michio sato について

つり人です。 休みの日にはひとりで海にボートで浮かんでいます。 魚はたまに釣れますが、 糸を垂らしているのはもっとわけのわからないものを探しているのです。 ほぼ毎日、さとう三千魚の詩と毎月15日にゲストの作品を掲載します。

撓垂れた *

 

姫林檎の

植木鉢が
玄関にある

胡蝶蘭と
紫蘭の鉢も

置いてある

胡蝶蘭は
義母の

葬式に兄と姉が送ってくれた

ひとつでは

仏壇が寂しいから
もひとつ

女が買った

もう
白い花は落ちて

緑の厚い葉が光っている

紫蘭は
義母が育てていた

姫林檎はいつだったか
義母の誕生日に

玄関に飾った

春には

白い花が咲き
夏には

小さな実をつける

玄関のポストの下にはアロエが生い茂っている
盛り上がってトゲトゲの緑の葉をひろげている

義母のアロエだった

毎朝
水をやる

姫林檎にも
胡蝶蘭にも
紫蘭にも

新聞を取りに出た時には水をやる

それでも
夏の午後には撓垂れていた

撓垂れるの”撓”は”しほる”とも読むようだ

しほる
しほる


目覚めてしほる

朝早く目覚めてしほる

新聞を
取りに出る

花に水をやる
植木鉢の土の窪みに水は溜まる

 
 

* 工藤冬里の詩「holy sunameri moters」からの引用

 

 

 

holy sunameri moters

 

工藤冬里

 
 

-1.先週までのあらすじ(ネタバレ)

人生のアーカイブ化を図るK(60)は、文壇もとい分断された詩の場所を統合しようとして失調し、ウィーン分離派があるなら日本分離派はないのか、などと呟きながら財布ごと銀歯を失くした呂律の回らぬ頭で反メルキゼデクを妄想する。空港近くで避難警報を受信するが、町の避難訓練だと分かると宙吊りにされたままビッグコミックオリジナル9月20日号佐藤まさあき「夕映えの丘に」再掲を読み、モノクロームの線が赤より赤いことに驚く。遠藤水城の満を持したアイトレ文に刺激され、「痺れるような柔和さと燦めくような分かり易さで諸体制の延命を図る頭脳らの世俗性を俺は拒否する/体制に延命など要らぬ/今滅びろ」とツイートする。青い朝顔の、午前中だけ続くその栄光を活ける。ブレードランナー2049を観、未来はなく過去を変えることでしか今の栄光はない、との思いを強くする。三万いくら入っていた財布を運転免許やカード類と共に失くし、タイヤをパンクさせられ、映画館駐車場の側溝に落ちて左大腿骨を強打し、巣立後のオスの足長蜂にまで刺され、身分証明にと持ち出したパスポートまで失くした状態は、自分が地雷として愛を定義してしまったことに因る彼方側からの攻撃と信じ込むが、金を拾うなどのいくつかの不幸中の幸いとでも呼べる出来事があり、幸福とは不幸度7に対して3くらいの割合で生じてゆくものだなどという間違った人生哲学を開陳するまでになり、止揚を相殺と訳すノヴァーリス、偶然と悪霊が殺し合うのか、などと分断/統合の結末を呪いながら、切れた筋肉に絆創膏を貼って灰に赤い糸の混じった眠りに就くのだった。

 

0.創(キズ)

目覚めれば満身創痍と分かるだろうきずをつくると書いて創造
絆創膏剥がす速度を速めればきずなのきずは一瞬で済む

顔の上で
金八先生のようなことを打っているうちに
また寝てしまい
緩んだ手から眉間に降ってきてさらにベッドの
下の硬い床に落ちました
慢心創痍工夫

 

