駿河昌樹
あゝ あれを忘れたな
と思う
あれもあれもあれも
忘れたな
と思う
でも
いいんだ
と
つけ加えようか
と
思う
20世紀末期に流行ったように
どうであれ
それで
いいんだ
という
風味
を
つけ加えようか
と
思う
思うだけで
つけ加えない
の
だ
けれど
あゝ あれを忘れたな
と思う
あれもあれもあれも
忘れたな
と思う
でも
いいんだ
と
つけ加えようか
と
思う
20世紀末期に流行ったように
どうであれ
それで
いいんだ
という
風味
を
つけ加えようか
と
思う
思うだけで
つけ加えない
の
だ
けれど
バリアフリーの手摺のために
ステンのパイプを切る
(合金で鉄が切れるんだ)
モリブデンかタングステンか
(よくそんな鋸持ってたな)
銀が金に、銅が銀に代わるように
石も鉄に底上げされる
そんな時代が来ますか
僕は石で切れます
石で髪も切ります
午後にはリハビリの人が来ます
#poetry #rock musician
in the morning
the woman made Nanakusa-gayu
she went out
I made the dog Moko eat Nanakusa-gayu
I also ate
it seems that one bite will rejuvenate 10 years old and seven mouthfuls will rejuvenate 70 years old
this morning
moco and I
younger than 0 years old
the origin of Nanakusa-gayu
There was a story of filial piety in the Tang dynasty
there are many who wish for own happiness
there may be a few who wish for the happiness of others first
this morning
the wind was blowing strongly
there was light
we were in the light
・
We are all in daily pursuit of happiness *
朝に
七草がゆをつくって
女は
出かけた
犬の
モコに
七草がゆを食べさせ
わたしも
食べた
一口で10歳
七口で70歳若返るのだそうだ
今朝
モコも
わたしも
0歳より若くなった
七草がゆの由来には
唐代の功徳の物語があるのだという
わが身の幸を願う多くの者たちと
ひとの幸を先に願う僅かな者がいるのだろう
今朝
風が強く吹いていた
そこに
光があった
光のなかにいた
・
私達はみな日々幸福を求めている *
* twitterの「楽しい例文」さんから引用させていただきました.
#poetry #no poetry,no life
教えることはひとごとのように共に考えることに変わり
それでもそのひとごとを行為の契機にする動機付けを与えるための視覚効果が工夫されていった
走ることはたのしい
と言い聞かせるアスリートのように
一度は黒焦げになった頭蓋を焼杉板にして
塩害防止の黄土を目と耳に塗り
シナプスを組み替えていった
そんなふうにして
真珠採りの筏の家族は
最後の努力を
最後まで続けていった
#poetry #rock musician
these days
after the day
I am writing this
it’s morning today
the west mountain is under the gray sky
the sky is dark gray at the top and light gray at the bottom
the sky
it is doubled
the sky near the mountains
white
・
I shall go irrespective of the weather *
ここのところ
日を過ぎて
これを
書いている
今日は朝になった
西の山が灰色の空の下にいる
空は
上が暗い灰色で
下が薄い灰色になっている
空は
二重になって
いる
山際の空は
白い
・
私は天気がどうであれ、行くだろう *
* twitterの「楽しい例文」さんから引用させていただきました.
#poetry #no poetry,no life
釘を踏み抜いて土方が出来なくなり、日野にあった血液検査のラボの徹夜の仕事に変わった。皆肝炎に罹って辞めていった。肝炎は勲章のようでさえあった。休憩室のMTVではレッグウォーマーのマドンナが「ライク・ア・ヴァージン」を唄っていた。そこで知り合った男からSGを借りて、週一で「unknown happiness」とか「河口湖畔にて」といった曲を練習していた。人体内部の病巣を見すぎて顔面がボコボコに腫れるので米軍基地の草刈りの仕事に変えた。朝、岩田を起こしてはキャンプ座間やキャンプ相模原に行った。その頃はよくダモのDUNKELZIFFERを聴きながら仕事していた。ライブは自分で企画しようとすると、国立公民館以外にはできそうなところはなかったので大抵はそこの地下音楽室でやっていた。貸してくれ易そうな「常磐会」という名前にして申し込んでいた。
マヘルが自分で発表したアルバムは、一九八五年の「マヘル・シャラル・ハシュ・バズ 第一集」と、「pass over musings」という二つのカセットだけである。「・・第一集」のタイトルは、「サヌルリム第一集」からの借用で、以前のNYの断片や、今井次郎ベースの京都のコクシネルなども入っていて、マヘルというよりその時点までの集大成的なニュアンスが強いが、「pass over musings」は純粋にマヘルで、テレヴィジョンで言うなら二枚目である。タイトルはジョイ・ディヴィジョンから取られていて、誰もその歌詞の意味を考えてみようとはしなかった八〇年代初期に、瞑想を拒否し、黙想を黙々に伏して、中天から家々の戸口に付けられた血を確認しようとしている。ジャケットの写真は浩一郎が釜山で撮ってきたもので(当時の釜山ではメイヨ・トンプソンとデヴィッド・トーマスの絵葉書が売られていた)、赤い文字部分は当時の、一字一字シールを貼るやり方で作られている。国立の北口から恋ヶ窪の方に上った台地にほら貝のスタッフが始めた、当時は珍しいピザのテイクアウトもできるハイカラな店が出来て(ヒッピーというのはいつもハイカラなものなのだ)、そこで三谷がカセットのダビングをさせてもらって編集して作った。作れば五〇部は売れた。それが昔も今も変わらない「スマートなオーディエンス」の規模であった。園田による録音が残っていた八六年二月の国立公民館での演奏は、「pass over musings」の発売記念として企画されたものである。対バンは光束夜で、彼らのその日の演奏もレコードになっている。
#poetry #rock musician
evening
I came home
the woman
she didn’t go home
moco
she must have been asleep
she looked up on the sofa
in the garden
I made her pee
on TV news
the prime minister of this country was talking
I also saw the face of the governor of tokyo
warm the miso soup
I ate the rest of the Masuzushi that Arai sent me
in the fridge
new year’s red and white kamaboko and datemaki remain
・
Help yourself to the cake, please *
夕方
帰った
女は
いなかった
モコは
眠っていたのだろう
ソファーで見上げた
庭で
おしっこをさせた
TVのニュースで
この国の総理が話していた
東京都知事の顔も見た
味噌汁を温めて
荒井くんが送ってくれた鱒寿司の残りを食べた
冷蔵庫には
正月の
紅白の蒲鉾と伊達巻が残っている
・
どうぞケーキを自由にお取りください *
* twitterの「楽しい例文」さんから引用させていただきました.
#poetry #no poetry,no life