IT‘S ALL OVER NOW, BABY BLUE

 

工藤冬里

 
 

そんなもん貰っちまったら立小便もできゃしねえ
高柳と間はまだ対立した儘だ
https://youtu.be/p0oMt3bsDCc

2000年新宿ロフトのライブCDのためのジャケットのイメージとライナー

It’s all over now, baby blue

岩田の遺品の中にあったよとフィラデルフィアのジョルダン・バージェスが送ってくれたライブのカセットをそのままあまり弄らずに台湾で焼いたのが本作である。 ライブの日付は新宿ロフトのホームページを遡ると2001年3月9日、日本に帰ってきてベアーズ、法政学館、スターパインズカフェ、と続くライブの、4 番目だった、といったことが思い出されてきた。メンバーの詳細は定かではないのでここには載せられなかった。
呼ばれたのが少し大きめの場所だったのでいろいろ考えた。その頃はリアルタイムで拾ってリアクターで変調させるのが流行っていて、大体そうしていた。そのひと月前はスライド フィルムを使った短い曲ばかりやったので、長いのをやることにした。対バンにメルツバウがいて、矢張りラップトップだった。マヘルは「夜の稲」を録音したばかりで、顔を想像しながらスコアを書ける情況だったので、変わり目やコーラスの合図だとか、かなり深く案曲することができた。

track1 冒頭は、「その楽器の最低音と最高音を交互に出しなさい」という指示のみで構成される「マカール・ジェーブシュキン」が前奏代わりで、それに続く部分は、return visit to rock mass からの、モンク~ドルフィー風のベースラインで始まる 「揚雲雀 (soaring skylark)」 が元になっているが、間奏部の牧歌調のユーフォ二重奏に代わって “It’s all over now, baby blue” という、当時ブライアン・フェリーがカヴァーしたディランのタイトル詠唱が、労働党政権下のロンドンで老人介護派遣ヘルパーの仕事をしていた礼子が扮する四人の思い出の老婆の述懐の合間に挟まれる、という構成になっている。
tack2 器用な植野君には触ったことのない楽器をその都度与えると良いだろうということでこの日はシタールを演奏してもらった。
tack3 間奏部分のギターがジュヌスの再構成という特徴的な衝上断層を眺めるのに良い。このトラックは既にロック画報8の付録に入っている。

The original sound source for this album is a cassette of our live performance, which was sent to us by Jordan Burgess of Philadelphia, who said he found it among the belongings of the late Yuzo Iwata. Then “mshb direct trade” has converted it into a CD at a factory in Taiwan without much formal mastering.
According to the Shinjuku Loft website, the date of the concert was March 9, 2001, and it was the fourth in a series of concerts that followed Bears, Hoseigakkan, and Star Pine’s Cafe after I had returned to Japan. I am not sure of the details of the members at that time, so I cannot include them here.

I thought about it a lot because it was a slightly larger place than previous shows which I had been offered. At that time, it was popular to pick up all of the sounds in real time and modulate them with Reactor, and I generally did so. A month before that, I had done only short pieces with slide film, so I decided to do a longer one. My counterpart was Merzbow, who had also changed to a laptop.
Maher had just recorded “Night Rice,” so I could imagine each performer’s face as I wrote the score. So I was able to specify in great detail the turns of the song, the cues for the chorus, and so on.
track1 soaring skylark
The beginning of track 1 begins with “Makar Devushkin,” which consists only of the instruction to “alternate the lowest and highest notes of the instrument,” as a prelude. The following part is based on “soaring skylark” from “return visit to rock mass, which begins with a Monk~Dolfi style bass line. However, the pastoral euphonium duet of the interlude is replaced by Dylan’s title “It’s all over now, baby blue,” the verse of which was covered by Bryan Ferry at the time. The song is interspersed with reminiscences of four elderly women, played by Reiko who worked as a temporary care helper for the elderly in London under the Labour Party government.
tack2 what’s your buisiness here, Elijah?
As I thought it would be a good idea to give Ueno an instrument he had never touched before each time. So I asked him,who is very dexterous, to play the sitar on this day,
tack3 soldier of Lead
The guitar in the interlude is a good way to view the characteristic impulsive fault of reconstruction of Junus. This track was already included in the appendix of Japanese vintage rock’n notes magazine 8.
                                          September 11,2022

金木犀つぼみもすでににほひたり

デジタル喧嘩

嵐の夜に鼬は家守は
https://stand.fm/episodes/6332f04390f80b613fa5ba83

トレン動員
タイムライン
やっぱりTwitter社は買いたくなくなる
買いたいのは沢だけだ
棚田の新米がブランド化されて三内農協に売ってる
日本語おかしいか?
まず石垣だ おぼっちゃま小林兄69歳 狼にはいいポジションだ

Muéstrense tierno cariño

社会なんて世代が平行移動して繰り上がる管理職の趣味が風靡してきただけの、電通に揺れる葦に過ぎないと分かってくるが、総理だけはオムリの後のアハズのようにいつの時代も史上最低と言われ続けていて可笑しい

自分も寄与したMix CD “au contraire”のためのライナー
「過去は未来が決めていた」  墓川雪夫
フラットになってからジョッキーが始まったワケだがなにも構文ガーとか言ってるわけじゃなくて前世紀のその頃ってnuance。法の下での平等はイカサマだったってんで911で突き破りブッ刺しブース周りの環境音、ひいては行きの電車からピクニクは始まってんだよとばかりに運命的なチャンスオペレーションとしての窯に任せたスクリューとリヴァースの意味深中性焔シャワー雨ミックスという現在。過去は未来が決める。波を点に変えてゆくなかで抱えたヴァイナルは愛のデジタル献花。そんなこんなでノイズ・エッセイ化してゆくDJ。過去は未来が決めていた。

Heb13:7 ἡγουμένων  (hɛː.ɡuː.mé.nɔːn) は「指導者」ではなく「率先している人」と訳すべきである事

高松の燦庫(https://san-ko.site/)で大晦日に行われるライブのためのプロフィール「香川県と私」
2000年以前の話 有岡さんという香川の木工の匠の息子と受験の頃つるんでデッサンなどしていた。かれは工芸科に受かったがぼくは挫折し、ニューヨークに行って音楽をするようになった。

200①年 丸亀でヤン・ファーブル展を見、シャッター街に貼られたポスターも含めてうつくしいと思う。
牟礼で友人の結婚式があり、帰りに庵治石の工房で石粉をもらい、筒形の碗を焼いてみたらみどり色だった

2006年 映画UDONの、小西真奈美との冒頭シーンで香川にも「山中」というものがあるのだと気付かされ、以後まんのう公園などという標識のある下道が味わい深くなったがよく迷った

20①0年 直島の第一回に行き、ロードコーンの白が良いと思った。open fieldという曲を録音したことがあったので、同名の作品を見ることができたのもよかった。同じ作者の人工夕焼けの作品はtateで見た。

