あきれて物も言えない 19

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

国民の誤解を招くという意味においては真摯に反省をしている

 

菅義偉(すがよしひで)総理大臣は16日、内閣発足から3カ月となることを受け、首相官邸で報道陣の取材に応じた。 *

Go Toトラベルを年末年始に全国一斉での停止を発表した14日夜に、自民党の二階俊博幹事長らと5人以上で会食をしていたことについて、「他の方の距離は十分にありましたが、国民の誤解を招くという意味においては真摯に反省をしている」と話した。 *

ということです。

何も、
わたしたちは誤解できないです。

新型コロナウイルスの感染対策として政府が5人以上の会食や忘年会の自粛を求めている中で、菅さんが政府の要請に反して、7人と会食した、という事実を、わたしは、誤解できないです。

 

菅義偉総理大臣は、
わたしの田舎、秋田県の英雄です。

菅さんが総理大臣になってから思い出したのですが、
菅義偉さんは秋田県県南の秋ノ宮温泉郷の出身で湯沢高校の卒業生であります。

秋には見渡すかぎり黄金色の稲穂が田んぼにひろがる横手盆地、
その南の端っこの山と山に囲まれた秋ノ宮温泉郷が菅義偉さんの故郷です。

わたしの母が通っていた温泉で菅義偉さんのお母さんと知り合いになり親しくしていただいたと死んだ母から聞いたことがありました。

今年10月の終わりに葬儀で田舎に帰ったのですが、秋の宮の辺りでは菅新総理をお祝いするのぼり旗が立っていました。
また、秋田湯沢駅にはお祝いの横断幕が掛けられていました。
近所の道の駅では菅総理饅頭が売られていて、
県外産の祝菅総理土産用お菓子も売られていました。

菅さんは湯沢高校を卒業して「東京へ行けば何かが変わる」と夢を持ち上京し、
板橋のダンボール工場で働き、2か月で工場を退職。それから約2年後に法政大学法学部政治学科に入学する。 **

在学中には実家から仕送りも受けつつ、警備員や新聞社、カレー屋のアルバイトで生活費と学費を稼いでいた。 **

1973年、法政大学法学部政治学科を卒業し、建電設備株式会社(現・株式会社ケーネス)に入社した。
1975年、政治家を志して相談した法政大学就職課の伝で、OB会事務局長から法政大学出身の第57代衆議院議長中村梅吉の秘書を紹介され、自由民主党で同じ派閥だった衆議院議員小此木彦三郎の秘書となる。 **

とウィキペディアには書かれています。

自分の若い体験と重なるところもあり、若かった菅さんの姿が見えるように思えます。
若い菅さんは秋田や東京の現実を見て、この世界を変えるのは「政治」しかないと思ったのだと思います。

わたしも秋田の田舎から出てきて、
満員電車やアルバイトや会社を体験して、貧富の差や、この世界の矛盾や嘘、を感じた者の一人でした。

菅さんは、政治家を志して国会議員の秘書になり、人脈の海の中を泳いで、泳いで、総理大臣まで登りつめたのだと思います。
大変なことだったと思います。秋田県の英雄だと思います。
どれほどの苦い苦い水を飲んだことでしょう。
その苦さが菅さんの表情に現れていると思います。

「他の方の距離は十分にありましたが、国民の誤解を招くという意味においては真摯に反省をしている」と、
菅さんは記者会見で語ったのだそうです。

わたし、誤解はしませんでした。
ただその言葉の「真摯」や「反省」は真実なのか、どうか、と思いました。

 
 

わたしには、今年、10月に亡くなった山形県寒河江市出身の写真家、鬼海弘雄さんの顔が、思い浮かびました。
鬼海弘雄さんは菅さんと同じ法政大学の哲学科を出て写真家になり、コロナ禍の今年、2020年10月19日に亡くなりました。
嘘のない素晴らしい人だったと思っています。
トラック運転手、造船所工員、遠洋マグロ漁船乗組員などの仕事をしながら浅草の人々の大切な写真を撮り残していってくれました。

鬼海弘雄さんの写真にはわたしたちの希望のひかりがあると思います。

12月15日の新聞の夕刊一面には「食も住まいも「明日どうなる・・・」」という見出しが立っています。 ***
東京池袋の路上生活者を支援するNPOの炊き出しの列に若者たちも多く並んでいるということです。

