もうお前からはだれも二度と実を食べないように

 

工藤冬里

 
 

6.27-7.5

6月27日
子孫はアダムの罪に何の責任もないので勝手に許してもらったと
贖いの知識が力を持つ条件は感謝です
必要だと思って貰ったものではない場合

6月28日
ロンドンで、車を盗られる夢
喉が乾いて目が覚めるので古井由吉みたいに水を飲む
ゲインズボロー・ロードの家の裏にはプラムが植わっていて、ジャムを作った
近所に、黒いチューリップだけ咲く家があった
いくつかスタンダードの古層
明治以降の日本のように

成功した怒りの表現が成功したアート(に過ぎない)というようなことをアドルノか誰かが言っていたような気がして検索してみたが分からなかった

ソロモンを値踏みしようとやってきたシバの女王は彼の家の給仕​人​たち​や​献酌​人​たち​の​ユニフォームのデザインの格好良さに息を呑んだものだが、東京はどうか。コロナ柄の絞り染めの方がまだ良かった。

https://www.youtube.com/user/atetetordu

6月29日
看取り図

twenty-twenty

確信
携帯の見えない電波
終身刑bandanaも
グアンタナモも巻いて
Détruire, dit-elle
畑を迫害と共に得て
PCの電源を抜くことも出来る
焦茶色の犬の気持ちと筋肉
タイシルクの赤青
さまざま​な​体制​が​​言葉​に​よっ​て​形作ら​れ、見える​もの​が​見え​ない​もの​から​存在​する​よう​に​なっ​た​こと​を​悟り
誕生の瞬間から明らか
設計図がないことを信じろと言われても
ドキュメント化された映像や記憶を

6月30日
https://youtu.be/vLiNlOa3FiM

7月1日
言葉は〇〇してて草
大草原

の小さな家

ウェンブリーでピンクフロイドなら
向ヶ丘遊園で何

明るい雲
明るすぎる雲
結末を初めから
体の中にある罪の律法
どんな文化の下でも

肩の上にスイカ
マンゴジェリー
直方体を海に沈める

7月2日
日本語はもうすぐなくなるのでなんか文学的なことを書いても無駄だと思う
言葉とは何か、とかを理解しようとする時しょうがなく使う程度

同じ駅が出てきて立川方面行きが全く来ない

https://twitter.com/_YukioHakagawa/status/1410752750875332611?s=20
Gb  Db↓ G Ab C  Eb↓ Gb Ab Bb↓

7月3日
最終連で鳥が
「夢と現実!」と叫ぶ大鴉ぽい詩が思い出せない

昨日はウェンブリー・スタジアムのピンクフロイドということを考えていたらアルパートンというずっと思い出せなかったインド人街の名前が浮かんだ

ウェンブリーの市役所の食堂のスコーンと紅茶は不味かった

calligraphy 五所純子 2011.3.19

Delta Rhythm Boys – Dry Bones
https://youtu.be/mVoPG9HtYF8

7月4日
反共ベースの”真実”が反日にマージして似非保守の共産化という印象批判を生むので”愛国者”が反日化するがそれを利用した発電はできない。それに対し反日ベースの”希望”が”真実”にマージして自国の共産化批判を生むので”反日”が愛国化するがそれを利用した治療は望めない。可能なのは自民を共産に、共産を自民に名称変更して左右の定義を一段押し上げることである。そうすれば言葉は一瞬vividになることだろう。しかしそれも永くは続かない。分断とは反日の統一、見えない一致とは見える愛国からの逃走だからだ。先の先のさらにその先のお花畠を共有することでしかエネルギーは流れない。

メガソーラーは地面に置かず必ず倉庫にして屋根に設置すれば痛い感じが抜けるし人や動物さんたちが雨やどりしたり遊んだりできるよと思います

お前からはもう

 

 

 

#poetry #rock musician

散歩道

 

みわ はるか

 
 