2012年
6月 アートで田んぼ
イメージしていたのは麦刈りだった。ピアノの周りを麦を持った人々がピナ・バウシュの四季の振り付けのように廻り、ピアノには麦のように真っ直ぐに立った竹籤を挿し、それに松脂を塗って指で擦ることで共鳴させる。それを増幅しディレイをかける。その後参加者は次々に風景と自分の関係を考えた上で短いフレーズを弾き、それはループされ、積み重なってゆく。そのループの上にさらにそれぞれの楽器による即興を加え、最後にまた竹籤による静かな共鳴に戻っていく。というのが大まかな案曲だった。
7月 東京でmeltdownというイベントをやった。ガセネタ好きの善通寺のギタリスト福田君は不安障害と双極性障害を抱えてしょっちゅう死にたいと電話をかけてきていたけれど、バトミントンではトップクラスのプレーヤーなので、マヘルではラケットを振り回してもらうことにした。PAを通さなくても空を切るその音は客席の奥にまで届いた。その数日後にかれは自分を殴って死んだ。

2013年 アートで田んぼ
香川ではランチタイムのことをタイムランチと言う
だから田んぼでアートからアートで田んぼになったんだな、くらいに思っていたが

マームとジプシーという劇団のオーディションの話から始まった。自分で3種類の振付を考え、その番号が呼ばれるとそのポーズをとる、というのを集団で一時間やり続ける、という過酷なワークショップで、そのポーズの「裏」とか「逆」、つまり線対称と面対象のポーズも指定されるので、合計9つのポーズに向けて瞬間的に体を動かさなくてはならず、最初はぎごちないが、だんだん体が慣れてくると疲労を通り越してある種のトランス状態になる、その集団としての動きを中空から見ている者が居れば、その者はそれを美しいと感じるであろう、と思いながらやっていた、と。それは各人の身体能力を審査するためのものなので、直接音楽とは関係ないわけだけれども、その振付を音に置き換えれば、演奏のフォーマットとして少なくともゼロ地点にまではもっていけるのではないか、去年は土地と穀物の、水平と垂直のメソポタミア-エジプト的な起源に向き合ったが、今年はそのワークショップのメソッドを借りて草刈りの動きをやろう、と思った。システムとして高柳の集団投射、漸次投射といった言葉も頭を掠めた。振り付けに当たる奏法のための素材は「草刈り」と「雨」に絞った。「草刈り」には、単純労働、ベトナム戦争の落とし児としての農薬、原罪としての単一プランテーション、モンサント、TPP、といった人間的な営みと葛藤の一切が含まれ、「雨」には人智の及ばぬ天の一切が含まれることになるだろう。奏者は鳥の声が聞こえる範囲に意識を保ちつつ、「草刈り」ではブギーの腰の入れ方で低 音をループしてみせたり、つんのめるようにバスドラをキックしながらシンバルに頭突きしたりし、「雨」では造形作品の竹の枝を拝借して揺すったり、ギターを高く掲げてハウリングさせたり、お馴染の吊られた天蓋を揺さぶって音を出したりしていた。ピアノを弾いていると、「草刈り」と「雨」が不規則に入れ替わる度に一瞬で空気が変わるのを感じた。特にミニマルな奏法で「草刈り」を演奏しているまま「雨」になった時、選ばれている音は同じなのに風景が変わるのが分かった。「さまざまな作品や音が水を張られた水田に沈み、そこに田植えをしていく時、水面の上のおれはぞくっとするのだ」、と河野さんは言う。その感じがアートで田んぼなのだな。だいぶ分かってきた。

2014年 アートで田んぼ
オトノタニよりユルいと言われてきたその裏で、どんどんテーマが先鋭的になってきているフェスからの三回目の招待です。
今年はリズムボックス対バスドラダブルキックで、リズムを土に刺します。
バスドラダブルキックの人はすぐに疲労困憊して土に倒れます。
それから這って後ろ向きに麦藁の玉を蹴りながら旗のところまで転がします。
フンコロガシが夜中に後ろ向きになって玉を転がしながら直進できるのは太陽や月ではなく、天の川銀河によって方角を知るからです。

宇宙史はすべて誤謬、と言う埴谷さんに励まされて言ってしまえば、農業史もまた誤謬なのであって、ほんらい、土地は産出的であるかそうでないかの二つしかなく、弟殺しによって呪われる前のそもそもの始まりは、ただただ産出的であったのである。

それに、農業者の基礎体力や整理整頓能力を賛美するというのは、自衛隊員のそれを言挙げするのと同様の本末転倒であって、こちらとしては、切り取られた近代の尺だけで、オキュパイによって不法占拠した空き地に肥料袋で野菜を栽培するアクティビストの群れを、歴史の筋肉の美として賞揚する訳にもいかないのである。雑草から麦が生まれたのではなく、麦から雑草が生まれたのだ。牧畜もそうだ。豚は家畜化した猪なのではなく、猪が野生化した豚なのである。抱きつき猟が残酷なのは、近代化した猪に自分が豚であることを思い出させてしまうからなのだ。

前年までは近代における草刈りの疲労を微分することを考えてきたが、今年は「疲労」だけに絞った。「農耕など、労働がかもす二項対立の構造を捉えることでアートは日常に帰る。」という2014年のテーゼは圧倒的に正しい。”労働”も”アート”も資本主義の幻想だからだ。
その上で、誤謬の宇宙史の中で「帰るべき日常はあるのか」ということがテーマになるだろうとばくぜんと思っていた。

リズムボックスとバスドラのダブルキック、という二つの素材が偶然手に入ったことで、それを「疲労」に使うことにした。
貧乏揺すりのように両膝を動かすことで、打ち込まれた機械のバスドラの速さにある程度までは付いて行ける。その後に「疲労」が来る。倒れ込んだその衰弱体から始まる”アートのようなもの”が”ほんらいのデザイン”とぶつかる時に、我々はほんとうの卑屈さを手に入れる。
フンコロガシが天の川銀河の光を頼りに後ろ向きに直進するナビゲーションシステムを持っていて、我々はそれを持っていない、という現実が日常である。旗を立て、旗のところから方向を持った音が鳴らされる。
それを頼りに竹で編んで麦藁を詰めた玉を後ろ向きに這いつくばって野生化した家畜のように後ろ足で転がした。フンコロガシは誰に向かって糞を転がしているのか。それは銀河の先の、遠いけれど生々しいあの始まりに向かってではないのか。

7月 「蟻の首大音楽祭」@razybones
香川県三豊市詫間町蟻の首という地名をそのまま使ったノイズイヴェントで、発酵の音に合わせて憲法9条を切れ切れに朗読してみた。

2015年 1月 高松市塩江美術館の大木裕之展でピアノを弾いてくれと頼まれ、大木さんとのトークもあるというので出かけた。

録音してくれるということだったので、これが最後のピアノと思って弾こうとしていたのだが、大木さんに邪魔されて弾けなかった。僕も大木さんの頭にパンを被せたりしたが、大木さんはさらに暴れ、若い男の子をバリカンで虎刈りにしたり、ペンキをぶちまけたりして館員に止められお開きとなった。

