無一物野郎の詩、乃至 無詩!” 第32回で作った121個めの即詩です。
タイトル ” 家族 ”
好きな花 ” コスモス ”
#poetry #no poetry,no life;
包まれて
落ちて割れても包まれて
種子法に逆らい
栽培する揺るぎない
炭素追い出す鍛冶
リニューアルされ
限界がない
あらゆる局面に当て嵌まる完全さがギラリ
友よ羽織の妊婦よ
知らなくても良いことがあるのは良いことだ
包まれた餡は大成功
車輪の音
売春の街で
湧く水を上から見る
theʹle·ma
さまざまな頭蓋に響く言葉もしくは音波
昔の道に降り立つ
保険も入らずに
土を破り庇を圧し潰す
消失ですから
変わらぬ山影
四〇日間で何人に遭えるか
誰を探しているのですか
頭蓋に3D Rabboni!
仕事を任せまくるため
だけではなく
朝のひかりのなか
なんの服を着ようか
長時間は持たない
ふたたびやる気を起こさせる
余命なんとかのなんとかみたいに
#poetry #rock musician
途中
つまがころんだ
行き先がちがう
ということに気づいた矢さき
(つまづくものはさいわいである)
ようやく
その版画のある旅館についたが
三枚につながってはいるものの
暗くて
細部がよくみえない
それはむかし
ごく近くにひろがっていたはずなのに
ふるい旅館の外へでると
そこも暗く
夢の三枚つづきになっている
生きて
剥けたまま
それはつまの膝小僧のようでもある
冒頭、無題の十行で単語たちの連結の、休日特快の詩法を語る。
そして「ユキちゃんユキちゃん」で「常に流れる水」が雑魚駅を潤すことが保障される。
「土のなか吐いて潜る」でword設定で大人になった身体を右寄せにしたことが知らされる。
「製紙工場の白い紙」は早くも書く身体が書くことにぶつかった情景が描かれてしまう。
「体温のない吐息」で子供の身体を取り戻そうとするが西武線に特快はない。
「ソテツはぼくの名前」でありがちな窓を探し
「メロンソーダの巣」で諦めを発泡させ
休止に入る。
「夜の箱」でとうとうキョリを変えてみる
「製紙工場の白い紙」をその方法で書き直す
「放射線ドッヂボール」でねんれいを明かし
「夕暮れの黒い土手」「風呂モニュメンタル」で戻ろうとする
「メロンソーダの巣」「夜の箱」はそのことをせつめいする
休止
「鍵あなのドジョウ」はにじゅっせいきぶんがくの旗手たらんと欲し
「セミ」はドジョウと違ってアイスと一緒に食べられている
「はしごの先」は月に掛かり
「待ちあわせ」は鬼火
「飲んでるふり」で「常に流れる水」を忘れ橋の幻想に詩法が横滑りしていく
「蚊にさされ」で存在はただ痒さとなる
「グラウンド•タイムスケープ」で「常に流れる水」を思い出そうとするが
「夕日を見ない」「手のなかのチョウ」では「常に流れる水」ではなく成立させようとしているものと「常に流れる水」とのキョリであることが告白される
休止があって
「三本のチョコバナナ」では墓場まで持っていく罪が、
「外側の動物園」では自分のものではなくなった詩法が語られ
「夜の箱」をまたカクニンしてみる
絶望的な休止
「中学二年生」は散文であって
「死んでない」は断念であった
「ジェットエンジン」は別の水だ。時間の三日月湖。
「さがしもの」の行空けがくるしい
「遠くから見る現在地のピン」で空に気付き
「授業予知」でソテツに逃げ
「土のなかのチョウ」はメタモルフォーゼのために蛹のなかでいったんドロドロになり
「小さな虫大きな虫」で「常に流れる水」なしの希望が語られ
「空気のかたち」で一安心させられるが
「雨がみえなくなる未来」「ただ光るだけのLED光が照らさない」でひかりのない滅ぼされる側に。
最後のインターミッション
