在最後的春天裡;
最後の春のなかで、

 

Sanmu CHEN / 陳式森

 
 

在最後的春天裡;
總是散去,雲和人
而靈床堆著經籍泥土
有蜂,有傷口
沈重的段落
是陰鬱的中提琴。

在最後的春天裡;
群蜂飛舞。
蜂鳴,將挖出的泥土存放。
骨頭!危機的碑片
岩塊和鐵,還有土,
以及水的阻力。

在最後的春天裡;
露出傷口。
哦!鳥啊,只有骨頭堆才算數!
寄存的雨如史無聲
而心,畫軸一般展開。

在最後的春天裡,
嶄新的特首說:「我,和我們」
預告春天的囚徒
明天將再被捕⋯⋯
而山徑通向原野,
拔節的芒草在練習祈禱。

在最後的春天裡;
一顆落單的念珠遺置靈床。
昏死如同「相信」。
我的呼吸只是風的一部分;
虎斑是聖城的遺囑。

 

2022年5月11日 香港西貢

 
    .
 

在最後的春天裡;
 最後の春のなかで、
總是散去,雲和人
 結局は散ってゆく、雲も人も
而靈床堆著經籍泥土
 そして遺骸を横たえるしとねには古書が泥のように積み重なる
有蜂,有傷口
 蜂がいる、傷口がある
沈重的段落
 重苦しい一節は
是陰鬱的中提琴。
 陰鬱なビオラだ。 

在最後的春天裡;
 最後の春のなかで、
群蜂飛舞。
 蜂が群れ飛ぶ。
蜂鳴,將挖出的泥土存放。
 蜂は羽音を立て、ほじりだした土を置いていく
骨頭!危機的碑片
 骨! 危機を伝える石碑の破片
岩塊和鐵,還有土,
 岩塊と鉄、そして土、
以及水的阻力。
 さらに水の抵抗。

在最後的春天裡;
 最後の春のなかで、
露出傷口。
 傷口をさらけ出す。
哦!鳥啊,只有骨頭堆才算數!
 ああ!鳥よ、骨の山が築かれてそれでやっと恰好がつくというのか!
寄存的雨如史無聲
 預けられた雨は歴史のように音もないが
而心,畫軸一般展開。
 心は、掛け軸のように拡げられている。

在最後的春天裡,
 最後の春のなかで、
嶄新的特首說:「我,和我們」
 こんどの新しい行政長官はいう、「私、そして私たち」と
預告春天的囚徒
 それは春の囚われ人が
明天將再被捕⋯⋯
 明日にはまた捕らわれるのを予告するかのようだ・・・
而山徑通向原野,
 そして山道は原野に向かって通じ、
拔節的芒草在練習祈禱。
 ずんと伸びたススキはお祈りの稽古をしている。

在最後的春天裡;
 最後の春のなかで、
一顆落單的念珠遺置靈床。
 ぽつんとひとつの数珠が遺骸を横たえるしとねに残された。
昏死如同「相信」。
 気絶して正気を失うことは「信じる」ことと同じだ。
我的呼吸只是風的一部分;
 私の呼吸は風の一部分にすぎないのだが、
虎斑是聖城的遺囑。
 南の海の宝貝は聖なる都の遺書なのだ。

 

2022年5月11日 香港西貢 
 2022年5月11日香港・サイクンにて

 

日本語訳:ぐるーぷ・とりつ

 

 

 

 

 

薔薇の名前

 

工藤冬里

 
 

アニソンを通してしか真理を語ることが出来ないのでアキシュの王を騙す
格上シャンベルタン対密造ビオのような敗戦が繰り越されている
名前を見てから花を見るのと、花を見てから名前を見るのとどう違うか比べながら歩いた
どうも言葉が先らしい
脳は誰だか分からぬまま一枚づつ着せられて何処に戻るか
薔薇は花ではない