世間一般ではもう目一杯咲いているところがあるというのに、うちの近所ではまだ咲く気配がない。
そう、6月といえばのあの代表的な花。
小さな花弁がたくさん集まって、水滴なんかが滴り落ちての、あの紫陽花である。
葉も爽やかな緑色で美しい。
ふだんはギョッと思うようなカタツムリなんかがついていても愛でてしまう。
公園の端っこ、畑のそば、歩道のわき、校庭の奥の方・・・・・。
ふとした所に意外とどしっと存在している。
個人的には淡い水色がかわいらしくて好き。

最近、時間があればスタスタと歩いている。
冬は寒いのが大嫌いなので引きこもりがちになってしまう分、この時期はできるだけ外に出る。
古くから建っている家々。
ペンキがだんだん剥げてきてはいるけれど、柱はしっかりして頼もしい。
今でもあるんだなぁと驚いたのは、瓶の牛乳を入れるためのケースが玄関先に置いてあったこと。
昔、わたしの家でも毎晩運んでもらっていた。
台所があるであろうと思われる場所のすりガラスの窓。
そこには洗剤、花瓶、おたまやフライパン返し等が吊り下げられている。
夏だからだろう、窓を開け網戸から涼しい風を取り込んでいる食卓。
LEDとは違う少し黄色がかった明かりの下、箸が器や皿に触れる音が聞こえる。
テレビの野球中継に交じって、ときたま食卓を囲む人たちの笑い声が漏れ出ている。
時には怒声や大泣きしている子供の声も。
その生活音はとても心地よかった。
やっぱり家族は同じ場所にいるのがいいなぁと思う。
何か見つけたとき、今日あった面白かったこと、どんより納得できなかったこと。
聞いてほしい、解決策はなくともただ隣で聞いてほしい。
なんともない少し退屈だなと思う日常こそが最も尊い。

とある中学校の側を横切る。
そこには新築の家々がたくさん並んでいる。
近くにはスーパー、幼稚園、郵便局、銀行・・・・・。
ファミリー層が住むには好立地な場所だ。
お洒落な外観に、素敵な花々が彩る庭。
玄関先には小さな靴が干してあったり、まだ補助輪がついた自転車がお行儀よく置かれている。
カーテンの替わりにブラインドを使用している窓もあった。
1つ1つの窓もわりと大きく感じる。
窓わきに置かれたディズニーシリーズであろうぬいぐるみがこちらをじっと見ている気がしてそっと目線をずらした。
モダンな家々に少し圧倒され恐縮してしまった。

駅の近くにはアパートやマンションが多い。
古いものだと「~ハイツ」や「~荘」のようなアパート。
歩くと結構音が響きそうな階段を上がると同じ扉がズラッと並んでいる。
おそらく単身用の住まいだ。
趣があってまるで小説の世界に入ったかのような世界観。
ぎぃ~と開く扉の音もまたいい。
なぜかある扉の前にはとれたばかりの玉ねぎがこれでもかというくらい積まれていた。
セキュリティがしっかりしているマンションも最近はとても多い。
エントランスで鍵なのか指紋なのかわたしには到底想像できないが、本人確認を求められるようだ。
それを見事に突破するとエレベーターで自分の部屋がある場所までたどり着ける。
きちんと清掃されているんだろうなと思われる外観はただただきれいだった。
洗濯物をベランダに干している所もほとんどなさそうだ。
気温の高い日中さえ窓を閉め切っているようでレースのカーテンだけが外からは見えた。
隣に住んでいる人が誰かも分からず、住人だけがどんどん循環して入れ替わっていくのだろう。
それはとっても楽で快適だけれども、ほんの少し寂しい気持ちになった。

そんなこんなでわたしは時間があれば歩いている。
ただただ歩いているのだけど、毎日たくさんの発見があってとても刺激的だ。
橋の上からじっと川の流れを見て、その流れに逆らうように動いている魚を探したりする。
季節によって異なる花を注意深く観察したりする。
畑で栽培されている野菜を見て旬なものは何かをチェックする。
稲が植えられたばかりの田んぼにゆるりと泳ぐオタマジャクシを「わっ」と叫んで驚かしたりする。
太く大きな松の木を首が痛くなるまで見上げ続けたりする。

