弟の結婚

 

村岡由梨

 
 

弟が結婚する夢を見た。
夢の中で、弟から1枚の写真が送られてきた。
特徴のない顔をした奇特な女と
行為に及んでいる最中の写真だった。
弟のペニスかと思って、よくよく見たら、
姑のうんこだった。
こん棒のようなうんこ。
直径5センチ、長さ20センチ
色は、こげ茶。
固くて長い。
手袋をはめてうんこをつかみ、
その臭いに失神しかけながら
トイレに流そうとしたが、
あまりにも硬くて長くて
便器に引っかかってしまい、流れないので
さらに手袋をして、うん・こん棒をほぐして、
やっとトイレに流した。
コーンやパフが入っている
チョコ棒の親分みたいなうんこだった。
チョコ棒は舅の好物だった。

14時、舅にシャワー浴させる。
その前にまずベッド脇のポータブルトイレに座り、
肛門のあたりで待機している
ありったけのうんことおならを出してもらう。
機関銃のようにリズミカルに発射される、うんことおなら。
激しい銃撃戦の後、お尻をある程度きれいにしてから、
いよいよシャワートイレ室に移動する。
歩行器を使いながら、
息を切らせてヨロヨロと歩く姿は
まるで、年老いた囚人のようだ。
その背中を抱えて 私は、
かつて / そして今でも、この人の書いた言葉が
たくさんの人に影響を与えてきた / いることを思う。
シャワートイレ室に置かれた
橙色のシャワーチェアは
まるで死刑囚を待ち構える電気椅子のように
硬質な怒りをたたえていた。

ふと姑を見ると、寝ながら手鏡を覗いて
歯をむき出して、歯間ブラシで
歯クソを取っている最中だった。

 

21時、刃渡り36センチの柳葉包丁を持った私が
いつも通り玄関から入り、居間へ向かう。
私はまず、長さ7センチの大きな縫針に丈夫なタコ糸を通して、
寝ている女の口を塞いで、キツくまつり縫いをして開けなくする。
かつてこの人の言葉で
どれだけ傷つけられてきたかを思って、怒りに手が震える。
ブツン ブツンと
興奮気味に女の口を縫っていく。

死にたいって言ったよね?
何度も何度も何度も言ったよね?

気がつくと、刃の欠けた柳刃包丁を持って血の海に佇む私がいた。
居間の時計がカチカチと時を刻んで、もうすぐ朝を連れてくる。
朝が来たら、私や私の家族はどうなるんだろう。
大変なことをしてしまった。
でももう、怪物と化した女の怖い夢も、
女から理不尽に罵声を浴びせられる夢も見なくなるはず。
ただそれだけの為に、人を一人殺してしまった。
返り血を浴びた口を大きく開けて笑って笑って、
そして泣き叫んだ。
もう全部おしまいだ。

「介護とは、うんことの熾烈な闘いである。」

ところで、弟は私と同じ精神障害?障碍?障がい?者で、
父方からの悪い血と、彼らの身勝手と暴力で心が壊れ、
ひとりの友人もおらず、
もう何年も、取っ手のないドアの向こうに引きこもっている。
結婚なんて、夢のまた夢のような話だ。

ジイシキカジョウ コダイモウソウ
ビョーキの私の話なんて、
どうせ誰も信じてくれない。

 

 

 

南 椌椌 個展
「ソシラヌ広場―アンモナイトの見た夢」

 

南 椌椌

 
 

10月18日から青山ギャラリーハウスMayaにて久しぶりの個展「ソシラヌ広場―アンモナイトの見た夢―」を予定しています。半立体のテラコッタを平面作品にコラージュした作品が中心となります。作品画像に短詩を添えた作品集を発行するため、現在、編集作業中です。今回の「浜風文庫」にはその中から、4点をプレミアム公開?させていただきます。さとう三千魚さん、いつもながら、ご好意ありがとうございます。作品写真撮影は上山知代子さんにお願いしました。

 

ソシラヌ広場―アンモナイトの見た夢―より

 


 

林檎のブランデー

 
人生最良の日々と言っておきます
エレファンとウーサ
日の暮れるまでひたすら遊ぶ
夏のなごり やかましいな 蟬のレクイエム
コドモでも飲める 林檎のブランデー
祝杯いただきます 二杯まで

歌は空の深みに いつしか消えて
たそがれの合図は カササギの声 
コドモだもの 酔えば裸になるだけさ
いっとう 飛び切りの時間
胸にひそめて さてどこに帰ろうか

✶ イヴ・ロベールの映画「わんぱく戦争」で、
小さな子供が林檎のブランデーを2杯飲んで酔っ払っていた。

 