ヴィブラートが滅びを跨いでいる
怯えたヴィブラートは無駄な信仰
石の上の奇矯な行動によって認められる
娼婦の行動も記念として垂れ下がった
個人の墓から思いの中に取り出して
さらに餅をください
生来の意欲の前段階をimmnotherapyで強めてください
中間色の版画家の石の色した物語りの中で
家族は
民族浄化の決定がなされてからエステに意味を付与するしきたりが始まった
王にもフィッシング・メールを送ったので
教授の講義のテーマが変わった
仮面の内側の大三島は
ビールだけではない
royce’は信じない
負けない
親しくならない
死ななくていいので地上の体の各部を殺せば
プレス機で押し潰される前に弁当箱を救う
トイレで平手打ち
あゝ無理なことではないんだ
石化した盾型の白や青ざめた孔版画のヴァージョン
無理だと分かるには時間がかかる
毎日が宴会
限界だが離れたくはない
新しい人形の筋膜注射
音声案内のAI嬢にG.I.joe
思い出グラスシャンベルタン
東西南北ではなく上下内外を見る
今は木はみどりではなく黄色
石手川のほとりで枯れなかった
嘘をつくことだけ不可能
形式を遡る
踵を砕くとはもう地上でサンダルを履くことはないから
見えるものは張りぼてなので
ものづくりに価値はなかった
時間は水とは違って溜めることができない
午後の秋
のいろどり
従順な行動を伴っている千人に一人
の花

 

 

 

#poetry #rock musician

歩いて

 

駿河昌樹

 
 

     Suis-je amoureux ?
     ―Oui, puisque j’attends.
      Roland Barthes
      〈Fragments d’un discours amoureux〉 1977

 
 

雨がうつくしい

たぶん
迷子になったまま

歩いて

あるか
なきかの
こころの
花ばな
つよくはない
やさしく降る雨に
打たして

歩いて

やわらかい葉が
もう
いっぱい出ていて

雨に打たれて

わたしも花ばな
あるか
なきかの
こころの
花ばな

逝ってしまったひと
逝くひと
はじめから
いなかったひと

雨に打たれて

花ばな

夜ですから
くらい
くらい
もっとくらいところへ
行こう

歩いて

こころの
花ばな

《わたしは愛しているのか?
 ―そう、
 わたしは待っているのだから》*

 
 

*ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』(1977)

Roland Barthes 〈Fragments d’un discours amoureux〉, Seuil, 1977

 

 

 

餉々戦記(茶碗蒸し、て、みた 篇)

 

薦田愛

 
 

茶碗蒸し、て、みた
いつもしきりに食べたいああ食べたいと
唱えるほどではない
けれど好きなのだった淡いあじわいの ぷるる
と言ってすぐ食べに行ける先も思い当たらないのなら
つくるのが早い
と思えるくらいに少ぅしずつ
つくることに慣れてきた
ちょっとくやしいけれどつれあいユウキの作戦に落ちた気がする
「男でも女でも生きていく上で何でもじぶんでできれば
 困ることがないよ」
って たしかにね でも
蒸し器もあるのに仕舞いっぱなし
なぜだろう 毎日使うフライパンや片手鍋が気楽
っていうのは言い訳でたぶん
じっさい出して使ってみれば同じくらい
気楽で便利なんだろうな
新聞の小冊子や日曜版の
カラー写真つきレシピにそそられるとスイッチが入る
つくったことはなくても食べたことのあるものはなおさら
なになにフライパンに水張ってつくれちゃうの
蒸し器出さなくてもいいのなら一段と楽
茶碗蒸し、て、みた
蓋つきの器はあったはずが見当たらなかったから
百均でありあわせの白いのふたつ
新聞紙に包んでエコバッグの底へ