1.次の日

チャンジャ高かった?
よく見れば灰とピンクでアルトーぽい
白にも色々あるね
車を選ばされる社会
先生 トイレに行っていいですか
と言えず池田さんの足の周りに水たまりが広がっていった
過去を変えるだけのヒーロー
文字を立体にするだけの落書きが
後の映画のエンブレムになろうとは
レプリカントの血のように
弁当のチャンジャ
国分寺の坂を下った
深夜もやっている定食屋で
若い人達はチキンカツ定食を食べていた
そこでチャンジャを見つけた時は嬉しかった
幕の奥に振りかける
イエス、幕は肉体である
故意の恋の罪に犠牲は残されていない
最後から二番目のセミがまた啼き出した
背広は袖が狭くて手首が入らない
どうしても死が必要である
代わりの血で契約を
地平線近くで興ると雄大に見える
濁点は付けないでくれ
おしゃれ泥棒
心に置き頭に書く 法律
撓垂れた観葉植物
拓輝は ひろき と読むのか
みんな親に似てるなあ
親の親を五十代くらい遡れば
もっとトマトやキュウリが出来るだろう
地上に建てるものではない
前に話したじゃないですかー
ここで眠くなっちゃった
インタビュイーはこたつの中で髪を七三に分ける
次の日を心配しなくていい
次の日はない
次の日を末席に坐らせる
私は次の日である
過去が、次の日なのである
声たちが、席に着いている
次の日は招待されたが断った
駄菓子屋のような風が吹いている
露地や小径に行き、誰でもいいから無理にでも連れて来なさい
笑ってない

 

2.居酒屋「ラッキー」にて

いっぺん病気でもせんとこりゃ無理やな
でもこれは所詮にんげんのものがたりだ
なんてこった
柿の実が俺に当たる

 

3.すっからかん節

すっからかん
すっからかん
ジャック・ラカンもすっからかん
五百羅漢もすっからかん
次の日はない
妄想の中で過去を変えることの中にしか
希望はない

 

4.敵の土地で朽ち果てる

告別の間僕は眠っていた
言葉は洞門の内壁を伝い
上流に抜けていた
認知が完全に進んだ時
司会者が町にやってきた
鳥籠を持って
羽が生えるのではない
羽で覆われるだけなのだ
今はセメントが居留地を覆っている
黝ずんで、SFのセットのようだ
破戒的な疫病が蔓延し
竹冠と草冠を取り払った剝き出し
真昼の決鬭から門構えを取り払うとどうなる
災厄がテントに及ぶことのないためには
鳥籠を避けなければならない
上流で言葉は禁令という石に打ち付けられる
正面から攻撃してくるのはライオンとコブラ
禁止の報せを帯びたディスプレイは青味がかっていて
迫害自慢の目隠しを外せば
吹き抜けの夜空が見通せる
手を並べ小さい恐龍と大きい恐龍、と言う
蓋を開けてみれば、
あるいは蓋から草冠を取り去ると、
私達は石のように笑っていなければならなかった

私は敵の土地で,生き残る人たちの心を絶望で満たす。彼らは,吹き散らされる木の葉の音に追い立てられ,誰も追い掛けていないのに,剣から逃げる人のように逃げて倒れる。誰も追い掛けていないのに,剣から逃げる人のように互いにつまずく。敵に抵抗することができない。 国々で死に,敵の土地で息絶える。(lev26:36-8)

荷を負い、外国に引っ越すべきか
隠し場所を決める
口籠で守る
口籠から竹冠を取り外すと
詩は用語を変えて
分裂したパーティーは長く続かない
牛乳パックの絵のように
或いは夏ツバキの幹のジグソーパズルのようにして
嫉妬を克服した
バレエの骸骨
追うマンガ
敵の土地で朽ち果てる (lev26:39)

 

5.共鳴しない秋の歌

君がいるのはいけないことだ
と歌う声がカーラジオから流れてきて
ぎょっとした
なやみつかれてまちのなか
と続いた
草野さんの声だということは
その頃にはわかっていた
検索すると
悩み疲れた今日もまた
だった
研究?している人もいて
カレーという語が出てくるのは
エンケンへのリスペクトだ、
ということだった

 