今、コロナ禍のなかで、弱い人たちに支援の手が届いていないのではないでしょうか?
「Go To トラベル」の予算は1兆1,248億円だそうです。
経営が厳しくなる中小の企業ではこれからリストラが進むのではないでしょうか?
そこでは弱者が真っ先に切られていくでしょう。

受け皿が必要なのです。
今のこの世界には弱者を受ける皿が必要なのです。
1兆1,248億円の予算があったら弱者たちを受ける皿を作り、その皿を運動体として活性化させる政策が必要なのです。
下からの運動体を作る政策が必要になっているのです。

まるで政治家のように語ってしまいました。
嘘を言うつもりはありません。

 

呆れてものが言えません。
ほとんど言葉がありません。

 
 

* 東京新聞WEB版 2020年12月16日の記事より引用させていただきました。
** ウィキペディア(Wikipedia)より引用させていただきました。
*** 朝日新聞 12月15日夕刊一面より引用させていただきました。

 
 

作画解説 さとう三千魚

 

 

 

奴隷

 

工藤冬里

 
 

傅くこととか言って死んだ
字のきれいな奴隷
黄金町の川沿いで
八級
七級
六級
五級
四級
三級
二級
一級
初段
二段
三段
四段
五段
六段
七段
八段
九段
免許皆伝
その日に約三千人が加わった

弁当に燕が
茗荷のように

フード被って撒き足して去る

今日が地球上で最後の日

 

 

 

#poetry #rock musician

新しい年の終わりに

 

村岡由梨

 
 

あなたは今、幸せですか。不幸せですか。
って聞かれたら、何て答える?
私にはわからなくて、
何もわからなくて、不安で仕方がないから
曖昧な言葉ではぐらかさないで
まっすぐ私の目を見て答えてほしい。

ある晴れた寒い日に
工事現場から少し離れた道端で、
交通誘導員のおじいさんが
所在無さげに何度も腕を組みかえながら、
寒さから身を守るようにして縮こまっていた。
一方私の手元のスマホでは、
SNSのタイムラインに
美味しいもの、楽しいことがあふれていた。
キラキラ キラキラ
自分はこの人より、幸せか不幸せか。
比べてしまう。疲れてしまう。
世界中の争いや諍いが収束して、
飢えた子供たちや、迫害されて苦しむ人たちが
少しでも減って欲しい。
そう強く願いはするけれど、
一方で、キラキラした自分のタイムラインなんか、
真っ黒に塗りつぶしてやりたい、とも思ってしまう。
幸せで満たされた他人が、さらに幸せになることを望めない、
醜悪な自分がいる。
私には夫がいて、娘たちもいて、3匹の猫もいる。
仕事があって、住むところもある。
食べることにも困らない。
それなのに、なぜ
これ以上、何を望んでいるのか。

心療内科のクリニックがあるビルのエントランスに
小さなクリスマスツリーが飾ってあるのを見て、
軽い頭痛のような、絶望のようなものを感じてしまう。
思わず叫びたくなる。
夜20時過ぎ、仕事からの帰り道で、
民家が電球でデコレーションしてあるのを見て、
深い哀しみに沈んでしまう。
近くのコンビニの店員がサンタの帽子をかぶって働いているのを見ると、
何か良くないものを見てしまったような後ろめたさで、
足早に店を去ってしまう。
あんなにクリスマスが大好きだったのに、
子供の頃に感じたような、
体の中から溢れ出る高鳴りで目が潤む幸福感。もう手が届かない。
あの頃に戻りたいけれど、
私はもう、年をとりすぎた。

 

野々歩さんが右手の小指を骨折したので、
一緒にお風呂に入って、頭と体を洗ってあげる。
ある時、野々歩さんが鼻血を出して、
次から次へ、血が流れた。止まらない。
「ゆりっぺの白い背中に、俺の血がたれたら、すごくいいコントラストになるね」
私の背中に、野々歩さんの鮮血がポタポタと滴り落ちている。
決して私自身の肉眼で見られない光景が、
愛する人の鮮血で自分の体が染まる悦びの光景が、
そこにはあった。

私の財布には「お守り」がしまってあって、
どうしても苦しい時、取り出して眺める。
幼かった眠が、私にくれたメッセージだ。

「まま おたんじょうび おめでとう
ふるつけえき が すきなんだね
まま わ きれいなんだね
おりょり が うまいんだね
たたむのも うまいいんだね
かわいい おじょうさま なんだね
ねむより」