あれは勤め先が大手町、お濠端に移り
にょっきにょっき高さを競うオフィスビル林立するのを逃れて
大通り隔てた隣に
小さなビルや路地の多い内神田という町があるのを知ったころ
ふるびた長崎料理店をみつけた
ランチメニューのちゃんぽんや特別定食という文字と並んで
茶碗蒸し定食七百円
ちゃ ちゃわんむしですか
釘づけになったのだった食べてみた
小ぶりのどんぶりに満ちみちる
なるとだったか鶏肉に椎茸
海老も入っていたはず ああ
ゆるいめの出汁がにじみ出すクリーム色の
卵の生地 たぷったぷぐじゃあ
ふうふう冷ましながらうずめる匙をあふれる
たぷっふるっぐじゃあっ
出汁のいってきまで平らげたっけ
いったい卵いくつぶんだったろう
そういえば
タルトやミルフィーユ、シュー皮にずっしりつまったカスタードクリーム
だいこうぶつ
出汁巻き玉子にスクランブルドエッグにプリン
つまるところ卵ものが好きってことなのかな

茶碗蒸し、て、みた
その夜何度めかの
茶碗蒸し、蒸してみた
雛の節句にさむい雨いえ雪まじり

前の日もその日も出かけそびれて身もこころも屈託
日脚は日々のびているのに雲が低いと
暮れるのもなんだかはやい
紙箱にねむる小さな陶人形のお雛さまも飾りそびれ
玄関に生けた桃のはなびらかじかんでいる
ちらし寿司はハードルが高いけれどせめて
蛤のお吸い物くらいつくってみたいなと
去年みつけたレシピもファイルの紙束に埋もれたまま
せめて せめてもと
畑でとれて冷凍してあった黒枝豆を茹でて剝くむく
おおつぶの黒いうすかわやぶるなかから
あさみどり
地物の椎茸四つ割りボイル済みの小海老も
ふたつの器におさめ
卵ひとつに出汁一二〇ミリリットル
醤油とみりん小さじ一杯ずつ加えてざるで漉っすっ
のだけれど
らっらんぱくううっとスプーンにも菜ばしの先にもあらがい
ざるっううっの目をとおっらなぁいいっ
ああぁっ
ごぞごぞティースプーンでこするざるの
金属のあまいにおい
うっぐうっぐ
初めてつくったとき何げなく茶こしで漉したらぜんぜん通らなかった
ううっぐんっぐ はあ
すこし白いものがのこるけどこのくらいでいいや
そそぎ分けて蓋 あ フライパン
水は張ったまままだ沸かしてなかったよ
ぐつりぶくりぐらりぼこっ
あわのさなかへ並べて中身の半分の湯量でって
蓋したままじゃ置けないから外し
ぐらっ あつっ 並べてからかぶせて
湯気よけのキッチンペーパー畳んでのせフライパンの蓋
弱火にして十五分 タイマーをセットしてスタートし忘れることもしばしば
ああもうこんな時間
出すのずいぶん遅くなるな

百均でみつけた器は小さく
レシピどおりの量だと卵液が余るので
三分の二に減らし醤油とみりんも半量にしたらちょうどいい
濡れてあつあつなのをまた蓋を外し
落とさないように救いだしてぬぐって蓋
冷めないうちに食べたいなあ
と思っていたのに

雛の節句
さむくて身もこころも屈託
仕事帰りのつれあいユウキはバスタブに湯を張ると着替えをとりに二階へ上がる
その
すれ違いざま
なにか
なにを言ったのだったかわたし
なんと応えたのだったかユウキ
「きみの声は小さくてよく聞こえないんだよ」
ということもあったから
聞こえなくていらだったのだったか
うつむく気持ちが身体のふちをあふれて
せきあげる
声をのみ玄関わきの部屋でダウンコートと帽子
次の日からふたりで出かけるので着替えを入れてあったリュック
大きな傘と手袋も手に引き戸をあける
降っている 斜めに
みぞれまじりだ
斜めがけサコッシュには懐中電灯も入っている
鍵をかける
四方が山の町は街灯もまばら
田畑広がる集落は大通りまで真の闇
懐中電灯のちいさな明るみを差し出しさしだし
歩く
きのう家の中の急階段を踏み外して尻餅をついた
ガラス戸にぶつけた膝もかすかにいたい
躓かないように転ばないように
ああすっかりばあさんだ
雛の節句
なのに
なあ
十八分歩けばショッピングモール
路線バスは走っていない時間だけれど
家から四十五分歩けば駅
大阪に出れば宿はある
その前になにかお腹に入れよう
閉店まぎわのモスバーガーでラテに照焼バーガー
食べたかったのはこれじゃない
みぞれまじりの中へまた傘をひろげ
通りに出る 
と 
トタラトラタン トテラトラタン
握りしめていたスマホが鳴る
ユウキだ
「どこにいるの」
ゴダイの前だよ *
「ごはん食べよう 迎えにいくよ」
湯冷めするよ
「いいから ゴダイの前だね」
たちどまる
まっすぐ駅まで歩いていれば
一時間に一本の電車に乗れていた
白い車を待ちながらゴダイで
地酒と
ユウキの好きな赤ワインを買う
白い光の中を
歩く
歩きたかったんだと
独りごつ

