如月の歌

 

佐々木 眞

 
 

西暦2023年を総括する「現代詩手帖」の12月号を、ざっくり読んではみたけれど、どの作品のどの1行にもさしたる感銘を受けず、
それならむしろ谷川俊太郎翁が、今年の1月24日付朝日新聞の「どこからか言葉が」で書いている

  意見は言わずに 詩を書きたい私です
  書き続けるうちに意味に頼らない言葉が雪のように舞い降りてくる

の、「意味に頼らない言葉」の一語のほうが、よっぽどインパクトがあるんじゃないかなあ、と思った。

が、待てよ。
これまでおらっちの腹にガツンと来た、「意見や意味に頼る言葉」だってたくさんあったはず。
急遽そいつらを呼び出して、今宵の座興にしてみようじゃんか、と思いついた次第。
あえて出典は示さないので、お暇なときに探してみてくださいな。

*西暦2024年如月に贈る言葉10選

「われ、山に向かいて目を挙ぐ」

「舗道の下は浜辺」

「すべての武器が楽器になればいい」

「あヽ中央線よ 空を飛んで あの娘の胸に 突き刺され!」

「砦の上に我らが世界 築き固めよ勇ましく」 

「世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」

「中国に兵なりし日の五ケ年をしみじみと思ふ戦争は悪だ」

「人世に意味を! 詩に無意味を!」

「かれは、人を喜ばせることが、なによりも好きであった」

「いかのぼりきのふの空のあり処」

 

 

 

覚醒

 

たいい りょう

 
 

削っても 削っても
皮の下から 流れ出るのは
赤い血でしかない

蛆虫どもの蔓延る
この闇夜で
わたしは 目を閉じて
魔性の声に 耳を澄ましていた

赤い血は とめどなく 流れ続けた
まるで マグマが吹き出すように

わたしの意識は 朦朧とし 混濁し始めた

浮かんでは沈む 言葉の海のなかに
溺れていた

そして 痛みとともに すべての記憶が
覚醒した

 

 

 

武器を楽器に

 

佐々木 眞

 
 

能登半島地震では、家が潰れ、230人もの死者が出て、遭難者は寒さに凍え、
水や食物もなくて泣いているというのに、おらっちときたら、朝から晩まで、
コーヒーメーカーがコーヒーを抽出しない、と大騒ぎしていた。

ガザでは、悪辣非道なイスラエル軍が、おんなこどもを含むパレスチナ人を、
見境なしに殺しまくっているというのに、
おらっちは、昼ご飯をラーメンにするか、讃岐うどんにするかで、ごっつう悩んでいた。

ウクライナでは、怪僧プーチンが、おんなこどもを含むキーウ市民を、
ミサイルや無人機で、見境なしに殺しまくっているというのに、
おらっちは、川柳がうまくできないので、終日いらだっていた。

でも、
あっちは戦争、こっちは平和
あっちは地獄、こっちは天国

と、簡単には決められなくて、
戦火のさなかにいるひとが、かえって生き甲斐をかんじていたり
いっけん平和のなかにいるひとが、半分死んでいることだって、ありえるのよ。

でも、でも、
おらっちが悪いのか、そっちが悪いか、知らんけど
にんげんが悪いのか、神さんが悪いのか、知らんけど

いくさ、やめないか?
いくさ、もう、もう、やめないか?
いくさ、はよ、はよ、やめてけれ。

ああ、世界中の人々が願っているように、
すべての武器が楽器になればいい。
そうすればおらっち、もっと大きな声で、生きてる喜びなんかを、歌えるのに。

 

 

 

裾野を走る馬

 

工藤冬里

 
 


https://operatingtheatre.bandcamp.com/album/spring-is-coming-with-a-strawberry-in-the-mouth-rapid-eye-movements
随分と昔に音程ではなく音響による即興を考えていたものだ
その後無音による即興に行くわけだけれども
今はDJがそれらを一手に引き受けているが
一人でやる場合は「小さい政府」みたいな勘違いで民営化に加担したりしてはいけないよ
いつだって、ルーじゃないけど、
「リアルタイム、それが問題だ」
平行世界とのリアルタイムが無音室という見立てだったんだな

「ゲルマントのほう」を久しぶりに読んでいたら昔山谷の永山則夫研究会で会った日雇いの爺さんが「日本にはサロンさえない」と嘆息していたのを思い出した。ドレフェス事件を巡る上下左右の言論を活写するようにして事に当たれ、という意味だったのだろう。

終に語り始めたと思ったら
駝鳥のことだった
陸と呼び海と呼んだものの中で
other words,
一日が先に進んで仕舞い
永遠に取り残され続ける
一日遅れ続けている
このまま一日遅れ続ける
頬被りして遅れ続ける
大きな視野から違いを見ていると
裾野の馬が凍っている

銀次の言うように北鮮絡みの工作員に金を渡されていたかどうかだけ知りたい
国単位で考えるところから始めたんで最後は宇宙人とか言い出したんだった
落ち葉がガサゴソと街路を走るセンチメンタルな時代は終わったんだ
あとはにちゃっとした陽光にしがみつけ
月光でにおいは消えない
行をいくらかさっぴいた谷川癌たれ
とおれはおれに思う

reputation risk
虐殺のADHDは
ものをひとつひとつ
洗おうとするが
世界は片付かない
暖房は切ってよい
啓蟄だからね
雛人形のように撫で肩の
汚れ易い生木の母性を擦る
姿勢が良かった
表で考える
石を運ぶ熱意は削がれた
インドから久し振り
濁音で陽が射す
カンビュセスに宿舎
禁令の中赤貝が好きだった
山が平らになった
裾野で栽培したい
今は片付けする時ではないと考え始めた
政情不安が積み重なって
意気揚々としている時に迫害が来た
前に進めない理由は泪ではなかった
確信できたのは尽きない力による
 と言うのですから
大軍
再建を第一にするならサポートする
何よりも大切にした時

1月29日、朝、愛媛新聞の書評欄を見る。「おわりのそこみえ」というタイトルは、岡田利規の「わたしたちに許された特別な時間の終わり」を思い出させる。

 

 

 

#poetry #rock musician

生きている、ふり

 

藤生すゆ葉

 
 

ふくろが飛んだ
宙に舞い上がり 風を泳いで
縁石の補助で一回転
追い風で膨らむ透明の膜は
木に阻まれ形を変える
枝の形に添うように
平らな膜に

遠くにいたグレーの空は
水音と両手を組んで
仲間と共にやってくる
透明の膜には透明の水が集まって
茶色も交わり地面をつくる

小さな長靴が足踏みすると
突然始まる 3小節のワルツ
埋もれた膜を知らせるように
日が沈んで陽が昇る
手を振るように会う風は
逆さの景色を空に問う

あたたかな手が触れ
知らない膜に入り込む
隣の枝がトンネルをつくる
遠くを繋ぐその道を
透明の膜は知っている
その景色は今しか出会えないことを

流れるままに 在るままに

花びらの入ったふくろが
舞い上がる
一つの花のように
息をするふりをして

 

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自由に受け取っていただけますと幸いです。
ふと道に落ちていた透明の袋、網膜、生命の膜、
3視点をくっつけたり離したりして書きました。

追伸
空からの景色はどうですか?