6.道連れ

死ぬ死ぬと言わせ
それはこういうことかと言わせ
受け身を加速させ
道連れの豚の群れに
ひこうき雲を聴かせて
食べられない体にしてから殺す
せめて食べてくれればいいのに
分かりました
フェストフード店に
言っておきます
あなたを食べた生き物を出しましょう
ありがとう
それでこそ政治家だ
どういたしまして
それがアジェンダとしてファーストですから
ああ
何とかの何とかが第一てやつのことですね
ありがとうありがとう
では一緒に歌いましょう
ごりん ごりん ごりん
りんごはごりんじゅう
じゆうなりんご
りんごは捥がれた
ところで
移動を禁じられるとは思ってませんでした
江戸時代はそうだったのは知っています
りんごは
自転車でモールに行き
百均で働いているだけですから
いいんですけど
農協も忙しくて
頼んでも田植えに来てくれないので
ふしぎな単一の植物がひょろひょろ伸びて
メキシコのさばくのようです
一度行ったことがあります
国境付近でした
UFOしか観光資源がない町という触れ込みで
プラダが店出してました
砂漠の真ん中にぽつんとプラダ
プラザ合意って知ってますか
留学したのはその前です
気分は田中英光でした
その頃は連絡船の出航用に紙テープが売られていました
海に色が溶けて
汚染といえば汚染でしたが
分かりやすい汚染でした
私企業とか紙テープとか
ウカマウがよくやる、
責を負うのは誰それであるという
分かりやすいターゲット設定の快感
それが今は
マリオネットだから
マリーアントワネット
ネットのマリオ
マリというオネエ
デラックスなターゲットだねえ
キンに目を向けさせる
キンのマネー
マネ菌

禁令下の
ジャーマネ
ゴダール曰く
いまや蚊の方が真剣だ
道連れで壁という曲を思い出したんですけど、元の詩は
たくさんのかべ
たくさんのおり
たくさんのろうや
それがくずれるとき
わたしの体も破裂するのだ
花をつめ
花をつめ
うつくしい花
すぐにくさってしまう
うつくしい花
という、シュトゥルム・ウント・ドラングの詩人レンツの影響下にあった礼子によるロマン主義的なものでした。初演は椎名町消しゴム画廊、角谷と礼子と僕の三人でした。その数年後に出たピナコテカ盤の、道連れのキクノハナ、という歌詞は、欠落を埋める気質のある攝が忖度して付け加えたものです。崖から飛び込む道連れはいいからきみはもう独りで歌え。

 

7.エンドロール

財布は戻り、事件は解決した。しかしKの胸にはいつまでも消えない重苦しさが残った。

「あの、俺さあ、もう詩人刑事やめようと思うんだ。所詮俺の居場所なんてなかったんだ、ってね。」
「それな」
「・・・」

 
 

シーズン2-1に続く クリック

 

 

 

”ぷ”は”ぷ”に”ぷ”と

 

一条美由紀

 

私は”ぷ”。絵を描く”ぷ”
”ぷ”は詩を書く”ぷ”に会った。
詩を書く”ぷ”の周りはいろんな”ぷ”がいる。
写真を撮る”ぷ”、映像を作る”ぷ”、歌を歌う”ぷ”
話す”ぷ”、歩く”ぷ”、犬のふりをしている”ぷ”
”ぷ”は”ぷ”が好き。”ぷ”は”ぷ”が作るものが好き。
共鳴し、増幅し、発酵する”ぷ”。

見える”ぷ”に潜む隠れた”ぷ”を見つけ出す。
”ぷ”の周りは”ぷ”でいっぱいになる

”ぷ””ぷ””ぷ””ぷ””ぷ””ぷ””ぷ””ぷ””ぷ””ぷ””ぷ”

ありがとう”ぷ”、幸せなのさ”ぷ”

 

 

 

また旅だより 13

 

尾仲浩二

 
 