わたしの散歩はしばらく続く予定だ。
冬が来る前までの限定的なワクワクする冒険を。

 

 

 

スイカわり

 

塔島ひろみ

 
 

青いTシャツの背にはくっきり リュックの形に日焼跡が残っている
太陽を背負って歩いてきたのだ

だから太陽の熱さは知っているが
太陽の重さを知っているが
彼は
太陽を見たことがない

前を向いたままするするとリュックをおろし、そこに置いた

汗ばんだ肩を、二度三度上下させたあと、振り向きもせず帰っていった

黒いサングラスをかけていた

黄昏の放課後
授業を終えて生徒たちが校門を出る
ランドセルカバーの色に塗られた寄宿舎への誘導ブロックが
警官のように彼らを待ち構えているのだが

今日は誰もその手に乗らない

それは太陽が教えてくれた

リュックサックの中に石のように閉じ込められた太陽が教えてくれた

太陽はずるずると引きずられた
日が暮れる
彼らは太陽を連れ、
点字ブロックなどまるで無視して、
道すらも無視して、
野猿のように自由自在に、
歩いて歩いて、
そしてどうやら目的の場所に着いた
(方向感覚を失い 私はここがどこなのか見当もつかない)
(街灯もないのだ)

パーン!
気持ちよい音
しぶきのようなものが飛んでくる
もう一度、 パーン!
するどい破片が頬に当る

太陽は砕かれ まったくの闇が訪れた

くすくすと かわいらしい笑い声がそこかしこから聞こえてくる
いくら目をこらしても
この闇では彼らの姿はおろか 頬に当った破片の輪郭すら見ることができないけれど

涼しげな一陣の風が
私のよく知る甘い香りを運んできた

そして
太陽を食べた少年たちのからだが
闇の中でキラキラ光を放つのを私は見たのだ

(火薬のにおい・・・)

 
 

( 6月某日、都立盲学校そばで )

 

 

 

げんせ/こんじょう

 

薦田愛

 
 

もつれた糸がほどけない
ふがいない指のこわばる
おもうにまかせないというのは
このことか
じぶんの指であるのに
うっと
もりあがるつぶがこぼれる
しおからく

ねてもさめても
はなかんでも
こぼれて
しおからい
ままなので
のがれる
こんじょう
いな にちじょうを
ひざからくずれおちて
のがれる
めをふせて
そのひとはむくろをはこぶ
この
むくろを
みずからの
むくろひとつを
ひきずりおろし
のがれる

ゆれてぬれて
ねがえりをうつ
ひとひふたひ
めくれあがるささくれの
かわききるまでに
たりない
たりない
ひとなぬか

ゆれてぬれて
ふるえて
もんどりうつ
むくろ
みずからの
むくろを
むかえに
そのひとは
むくろひとつを
ひきずりおろした
ところに
きて
わらっているすこし
ああ
わらって
いい
げんせ
こんじょうだった
ここは

もつれた糸を
探りなおす
指のゆがみ
探りあてられない
あの
糸のわだかまり
ああ
からむことさえ
なかったのか
届いてさえ
ないのを
それとしらずに

ゆれてぬれて
ひとなぬか
果てて
しおからい
ほおをぬぐった
むくろをはこびいれる
いえ
(家)
そのふちに
こきみどりにあけの
はむれみっしり
くちなしの花びらが
ななえ八重
おもたげに
しろく
ふくらんでいる
むくろのうちにも
ながれいる
あまく
ぬりこめる
ああ
げんせ
こんじょうだ
ここは

 

 

 

猫のいたずらに思う

 

ヒヨコブタ

 
 