塩江

いじめられいじめてみせたおれたちは強者であるのか弱者であるのか

最後のピアノにしようと思っていたのにパンを与えなければならなかった。私の肉はパンではなかったので私はかれにピアノを与えた。
私は命のパンではなく死のピアノだった。
ピアノは血を流せない。
ピアノから流れたのは滑稽だった。
諸君は滑稽のコラボを観たのだ。
滑稽が命に繋ぎ止めようとした。
過渡的な宙ぶらりんの命に。
絶対音と調律の乱れが整列した。ゴミ屋敷の秩序を求めて。
延命の哲学。
そしてアートはまたもや延命した。
延命して塩江温泉に入った。
ピアノが、温泉に入ったのだ。

5月 アートで田んぼ MSHB

12月 ノイズ喫茶ill
ダニエル・ジョドシーと地元ノイジャンのイヴェントに呼ばれた。ダニエル・ジョドシーはシャルルマーニュ・パレスティンと今井次郎とマクラウド・ズイクムースを足して割ったような音楽だった。サウンドクラウドに挙げられている虫の音源に、二つの携帯を通話でハウリングさせ、それをマイクで拾って混ぜてみた。主催の河野君は、いや、ほんとに虫のこえに聞こえてきました、と感想を述べた。この機械の音は八〇〇倍遅くしたらどんな声がするのだろう、とちらと思った。

2016年 9月 「この島のこと」@てしまのまど
島の各所で採った土を焼いたインスタレーション

Burnt Teshima
地域活性助成金排除ファインアートの時勢にあって口承や戦時の聞き取りに向かう一連の民俗的流れは、一種のそれもまた拠り所を求める崖っぷちの足掻きであったにしてもある種物わかりのいいヒッピーのネットワークを形成しており、
これまた外人コレクター依存雑貨屋主導工芸の時勢にあって火成水成を採集焼成する漏れる鬱陶のフィールドワーク的流れは、一種のそれもまた拗ねたドジンの居直りであったにしてもある種分かり合える貧乏体力勝負のカウンターの情けなくはあるがギルドめいた四国ものづくりの幻想を形成しており、
要するに上記ふたつのパラグラフが出会ったところにアキリカの豊島は在ったのであり
それが香川に居ながら辺野古ゲート前に居ることであり遠野に居ることでありまたそれぞれのふだんの居場所に居ることであった。
横に繋がって四国を伸びていたのは古琵琶湖の地層であり垂直に掘られて焼かれたのは地球であり地球のゴミであり無駄ではあったが一瞬というかふた月半展示された自分の営為であった。ジョセイキンで自分は土を焼いたのである。焼かれた土が提示されていたのである。

10月 ill
アキリカ企画 自由奏/ジューソー/重層、吉濱君が組んでくれたMax/MSPで、サンプリングしたコオロギや鳥の声を数百倍遅くしてヒトの声にしようとしてみた

10月 やまなみ芸術祭三豊市財田町エリア道の駅たからだの里さいたサイタデリックという催しに呼ばれ、2tトラック上で楽器を演奏しながらエンジンを空ぶかししてみた

2019年 アートで田んぼ MSHB
蛍の頃だったので蛍という曲を普通に演奏した

2021年 アートで田んぼ
他県から呼ばないということだったが一人で行って板橋さん~渋谷さんの「グッドバイ」を弾いた

2022年
5月 塩江美術館
四国巡回展の最後、愛媛の菊間瓦土(讃岐土と菊間ゴミ土のブレンド)と砥部の磁土を組み合わせたものを焼いてへたらせる「安部ちゃん」という作品を展示した

初日には、安土さんとのパフォーマンスがあり、ピアノの鍵盤に触らずにE-bowで音を出す、というのをやってみた
同時期のアートで田んぼでは、 弾かない楽器を並べ、演奏じたいを持ち込んだ草刈機とE-bowのピアノの遠近を組み合わせる絵画と考えてみた

なんだランダムじゃん
偶然を利用するときは2つではなく3つの要素を使うこと。
https://namiberlin.com/wp-content/uploads/2018/10/P9260157.jpg

ヒマ
https://youtube.com/shorts/YSZFRyIx2uA?feature=share

星を探求する必要があったのだろうか

ロシアの粘土、という洞察

建築とは建物ではなくクラッシュした愛のヘルパーが背中を摩るということ
順番と優先順位の調合の割合はやや違う

 

 

#poetry #rock musician

嵐の夜に鼬は家守は

 

工藤冬里

 
 

天井裏を走り廻る
shelter in the stormということで今夜は匿ってやる
https://youtube.com/shorts/OwR8v6lThyQ?feature=share

録音できない
https://youtube.com/shorts/aUxU7qNF6ew?feature=share
博士、風と雨が止みました!
目だ、台風の目だ!
泣くな、温度が上がるのは陰猟腐厭現象だ

左gauche は女性名詞だからtaでいいんだけど、左パンチというときは男性名詞に変わる。だからタチの映画は左パンチに気をつけろという意味になる
https://stand.fm/episodes/6323fef8d348ec9d290e417c

A!BOUT SURFについての覚書
デレクベイリーが未来から来たアナーキストだというのはいい着眼点だった。波を点に変えるからだ。だがそれは観察者に過ぎない。アサギリ君は押し寄せる世界が波だと見抜いた。そしてそれを束にするのが人生だと知る。

レプレゼント
ベッカムも馬鹿だなトカゲが一匹死んだくらいで
想い出したのは
Palace In The Canyon
https://youtu.be/QUEQk9lm4bU
Celebration of the Lizard King
https://youtu.be/7ceAK3-7DEM
https://youtu.be/C82Z5bBnRSI
といったドアーズの曲だった
「王宮のトカゲ」のイメージはジム・モリソンのインスピレーションの中ではProverb30:28から来ているように思うが、JKV等では未だにクモ、と誤訳されている。「セマーミート(七十人訳ではkalabwvthV)」はトカゲ目のヤモリ属を指していることは明白である。(『聖書動物大事典』p.400)
正しくLizardとしている他の訳でも、ほとんどが「人がたやすく手で捕まえることができる」、となっているが、宮殿の壁に貼り付くヤモリの手の吸盤の凄さを観察して得た王の洞察を表現したものであることは明白であり、こう訳すべきである
「ヤモリトカゲはその手足で(天井であってもその壁を)べったり捕まえ(て貼り付き)、壮大な王宮(ベヘーケレーの強調の複数形)の中にいる(というのは凄いことじゃないか!?)」

今70の人は70いくつくらいまでは生きるが今60の人は60いくつくらいまでしか生きない
80の人は90いくつまで生きる

No vayan más allá de las cosas que están escritas

虫たちが皆で海外旅行に行くことになりましたが行けなかった虫は?

