辻 和人
2つの丸い目
最初きょとん
次にぐわって感じ
良かった、元気にしてた
帰りの小田急線は空いていて
真っ暗な窓の外は回想に耽るのにもってこい
実家へ様子を見に行ったんだ
大ケガして排尿・排便が困難になったレド
腰はおしめで巻かれてる
肛門の周辺の神経が麻痺してるからウンチを貯められない
作られたウンチはポロポロお尻の穴から零れて床に落ちちゃうから
おしめをすることに決めたんだ
おしめを嫌がったのはたった1日
早くも運命を受け入れた
白い異物が巻きついた新しい体を受け入れた
おしめの布を上手に避けて体を舐め舐め
それがずっと昔からのやり方であるように舐め舐め
取り替える時もじっとしていて
頭を撫でてやると気持ちよさそうに目を細める
細くしなる目尻が、今
電車の窓枠に置いたぼくの左手を
にゅくにゅく這って、消えた、よ
レドと言えば思い出す
2009年11月14日(土)
ちょっと寒い夜
2つの丸い目が光った
祐天寺のアパートでかまっていたノラ猫たちが次々いなくなった
レドもその一匹
猫嫌いの誰かが捕獲機を仕掛けたんだ
ファミは何とか助けて実家の家猫にしたけど
他の猫たちはみんないなくなってしまった
それが2009年の初夏
でね
あきらめきれなくてね
夜な夜な街を彷徨って猫路地を見つけては
いなくなった猫たちを探してた
秋に入る頃は半ば以上諦めてて
探すっていうより
「探す自分」の亡霊みたくなってた
亡霊になるって変な気分
歩いてるのに足の感覚なくって
道路をすーっと漂ってる
亡霊になりきってしまえば
目的喪失して移動だけ
すーっすーっ
そんな気楽さがあって
どうてもうういやって
ちょっと心地よかったな
それがだよ
2009年11月14日(土)
ちょっと寒い夜、駅近くのマンションの駐車場で
目的喪失したいつもの調子で停めてあった車の下を覗き込んだら
2つの丸い目が光った
きょとん
背を丸めて座ってた
きょとん
目が合った
イチ、ニィ、サン、シ、……
ぐわっ
目の光が強い閃光に変化して
ぼくもそいつも凍りついた
レド、レド
レド
閃光の中で
ウググゥー
ウググゥー
走り寄ってきた
強い力で膝にぶつかってきた
さっきまで亡霊だったぼくは
途端、亡霊でなくなった
膝に登ってきたものの頭を撫でて
うーん、人間のぼくの方がだな
衝動的に
うん、なんでかなー
レドの片耳を軽く噛んだんだな
うん、噛んじゃった
耳には三角形のカット
ぼくが受けさせた不妊手術の印だ
汚れた白い毛が舌に残ってぺっと吐き出した
膝に伸びた爪がぐいぐい食い込んで痛かったな
ウググゥー、唸りながら
ぼくの顎に何度も鼻先を強く突きつけてくるから痛かったな
痛いまま
閃光の中で抱き合っていた、な
それからさ
毎晩レドの好きなお刺身かなんかを持って
深夜のマンションの駐車場を訪ねたさ
この地域のエサやりさんの保護を受けていたらしく
レドはエサには困ってなくてむしろ丸々太ってた
エサを巡って他の猫とケンカしたんだろうね
レドの背中には小さな嚙み傷が幾つかあったさ
このままアパートに連れて帰るとまた同じことが起きるから
しばらくここで面倒をみようって思ったさ
だけどそうはいかなかったさ
ある日、帰ろうとするとどこまでもどこまでもついてきたさ
いつもは「帰れ」という怒ったみたいな仕草をするとビクついて駐車場に戻るのに
その日は何度「帰れ」をやってもついてきたさ
帰れ、帰れ
ビクッと立ち止まっても
少しするとトトトッとついてくる
仕方なくアパートに連れてきちゃったさ
そしたら大変さ
部屋に入れろっ部屋入れろって
ガラス戸に体をガンガンぶつけてきたさ
その音のうるさいことうるさいこと
実家にまた助けを求めたさ
「すいません、ファミの他にもう1匹家に置いて欲しい猫がいるんだけど」
そうして連れてきた猫レドが
はい、今は白いおしめ巻いて
人間の横でくつろいでるってさ
もうすぐ登戸だな
南武線に乗り換えだな
府中本町から武蔵野線で西国分寺、中央線に乗り換えて40分
ゴトンゴトン
小田急線はしんとしてて
だから
美しいってどういうことか?
なんてことゴトンゴトン考えてしまう
コンサートに行って名曲を聴いて
春になって桜が咲いて
「ああ、美しいなあ」って感じますよね
大抵の「美しいもの」は
準備がそれなりに整った上でそう感じる
だけど
その最中はどうってことなかったり
或いは無我夢中でわけがわからなかったりしても
後で「ああ、美しい」ってくることがある
いわゆる美化って奴
子供の頃の思い出なんかが代表格
想像力で増幅されるから最強
今、ぼくの頭の中で
ちょっと寒い夜
2つの丸い目が光ってる
最初きょとん
次にぐわって感じ
世界で一番美しい光景
ぼくにとっての
最強の
増幅されてく増幅されてく