こころを濡らす

 

佐々木 眞

 
 

久し振りに新橋のヘラルド・エースの試写会に行くと、いつものように最前列の左端に座ったヨドチョーさんが、声を枯らして
「映画を見なさい、良い映画を見ればこころが濡れますぅ」
と、皆に聞こえるように叫んでいた。

たぶん先日ここで上映された、『ローマの休日』事件のことをいうておるのだろう。

その日、おらっちときたら、あろうことかローマの宮殿で、王女のオードリー・ヘプバーンが「ローマ、断然ローマです」
というた瞬間、大の男が大声を上げて、泣いてしまったのだ。ほかの映画ヒョーロンカ連中が、誰も泣かなかったのにぃ……

くそったれ、一人くらい、泣けよ、
こころあらば、こころ濡らして、泣けよ!

こころ優しいヨドチョーさんは、おらっちのそんなこっぱずかしい噂を、紳士的に打ち消してくれようとしているんだろう。
有難いことだ。

まもなく、本日の試写が始まった。

上映されたのはタランティーノ監督の『レザボア・ドックス』だったが、あまりの暴力シーンの連続に、おらっちが狭心症の軽い発作を起こして
ニトログリセリンの白い錠剤を1粒飲んでいると、真中へんに座っていた落語家のタテカワダンシが、

「糞面白くもない、こんなエイガ見てられっか!」
と叫んで、隣の太った手下に「おい、けえるぞ」と告げて、会場からあらあらしく出て行った。

ヨドチョーさんも、おらっちも、それ以外の人も、試写会場の扉がグラグラゆれて、外光がチラチラ漏れ入るのを、みんな見ていた。
まるで『レザボア・ドックス』が、スクリーンをはみ出したみたいだった。

おらっち、なんせ招待された身だ。
いくら下らない映画でも、ダンシ師匠ほど勇気がないので、出ていけない。
じっと目を瞑り、心臓を抑えに抑えて、地獄のような100分間に耐えていた。

ヨドチョーさん、
こころを濡らす映画があるように、
こころを壊す映画もあるのです。

 

 

 

雨を受ける

 

さとう三千魚

 
 

墓参に
行った

昨日
女と

行った

義母の命日だった
犬のモコの四十九日だった

雨が
降っていた

アスファルトが濡れていた

墓参の後
女と

蕎麦を食べて帰ってきた

庭には
白木蓮の花が咲いた

白い蕾と花は
空にひらいていた

雨を受けていた

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

24時間無人スイーツ

 

工藤冬里

 
 

愛が気体に似ているのに対して
希望は生き物に似ている
そうこう不適切しているうちに
低い山はさらに低くなって
高い山は低い山よりさらに高く感ぜられた
荒唐無稽の希望が
釣銭無しの24時間無人スイーツ
長引けば長引くほど深まる
喜びましょう
アンチナタリズム?
でもhope in で既に「〇〇を待つ」という意味が含まれています
名詞と動詞は螺旋状に絡み合っています
希望がないと待たない
待たないと希望はない
自覚がないとぼやける
希望に希望を塗る
その生き物は強くなっていくだけ
自分は助けることはできないが
100万年でも待つ価値がある、と思わせる
体内60%水分
忍耐の自覚
自覚がないとぼやける
体内60%水分を24時間無人スイーツで無い釣銭に照らし合わせて
病院を抜け出した生き物

 

 

 

#poetry #rock musician

残雪

 

原田淳子

 
 

 

春が歩いてきて
落ちていたことばを拾った

まだ残る雪は
雲の国土のよう

何人にも侵されない白

香が抜けた透明な花弁に似た水

雨が雪を溶かすのか
あの子の肩に降る雨をだれが止めるのか

奪われた野にも春が来るのか

 

 

 

おりてゆく人

 

野上麻衣

 
 

記憶はひとつなぎ
ある記憶、ひとつ
とおくから

べつの記憶
ふたつ、
みっつ

ただ、
からだに頼り
やみをくぐり
やさしい音をあびれば

人はそこにいる、と
記憶はそこにある、と

かたっていたのは
そのなかの、こども
すべてのなかの
あかるいこども

 

 

 

また旅だより 66

 

尾仲浩二

 
 