村上氏には「よもだ」という定義の難しい伊予弁の血脈を見る
塩崎にはそれはなかった
私がベルベッツだ、私がマイナーだ、私が国立だ、私が砥部だ、と村上の私が自民党だ、は遠吠えめいて似ているところがある
ぬらりくらりと要求をかわしていく加速主義をヨモダと言うのだ
徒花だね
カフカの城ゲームに米を引き込む
ポンポコの足掻き
イーロンじゃなくてもこれは買いたくなくなるな#twitter
少しでも長く息をしていたいなら牛歩しかない#絞首台
水軍の子らは学校なんて行ってなかったよ
九条を盾に米をぬらりくらりとかわしていこうというのがハト派だったとすればそれなりに意味はあった派閥制度を諸悪の根源として貶してきたのだから議会が失われたいま全野党が自民に入党することしか解決策はない。焼跡派はカトリックのようなぬえ的全体主義の海で水軍の末裔を戦いなさい。
 

白に茶色が混じり始め
恐ろしい八ヶ岳の末広がりの
筆は地を撫で付ける
割れやすいダイヤの
仔牛
早死にする座り方で
傷つかないけれども脆い薄暗がりのなだらかな白の勾配を
雪崩れて飲み食いする
強さと弱さに関する悲惨な最期の斜面
見抜けた筈のアカウントだった
ツルハシは半分に磨耗し
あらゆるものが躍起になっている庭で
割れる宝石
空が暗いと星の輝きが増し、枯れ木に囲まれると杉 の美しさが際立つ
町で​死んだら犬​に食われ、野原で死んだら​鳥​に食われる
この人は病気だ
経済的な問題を抱えて、どうすれば動揺しないで生活していくことができるだろうか
全て打ち明けること

わっかんねー
生瀬辺りの白土の殺伐
有馬に登る業の松枯れ
https://twitter.com/Onitsura_/status/1573087230075490304…

泉鏡花は本名をはた・いものすけ(畠芋之助)という。それが嫌で小説家になった。知らんけど。

Levanten la vista y miren, los campos están blancos, listos para la cosecha

https://youtu.be/qvyXNdM8sFw
参加してくださった皆さんありがとう御座いました
久しぶりに会えて?嬉しかったです
一夜明けてこんな気分
https://youtu.be/9Jt49A3LCVA
After midnight, it’s all gonna be peaches and cream.

手押し車の老婆に先を越されて

Ferris wheelが遠くに見える

静岡

夢で蔑ろにされたスイーツに関して表情を変えずにディヤンクールドゥと云われたが無論そんな名詞はなくYann Durieux Tete de Pontsが辛うじて似ていた

Si los muertos no van a ser resucitados, “comamos y bebamos, porque mañana moriremos”

 

 

#poetry #rock musician

Soigne ta gauche

 

工藤冬里

 
 

participants are welcomed
https://fb.me/e/2Uz94qwlU

There was a microSD in the lid that held this song and about 200 photos. I put them together and made this video.
https://youtu.be/gKRk9w5pQpU

τὸ ἀπολωλός

沙記さんの携帯カバー遂に引退しました

https://fb.me/e/1JqiMoCLg

https://youtu.be/-rlMfaPtdmI

日本を買う
井戸を買い沢を買い斜面を買う
日本を売る
何の気掛かりもなさそうな皿やチェアや雪山やLINE誘導で輸出させる
山の内部の隠し部屋に住む
コンクリの鳥居を粉にして
金やコバルトを匿して
頭をすり潰し(シュリンボー)て元素に解体する朱鱗洞の母船が今治沖を彷徨う

Las cosas anteriores han desaparecido

お前…自慢していいぜ

Soigne ta gauche

映画が自分の首を絞めるというのではなくて
首が夜に向かって石灰化するのである
反動は骨の音に過ぎずその音が三笠宮から賞を頂くのである
稲穂が垂れるのも枯向日葵が垂れるのも項の硬さという点では同じであり
種の爆発が全ての現在であった

nous ne savons pas que nous sommes encore au vingt et unieme siècl

Cela apparaît clairement si l’on compare avec l’année mille neuf cent vingt-deux.

それはハダドがなぞるエジプトのモーセの物語と似ている
繰り返されるが、最初は詰まっていたニンジンのようなものが抜かれている

馬の前に人参をぶら下げるような疾走だった
その赤が失われて青赤黒となった馬が走っているのが今だ

馬はもうサラエボを走ってはいない
イベリア半島を二手に分かれることもない
モスクワは火の海にはならない
モスクワ以外が国旗色に染まるだけだ

zach & quentin in texas
https://youtu.be/WBf9OM0ZNwI

腎臓人間ベム

comme des sœurs

Le cultivateur attend le précieux produit de la terre. Vous aussi patientez.

Empieza a llover
Il commence à pleuvoir
https://youtube.com/shorts/uipDm6ODpsM?feature=share

コールラビが売ってた(この用法は子供の頃はなかった)ので百円入れて持ち帰った。カニかまとかと硬度が連続していってて噛みごたえとして合わせると肉の代わりの増量材としていいと思う
カブより肉寄りの板、って感じ

https://youtu.be/hvBZHUsgznM
https://youtu.be/HWKlTTe7pJA

ケンちゃんはイッヌのように何にでも小文字の“っ”を挟む
ケンちゃんこれ小さいね、と話しかけると
ちっさ!
と言う

はっや!
おっそ!
うっそ!
あっつ!
さっむ!
うっま!
まっず!

などとも言う

ケンちゃん風強くなってきたね
つっよ!

ちょっと止んできたね
よっわ!

かつてない暴風雨らしいね
まじか
は普通である

九州はひどいらしいね鹿児島とか
ひっど!

風が生ぬるいね
ぬっる!

星なんか見えないねー
くっら!

夕焼けは赤くてすごかったねー
あっか!

そろそろ散歩やめて帰ろうか
だっる!

じゃあおやすみなさい
ねっむ!

という具合である

ケンちゃんは前のめりに激しく同意することでバイト言葉をブラッシュアップする人生を送ってきたのである

でかっ と でっか
うざっ と うっざ
の違いはことのほか重要である

前者は独白に近く、後者は同意に寄せている

だっさっ

ダーツはうまい奴ほど投げ方が汚い
リリースする位置を近づけようとする根性がいやらしい
刺さるスピードがないから実戦では使えないだろう

蛇を轢く車に伝わる堅さ 哉

 

 

 

#poetry #rock musician

粘土に気をつけろ Soigne ta argile

 

工藤冬里

 
 

凛とした」和服汚しが英吉利にも
三十路兄さん桜トラスと
桜とラスト ビールはtorus(宇宙ブリューイング)
Truss is marching in

巨石を積みモニュメントの点在する、近所で一番豪華な造成地が死者のための庭園だというのはおかしいと思いつつもよくそこの自販機辺りで寛いでいる
無教会派の合同墓碑があり一人の名前が削り取られている

海水中には50億tある全ての金を
途中で止める
トンネルも掘らない

なんてこった今頃蛍https://youtube.com/shorts/4FS6eN2rX7E?feature=share

ワンネスの間違いと調子こいた錬金野郎の老衰

形を変えた道教に過ぎないものに縋るな
年金が出ないのと同じ理由で逆転しない余生を死ね

レプリカ

鳴門の海で肌色の長石を見つけた
それを再現したくて30時間焼いたが失敗した
志野は最低50時間だが燃料費が捻出できなかった
今後は胎土を混ぜて15時間でやってみるしかない
半透明オレンジなどという結果を想定すると焼き物は途端に難しくなる
歴史に弁証法など効かないからだ
撒いて、刈り取るだけだ