明日で期限が切れる青春18きっぷをもらってしまった。
やらなければいけない事はあれこれあるのだが、とにかくどこかへ行かなければならない。
台風一過でこの夏の最高気温が予想されているなか、中央線を乗継いで塩山へ。
ブドウ畑が広がる盆地は暑い、すぐにグレーのTシャツがマダラに染まる。
人影のない商店街を抜けると寂れたちいさな温泉街があった。
入湯料400円と東京の銭湯よりも安い。
片道2時間半掛かったけれど電車賃はタダだし、なんだか少し得した気分だ。

2019年9月10日 山梨県塩山にて

 

 

 

 

ばってき

 

道 ケージ

 
 

君をバッテキすると言ったはいいが
バッテキの字が書けない
白板の前で佇むが
書かなきゃいいか
「おめでとう!」
声でごまかす

でもね
なぜバッテキが書けないのか?
この字はおそらく
生涯一度も書いたことはない

そんな字がある
一度も書かず
一度も読まれない字

そりゃあ、辞書は読むし
人の知らない言葉を探したり

なぜか
ばってきに
出会わなかったことが

妙に
うれしい

 

 

 

人とそのお椀 07

 

山岡さ希子

 
 

 

あおむけ 足はあぐら 左足を深く曲げ 右足裏を軽く左足の脛に添わす 
頭側は少し低い 左の腕は肩の上で 肘を曲げ 手のひらに椀をのせる 右手は股のところ 掬うような形 それを少し覗き込んで 手相を見るような 手のひらの汚れを確認するかのような 不安

 
 
 

分離 *

 

絵を見た

絵を見て
帰ってきた

高速バスで帰った
由比の港の横を通ってきた

絵には
灰色の顔の男がいて **

スープをのんでた
ちいさな子どもの手をひいていた

子どもは
いつか灰色の男になる

男は
いまも

浮かんでいる
ポッカリと浮かんでいる

夏風邪をひいている

ポッカリと白い雲が浮かんでいる
ちいさな子どもの手をひいている

 

* 工藤冬里の詩「アルシーヴ」からの引用

**一条美由紀さんの個展で見た灰色の顔の男

 

 

 

平和の少女像

 

駿河昌樹

 

美は衆人の目を避ける。
うち捨てられ、忘れられた場所を求める。
そこでしか、その姿と、気品と、本質を再現する光に
出会えないことを知っているためだ。   エズラ・パウンド

 

題名も
作者名もなければ
よかったのに

思う

ものの見かたを限ってしまうような
一方向に導いてしまうような
紹介も
コンセプト解説も
なければ
よかったのに

たゞ
そこにある
置かれてある
それだけで
よかったのに

近寄って
もっとよく見てみようとしたり
遠ざかって見直そうとしてみたり
見に来たひとに
そうしてもらうだけで
よかったのに

そんなところから
その造形物のまわりに芽吹くかもしれないものが
芸術
ではなかったのか

ぼくはさびしむ

慰安婦像
などと
呼ばれてしまった像の顔は
むかし
むかし
東京の端っこの町で
まだ二歳や三歳ほどだったぼくと
着せ替えごっこやお手玉をしてよく遊んでくれた
近所のおねえちゃんたちの顔に
似ていた

むかし
むかし
といっても
もう戦争はとうに遠のいて
子どもが
たゞの子どもでいられるようになった
むかし

題名も
紹介も
解説もなければ
あの頃のおねえちゃんたちが
ちょっと疲れて
椅子に座っている姿に
ぼくには見える
その見えかたのおかげで
まだ二歳や三歳ほどだったぼくに
ひととき
ぼくは戻ることができ
厚紙の着せ替え人形を何体も並べていた
どこかのお家の畳のにおいや
小さい子にはちょっとこわく見えた
部屋の隅の薄暗がりや
お庭の生け垣や
立ち並ぶ柾木や菖蒲の葉や
舗装もしていない外の道の土のにおいまでが
いちどに蘇ってきて
あの像は
ずいぶん大事なぼくだけの世界への入り口になってくれる