猫が落としたその詩集は
若き日講演会のあとにサインをしてもらった懐かしいものだった
そのときのことを緊張のあまりわたしは覚えておらず
付き添ってくれた友が
後々今まで笑って話してくれる
ペンは友のものだったこと
筆圧が強いのですねと言われ
間髪を入れずにはいと答えたこと
それらのやりとりすべてが
懐かしく愛おしい時間だ

こころしずみがちであるいまも
そのことを思うと
くすりとするわたしがいる
確かに
あの時間は存在したのに
遠く、友とわたしだけの作り話のように

そのひとは世を去り
たくさんのことばを遺した
わたしのなかには
穏やかに微笑むそのひとが
いつもいるような気がする

猫はよくわたしにとってかけがえのないものに
いたずらをする
けれども
このいたずらは
すこし苦くて
ほんのり甘いような日々を連れてきた

あの頃が総て愉しく充実していたはずもない
苦しくてもがいていたのはいまと同じだ

ただそこに若さがあり
友からペンを奪い取るような
情熱もあった

あの大教室で
最後の三人になって
交わしたことばは
わたしの明日をいつも照らす
いつも、これからもおそらくは
変わらずにあたたかいだろう

 

 

 

桑原正彦のドローイング “はなとゆめ” を掛けた

 

さとう三千魚

 
 

日曜日の
午後の

海の

ひかるのを見た

浜辺の

渚の
家族たちの

遊んでいた

海は
凪いでいた

子どもたち石を投げてた
カニを捕まえた

クルマで帰った

走って
帰った

帰って居間の壁に
桑原正彦のドローイング “はなとゆめ” を掛けた

かつて

新丸子の
夜の東急ストアーで

桑原から電話をもらったことがあった

光だねと
桑原は

かすかに言った

うん
光だ

そう応えた

はなも
ゆめも

光だった

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

TORI209

 

工藤冬里

 
 

、夏至の夕暮れに

6月22日
@oshienai_0 柳瀬尚紀の名訳ですね
https://twitter.com/oshienai_0/status/1406993454786236421?s=20

https://pic.twitter.com/DQipQw6yax

6月23日
@jjjuliaaaa 新日本紀行で覚えているのは夕日の川崎の工場地帯にピンクフロイドの風のDbmとG#mのオルガンが流れるところと、倉敷の回の、池のほとりで三上寛が「ションベンだらけの湖」を歌うところです。
https://twitter.com/jjjuliaaaa/status/1407207439536070663?s=20

6月24日
陸上部だったんですごいわかる
スポーツで病むというのはドングリを自覚しないからだ
優雅な労働を体育に置き換えて
ギリシャを越えるべきなのだ
idolがエディプス複合発症を生む
僕はジョギングシューズを買えなくてそれでも是認を得ようとブラバン後の頭ノ向部落一周を課していたので右足首を壊した
https://twitter.com/franzkafkabot/status/1407801715693215745?s=20

Para todo hay un tiempo determinado; un tiempo para buscar y un tiempo para dar por perdido

曇り空、アガパンサス並に風化したアガペー
猫動画で麻痺させるゾンダーコマンド

オリンピック選手に選ばれた人は最晩年に出場出来るシステムにすれば老化と死の原因が際立って良い証言になるだろう。
同じように徳のある素晴らしい人物も、百歳以上にならないと政治家になれない法律にすれば自治の限界が明瞭になって良い結果を生むだろう。

昔泥棒日記的な生活を送っていた頃の万引きの師匠で社青同解放派の某君が霞が関とNHKを占拠して吉本隆明を呼んで首相になってもらう、というプランを語っていたが、百歳以上制が確立されたいま、そういう夢のある考え方は過ぎ去った、ということだ。

6月25日
Ellos son los que salen de la gran tribulación

2010年代が非常に神話的であったことを確認するのが20年代のいまである
00年代は今考えると前世紀よりも古かった
それは世紀末がちゃんとしてなかったことによる
19世紀末しか存在していない
ロシアは完全に何も信じていないので大幅に歴史を変えることが出来る
中国は古代をまだ信じている
日本は坩堝