雛の節句 
ダウンコートをぬぎリュックをおろし
ソファに並び 
ふたり
冷めた茶碗蒸しに匙をいれる
灯油ファンヒーターが音をたてる

 

 

 

頑張ってる音

 

辻 和人

 
 

すぅーっふぅーっずこんっこん
透明プラスチック越し
頑張ってる音、聞こえそう
ちょっと低体重で生まれたコミヤミヤ
保育器のお世話になってる
口には管、胸にも手にも足にもセンサーが貼られて
横のモニターには刻々変化する数字が映し出されてる
「お父さん、娘さん順調ですよ。
ぐったりしてるみたいに見えますけど違うんです。
保育器の中でいろんなことを勉強してるんですよ。
呼吸の仕方とか
体温の調節の仕方とか
栄養の摂り方とか
一生懸命覚えてるんです。
すごく活動してるんですよ。
応援してあげて下さいね」
ぼくの横にそっと並んだ先生が言う
確かにコミヤミヤ、動いてる
今、それっ
口をちょぼっとさせた
手の先をぴくっとさせた
お腹をひゅういっとしならせた
緩慢に見えるけど
緩慢どころじゃない
呼吸も体温も栄養も
力いっぱい勉強して
その結果がモニターの数字を
刻々突き動かしている
すごいね、コミヤミヤ
すぅーっふぅーっずこんっこん
頑張ってる
頑張ってる音、聞こえそう

 

 

 

 

みわ はるか

 
 

大きな喪失感に包まれている。

有限な人生の限界を真正面から突き付けられたような気がした。

 

3月下旬。

その日は休日出勤で14時頃に仕事が終わり、リュックを抱えながらおもむろに携帯を取り出した。

1件の、これまたメール嫌いな幼なじみからの連絡の様だった。

珍しいこともあるもんだなと疲れた頭で何だろうと考えていた。

階段をのろのろと降りながら中身をチェックする。

「はっ」と心の声が出ていたのかもしれない。

すれちがう人が怪訝な顔をわたしにむけていた。

わたしは、必要最低限書かれたその文面を何度も何度も繰り返し目で追った。

にわかには信じられないものであった。

「◯◯亡くなった。今日の未明。」

それ以下でもそれ以上でもなく、ただそれだけが書かれていた。

ただその文面がわたしに与える衝撃はどんな長文よりも大きいものだった。

守衛さんにいつもと変わらない笑顔をなんとか作り挨拶をし、駐車場まで歩く。

座席に座りゆっくりとメールの送信者に電話をかける。

コールの時間はものすごく長いように感じた。

彼も詳しいことは分からないようであったが、紛れもない事実であることは確かなようだった。

30代前半、働き盛り、奥さんもおり第2子妊娠中であった。

駐車場からしばらく動けなかった。

久しぶりの晴天で雲が流れるように漂っていた。

何十年かぶりの雪もやっと通り過ぎ、快適な気候がこれからやってくる。

街の人の気分も高揚し始めている。

いつもと変わらない日曜、になるはずだった。

わたしの心はぐちゃぐちゃと、せっかく積み上げたブロックが一気に崩れていくような気持ちになった。

 