声を知らない
知らない声には付いていかない
腹話術師は任命
変形した声が形になり

我聽了兩個四川樂隊
https://wvsorcerer.bandcamp.com/album/mountain-fog

足立さんにとっては日常から羽田に突っ込むのを半世紀待ってとうとう目の当たりにしたわけだからそりゃあやる気になるさ
恐ろしいパワーが集まっている粘土に気をつけろ
身体を額縁で覆おうとしてもタイトルは必ず僥を抑え込む
即興詩人より即興舞踏の方が易く感じられるのはそのためだしそれ故の途方もなさをも(5歳のリュウセイオー君のような)言葉抜きのダンスは併せ持っている
それでも何かひとつ、と無理に名付けるならば「先に手が出る」が唯一の仕切りとなる

天蓋の雲の、滞留することのない抽象はフラクタルでしかも重層になっている
空に昇る具象はすぐに呑まれてパルーシアは見えず、アキアカネが羽を付けて飛ぶ

朝顔は一度咲くと次の日は咲かない。次、次、という感じである。次、次、というのはひとを刺していく表現である。次、次、とずれ込んだ秋を刺しているのである。

みずをのむことができるので
えいようをとることができています
みずのじゅんかんのほうそくです
いとしたとおりにものごとははこび
ちからをもっている、ということがわかります

スズメの次にアシナガを殺した
スズメは離散しただけだがアシナガは巣を叩き落とせないのでぼとぼと落ちた
黄色と黒がこんくりの上にぼとぼと落ちて

コクミンをうちやぶる必要があった
どのように崩れ去ったのでしょうか
焦げたクッキーの城壁
から赤い紐
首が鳴る
もうながくはありません

サラ地にする粉にするイチヂクを植える
待ちたいと思います

discern, perceive, reveal
ケヤキのjigsaw puzzle

人間では退治できない

 

 

 

#poetry #rock musician

山の道

 

工藤冬里

 
 

抽象化が以前ほど称揚されないのは、抽象化が教えるものが世界平和ではなく狂気であるからだ
止揚の果てが戦争であることを銘記することを自然化と呼ぶべきなのだ
いま具象で大事なことはシンボリックをイマジナリーと切り離すことである
ヘーゲルはそれを夜と呼ぶ
だから模索舎前で闇鍋、は正しい

ソファーに座って脛骨を鳴らし
映り込む暗い背景を比較する
外壁は焼杉
山の道許される建築は少ない
許されないアイスなら売っている
山の道

FSAL未空庵、行けない代わりに湯呑みを24個送ろうとして、黒猫運送のタブレットに〒検索から入力できないことから、京都では、通り名と官の地名とふた通り使えることを知る
地点と記号の、デリダ的な、一対一の幻想が崩れるのが良い

検診の人が危ないのでスズメバチの巣をマクラウドの棒(モップの柄に留金がジャラジャラ付いている楽器)で落とした
彼らはまだ右往左往してかわいそうだ

巣を壊されたスズメバチの
待つことが希望だったのか
希望を待っているのか
エグザゴンに疑念を植え付ける
きみは愛されていない

全ては温度だ
レントゲンで内部を診ても
きみの場合ただの腑分けだ

ものづくりが工業デザインに限定されるようになって日本は限定されなくなった。なぜ平仮名や片仮名なのかさえ口を挟ませぬ昭和であった。油彩科から逃げるのはいい。しかしそれこそをユサイ化すべきであったのだ。
24日は松山でオンガクをやることになっていて、たいばんは知らない。宣伝に夕食とやったゆきてかへらぬが流れている。そういう物を求められているとき、デザイン主義者としてではなく油彩画家として登場するのが正しい村八分だ。

Los ríos vuelven al lugar donde nacieron

外山には石は切るもの、切れるものという認識があるように思える。これはもはや単味としてはここにしかない陶石を使った世界一贅沢な石垣である。

人造セメントにはまだ再考の余地があると思う。コンクリートブロックの失敗は即ち文明の失敗であった。

https://youtube.com/shorts/B-uYeGtAm7Y?feature=share

 

 

 

#poetry #rock musician

NOPE And I will throw disgusting things upon you, and I will make you despicable; and I will set you as a spectacle. Nahum 3:6

 

工藤冬里

 
 

反復させないために没頭する。上らせないために裏返し続ける。


だから写真を見ても顔のない人は安心できる
顔のない人は結構沢山居る

世知に長けた大人の権化のように見える白いYシャツの為政者たちが心の中では偽キリストの体系を受け入れているというのが大変に興味深い。顔が想像界だけではないなどと褒められることがあるが単にそういう理由なのでその論法なら大敵対者が満点を取るだろうし、顔は見分けがつかない位の普通でいい。

リモートの顔の近づき方で近づいてくる顔の
すっかり変わってしまった近づき方に
もう無理かもしれないと思って近づく
あゝ近づく
限りない、限りない近づき方で
近づく

 

ホテルの露天で寛いだことなどあっただろうか
それはいつもそれを想像している間だけのことで
永遠に現在を楽しめない仕組みになっている

現在というやつがどうにも好きになれない
呼吸に集中とかいうけれども
それは逆にどんだけ嫌いかってことじゃないのか
並行時空の未来を希望と勘違いしてるだけで

その点大塚の美術館はフェイクだから安心だ
引き伸ばされるだけだからだ

原本がないことが安心感を増す
現象とは夥しいコピーの比較

 

https://twitter.com/vegryn/status/1516961836607934464?s=20&t=5qIKfhrmRG_Ky4fbVamXTA
肉食を止めさせたい勢力は(エルヴィラ)フォルカー・シュペングラーを屠殺場に連れて行くが彼は子供のようには吐かない(儚い、墓ないと変換される)夢でin einem jahr mit 13mondenの粗筋を反芻する牛のように

 

廃炉が歩いている
四つある項目の内、1970というのがどうもそぐわない
彫刻家と違って虚でなければ成立しないからか
山の向こうは海
天草を干すと獲られる
ここは池の上
胸は心太
内腔は天突き天を突く

 

刻一刻と後悔しかなくダメージは大きい
痺れとは断続であり人生のストロボである
若いうちに喜びなさい
責任を問われるけれど
死んでも部分的には瑞々しい
綱渡りで大人になる
言葉遣いを真似して台無しに
幾何学模様はなかった

 

 

 

#poetry #rock musician

君のため夏は終はりと叫びをる拡声装置としての野のゆり

 

工藤冬里

 
 