どびゃあ
https://twitter.com/ParksJindai/status/1408051226474811394?s=20

はなまるで冷麺風冷かけを食べていたから土砂降りになった

メルシャンで出たグレープフルーツのシードル!?が飲みたくないのに飲まなくてはいけなくなった状態の時に飲むものとしてまあまあいける
ほかのものは何口か飲むことを想像しただけで滅入ってくるがこれにはそれがなかった
何も飲まずに寝ればいいという話ではあるが

6月26日
今日のきみ剣が少し錆びている
アキノノゲシ

スペリオールに松本大洋が原田左之助のことを漫画に仕立てたのを出している。松山の奴なんだよね。南堀端に碑がある。
一つの世代の中には過ぎ去りゆく者とまだ生きている者の二つの濃淡が交りあっている。それは出エジプトでも特攻隊でも、そして新選組でもそうだ。その機微が、よく描けている。

6月27日
土から生えるとなよなよしてもよくなる
考えてみればワカメも海底の岩から生えている
東京のアスファルトに生えた水草は水の駅の階段をたくさん歩いて腰が鍛えられている
浮草は水が床
友達はあめんぼう
あまえんぼうのトチメンボー

Hagan por los demás todo lo que les gustaría que hicieran por ustedes

私はだるい
私はだるいと言う者が
森の中で眠り
蚊に食わ
人類と地球の本来の姿
子孫はアダムの罪に何の責任もないので
贖いの知識が力を持つ条件は感謝
人類と地球の本来の姿

https://imslp.org/wiki/Category:Rzewski,_Frederic

 

 

 

#poetry #rock musician

工藤冬里の”I am a tank”を聴いている

 

さとう三千魚

 
 

夕方まで
働いて

帰ってきた

ソファーで
TVのニュースをみた

ワクチン接種のこと
オリンピックのこと

リンゴ日報幹部の逮捕のこと
イラン新大統領のこと

など
TVで

話していた

女が帰ってきた
お惣菜を作ってくれた

朝の残りのトウモロコシご飯を食べた
胡瓜と人参の漬物も

食べたな

夜半
工藤さんの

「Bluebeam、或いはツユクサは食べられます」という詩を浜風にアップした

それで
眠ってしまった

朝早く
モコに起こされた

おしっこを
させた

このところ
工藤冬里の”I am a tank”を聴いている

繰り返し
聴いてる

“戦車の中でまどろんでいた” *
“それは私のこと そしてそれはこの世のこと” *

そう
工藤さんは歌っている

そう
それはそう

それは
いまも そう

朝には

曇り空の
下の

西の山は佇っている

青く
佇っている

ハクセキレイが近くで鳴くのを聴いていた

 

* 工藤冬里の”I am a tank”より引用しました

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

Bluebeam、或いはツユクサは食べられます

 

工藤冬里

 
 