大阪から船に乗って釜山へ行ってきた。
夕方に出港して昼に着く。
船客のほとんどは韓国の人たちで、売店の通貨も韓国ウォン。
飛行機よりも安い料金なので韓国の学生達がたくさん乗っている。
食事の後のアトラクションは船員バンドの熱い演奏で70年代ロックや韓国歌謡。
その演奏に学生達もノリノリでなんだか嬉しくなる。
後は部屋で焼酎をやりながら瀬戸内海の灯りを眺めていればいい。
朝方に玄界灘でに出ると大きく揺れだしたが、それも船旅の醍醐味。
帰りには釜山で刊行した写真集をたくさん持ち帰った。船に荷物の重量制限はない。
こんな楽しい国際航路を気軽に楽しめる関西の人がうらやましい。
なんとか大阪に用事を作って、そのついでにまた釜山へ行ってこよう。

2024年2月14日 東京中野の暗室にて

 

 

 

 

就這樣
こうなんだ

 

Sanmu CHEN / 陳式森

 
 

就這樣
在春節裡踐踏水仙濕潤的枝莖
重複的春夜,
貴重的沮喪。

就這樣
背負着沉重的玻璃飛行
出逃的淚珠痛,而且重。
蝴蝶潮濕。

就這樣
通往七樓的記憶失去了階梯;
新的疫苗獨自恐懼。

就這樣
在消防栓上痛飲,
孩子們離開前線,
流血的火。

就這樣
火中之栗沒有供出我們;
你失聲的歌在佛像前停留。

就這樣
灰燼灑落在我們的頭上,
警車被漆上紅十字
追捕傷員。

就這樣
歡呼的人群中沒有看到孩子;
皇帝裸身出遊。
鮮花越來越沉。

就這樣
囚人用骨頭銘刻文字;
春天不准出版春天!
甲骨失言。

就這樣
在另一個春天裏
鏡子彌留,
不再期待美的凱旋。

就這樣
你在這一刻離開,
沒有你流血的大海
只是動盪的水。

 
2024年春節 寫於寨城

 
    .
 

就這樣
 こうなんだ
在春節裡踐踏水仙濕潤的枝莖
 元旦に水仙の潤った茎を踏みつける
重複的春夜,
 重なりあった春の夜に、
貴重的沮喪。
 得がたい挫折。

就這樣
 こうなんだ
背負着沉重的玻璃飛行
 重いガラスを背負った飛行
出逃的淚珠痛,而且重。
 逃げ出した涙は痛く、そして重い
蝴蝶潮濕。
 蝶は湿っている。

就這樣
 こうなんだ
通往七樓的記憶失去了階梯;
 七階に通じる記憶は階段を失った;
新的疫苗獨自恐懼。
 新しいワクチンは自らを恐れている。

就這樣
 こうなんだ
在消防栓上痛飲,
 消火栓の上で痛飲し、
孩子們離開前線,
 こどもたちは前線を離れ、
流血的火。
 血を流す火。

就這樣
 こうなんだ
火中之栗沒有供出我們;
 火中の栗は我々には提供されず
你失聲的歌在佛像前停留。
 きみの声を失った歌は仏像の前に留まっている。

就這樣
 こうなんだ
灰燼灑落在我們的頭上,
 灰燼はわれらの頭上にそそがれ
警車被漆上紅十字
 パトカーには赤十字が塗られて
追捕傷員。
 負傷者を追い詰める。

就這樣
 こうなんだ
歡呼的人群中沒有看到孩子;
 歓呼の人々の中に子供の姿は見えない;
皇帝裸身出遊。
 皇帝は裸で練り歩く。
鮮花越來越沉。
 花はますます重い。

就這樣
 こうなんだ
囚人用骨頭銘刻文字;
 囚人は骨に文字を彫り刻み;
春天不准出版春天!
 春には春を出版することを認めない!
甲骨失言。
 甲骨は失言する。

就這樣
 こうなんだ
在另一個春天裏
 また別の春のうちに
鏡子彌留,
 鏡は留まるが、
不再期待美的凱旋。
 もう美の凱旋を期待できない。

就這樣
 こうなんだ
你在這一刻離開,
 きみはこのいっときに離れさり、
沒有你流血的大海
 きみの血を流した海はなく
只是動盪的水。
 ただうごめく水だけが残る。

 
2024年春節 寫於寨城
 2024年旧正月に砦の街で書く

 
 

日本語訳:みやこ鳥