陽はまた昇る

 

原田淳子

 
 

 

骨をも腐らす、ながい雨の時代だった

緑の陰で溺れ、背には甲羅が生えた
もう、三百年生きた
望みという友もいない

亀は海に還るまえに光をみにいくことにした

闇の眼ではなにもみえず、光の匂いを辿った
這いながら泥を舐めた
それは微かにまだ記憶に残る
三百年前の水の味がした

峠を這い、
頂きの朝、
甲羅に全方位に亀裂が走った

未来という頂きに鳥が舞う

眼から落ちた鱗は光の粒
真珠の首飾り

“すべてが美しく、
 傷つけるものはなにもなかった”

ヴォネガットの墓に刻まれたその言葉を甲羅に刻んだ

亀は海に還ることにした

石に導かれて、浜を漂い
青く寄せる波に甲羅は溶けた

声の方角に風が吹いた

幻の石がひとつ、浜に遺された
峠の光のいろ

大菩薩峠にきょうもまた陽が昇る

 

 

 

百年後の.

 

原田淳子

 
 

 

四月
すみれ色の時刻

くぐもった声に似た宵
あの満月が身籠る

樹々に呑みこまれ
わたしは身籠られる
領土の争いから逃れて横たわる
荒地

記憶の断片に震え
涙すら石となる

クローゼットの奥に密やかに墓
そこが最期の家となろう

墓碑にあしらわれた羽根
林檎を配した
わたしの心臓とおなじ色の.
 

小石を置いてゆく

離れれば離れるほど
それが星座となるように
 

ー 百年後の荒地にて

 

 

 

三月はワルツ

 

原田淳子

 
 

 

三月はワルツ

春の嵐に
虎の哀しみを撹拌させる

溶けてバターになるまで
アン・ドゥ・トロワ

生・死・不明

愛が
妬いた刃をむけさせる
雨を弾にかえる
殺し殺される恐怖を
脅迫で語る勿れ
殺戮に善悪はない

命の対価で失うのは
小麦粉だけではないでしょう

仔猫が埋められたというその固い庭に
山鳩の屋根から種をばら撒いた

永絶された未来
一次元のスケートリンクで四回転半

夜更けの地震
土砂降りの雨
季節が身震いして
三月、シフォンの陽光が
花を照らす

バターになるまで
哀しみを撹拌させる

 

 

 

光の果実

 

原田淳子

 
 

 

きみが知らない
きみを葬ったそのときのことを

雪で埋もれたきみの墓のまわりを
一羽の尾長が
真っ黒な尾を振りながら舞い降りた

手向けられた花は凍っていた

尾長の彼はわたしのそばから離れず
歩きながら剽軽に尾を振った
わたしは笑って
尾とともに頷き首を振った
それが大地を刻むリズムであることを
生きてる彼は彼の体積で示した
彼のやり方で

それが鈴懸の木の実を揺らす歌であったこと

それが愛おしい歌と似ていたこと

終わりに吹く風は
始まりの歌であったことを
きみの土に口づけで伝えよう

まいにち、砂を噛む思いだと、
いつかきみは囚われた家の窓から呟いた

毒を培養する壁を
わたしはなぜ焼かなかったのだろう

送受信が緻密に発達したこの家を
わたしはなぜ壊せなかったのだろう

毒を薬に換える手立てを
まだわたしは探している

きみに似て非なる近しい者たちが
鈴懸の実を揺らす
ここそこに

これが時間なんだね

水と
歌が流れる
誰もが光の子どもだったことの標に

貝は傷ついて真珠を生むのですって

その光の粒は
埋もれても
汚れることはないでしょう

ゆきたいのは 春のむこう
触れても壊れることのない あたたかさ

 

 

 

抱擁

 

原田淳子

 
 

 

その冬、
さらば青春の光を追いかけて
辿り着ついた季節外れの異国の浜辺
風に脱色された砂のキャンバス
空と海が溶けあっていた

黒いヒジャーブに身を包んだ女性が
風の試練に耐えるように顔を布に埋めながら
白いあわいの水平を歩く
生の動線に、存在の黒点

眩しくて暗い象徴の絵画

天と地が抱擁するあの白いあわいを
安寧というのだろう

ベン・シャーンの抱擁のように
哀しみと歓び
未来と過去
生と死が抱きしめあう

足跡が砂にきえてゆく
風が音を鳴らす
そこの石には穴があいてるのですって

きみの白い骨は
あの風の音がしたよ
砂を舐めて生きてきた音

きみの外から
わたしは口笛を吹いた
きみのいた時の音に重ねて

わたしはわたしの箱をつくる
来る時
来る鳥
わたしはそこへゆく
風が過ぎ去ったあとの抱擁を夢みて