いくらうぉとおもおうと愛媛県民はラベルだけ古めかしいがサッカリン入りの醤油のようだ
じじつ、石油由来の家壁ばかりじゃないか#愛媛県民
https://youtu.be/z_YbihrPTqA
https://youtu.be/LIoQZbmftVM小石川やラママが出たのはお盆でコロナだからだよな⁈
現実界とは捩れの上に咲く「メニューインのピアノはいいね、みたいなことだ
芦屋のパン屋か
お手伝いさんが居るって?
神と女はヘルパーだよ
ヤミガエル一雨ごとに秋ですね
サンダル下駄スマホの結露が秋だった
白痴も李さん一家も同じで決して作者の思う現実には辿り着けない
ソフィスティケイテッドされると堀江敏幸やノイズエッセイになるだけだ
ララミー牧場は違う生首だ
でも撥弦にノイズはあるからプロじゃない
プロ肌足だからこそのリアルなのだ
狂え狂えcruel sea
con/templ/ateでもponderでもなくmeditateをじっくり考える」と訳すことで瞑想から切り離そうとしているが、曖昧さ回避ほど曖昧さの深淵を覗かせる言い方はない
珪石に比べて長石は人間的な物質である。緩衝材のようでありながら溶け方が0か1しかなく、作業がとても汚れる。反凝固用にバリウムを入れる話を聞いたことがあるがやっていない。スイスの、窯に飛び込んで自殺した作家の志野を見たことがある。クリームのようだった。重さは気にならなかった。
サマルカンドで今
https://youtube.com/shorts/Iavw-lwsqU0?feature=share

人口て勝手に数えちゃいかんみたいですよ
数えんけりゃ削減もないし天下布武ゲー脳にもならんし
逆に死者の数は数えてええみたいやのに君、数えれてないでしょ
キャンペーン · 私は最低賃金+40円・手取り9万8千円で働く非正規図書館員です。図書館の今を知り、未来のために署名をいただけませんか?· Change.org
https://twitter.com/asano_asa6/status/1556041374142984192?s=20&t=_GtLY5n75FwZfwXCjg6oiA
図書館車だと月4〜5万しか貰えない
年金は予定では合わせて3万くらい
家賃にもならない
月給10万とかすごい羨ましい
20万なんてブルジョワと思っちゃう
古いのかな
食べ物は大体もらい物の胡瓜とかが多い
あとはバンキャンでカラオケ売ったり
イベントでカレー皿とか売ったり
Te haré perspicaz y te enseñaré le chemin où tu dois aller
歌うと鳴らすは随分違う
鳥に感情があるということは恐竜も歌っていたかそれともただ鷺のようだったか
化石の羽毛の色素が特定できるようになって随分イメージが変わった
存在しなかったという意見があることも知った
人間牧場やりたいんだったらマックと牛丼を無料にすればいいんじゃないか 人造肉にして
自分の名においてやれば満足が得られてwin winだ
FM

低い声で3度ずらし
やっと立って
花のおもさで倒れて

暗いみらい
杉を切り出すかなかなの去った山に
ユリの味蕾
におわないのは現場監督の後遺症

石積みの背教
騒乱節のヒブルー
ワクワクしない

キリンでさえウクライナ西部の腹に届かず
彼を助ける者は誰もいなかった
圧力をかけられ首の骨も食べられた
森林の音とそっくりだった
妻はオムレツのように手の周りを過った
石の滑らかさのように咳は飛び出した

黒すぎるベタ塗り部分が楽しげな編みかけの籠に沈み
鳥や百合のように喩えに使われた
白バイの埃は四角だった
いらんことを言って時間が過ぎた

個人の平和は三分の一に過ぎない

パスワードは24の瞳から構成されている
あらゆる素材に通じた建築家を迎えに行く
電光掲示板でしか離着陸は分からない
パーキング病に罹った車も入れた
蛇口からは一足お先に龍とみかんジュース
飛行機でやってきたのではない
投げ落とされたのだ
山が平和を丘が正義を
一人一人の命が尊い
太陽と月がある限りとはなくなる時までということ


百合は大体花の重さに耐えかねて倒れて終わる

花弁だけが落ちる場合はこのような雄芯が残る

https://youtu.be/ydreYat9QqUhttps://www.asahi.com/articles/ASQ853G9LQ7XUHBI028.html?iref=pc_rensai_article_short_1581_article_1
蕎麦猪口好きなら能登呉須が江戸後期から鮮やかな輸入コバルトに代わるのを知っているだろう。あの空間恐怖の青はいけない。李朝では勿体無いからと薄めて細い草を描くだけだった。

El hombre que tiene entendimiento encuentra orientación experta

豆粉のヌードルのパスタでラーメン屋やったらいいと思うよ
ジェノベーゼとか油そばと言っても過言ではないし
それにしてもうちの畑の土はバジルに向いてる


うちでとれたブドウですよ
器は有明のアカツキポッターズギルド

近所の天一が潰れた
環状線のドンキの向かいのはまだやってる
今風のものに変えた器形をまた元に戻してみたりした頃から景気もおかしくなっていった

秋はいいね!の数を比較して泣く
like駄句:くだらない句だ、ライクーダー。
切り替えてっつうか下ろせなくなって

あらゆる素材に精通した

大きな門構えで国道沿いで他を圧していた大黒屋が潰れた
知り合いがバイトしていたように覚えていたがそれは近くのそば吉だった
焼肉屋は昼にラーメンを出すようになった
2軒、そうなった
ガラ系と家系である
沖縄料理屋の子らは多分北吉井に編入するから会うと思う
場面緘黙という言葉を覚えた

いつも蜘蛛の巣が顔にかかったり虫に刺されたりしていると自動律の不快などということは当たり前になって屋根裏の散歩者じゃなくても(そもそも屋根裏なんて無い)ミシミシなる首ごといつかボキっと折れる時代になった。つまりはラカンがカントを飲み込んだのだ。
自明の不快と際限のない享楽だけで。
きっとAIのブランショやバタイユが現れる。その方面では人は馬鹿だからだ。
万能感で想定出来る人材はみな削った方がいい
人類は万能感で削られてゆく。ある時点で一瞬で片がつく。0か1だ。
あゝ不快だ
Wi-Fiの飛んでいる場所が神聖な力の代わりになるなんて

夏も終値
https://youtube.com/shorts/dT5Hob5sQM4?feature=share

He peleado con animales salvajes

工芸の具象と抽象
百合と柘榴の銅の井の頭柱頭
パーラー跡地の永山則子

もうだめだ
ブルースの余地もブギーの余地もない

鉄と粘土の時代に於ける鉄の妄想と粘土の妄想が熔け合う
ところが鉄の妄想は粘土に於いて具現化し、粘土の妄想は鉄に於いて具現化する。それで見える形になった無意識は常に最初に抱いた愛とずれている。
一枚岩の中に衝き上げられた断層が捩れたまゝ風化したのが現在である
風化物を使った3Dの再設計はAIが行う
だから全ての作品の素材は轆轤に乗せられない砂である
それを大自然のなかで行う

https://youtube.com/shorts/BfEebqxV2sM?feature=share
川の花火が今年も中止になったままツインドームの辺りから予告なしに続け様に10分くらい
下池の土手に上ると良く見えるので知らない父娘と知らないカップルと、余った爆弾の処理のように、余った家族の処理のように、いくつかの言葉を交わしながら見た

 

 

 

#poetry #rock musician

いっしゅんで充満し、いっしゅんで遠ざかる

 

工藤冬里

 
 

家原さん
外から見れば無音じゃん

現存するイノシシ旅館で72歳の男が死んでも誰も騒がないご時世になった、そうだ、レコード盤を裏返す手つきがナベサンのマスターに似ていた
https://youtu.be/1VOJi9Lwg-o/
申し訳ないけどもう少しプログレ喫茶で酔っ払っていたい
https://youtu.be/_Sls_QCMG2Y/