ねむ と はな は まま の たからもの
まま は しあわせだね
せかいで いちばん しあわせ だね
でも なんで なみだが とまらないんだろう
しあわせだから かな

 

あなたは今、幸せですか。不幸せですか。
って聞かれたら、何て答える?
花にそう聞いたら、
「幸せだよ」
と、はっきり答えた。
そう言ってくれる人が、そばにいてくれて、本当に良かったと思う。
花は、「夜の空は紫色」だという。
花の見た空は、花にしか描けない。
紫色だけでなく、黒や群青色の絵の具を用意して、
白いキャンバスに挑む花は、
自由なんだろう。幸せなんだろう。
幸せとは、無限に広がる自由なんだろう。

あと少しで、2020年が終わる。
もう少しで、新しい年の始まりだ。

 

 

 

ALMOST YELLOW
~ディレクターズ・カット長尺改訂版「雲古蘊蓄譚」

 

佐々木 眞

 
 

序詞

「彼らもお前たちと一緒に、自分の糞尿を飲み食いするようになるのだ。」*

 

その1 ウンチを耐える

 
宇治拾遺物語の第七十六段に「仮名暦誂えたる事」という短いコラムがある。

そこには3日連続で「雲古すべからず」と書き込まれた偽カレンダーを信じた生女房が、
「左右の手して、尻をかかへて、いかにせん、いかにせん、と、よぢりすじりするほどに、物も覚えず、してありけるとか。」
なぞと書かれている。

団鬼六のロマンポルノではないけれど、我慢に我慢した挙句に、とうとう、してしまったんだあ。可哀想に。

 

その2 ウンチを見る

 
むかしむかし、京の北白川にあった重度の障害児(者)施設で、黄色い風呂を見たことがある。
黄色と映ったものは利用者が排泄した雲古で、それは冷めた風呂水と上から下まで完全に混ざり合って、微動だにせず午前10時の太陽を浮かべていた。

そのとき私は、福祉の仕事というのは、このウンチがいっぱい浮かんだ風呂に飛び込んで、障害者の体を洗ってあげることなんだ、と思ったものだ。

 

その3 ウンチを踏む

 
私はうっかりしていて、(恐らく石ころの上にとまっている小型の茶色いチョウがテングチョウかヒメアカタテハかを確認しようとしていて)、道端のウンチを、ムギュっと踏んだことがある。

運動靴がズヌっとぬめって、明後日の方角にずれてしまって、相当不気味だった。
義姉のエイコさんは、蛇を何回か踏んだことがある、そうだ(今度会ったら確かめてみよう)。

私はまだ蛇を踏んだことはないが、あの明後日の方角にズヌっとぬめっていく感じは、限りなくそれに近いのではないかと、密かに考えている次第である。

ウンチを踏んだズックは、洗っても、洗っても、臭かった。

 

その4 ウンチを掴む

 
むかしむかしのそのむかし、丹波の綾部の上野の丘に小学校があって、僕は放課後に当番の同級生と便所掃除をしなければならなかった。

便所は汚れている時と、そうでない時があったが、汚れている時には、おおかたデブデブのオオツキマサト君が、率先してキレイにしてくれるので、僕らは、ほとんど何もする必要がなかった。

するとある日、突然そのことに気づいたように、オオツキマサト君が
「お前らあ、いっつも、いっつも、ずるいやないか。わいらあ、今日はなんもせえへんさかい、お前らあで、しっかりやらんかいな」
と怒鳴って、ぷいと校庭に出ていった。

オオツキマサト君が去ったあと、便器の傍には、プリプリの巨大なウンチが、ぐんにゃりと横たわっていて、微かに湯気が立ち上っていた。ついさっき誰かがやらかした出来たてのホヤホヤ、ちゅうやっちゃ。

アカオ君やキタハラ君やカワギタ君と一緒に、僕はしばらくその黄色いプリプリの巨大なウンチを眺めていたが、いつまでたっても誰も手を出さないので、これはもう僕がやるしかないと思って、恐る恐るその臭い立つ巨大なやつに両手を伸ばして、ぐウンとつかんだ。

