最後の努力

 

工藤冬里

 
 

教えることはひとごとのように共に考えることに変わり
それでもそのひとごとを行為の契機にする動機付けを与えるための視覚効果が工夫されていった
走ることはたのしい
と言い聞かせるアスリートのように
一度は黒焦げになった頭蓋を焼杉板にして
塩害防止の黄土を目と耳に塗り
シナプスを組み替えていった
そんなふうにして
真珠採りの筏の家族は
最後の努力を
最後まで続けていった

 

 

 

#poetry #rock musician

pass over musings

 

工藤冬里

 
 

釘を踏み抜いて土方が出来なくなり、日野にあった血液検査のラボの徹夜の仕事に変わった。皆肝炎に罹って辞めていった。肝炎は勲章のようでさえあった。休憩室のMTVではレッグウォーマーのマドンナが「ライク・ア・ヴァージン」を唄っていた。そこで知り合った男からSGを借りて、週一で「unknown happiness」とか「河口湖畔にて」といった曲を練習していた。人体内部の病巣を見すぎて顔面がボコボコに腫れるので米軍基地の草刈りの仕事に変えた。朝、岩田を起こしてはキャンプ座間やキャンプ相模原に行った。その頃はよくダモのDUNKELZIFFERを聴きながら仕事していた。ライブは自分で企画しようとすると、国立公民館以外にはできそうなところはなかったので大抵はそこの地下音楽室でやっていた。貸してくれ易そうな「常磐会」という名前にして申し込んでいた。
マヘルが自分で発表したアルバムは、一九八五年の「マヘル・シャラル・ハシュ・バズ 第一集」と、「pass over musings」という二つのカセットだけである。「・・第一集」のタイトルは、「サヌルリム第一集」からの借用で、以前のNYの断片や、今井次郎ベースの京都のコクシネルなども入っていて、マヘルというよりその時点までの集大成的なニュアンスが強いが、「pass over musings」は純粋にマヘルで、テレヴィジョンで言うなら二枚目である。タイトルはジョイ・ディヴィジョンから取られていて、誰もその歌詞の意味を考えてみようとはしなかった八〇年代初期に、瞑想を拒否し、黙想を黙々に伏して、中天から家々の戸口に付けられた血を確認しようとしている。ジャケットの写真は浩一郎が釜山で撮ってきたもので(当時の釜山ではメイヨ・トンプソンとデヴィッド・トーマスの絵葉書が売られていた)、赤い文字部分は当時の、一字一字シールを貼るやり方で作られている。国立の北口から恋ヶ窪の方に上った台地にほら貝のスタッフが始めた、当時は珍しいピザのテイクアウトもできるハイカラな店が出来て(ヒッピーというのはいつもハイカラなものなのだ)、そこで三谷がカセットのダビングをさせてもらって編集して作った。作れば五〇部は売れた。それが昔も今も変わらない「スマートなオーディエンス」の規模であった。園田による録音が残っていた八六年二月の国立公民館での演奏は、「pass over musings」の発売記念として企画されたものである。対バンは光束夜で、彼らのその日の演奏もレコードになっている。

 

 

 

#poetry #rock musician

姉ちゃんとおんなじ車に乗っとんのにしょっちゅう修理に出しよるわあ

 

工藤冬里

 
 

世界電池に腐った金柑
謙遜な貧乏籤の男
違いを再び目にすることに
患難とか処刑とか
南らしい真逆のイントネーションで
両親を選ぶ時自分が入ることになる胎を

 

 

 

#poetry #rock musician

アンドロイドはキャンプホレブの夢を見る

 

工藤冬里

 
 

あのまま行ったら
どうなってたかわかったもんじゃない
三角の
斜面だけに生きて
香川の雑煮の餡は泥井戸に

もしコロナがなければ
死んでいたかもしれない
坑に下って

僕から僕を引き剥がすために
コロナが興ったと
言えなくもない

そうすると
とんだとばっちり
ということになりますか
みなさん人類には

掘れば水が出たかもしれないが
掘る前に川となり
井戸から飲む前に出発した
そんな風にして
三八年僕に付いていった

 

 

 

#poetry #rock musician

poeta

 

工藤冬里

 
 

なんで立って歌わないんだ

いつの間にか大きくなって
これじゃ町で会っても分からないなあ
そうか辛抱するだけじゃなくて
お茶を入れてあげたり
今はそこだね
まあいいか

立って歌え
土地の境界ずらすな
ギンと罅割れ
包丁持って
蕎麦植える

高千穂と闘って
三百万の宿営を掻き分けて
山羊捨てに行く

蟹の甲羅年跨いで繋がって
コーヒーミルで蕎麦挽く

そっか辛抱するだけじゃなくて
お茶を入れてあげたり

 

 

 

#poetry #rock musician

保護膜は破れて言葉は

 

工藤冬里

 
 

ひっそりと越していった
色んなポーズで寝ていた
結局地下室は掘られないまま
常に泣き笑いの顔をしていた
よくインパクトを借りに行った
マキタだった
保護の膜が破れてから言葉は
文字型の木の玩具の剥き出しのようだった

 

 

 

#poetry #rock musician

dark house

 

工藤冬里

 
 

災厄と混ぜ合わせて逃げ切ろうとする暗い馬が多い
腹を揉んでいたら悲しくなり
白い馬を呑んだ
逃げ馬が大井から逃げて
羽で道路が塞がっている
爆弾巻き付けペガサスは
JALのロゴを毟り取り
穴と砂利のwastesとなった茅場町の萱鼠の
総武線に対してさえいつも
黒眼勝ちの真顔でありとある失敗と紛失に関し
落とし物センターへの祈りのように開いている
白目の多いのが人間の特長だが
健気に対してはまなこ荒れの御節の黒豆
逃げ切ろうとして

 

 

 

#poetry #rock musician

首の痛み

 

工藤冬里

 
 

写真の女性はかなりの確率で体の暖房全部切って街角に立ち尽くし、俯いて携帯画面を見ている
首を吊れば体温と気温が一緒になって S字の頸椎も直線になるがその代わりに十世代前の非嫡出子の記憶を無理に放流するので結婚はせずに消滅した方が良いのだといった挽歌の蛇行が痛みの三日月湖を作っている

 

 

 

#poetry #rock musician