彼も含めた幼なじみ3、4人でSNSでグループを作って、近況や集まって犬の散歩をしたりご飯を食べたりしていた。

お互いの結婚を祝ったり、同じ業界で働いていることもあり悩みを相談したりしていた。

住んでいる所はバラバラだったけれど、誰かの帰省に合わせてよく地元の焼肉屋さんに行った。

きれいとは言い難い所だったし、店員さんもさして愛想がいいわけでもないし、匂いや油はベトベトに服につくようなとこだけど、育った町のそこにある焼肉屋、小さいころから変わらず在り続けてくれるというだけで安全地帯だった。

わたしは知っている、遅れてきたメンバーのために、一度焼いて皿に移してあった肉をそっと網に戻して温めなおしていたことを。

急に写真を撮って、こういう何気ない瞬間を大事に保存していたことを。

みんながアルコールを飲みたいと言ったら、必ず運転手をかって出ていたことを。

うちの実家の犬を可愛がってくれたことを。

注文1年待ちの鉄のフライパンをこっそりと注文し、わたしの結婚に間に合わせようとしてくれていたことを。

 

みんなきっと知っている。

彼の家族は誰に対しても親切で、例外なく彼も親切であるということを。

 

わたしは今でも連絡できる他の幼なじみに事の顛末をゆっくりと、正確に電話で伝えた。

誰も知らずに過ぎていくのはあまりにも不憫だと思ったからだ。

みんな相当驚いていたし、中にはその日結婚式だった人もいた。

人生はむごい、そして神様は意地悪だと思った。

みんながまたそこから知りうる限りの人に連絡してくれたようだ。

最後のお別れに行ってくれた人もたくさんいたと人づてに聞いた。

わたしは、GWに伺う予定だ。

現実を突きつけられるのはかなり怖い。

しかし、行かねばと、残された人間はそれでも生きていかなければいけないのだと思っている。

 

11年前、事故で同級生を2人すでに亡くしている。

空を見ると3人の顔が思い浮かぶ時がある。

死後の世界が本当にあるのだとしたら、3人でもう何もストレスや苦労もなく穏やかに焼肉でもしてるのかな。

お酒も二日酔いを気にすることなくたらふく飲めるね。

いつかわたしもその日が来たら仲間にいれてよね。

 

グループメッセージの既読の数が1つ減った。

何日待っても既読にはならない。

アイコンの写真だけが笑っている。

 

人生は幻だ。

 

 

 

水の女

 

塔島ひろみ

 
 

イザナミのおしっこから生まれた女神のミツハは
グレて 眉をそり 髪を染め
大麻、覚せい剤、何でもやり
次から次へと男と寝た

水のむらは治水のため 川をつくることを思いついた
人柱に素行の悪いミツハを立てる
ガムをくちゃくちゃやりながら ミツハは笑いながら埋まっていき
水の女神として祀られた
水を治める神 舟や子を水から守る神
稲作の村の灌漑用水を守る神

時代はうつり 橋がかかった
土手の工事で邪魔になり 社は下流にどかされた
産業、産業と 村はいい始め
田んぼはつぶれ 町工場がつぎつぎに建っていった
そばの荒れ地に大きな建材屋ができたころ
ミツハは社を離れ 人界におりた

おしっこから生まれ
人柱になり
工事の邪魔だとどかされた
失うものはなにもなかった
いつもとびきりの笑顔だった
ガムをくちゃくちゃ噛んでいた
私たちと交わり 冗談言って笑い
男たちとも平気で交わり
だからパンツなんてはいてなかった
誰よりも幸せそうな顔をして いつでも誰にでも 優しかった
踏んじゃってごめんねー!って言いながら
髪留めを拾って 届けてくれた
素行が悪いから
何でもミツハのせいになった
笑っていた