 

ミハテヌ遊園地

 
赤と黄いろはお好みの色
コドモそっくり 3人さらって
ソシラヌ広場にやって来た

そこは ミハテヌ移動遊園地
赤と黄いろのガラクタ遊具
客もまばらな 閑散閑古

トロい木馬はガタピシ揺れて
気ままに停まる午後3時
遊び疲れて コドモはどこへ?
どこかで 大人になるのでしょう

ソシラヌ広場で ソラシド ウタフ
アンモナイトの見た夢は
赤と黄いろの ミハテヌ遊園地

 


 

ソシラヌ村の三兄弟

 
ユカタン半島 マヤ遺跡
ウシュマル近郊 ソシラヌ村の三兄弟

ひとりは トラクァチェロ
気はやさしくて 忘れん坊のお人好し
隣の村のクロサギさんから カモにされ

ひとりは リベロテス
奔放な性格で 落ち着きないが
時に村長 時に芸人 酔っ払って時々失踪

ひとりは マルクェラス
コドモの頃から モノシリ博士 本の虫
樹上の人で 人付き合いは苦手のご様子

ユカタン半島 マヤ遺跡
ウシュマル近郊 ソシラヌ村の三兄弟
喜びも哀しみも みんな化石になっちまった

 


 

こそばゆいとき

 
キミの手のひらに アンモナイトが棲んで
キミの足元に 仔象のエレファンがいて
キミの口もとには 可能性のエクボがあって
ここはアノソノ ソシラヌ広場

正午過ぎたら 蛇口ひねって水を飲む
異国の人に こんにちはと言えるかな
その人がやさしい顔したネパール人で
”ナマステ” って返してきたら
ネパールでは “こそばゆい” ってどう言いますかって
その人の目をみて しっかり言えるかな

✶ ネパール語で、こそばゆい=くすぐったいはGudagudī グダグジだそうです。

 
 
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南 椌椌 個展

「ソシラヌ広場―アンモナイトの見た夢」

2021年10/18(月)〜10/30(土) 日曜休廊
11:30〜19:00 (土曜は17:00まで)
ギャラリーハウスMAYA
東京都港区北青山2-10-26 (地下鉄外苑前駅徒歩5分)
tel 03-3402-9849

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また旅だより 37

 

尾仲浩二

 
 

まだ暑かった8月に野暮用で木更津へ行った。
高校生の頃、よく学校帰りに遊んだ町。
いまはすっかり寂れてしまい、人影もない。
当時は女子校の生徒の溜まり場で入れなかった喫茶店でアイスウィンナーコーヒーを飲んだ。
そう云えば、初めてウィンナーコーヒーを飲んだのもこの町の喫茶店。
どんなものが出てくるのかも知らないで注文し、ガブリと飲んで舌をヤケドしたのだった。

2021年8月18日 千葉県木更津にて

 

 

 

 

憶えていない

 

さとう三千魚

 
 

夕方に
帰った

帰って
冬里さんの詩

“なぜに泣かすか宗右衛門町よ”を
浜風文庫に上げた

“もらい泣きではなく死そのものをさびしく思う”

冬里さんは書いてた

それから
ビールを飲んだ

内緒で
缶ビールを飲んだ

モコが
見てた

平日は禁酒している
飲みだすとキリがないから

平日は
禁酒してる

それからメールを待ってた

こないから
ベッドに横になると眠ってた

夜中
目覚めると

横には

モコと
女が眠っていた

寝息がする

モコと
女の

寝息が
する

夢は見なかったのかな
憶えていない

最近
夢は

憶えていない

昨日のことは憶えている

日曜日の午後に
浜辺を

車で流した

曇り空の下のたいらな海を見ていた

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

なぜに泣かすか宗右衛門町よ

 

工藤冬里

 
 

9.7-13

案の定高市の顔面を凝視め左目の狂信を多糖界と誤解する美共闘右翼はサメとミツバチとカタツムリとヒトが絶滅危惧種であることを知らない

ノイズワクチンは打つものではなく打たされるものですよマクロン河野に 死ぬなら夾雑物ではなく屈辱で死ぬのです

Hasta si sufrieran por causa de la justicia, son felices

チェーン巻いたタイヤじゃんねー
https://twitter.com/TiffanyAndCo/status/1426026039977725955?s=20
あゝみんなそう言ってる
填められたか
指輪だけに