えいやっと、つかみとって持ち上げたら、そいつは結構重くて生温かで、
「これはいったい、どこのどいつが垂れたんやろう」
と、不思議な気がした。

その日、僕はこの世の「実在」という奴に、初めて触れたのだった。

 

その5 ウンチの友

 
それからおよそ半世紀の歳月が流れた。と思いねえ。

私は今ではそんじょそこらの三等リーマンになりおおせていて、ある日大阪支店に出張して取引先の営業マンに会って名刺を交換したら、すっかり「難波のアキンド」になった、でも昔と同じようにでぶでぶの、オオツキマサト君だった。

私は彼の顔を見た瞬間、黄色いウンチのことを思い出し、2人だけの密かな西田哲学的な体験!?について語り合いたいと思ったのだが、彼はそんな私の胸中をいささかも忖度することなく、破顔一笑うれしそうに叫んだ。

「おやまあ、綾部のてらこのマコちゃんやないか! これはこれは、粗末に扱う訳にはいきまへんな。あんじょう勉強させてもらいまっせ!」

 

その6 ウンコが出なければ、人間ではない。

 
伊太利中部のウンバリア地方を、日本有数のインテリゲンちゃんと旅しているのだが、氏が時々鋭い警句を吐くので、ひとときも油断はできない。

小さな駅で降りて、縦板に水の彼の講釈を聞いているうちに、突如腹具合が悪くなってきたので、トイレを探して、あちこち駆けずり廻る破目に陥る。

道々いろんな人に、「トイレはどこじゃ? トイレはどこじゃ?」と尋ねるのだが、なんせ周りは伊太利人ばかりだから、さっぱり要領を得ない。

あちこちを右往左往しているうちに、どんどん時間が経つ。
今回のは団体の海外旅行だから、もしも集合時間に遅れたら、みんな先に行ってしまうのではなかろうかと思うと、ますます焦る。

ぐるぐる経めぐっているうちに、いつの間にやら、元の場所に戻ってしまったようだ。
仕方なく目の前の坂道を見たら、その先に木造の小屋が建っている。

もしや、と思って駆けつけると、そこには細長い長方形の個室が3つ並んでいた。
勇んで真ん中の白いドアを開けると、赤茶色の布袋さんとも道祖神ともつかない石像が2つ聳えていたので、私はカメラを縦形にして写真を撮ったんだ。

それから、悪臭紛々たる細穴から突き出た2体の布袋さん、もしくは道祖神の上に跨って、やっこらせと尻を下ろすと、それが伊太利式の古式豊かな便器だった。

ところが、「やれやれこれでやっと用が足せるぜ」と喜んだのもつかの間、いきんでも、いきんでも、出るべきものが出ない。形而下は実存だが、形而上は虚妄なり。よってウンコが出なければ、人間ではない。

私は、なおもいきみながら、さきほど、いみじくもかのインテリゲンちゃんが吐いた「実存は恐らく本質に先行するだろう」てふ言葉を、しみじみと思い出していた。

 

その7 世界中にウンチを垂れる

 
伊太利の後で、巴里を訪ねた初日に生牡蠣を喰らったら、案の定下痢をしちまった。
ホテルの近くにオルセー美術館があったので、せっかくだからと印象派の名品をちょっと眺めているうちにも、激しく催してくる。

急いでホテルに駆け戻ったが、そのままトイレから出られなくなってしまい、結局どこも見物できずに、そのまま帰国したのよ。

それでも懲りずに、今度はおらっちNYのグランド・セントラルステーションのオイスターバーで生牡蠣を食うたら、またしても腹を下したので、傍のグランド・ハイアット・ニューヨークのトイレでしゃがんでいた。ホテルの客でなくても利用できる或る種の公衆便所だ。

するとどこか別の扉を開いて見知らぬ黒人と白人が入って来て、しゃがんでいるおらっちの周りでペチャクチャ喋りまくるので、おらっち下痢も出来ない。

仕方なくそこから逃げ出したときに、ドアの釘に掛けていたダブルのトレンチコートを忘れてしまったので、急いで取りに戻ったのだが、男たちはもちろん、コートの影も姿もなかった。

 

