放浪無残

 

駿河昌樹

 
 

空白空こはいつの放浪無残老耄の母がみている海の夜の砂
空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白馬場あき子

 

文弱ということばがあるが
これをもっとも嫌ったのは三島由起夫で
文弱の徒と呼ばれないために
必死に文武両道を気取った

腹まで切って
首まで落とさせたのだから
たいした人生演出だったが
いざ遂行してみれば
あれは極端なまでの文弱の裏返しだね
と腐されたりする始末

そんな下馬評ばかり飛び交う時代を
幼少時にながく見てきて
腹切りまでしても文弱と言われ続けるのなら
プルーストのようにコルク張りの部屋に閉じ籠もって
じぶんの妄想世界に耽溺するのも
中途半端な維新ごっこより
突き抜けた生きざまになるかも
と結論するようになった

文弱の徒でなかった文士は
はたして
世界のどこにいるのかしらん
と見まわしてみても
ほとんどいなくて
皆どこかしら
太宰治していて
人間ひとりの生きざまとしては
やはり避けたいようなケースばかりだが
スタインベックなどは
ちょっと格好いいかもと思った

ふだんは肉体労働者をして稼いで
長編を書くときだけ
ガーッと集中して書く
それが終わるとまた肉体労働
高校卒業後にやった砂糖工場労働からはじまり
大学入学後に休学しての
牧場労働・道路工事・砂糖工場労働などなど
大学中退後の大不況下の田舎生活に
生活保護や食料泥棒

このようにしてしか
見えない社会や他人たちや人間なるものがあり
他人からの蔑視や差別や罵詈雑言を受け
金銭不如意をしみじみと肌に帯びて
そうして
まれに疲れのすこし癒えた時にペンを執る人にしか
書き込みようもない細部や
キャラクターや言葉の綾というものがある

放浪無残の人生のさなか
東京でホームレスをやっていた時期さえ
わたしにあることなど
もう
誰も知らない

 

 

 

ピカドン🉂

 

工藤冬里

 
 

原爆ドーム横の黒いビルがその直角をこちらに向けて陰翳のティンクトゥ―ラを分けているその直線のみが感情を捉える

いかにも無宗教のモニュメントの空洞から、水、火、ドームの頭、の順に見通すその設計は「マリエンバード」の直線を思わせる

セレモニーからは外れた場所にあるモニュメントは三六〇度から見上げる視線に晒されているその陰翳を分ける直線が無い

白茶けた復興のなかで黒い線は行き詰まっているその八月六日のセミのノイズのなかで彫られていく白い線は光なのでデューラー以来の線から自由になれているかもしれない

再開発の手が入った駅前の一角のお好み焼き屋「のん」で箸を使わないでと勧められるそのサンドイッチ様態のままの食べ方できっぱりと構造を分ける

現実平面に象徴層を定着させる手続き言い換えれば見えないものへの変換のためのフィルターを持つことは重要であるそのフォーマットを見出した人は幸いであるその人は暫しの猶予期間を楽しむ

尾道「ultra」に被爆者の遺品を撮影した作品があるその作者の石内都の言葉:どこかで生きているかもしれません。帰ってくるかもしれないんです。そのときのために、きれいに撮っておきたい。

彼らが本当に帰ってくることを知らないままその象徴界を広げるその道は滅びに至る幅を持つ

 

 

 

#poetry #rock musician

緑蔭や 戻らんと望む かの暮らし

 

一条美由紀

 
 


明日は今日の続きではなく、
明日は見たことのないドグマ
戸惑いも残酷な変化も踏み絵なのかも
人も歴史から見れば通過していくただの存在
でもそれでもと、探し続ける
だからそれでもと、求め続ける
無意味な行動も無価値な存在も
布石の一つだから
美しい何かを信じていく

 


いつも間違いを犯さない正しい人になりたい。
いつまでも若く美しくありたい。
それを得る為ならどんな酷く醜いこともするだろう。
ーと、
骨董店の奥に居座る人形が呟いた。

 


思い出は溶けて コーヒーの香りと同化する
行間に密かに あなたを気遣う呪文を忍ばせる
元気かしら?幸せかしら?

 

 

 

森のはずれ/侵入者

 

芦田みゆき

 
 

その森は
とても深く
幾度、訪れても、森の内部への路を
みつけることができない
あたしはただ、揺れながら
歩きつづける

その日、侵入者は
森の内部から
ゴウゴウと音をたてて過ぎていった
あたしはぐらりと傾ぎ
闇を振りかえる

無数の虫の声が聴こえる

 

 

 

 

 

 

 

 

ピカドン

 

工藤冬里

 
 

記念日前日の疎ら
花のない夏の淫ら
油絵具の上に塗られたアクリルの子供らしさは滑り落ち
直角をこちらに向けた黒い建造物が翳のティンクトゥーラを分ける

ドーム原爆
ドンピカ
と言ってみる
直線のないモニュメントの
あらゆる角度からは計算され切っていない陰翳のゆえに

 

 

 

#poetry #rock musician

MOYASHITA PORK。

 

工藤冬里

 
 