どこの展覧会に行っても
美術館に行っても
題名も
説明も
いっさい見ないで
すぅっと
人影を避けて泳ぎ去る川魚のように
絵や
彫刻や
そのほかの造形物を
見て
流れていくのが
美術とかアートとか呼ばれるものとの
ぼくのつき合いかたに
いつのまにか
なったが
もとの淵に戻ってくる川魚のように
こころ惹かれたもののところには
また
ぼくは
すぅっと
戻ってくる
ひとつの絵や彫刻が
ぼくにとっての
ぼくにとってだけの
芸術に
なっていくのは
そんな回遊がくり返されたのちのこと

広告会社や
イメージ戦略ばかり考える
腹黒い大企業や
軽佻浮薄な表舞台で名利を得ようと必死の
ゲージュツカさんたちや
アーティストさんたちや
美術史家さんやキュレーターさんが醸し出す
あの
風俗業界の雰囲気によく似た
べったり感や
よどみや
ウルサさは
♪バーニラ、バニラ、バーニラ……*
と大音響を立てながら
少女たちを
現代生活という戦場の慰安所へ勧誘していくものの雰囲気に
ずいぶん似ている
そんな雰囲気のなかに棲みこんで
金と名を掻き集める者たちの
これっぽっちの控えめさも自己反省もない
居直り切った
押し売りそのもののプレゼン攻めに
(やめてくれ…
(頼むから…

うっかり
ぼくは
祈るような気持ちに
なってしまう

題名も
紹介も
解説もなければ
よかったのに……

見かたを
強いられることがなければ
よかったのに……

そういうのが
芸術
ではなかったのか

さびしむ……

まだ二歳や三歳ほどだったぼくと
着せ替えごっこやお手玉をしてよく遊んでくれた
近所のおねえちゃんたちの顔に
似て見えるとき
あの像は
ぼくのなかで
ほんとうに
平和の少女像となる

ぼくも近所のおねえちゃんたちも
むかし
むかし
東京の端っこの町で
人類史上めずらしいほどの
小さな平和にすっかり包まれて生きた!
そう生きることができた!
こう思うとき
あのおねえちゃんたちと同じ顔をしながら
そう生きることができなかった
べつの時代のおねえちゃんたちがいた!
という思いの流れの先に
時代や個人的経験に限界づけられたぼくひとりの目と違う
もっと大きな目が
きっと
開眼していく

なにも
見落さない
なにも
見逃さない
目……

 

*高収入求人情報バニラ
https://qzin.jp/

 

 

 

アルシーヴ

 

工藤冬里

 
 

‪分離はほんらい‬
ひとつだったものの記憶だ
剥がそうとすればするほど
上へ上へと逃げる

父も母も系譜もなく
いつ生まれていつ死んだかも分からない男に永遠は属する

歯が無いので呂律が回らない
呂と律で楽となるが
楽の音は廃され
契約は新しいものに取って代わられた
あらゆる通知がそれを知らせる
その度に携帯は震え
避難訓練だと教える

洗濯機の渦の中に愛情を流し込む
夕日のパノラマの中
車は赤より赤くモノクロームを走る
オタマジャクシの呂律はデジタルなマーカーで蛙の項を囲い
バターナッツかぼちゃのラインの分かり易い契約を知らせる
揺れる謡の展示の延命

痺れるような柔和さと燦めくような分かり易さで諸体制の延命を図る頭脳らの世俗性を俺は拒否する
体制に延命など要らぬ
今滅びろ

体がない!
きっと病気になる
欠落と妄想を上に分離して
完全にアルシーヴの時代となった
glory,kept open
未来はなく過去を変えることでしか今の栄光はない

タイヤは換え此方側familyの善意で手帳は見つかったが体がないので生贄としての財布を失くす。それは愛の定義の暴露に依るものだから隙とかじゃなく防ぎようがない。此方側の認知の問題ではなく彼方側の悪意の問題なのだ。非道く攻撃され灰は糸の血を咥え てれん とした朝だこと
止揚を相殺と訳すノヴァーリス、偶然と悪霊が殺し合うのか

更に蜂に刺される
溝があるのに気付かず大腿骨を強かに打撲する
パスポートも失くしたことに気付き