苦さの活性化のようにして残暑
空の冷蔵庫から夏の思考として氷

「窯にまかせて」じたいに中立的チャンス・オペレーションの妙があるのではない
「窯にまかせて」という決断に偶然性があっただけである
つまり何故「窯にまかせて」かを知らずに「窯にまかせて」いるのである
その点人間は人間ではなく器に似ている
磁界のバランスの中で浮いている重さは数値の多寡を問われない その揺れは定まらず刻一刻と純粋経験を積む
tu dois はil fautとして、恰も憲法のようにして来る
持続が真に持続である時を待ち望むあまり持続は常に一瞬でありそれ故に求め続けることになる
人間牧場という言い方で貶められているのは 言葉を刈り取られる羊である
リックライトやギルモアが囲むようにしてはじめてバレットの標野wasteが不在を確証され、あのno man’s landのサインが境界線上に掲げられる
突出したニュースたちを話題にしてはならない
突出するものがあるということは相対的に沈み込む関心事があるということだからだ
例えば「統一」と発した時に下降してゆく澱を掬い取るようなまだ生きている人たちとの対話の可能性があるだろう
イデオロギーもひとつの宗教だとすれば政教分離は不可能なので面倒くさくなってその勢いで政・教双方の廃絶に向かわないだろうか

穴子は炭火をよく熾して決して裏返さず、皮面だけを焦がす 鱧もそれに準じて裏返さない 目玉焼もそれに準じて裏返さない
なべて裏返さないでじっくり

我思う故にとかじゃなくて主体とは恥が五割罪五割の裂傷に過ぎない
「べからず集」が欲しいだけなんだ、と三谷は言った。
アート独裁

Sigue venciendo el mal con el bien
「べからず集」がなくても音楽はできるが親は恥をかく
頭蓋がよく分かる
先が尖って
目尻から蟀谷に稲妻線がある

遠さと近さに濃淡はなく、限りなく遠いか限りなく近いかのどちらかしかない
だから遠さを利用して隙間でどうこうしようというやり方は立たない
常に少数派が正しい情況の中で、清和会潰しのようなことを表にするという南極なしの戦略でしか進みゆきがない、と地の球軍団AIジョーのエヒメ新聞コラム
詐欺を見抜き全力疾走で阻止西垣生コンビニ店員48歳の笑顔

豆の鞘
主体ずたずた

国際食豊かな母が子を煮たのである
あ喉痛いコロナかな

広い洞窟に階段

目玉焼きの二階から銀天街をモップ拭き

“reality”とオーダーしてAIに描かせるとバグる
では、と”real world”で指定すると、VRを装着した男が立っていて、こちら側にwaste landふうの標野が映しだされている

ニーチェは七日目に関する法的時間軸がずれている。「われわれ」は八日目の休みの国に向かうのであって、一週が七日である間はブラック企業のごとくに働くときだ。
そこではすべてがいっしゅんで充満し、いっしゅんで遠ざかる。
キョリは時間だ。時間は、労働だ。

タイトルを決めようということになり僕はアルトーを念頭に身体が思うように動かないと言った。それを踏まえて思いつく言葉を出し合って羅列しようとなったときガセネタの諸君は蠢くと言い、灰野さんは気配と言い、金子は「傷」と言った。今となっては主体が外傷的であることが際立っているのではないか。

https://twitter.com/simoneweil_bot/status/1558069061543571457?s=20&t=XzAFRVoiZeggiW9KZPjBNA/
だから裂け目なんだけれども、息も風も”フォース“も全てプネウマの一語で括るから余計にそれが目立つような仕掛けになってるんだよ

水脈の言おうとしていることの中には正しさも真実もないが、言っていることの中には彼女を離れた一面の正しさがある。もちろんそこにも真実はない、大体そのような構造になっている。そしてリベラルはその逆ではない。その捩れが都合良く現実を作っている。

シドバレット(様)が庭で「今日もひとつ音を殺したよ」などと宣っているロック雑誌特有の浅いマンガがあったが 、彼が囲い込んでみせたのは現実界そのものではなく、no man’s landという囲いに過ぎない。現実界が存在していると思った時点でそのベクトルは不能性を帯びる。心はそこにあったとしても。
伊牟田はその線を引く男だった。接する界面の、内側に拡がるその原は、牧場であるらしかった。
半野田拓もこの前新作を渋々呉れたが、明石海岸のホセ・マサダがマーク・ロスコの抽象をやっているような趣きだった。
家の近所に沖縄料理屋が出来た。モンパチのドラムと釣り友達らしい。
意識して眠ることは出来ない。睡眠は常に寝落ちの形でしかやってこない。それをコントロールしようとする意志は裏返った夢だ。

かたちとなかみのちがい
なかみはない
ないなかみのかたちがかたちなのだ
焼き物に良い形、いやな形があるのはそのためだ
その人が良い人だから悪い人だから良い形嫌な形なのではない
唐九郎と魯山人の違いとはそういうことだ
なかみのあるかたちはない
なかみのないかたちというかたちがあるだけだ
焼き物とは眠りながら作るものである
げんに窯屋はてれびを見ながら湯呑を挽いている
マイケル・カーデューの息子も首と肩の間に携帯を挟んで電話しながら轆轤していた
乱入してくるものに気を乱されるようではだめだということだ
無意識の回転がロクロのかたちだからだ
陶芸教室の作品は中身のオンパレードだ
仕事量の多い名作かもしれない
でも中身のない信楽の土を使った中身の表現は、器胎が眠剤飲むような中身のオンパレードになるのだ
眠剤導入という形が無意識とシュールの沃野を殺し
さつりくのかたちとなる
あゝとうげいきやうしつのやきものはちをながしてゐる
きみは食卓に血を置きたいだろうか
否だ
置くべきは骨だ
イエスは復活したがマリアが識別できたのは声だけであった
血と肉と骨は型式であった
それは粘土から造られていた
声とは息であり、風であった
それはプネウマと訳された
それは一瞬で充満するものであり、いっしゅんでとりさられるものでもあった
わたしは声ですと荒野のヨハネは言った
彼の音楽形式はラクダの皮の衣服と食物としてのいなごであった
それはジュビリーを待つパンクスに似ていた
風にそよぐ葦(Reed)を観に来たんじゃないだろ?とイエスは言った、
「ヨハネのプネウマを聴き取ってオレのロックンロールトレインとジョイントしようじゃあないか。」
その引用の形式によって、イエスのアップした全ての動画は父ではなくYouTubeから著作権の申し立てがありますという警告を受けた
音楽はジュヌスと呼ばれる束の配列であり束の組み替えが演奏であった
塩基配列の組み替えは、なまじヒトがやると種の絶滅をもたらす。音楽が死だとゆうのはそーゆうことだ
だからあ、やめた方がいいんだってば作りに行くタイプのやつ