その8 ウンコ哲学

 
毎日トイレで便器に跨るたびに、私は遠い親戚の言葉を思い浮かべる。

「人間はトイレに入る時には生まれたままの姿で、本音も建前もない。これこそ人間の真の姿である」

「大事なのは、ウンコを垂れるあの気持ちだ。堅からず、柔らかからず、ロクロの廻るにまかせて、なんの技巧もなく生まれてくるのが、ほんとうの茶碗だな」

この「ウンコ哲学」を唱えたのが、ほかならぬ私の伯祖父、上口作次郎(1892-1970)である。

彼は明治25年に谷中に生まれ、小学卆業後、宮内省御用の大谷洋服店に弟子入りし、大正末期に「超流行上口中等洋服店」を開店した。

最高級オーダーメイドスーツでしこたま儲けた金で、江戸時代の大名時計や長谷川利行の作品を収集したり、東京の土を捏ねて陶器を焼いたり、ぐるぐる廻る茶室「眩暈庵」や樹上の茶室「巣寝る庵」を作ったり、「雲谷斎愚朗」と称して、いつも裸で過ごしたこの破天荒の野人を、私は好きである。**

 

その9 ウンチが転がる

 
ある日のこと、私は新装なったコースカ・ベイサイド・ストアーズの「爬虫類倶楽部」で、
じっと動かぬ動物を見つけた。
名高いイグアナを、私は生まれて初めて、この目で見たのだ。

そいつは、ひび割れた白と茶と薄緑色の表皮で全身を包み、まるでサーカスの綱渡りのように細い木の上に危うく乗っかりながら、手足と長い尻尾をダラリと垂れ、いつまで経っても微動だにしない。

矯めつ眇めつその爬虫類を前後左右から眺めているうちに、私はなにやら畏敬の念に打たれ、思わず「泰然自若」という古めかしい熟語が脳内で浮かんだ。

やれコロナだ、マスクだ、などと下らない騒ぎに一喜一憂する己にひきかえ、全長1メートル足らずの、意外にも植物しか食べないその爬虫類は、なんと悠々たる人世を消長していることだろう。

突如、イグアナの左の目が開いた。死んだように眠っていたはずのイグアナの目が。
私は驚いてケージの裏側に走り寄って右目を見たが、それは閉じられたままである。
イグアナときたら、丹下左膳の真似をしていたのである。

とそのとき、私はジーンズの中で、なにか小さな物がコロコロと転げ落ちるのに気づいた。
ジーンズの右足の裾のところでかろうじて停止したそいつを、私がしゃがんでつまみ上げると、小さな茶色い石だった。

「なんだこの石は?」と訝しく思いながら、そいつを近くで見ると、微かにあの懐かしい臭いがした。

 

その10 ウンチとキリスト

 
西暦2020年7月29日、コロナ漬の梅雨の朝、
久しぶりにおばあちゃんチの換気をしようと、滑川沿いの小道を急いでいた私の下半身を、ある種の不穏が襲った。

どこが不穏なのか即答できないが、ともかく嫌な感じが走ったのだ。

急いで玄関まで駆け付け、厠に鎮座ましますTOTOの便座にとうとう跨った時は、すでに遅かった。私はパンツの中に、ひと固まりのビチビチウンコを発見したのだ。

やったあ、やったあ、嫌だなあ、年甲斐も無い久々のビチビチウンコだあ!
私が若い頃はよく下痢をしたが、その時は必ずお腹が下る予感がしてからウンチが出たものだ。

しかるに今朝のは予感は漠然とした不安感であって、まるで具体性がなかった。
つまり一言の挨拶も断りもなしにそいつは出ていたのだ。

私は昭和天皇と同様、文学的のことはよく分からないが、思うに私の下半身の括約筋が活躍せず、いつのまにか随意筋が不随意筋にとって代わられていたのだろう。

イエス・キリストいわく。
「口に入るものはみな、腹に入り、外に出されることが分からないのか」。***

されど構想75年、実践1秒。いつの間にか私は、人体の9つの穴から出る物も愛せるようになっていたのである。

 

終曲

 
大とこの糞ひりおはすかれの哉  蕪村****

ホカホカのウンチを入れたマッチ箱振り回しつつ学校へ行く 蝶人

トイレまであと一歩というところでパンツにぶちまけられたビチビチウンコ 蝶人

 
 

* 旧約聖書「イザヤ書36センナケブリの攻撃」第12節(聖書協会共同訳聖書)
** 片山和男編・「闘う茶碗~野人・上口愚朗ものがたり」
*** 「マタイによる福音書第15章第17節」(聖書協会共同訳聖書)
****「蕪村句集」(新潮日本古典集成 与謝蕪村集」)