人間は
神でもないのに川をつくり 橋をつくり
工場をつくり
神もつくり

そして今度は大きなマンションを建てるという
地上げ屋が来た
札束をピラピラさせて 水のまちにやってきた
小さな工場や、家、アパート、柳の木
次々つぶれて その地盤沈下の更地の下に
ミツハがまた 人柱に立ったのだ
ミツハの上に 8階建のマンションが建った

毎年7月の例祭には
境内で式典があり 屋台が出る
パン、パンと 手を叩き
社殿に向かって礼をする
さんざん利用して 今はもうこの町の敵でしかなくなった川の水
その水の神はもうそこに とっくのとうにいないのに
空っぽの社殿の前で
拝む 祈る
そして屋台でかき氷を食べる
ボタボタ 色のついた水を垂らす

水波能売神 ミツハ 水の女
人間の欲望

 
 

(4月某日、奥戸7丁目水神社付近で)

 

参考:
「かつしかの文化財」79号、葛飾区文化財保護推進委員・葛飾区郷土と天文の博物館
『葛飾区神社調査報告』、東京都葛飾区教育委員会
『奥戸に生れ育って』、清水その
『図説 日本の古典1 古事記』、集英社

 

 

 

発車オーライ

 

工藤冬里

 
 

私が私にもなってはいけない理由
Cristo fue levantado de entre los muertos
複数形の死から受け身でよみがえらされる
やばいうやまう
対面通行事故お巡り
あやめ見に行く
影のクラウド
意欲と力の両方

発車オーライ
パロールは服の縫い目
縫い目が無ければ脱ぎ捨て易い
縫い目のない服
縫い目の無い服を私は着たい
水のような化粧品
化粧品のような水
水のような酒
酒のような水
エレカシのサラサラは難しい曲だ
縫い目の無い下着のように彼は黙っていた

 

 

 

#poetry #rock musician

明日

 

たいい りょう

 
 

明日は 来るのか
今日は いなくなったか
昨日は まだいるか

記憶は はるか地中の彼方に
埋もれた

深く深く
どこまでもどこまでも遠く
記憶は私を未来へと
連れ去った

真っ白なキャンバスは
無限の色彩がうごめいている

何も覚えてはいない
すべて身体に刻まれている

その刻印は 明日に向かって
地平線を滑り出した

明日は 来たのか
昨日は 来るのか

 

 

 

滑稽な干物のダンス

 

村岡由梨

 
 

先日通りがかった上原小学校の前で
2匹のカエルが死んでいるのを見た。

2匹とも、車に轢かれたのだろう。
ぺしゃんこで、黒く干からびていて、
ベージュ色の手先足先の斑点と水かきだけは、
かろうじて確認することが出来た。
2匹は仰向けで、片手を繫いで
ダンスをしているみたいだった。
2匹はつがいだろうか。
春が来て、やっと地上に這い出て、
これからどこへ向かうつもりだったんだろう。
誰も気に留めない死。
一緒にいた野々歩さんと私は、どちらともなく
「こういう風に死ねたらいいね」
「死ぬ時は手を繋ごう」と悲しい約束をした。
明日こそは、私たち
ちゃんと生きようと誓い合って目を瞑るのに
後から後から涙が流れ落ちて、
眠れずに顔が粉々に壊れてしまう。
毎日を無為に生き、着々と死にゆく私たち。

それから暫くして、また上原小の前を通った。
2体あったカエルの亡骸の内、1匹がきれいに無くなっていた。
きっとカラスか何かに食べられてしまったのだろう。
それを見て「もう1匹の残った方の亡骸を口に入れて噛んだら、
どんな味がするだろう」と思ってツバが出た。
ツバが出た。
私たちは生きている。
死ぬ瞬間まで、生きている。

残った方のカエルは、ひとりでダンスしているみたいだった。
ただの気持ちの悪いカエルの亡骸なくせに、
誰にも気付かれず、意味もなく朽ちていくことに抵抗していた。
死ぬ瞬間まで生きていたんだと、全身で叫んでいた。