「鍵、てのひらのチョウ」「常に流れる水」なき鱗粉の彼方の日常へ。
#poetry #rock musician
弟は
坊主あたまで
かあいいよ
ほっぺを
たまに
ひっぱって
あげる
おもちみたいよ
彼岸のころ
彼岸花
咲いていたよ
***memo.
2024年12月14日(土)、
静岡市健康文化交流館「き・て・こ」の”き・て・こ祭”での”無一物野郎の詩、乃至 無詩!” 第32回で作った120個めの即詩です。
タイトル ” 弟好きの何が悪い ”
好きな花 ” 彼岸花 ”
#poetry #no poetry,no life;
題名がなぞなぞのようなので、ちょっと調べてみたら、「ははそ」はドングリの実がなる木の総称である柞の葉っぱで、「ははそはの」は母にかかる枕詞らしい。万葉集の他三好達治の詩集「花筺」にその引用があるというので、岩波文庫を探してみたらありました。
いにしへの日はなつかしや/すがの根のながき春日を/野にいでてげんげつませし/ははそはの母もその子も/そこばくの夢を夢みし、で始まり、ははそはのははもそのこも/はるののにあそぶあそびを/ふあたびはせず、で終わる「いにしへの日は」という全部で21行のみやびやかな詩でした。
ちょっと驚いたのは、三好達治の最終連である
ははそはのははもそのこも
はるののにあそぶあそびを
ふたたびはせず
という3行のひらかなが、今回の母子二人の長いようで短い道行きをうたい上げた薦田さんの第4詩集の、すべてを象徴するように印象的なエンディングになっていることでした。
それで、この詩集における作者の語り口はというと、本書の題名や詩の凝った表題の付け方にみられる古語、古典文学の広くて深い素養と、平明な現代日本語とが自然に融合したユニークな修辞によってさりげなく彩られ、現代を生きる大人の詩篇として興趣が尽きないものとなっています。
巻頭から母子は、鳥羽、河津、新宮、茅野、長崎、犬山、尾道と、全国各地に同行二人の旅に出ます。
女ふたりで「夫婦岩なんてえね、と/鼻をかむ/だって/縁結びを祈る女子旅ではなくて/恋のアルバム作成中のふたりでみなくて/父つまり夫を送って三十年の母との旅だ」(「ふたみ、夕暮れの」より)
どうやら母親は高齢であるにも関わらず、桜をカメラに収めるのが趣味で、そのために桜前線の北上を追って全国の桜名所の寺社や名城に出かけるらしいのですが、母子とも結構うっかりもので、時間に遅れたり、大事な忘れ物をしたり、旅の失敗談がいくつも出てきて微苦笑させられます。
けれども世間の母子の大方が表向きは仲睦まじくとも、一皮めくればいろいろあるように、詩集の主人公である私とその母との間にも、ある日亀裂が走ります。私と恋人との3人暮らしに軋轢があったのか、母が突然家出して、東京から故郷の四国に戻ってしまったのです。
長く暮らした東京をはなれ/戻らないと言っていた土地へ戻ったひと/はは/母という/ばっこばっこ/はは ばっこ/その母/舜動する(「ばっこばっこ、ははは」より)
そしてその道行の掉尾は、子が母に成り代わって事態の全貌を序破急の急で歌い上げる物語第3篇≪参≫のにあり、それが≪壱≫、≪弐≫と続いた人世の一大事の荘厳なコーダとなって、私たち読者の胸をしたたかに打つのです。
あな、恥ずかしの身の上かな/おうおう と/聲あぐるはいと易けれど/おしころし押し殺す底ひより/たぎりたちくるもののさうらいて/あの/あの子/あの子の名 を/こゑ に/こゑ に出ださず/聲 にせむ(「ものぐるひ」より)
なお、本書のあとがき「後記、そのいきさつの」によれば、「母は郷里の街で、老境を生きている」そうであります。
・浜風文庫の本
https://beachwind-lib.net/?page_id=4694