 

 

 

 

原田淳子

 
 

 

夜が
降りてくるあいだ
やわらかな毛並みに包まれていたい

夜は
いつも最後だから
きのうの夢に
束ねられないように寝返りをした

窓に毛布を押しあてて
隙間風を塞ぐ
缶詰めのなかで眠る

窓が白けて
指で描けるようになったら

はぁっと吐く息に
一瞬
白薔薇が咲いた

掌にのせて 
きみに、
ねぇ、ふゆそうびって
振りかえったら
わたしが消えた

朝になったから、
ゆかなきゃいかない
鍵はここにおいてゆく

窓はあけてゆくね
猫が通れるように

遠き炎に泡となり
汗と
涙の
塩の痕だけが残った

貝殻ひとつ
ここに
おいてゆく

おなじみちを迷った誰かの
北極星のかわりに

 

 

 

Stollen und currywurst

 

工藤冬里

 
 

閉架に今は読まれなくなったハンブルクのB級グルメCurrywurstに関しての小説※がひっそりと背を見せており僕は仕事帰りに買いに走ったがそれはそうと
燃やさなければならない
白壁の黴にプルシャン・ブルーの浸透があるなら
家ごと燃やさなければならない
出産が「死ぬ人」を産むことである間は
轢かれた猫のように
バイクから投げ出された
夕刻の厳粛の
脇をすり抜けていく
クリーヴルストがないのだから
シュトーレンを食べたって無駄だ
男の子は三三日、女の子なら六六日、
祖先の犯罪を想ってひきこもらなければならなかった
女が悪いのではなく
女が
近いのだ
原罪シュトーレン首都連合の現在に

 

※「カレーソーセージをめぐるレーナの物語」
ウーヴェ・ティム (著), 浅井 晶子 (訳)

 

 

 

#poetry #rock musician

As for me, I have nothing to complain of.
私に関しては、何も不平はありません。 *

 

さとう三千魚

 
 

yesterday
I didn’t go for a walk with Moko

garbage removal
did not

I haven’t written the manuscript yet

this morning
the woman went out

with moco
on the sofa

I was sleeping

Asami
he sent me a Yuki no Bosha

Watanabe’s wife
she sent me Nagasaki Castella

Mr. Kanda sent me Akita sausage

I’m not ready to cry yet

this morning too
it’s sunny

As for me, I have nothing to complain of *

 
 

昨日は
モコと

散歩に
行かなかった

ゴミ出しも
しなかった

原稿も
かけていない

今朝
女は出かけていった

モコと
ソファーで

寝ていた

あさみさんが
雪の茅舎を送ってくれた

わたなべさんの奥さんが
長崎のカステラを送ってくれた

かんださんが秋田のソーセージを送ってくれた

わたし
まだ

号泣する準備もできていない

今朝も晴天だ

私に関しては、何も不平はありません *

 

 

* twitterの「楽しい例文」さんから引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

Turn your bag inside out.
袋を裏返しにしなさい。 *

 

さとう三千魚

 
 

“Dojo Yaburi” feels good

suddenly
come over

he deviates from the rules

yesterday’s poem by Tori Kudo is also **
it was “Dojo yaburi”

I laughed

hit the poetry board wall with his bare hands
he is trying to win

it’s like “Rikyu”

throw away the wins and losses
he breathes air elsewhere

Turn your bag inside out *

 
 

道場破りとは
気持ちが

よいね

突然
やってきて

ルールを
逸脱する

昨日の工藤冬里さんの詩も **
道場破りだった

笑って
しまった

詩歌の板壁を素手で
殴り

勝とうと
している

利休のようでもある

勝ち
負け

を捨て

別の場所で空気を吸う

袋を裏返しにしなさい *

 

 

* twitterの「楽しい例文」さんから引用させていただきました.

** 工藤冬里さんの詩

「「文春オンライン」によると、禿げを偽って結婚した男がカツラを見破られ離婚された。さて、ところで、マスクをしてフードを被っていたら一人の子供に「おばさん」と呼ばれた。わたしはその子供におばさんと間違われた。その子供はわたしをおばさんと宣言した。」
https://beachwind-lib.net/?p=27072

 

 

 

#poetry #no poetry,no life