6月15日-20日

6月15日
目を閉じれば空色のペンキの空漠
頭は
バスケットボールをドリブルする時みたいにギンギン鳴る


寒気団の伏拝

庭石菖はテキサスの花である
英語では繋がっていればなんでもドレスと言う
ワンピースとは言わない
命名
Inconspicuous reset

アメリカナデシコ、アメリカコトリミミカキグサ、ヒナギキョウ

6月16日

6月17日
アレチハナガサはバーベナ・アルヘンチーナに似ている
と思ったら矢張りそうだった
命名はアルヘンチーナの妹頌

ツユクサは食べられます

住みたくない
住むところがない
金を払わないと住むところがない
家を建てるとか考えたこともない
食べられる雑草はある
米はこの前もらった
じたばたする沢蟹を裏返してやる
アレチハナガサとかアレチノギクとか
wastelandに拡がるものしか
相手にしない
大事なのは大目に見ることでもやられっ放しになることでもなく、こちらが怒りを捨てる、ということ
標的としての子供がいる
子供は希少だ
ぼくは花をもらった
他人のものを欲しいと思ってはならない
白地は好きだが苔は生やしておけ
嫌なことがありすぎた
スマホが照らす目先のレイライン
unscrupulousな筋肉培養業者のように住む場所がない
住むところがないと吐き気がしてくる
スマホの強いライトが足元を照らすと吐き気がしてくる
俯いてスマホを見る全ての人は嘔吐する蛍
場所がないことに馴れてしまった
家はない
ブルービームを見抜けるだけだ
棒杭をクロスと呼ぶのは嘘だということ、奇跡はないこと、パルーシアは見えないこと、
それらがいかにシールドになるか

6月18日

6月19日
この本の一章と四章がえらい面白くてさあ

死なないで生き続ける
遺伝的欠陥
草葉の陰
死んだ人は何も知らない
意識は生まれてから
生まれる前は
傷を放り出す瞬間
復活の場面
眠い
紫の箱
白紙が埋め尽くされて死ぬ
命の型
鉄骨ピラミッド
全ての星を撫でる
億兆京垓
オレンジとライトグリーンのチャチな扇形
許すとは悪いことを大目に見ることでもやられっ放しになることでもなくこちらが怒りを捨てるということ

とうとう蛍はいなくなった
いなくなったホタルを生きている

ホタルいなけりゃ生きられないか
いないホタルを生きている
#都都逸
https://twitter.com/_YukioHakagawa/status/1406224959991476231?s=20

6月20日
愛すべきエンデ、当時転生などないことが自明だったからこういうことが言えたのです。カエルに蠱惑されてはいけません。
https://twitter.com/Michael_Ende_jp/status/1406379497083981824?s=20

黒い快気祝い

 

 

#poetry #rock musician

「夢は第二の人生である」或いは「夢は五臓六腑の疲れである」第91回

 

佐々木 眞

 
 

 

西暦2021年卯月蝶人酔生夢死幾百夜

 

町内会長がやって来て、「4月から国の税率が変わったので、服の売り方も変わり、服の売り方の変化を国の税率に反映する」と言うのだが、我々あきんどには、何のことやらさっぱり分からなかった。4/1

いつの間にやらわが家に有毒核物質が累積していたので、気がつけば老いたる父母が死んでしまっていた。4/2

私は半世紀前から辻に立ち、黄昏て沈みゆくこの国の悲愴な末路を、声を大にして「悔い改めよ!」と預言してきたが、誰も耳を傾けようとはしなかった。4/3

おらっちは、突然大金持ちになったので、auの携帯とHМVのCDを全部買い占めて、とりあえず北京へ飛んだ。4/4

売れない文をしにカンキュウモンダイ原子ロ物象にしたらカンバイ。4/5

太刀洗、三郎ノ滝を過ぎて小さな泉を覗くと、オタマジャクシが泳いでいた。そこから朝夷奈峠を登っていくと、春型の小さなモンキアゲハやカラスアゲハが岩肌の水を吸っていた。熊野神社の参道では、大きな赤い花弁を沢山つけたシャクヤクの木が「ようこそ」と迎えてくれた。4/6

頼まれてやった訳ではないが、パンストのPRの仕事が大当たりしたので、スポンサーから喜んでもらえるか、と思っていたところ、意外にも苦情が来た。その商品は、とっくの昔に製造中止にしているといううのであるがあ。4/7

王様の私が、洞窟の中に入ると、民草たちは、いちおう私に敬意を表するかのように一番突き当たりの広間に通してくれたのだが、ふと気がつくと、私の物々しい武装は完全に解除されているのだった。4/8

レースの2順目に差し掛かると、ファンとボランティア奴が、よってたかって余の走行を妨害し始めたので、予はついに、持参したライフル銃を、彼奴等の上空で暴発させた。4/9