ユリにおわない
コロナかなあ


三幸の柿の種が復活
「ピーナッツが少なくなったような気がする
「からい
と言いながらも
「量が丁度良い
「パリッとしている
など褒め言葉も

やっと思い出した 8-10死水秋道、5-7漏水夏道、2-4若水春道、11-1泥水冬道

https://apps.apple.com/jp/app/radio-garden-live/id1339670993/
異化とか脱臼といった言葉が廃れて久しい。地上波と衛生波が一足先に統一政府を実現してしまった。
笙やガムランバンドのベクトルが折れるのはそのためである。尚且つ異化も脱臼も封じられた居住区に我々は居る。武器を現実界に持ち替えてもウクライナや奈良でそれはひろがりを持たない。欠けているのは不参加と無音のパブリック放送への意志である。

https://m.youtube.com/watch?v=xZnmJE1XIoE/
沖野さんフジロックの森山さんの時シンセ鳴らしてたけど元ネタはこれかな

真実に寄せようとすると悪場所を歌うしかないのでその代償にストンとした顔になっているがそれは戦争前夜の黒いドブの上澄みの透明であって正しさではないから光ってはいない

「居直り」じゃないかな今年の、お坊さんが書くやつ
「居直り」と「粛々」が合体した感じ
でもそれも延命のための演出だ

 

 

 

#poetry #rock musician

holy day

 

工藤冬里

 
 

Aug1 Separados de mí, ustedes no pueden hacer nada
漢字混じりの角が立つのか眺めているといらいらする

Aug2 Estos dos reyes se sentarán a una misma mesa diciéndose mentiras el uno al otro
うすやみにかなかなをきくはまれにしていつころよりかあきらめてまつ

音楽は倫理ではなく技術にすぎないので
分断?なにそれ、という感じである
身体性という器に関する即興的な技術があるだけだ

Aug3 Yo Seré lo que Yo Decida Ser
全体とは欠如である、とすれば政治的全体は充満ではなく、%で表せるものではない
空のバケツに手を突っ込み合うようなものだ
突っ込むならolé!と間の手を入れるテオリアでありたい

ペロシです

ちゃん系バンドのチェーン展開でしよ食べないけど

取り去ったのは
付け加えたのは

ヒカルがジョイフルとコラボした焼肉定食を食べた
見回すと皆ヒカルの焼肉定食を食べている
僕も「これでヒカルの焼肉定食を食べたと人に言える。」と思いながら食べた

Aug4 vida y aliento
歌には乗っかって歌うやつとぶら下がって歌うやつの二種類しかない
その聴こえ方は虫や鳥の音が混ざり込んで現前するものと遮断するものとがある
あと,会えなくなってもキャラ化して泳ぎ回る記憶と、そうでないやつとがある
生きてきて分かったのはそれくらいだ

ガスパッチョ
キュウリとトマトとピーマンをミキサーにかけ、
オリーブ油とクミン、塩とヴィネガーで味をつけて水に浸けたパンを一切れ浸してできあがり
冷製スープとして非常に優れているのみならずキュウリ地獄から抜け出る一条の光

軟禁されていることを忘れて
状況が変わる時改めて意味を持つようになる

Aug5
https://twitter.com/tsukamotoK_bot/status/1555513115940618241?s=20&t=ce9yIn1-oOZAS3mVbqIU8Q
死に方を色で分けむず

https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu3/toushin/attach/1332145.htm
炭素年代測定法

Aug6
https://www.craiyon.com
AIに描かせると皆フランシス・ベーコンみたいになる
集合的無意識とか一般意志の視覚化を狙えると思った
裏はない
世界に裏があると思っているうちはまだだめだ
表が裏だからだ

Aug7
traveler’s joy
クレマチスの仲間で世界中に咲いているらしい
traveler’s joyで検索すると南アフリカのホテルが出てきた

練習しないとやれないような音楽は必要ない、
という言い方が成立するのは今だけである。
終わりの時のための音楽は志向するものではなくずるずると中身のようにして付いてくるものである。

Aug8 ¡Basta ya! Quítame la vida

 

 

 

#poetry #rock musician

peace frog*

 

工藤冬里

 
 

カレーに転身
胃瘻に検診
尾籠な塁審
ティンカーベルは陽性
なので反共とコミュニズム、自己否定としての反日と自足としてのナショナリズムは金の出所が同じだったと思いながら思いつつ
犀のように吐きながら進め
雑魚はいいからカメラは国連と政教分離のトレンドのみを追え
願わくば私が仰向かんことを!
記録的短時間大甘情報
付き合いもあるし、腸内菌の嫉みの際にも手伝ってもらっている
openfield with no child
ドブ胡瓜のインド屋台風
ドブ胡瓜は極限まで細く縦切りにし、それらしいスパイス全部入れて炒める
裂けトマトなどあればそれも潰して混ぜる
砕いたインスタント麺を入れ溶き卵を加えて数分で出来上がり
非常に量が増すので二人分でも多いくらい
冷やし胡瓜の深沢七郎風
胡瓜は極限まで薄く輪切りにし、冷たいご飯に乗せる
冷たい残り物の味噌汁を掛けて出来上がり
鯛の擂り身などがあれば伊予薩摩と呼ぶこともできる
あとは
・メロンと思ってスプーンで食べる
・冬瓜と思って煮る
など
それはどんなジャンルなんですか
えーっと,例えば、純粋な数式だけを音にしてるんです
昭恵は徹也を許すチャンスを逃さない
peace frog
腐る服を着てインスタにアップしながら
技術は
いやに黄色い
熱り立った人を
水と思え
竹籤は折れ
瑠璃は逃げる
お気持ちはよくわ分かります
からきしだめな
オルナンはアラウナ
神罰でさえ良いこと
水を探り当てる
Take away from me the noise of your songs;
for I will not hear the melody of your viols.
紙が飛ぶ
すぐに腹を立てない 
万札と思って追いかける
裁判官が目撃証人
何回も洗濯して白が褪せている
職場では無理だ
四国だけ井戸にするとかスーパーやコンビニをなくすとか集落ごとに電気を自前でまかなうとか山を掘って住むとかは八十八ケ所的結界妄想と出所が同じだったが、エデンは最早展げるものではなく覆うものなのだとしたらグローバリズムにも積極面はあるということになって笑いが込み上げる
理由を見つけて
靭帯の平和
ひとり
いろいろ
善悪を判断する機能は?
違いを楽しむ
人の舎弟を批判しない
分画はどの時点で血ではなくなるか
ネオンは輸血していい
自分の感覚に従うのは良心に従うのとは違う
謙遜温和辛抱愛
良心は詩ではない
森山さんシンバルキレイね#フジロック
ワタラセはカモガワみたいだったけどね
時間を轆轤にかけて細長く筒にしているだけではないのか
「私が人間であったことなど一度もない」エマヌエーレ・コッチャ
一致する理由しかなかったがそれでも憎み合う理由を見つけた
一致する理由はなかったが一致した
靭帯の伸び縮みが平和
違いを楽しむだろうか
アル中だろうか
一生は素早く過ぎるので
腰掛けだと思っている

料理を削ぎ落とす
貯蔵はできないわ

https://youtu.be/22GEvDupWGo

 

 

 

#poetry #rock musician