卵とキャラメル
ニワトリ
が出会って、
プリン
フリン
腐乱
が生まれた。
出会い
アイディア
イコン遺恨とイデア(ハーバート・リード)
って、


排除
排卵。
組み合わせ
ホーム列組み合わせ
って、未来
未練
かも。
公園
円光
縁故
の下に、ハイブランド
灰フレンド。
ハイブランド
灰フレンド
の横に、飲み屋横丁
蚤や!コチョコチョ。
ホテル
掘る手間
も珈琲屋
肥やし

レコードショップ
冷凍死体
もギャラリー
下痢コレラ
も、
混ざってくっついたら
どうなるんだろう。
ごちゃっと自由
蛆に、
ここは公園
御縁
豪炎
のASHITA
ATASHI。
その全部があたらしくなった
灰になった、
MIYASHITA PARK
MOYASHITA PORK。
さあ開業
蟯虫
回虫、
開園
快便
下位胃炎
です。
ニンゲン
非ニンゲン
田七ニンジン
ニゲンロンカフェ
も風
武漢変異風邪
も花
真田虫
も鳥
鳥インフル
も、
どうぞいらしてください。

 

 

 

#poetry #rock musician

焼きおにぎり

 

みわ はるか

 
 

ピッと赤く光るボタンを押すとガランガランと派手な音をたてて自分が選んだものが落ちてきた。
透明の蓋のようなものを手が挟まれないようにゆっくりと持ち上げ手を突っ込んでそれを取り出した。
生温かいぬくもりが感じられた。
写真で見るよりも小ぶりだけれどそれは紛れもなく醤油味が絶妙に効いた焼きおにぎりだった。

地元の最寄り駅に久しぶりに来てみたら、学生時代よく見かけた愛想は全くないがいつも大きな声であいさつをしてくれたおばちゃんがいなかった。
小腹がすいたときに食べたくなるようなチョコレートやスナック菓子、朝刊、雑誌、たばこ、ペットボトルのジュースや缶コーヒー。
そういった売り物が所狭しと並んでいた売店がなくなっていた。
小さな、だけどちょっとワクワクするようなその空間はたった1人で切り盛りしていたおばちゃんとともに消えていた。
代わりにやや大きめな自販機がどーんと設置されている。
その中の1つに焼きおにぎりが商品としてあったのだ。
おばちゃんは違う駅に飛ばされてしまったのかなと少し寂しくなった。
ただ、これも田舎のぽつんとした駅には必然な結果なのかもしれない。
時代は無情にも変わっていく。
でもどうしてだろう、たこ焼き、ポテト、お好み焼き・・・・・たくさん種類がある中で迷うことなく焼きおにぎりを選んだ。
ぼんやりと少しずつわたしは焼きおにぎりとの出合いを思い出し始めていた。

小学生低学年のとき仲のいい友達がいた。
よく土日には彼女の家に行ってお昼ご飯を忘れる程ゲームに熱中していた。
母親には宿題をしてくると言って逃げるようにいつも家を出発していた。
おそらく今も母はちゃんと勉強していたんだと思っていると思う。
ある時いつものように彼女の家に行くと、夕方から病院に行く用事があると言われた。
なんでも同居しているおじいさんの体調が悪くなり入院したという。
病院という所にほとんど縁のなかったわたしは同行させてもらうことにした。
夕方の病院というのはとうに外来診療が終わっているせいか薄暗くしんと静まり返っていた。
スタッフの数もうんと少ない。
院内も迷路のようで迷ってしまいそうだ。
その時ひときわこうこうと光を放っている一画があった。
3台程の自販機がみんなきちんと前を向くように並んでいる。
周りが暗いが故にとてもまぶしく感じた。
奥の2台は道端でもよく見るジュースやコーヒーが売られているものだった。
手前のそれは当時わたしにとっては初めて見る自販機だった。
前述の大人になって見たものとほぼ同じでたこ焼き、ポテト、お好み焼き・・・・・、そして焼きおにぎり。
どの写真もみんな美味しそうに見えた。
友達のお母さんはニコニコしながら慣れた手つきで500円玉をそれに投入した。
その時買ってくれたのが焼きおにぎりだったのだ。
友達と2人でわくわくしながら箱を破り醤油がかかってほんのり香ばしい焼きおにぎりにかぶりついた。
お腹がへっていたのもあってペロリとたいらげた。
2人とも口の周りに醤油をつけてもぐもぐさせながら顔を見合わせて微笑んだ。
友達の二カッと笑った時の歯と歯の間には茶色の米粒がいくつもついていた。
長椅子に2人並んで足をプラプラさせながら焼きおにぎりをほおばっていたあの時、わたしたちの間には幸せな時間が流れていた。
またそれ以上に自販機で食べ物が買えるということが当時のわたしたちには衝撃的な事実だった。
大人になって思うと、自販機に備えられているからある程度防腐剤が入っているだろうし写真ほど立派なものは残念ながらでてこない。
値段も普通に買ったり作ったりすることを思うと決して安くはない。
だけどあの時あの場所で光り輝いていた自販機にわたしたちは吸い込まれていくような気分だった。
堂々と立っているにも関わらず森の中で秘密基地を見つけたような気持ちになった。

残念ながらその友達とは高校から別の道を歩むことになり今ではすっかり疎遠になってしまった。
実家にいるというのは風の便りで知っているが今どんな風に生活を送っているのかは全く知らない。
ただあの時あの瞬間に2人で味わった驚きと幸福はこれからも消えることはないんだと思っている。