「火の丸の割れ目に潜りこむんだあ!」と、オオツキさんが叫んだ。4/10

うちはビール屋だが、いつもの配達員が月期半ばで辞めたので、残りは他の販売員にやってもらうことにした。4/11

もう30日以上、巴里のこのモグラの巣のような地下の迷路の突き当たりの部屋に住んでいたので、きっとみんなが心配していると思って、私は3時間以上もかけて地上に出たのよ。4/12

私はその男を見事に説得して、職場復帰させたうえ、たまたま飛び込んできた黄金色の巨大なセセリチョウを捕まえたのだ。もしかすると新種かもしれない、と思うだに胸が弾んだ。4/13

T大の学長に就任したМ氏は、毎日学食で一皿500円のカレーライスを食べて、生活費を切り詰め、少しでも無職の息子に金を残そうとしていた。4/14

その作品は見るからにうす汚なく、なぜかといえば、薄汚い悪童たちしか出てこないからなのだが、どういう風の吹き回しか、カンヌでグランプリを獲得してしまった。4/15

「新人は隠し芸を披露せよ」と部長が命じたが、そんなことは出来ない私は、彼奴をピストルで撃ち殺してやったら、皆からおおうけだった。4/16

私は500人を収容できる大教室で、ハンドマイクを握り締め、谷崎の「陰翳礼讃」について汗水たらして語り続けたが、誰一人耳を傾ける者はいなかった、とさ。4/17

その館では、腐食女子が出演を待っていたが、トーマス・ハイウエイの丘では、アリストテレスが、政治学について滔々と論じていた。4/18

偶然前の会社で、同僚だったAに会ったので、キッチャ店で長々と話しこんでいたら、彼はまだ私の昔の恋人と付き合っていて、彼女はまだ私に未練があるそうなので、なかなか簡単にキッチャ店を出られなくなってしまった。4/19

「海亀」と呼ばれている超小型艇で、単身肉弾攻撃する子供たちの最期の悲鳴が、この岬の先端からは時々聞えた。4/20

半世紀以上にわたって、毎晩博文館の「10年連用日記」にモンブランの万年筆で孜孜として綴ってきた私の日記を、久し振りに読み返してみたが、なめくじがのたうち回ったようなインキの跡が残っているだけで、まったくの意味不明であった。4/21

事前調査も研究もしないで、「取材」と称して人に会いに行くダメジャーナリストに、私は「せめてこれだけは持って行けよ」と言うて、メモ帳とちびた鉛筆を渡してやったのよ。4/22

世界で1,2を争う腕前の2人のビスポーク・テーラーの戦いは、熾烈かつ華麗なもので、世界中の顧客がその見物に押し掛けた。4/23

救急車の中では、妻が私の右手を握ってくれたが、その手が異様なくらい冷たいので、きっと気が動転して具合が悪いるのだろう、と思って「大丈夫?」と声を掛けようと思ったが、声がでないよ。4/24

今回の選挙に出るA氏は、市の社会福祉活動の重要な一翼を担う人物で、その姿は、まるで大型ブルトーザーが、邪魔ものどもを薙ぎ倒して前進するさまを思わせた。4/25

この国の映画は、みな長尺ばかりなので、試写会もおおかた前後の2回に分けて開催されているのだが、どの映画をどこまで見たか分からなくなってしまうので、えらく評判が悪いずら。4/26

「私がかつて人間だった時」という題名の詩を書こうと、朝まで粘っていたが、どうにもこうにもうまくいかなかった。構想は出来ていても、その内部をどう埋めていくのかについてのアイデアが、てんでなかったようなのだ。4/27

牢屋に入れられた死刑囚から頼まれて、ワーグナーの「指輪」のフルスコアを差しいれたのだが、それで彼の生涯の最後をいささかなりとも黄昏色に彩れるとしたら、以て瞑すべきだと思った。4/28

今までいろんな国の写真だと思って、大切にとっておいたのだが、それらの大半が、おふらんすの写真であると判明したので、私は急遽、独逸やベルギーやイタリアに出張して、撮影せざるを得なくなった。4/30