鉄と粘土は決して混じり合うことはないけれども粘土内外の鉄は1000度台で酸素があれば暖色に無ければ寒色に発色します たけし発言はまだ800度台だったのではないかと思われます そこではまだ赤くないツルハシと土がただ分離しているからです。

マサチューセッツの数学教師ノイジャンのハワードさんのアルバムに一曲参加したのがcdr(5ポンド)で出ました ぼくは藤井風さんの〽︎わしかてずーっといーしょにー居りたかあたvうわぁー〜というのをやっています
http://chocolatemonk.co.uk/available.html?fbclid=IwAR0fHYvsnbOaXjCjEkPKikJ8-aIv553KgZ0NNQOvqQ_MYSjWN9s95EOGCsY
https://howardstelzer.bandcamp.com/track/sayonara-baby

河野とは麻生の度の強すぎる現前であり麻生とは眼前180度バチカン逆虹展開でありコオロギは波動測定器である

三省の「切り株の歌」は直感としてたいへん優れている 石飛礫は石化した木であり、山は切り株であり、木として切り出された岩は主権国家群を打ち砕くからだ

No tenían Esperanza

爺さんなんか始めたぞ
https://youtu.be/hI3IHj4Lo0A

自然には非常に人工的な部分があり、私たちは総ゆる自然に感動しなければならないという強迫からは自由にならなければならない
植物の方が本質に近い形状を維持している シリカ系鉱物は植物から派生しているようにさえ見える 陶芸とは鉱物と植物を初源に近づけることである
石油由来の新建材の家を見ることの不快と自然を対立させてはならない
ボードレールやマッタクラーク、赤瀬川が発見したとされる美は、自然と相反するものではない それに対して民藝の美は、木や石を固定化するという点に於いて旧来の自然観そのものでしかない
ランボーは奇跡的に正しいことしか言わなかったが、それは彼が無意識のうちに近代の自然感から自由であったからにほかならない モダンであるということはモダンから自由に動けるということなのだ
それはパリコミューンの茶番を見据えるということだった

エシュルン
正式な称号の下に腕

レモンは不作でミントは終わりかけているが黒糖の喜界島でモヒート
soapを辞めて地球がフラットだったらどうするつもりなんだろう 白頭山に戻ってくるかな

宮台がゴミと呼ぶものの中にいつも争点は含まれている 僕らは一群のゴミとして蠢き渦巻く
(まだその時期ではないという理解によって)「奥深い事柄」を知るようにならなかった者達は幸いである

国の究極の使命は国民の生命・財産、領土・領海・領空・資源を守り、国家の主権と名誉を守り抜く事は不可能でしたと明言することです
みんな何歳なんだろう 学校教育って恐ろしいな
日本劣等北からいただくはBoss the MCだったが北からの一世代前の歴史が総てまやかしであるという伝言ゲームは従軍×慰安婦はなかったというような歴史認識を利するとも気付く 「アウシュビッツはなかった」「アンネは捏造」とかは北ボス同士の妬みと羨望を利用された形
科学は真実を追求する学問ではなく、支配層のための仮説を多くの場合数式を使って実証する体操であって、脳がバイパスを繋ぎ直すことに似ている 数式の単純が賛美されるのはそれが前提として遠回りだからである
例えば白を黒と言うために出来るだけ単純化した式を考えること
単純であればあるほど付随的に美と呼ばれます

Prosigo hacia la meta


https://youtu.be/c1GUM0BEfqw

知り合いの美術家の頭にブドウを生やして野に立っているだけのパフォーマンスを見に行くとまだ生きている しばらくはまだ生きていると言う 鰐の泳ぐ川べりをふと見ると逸れて居なくなっていた女の子もパラレルソサエティのように歩いている あれが橋かよと村の人が言う 女の子は鰐に持っていた魚を与えるが鰐は食べてくれない
自分の頭にブドウを生やした彫刻家はまだ生きているので、村の中に設えられた楽屋のようなところに何人かの美術家と溜まっている 説明を読み周到に用意された空恐ろしい展示であることが知れ愛着を感じるが御暇する 便乗家達は切り返し出来ないクジラのバスを吊り損ね民家の屋根を壊してしまう

昔は「パチンコ行ってくるわ」と言って出て行ったのが今は「閉じた系に於ける量子時間結晶の観測」と言うヒモ いや道後ミュージックの子らに訊いたらもうヒモは死語だし離散したって

星取表戦後統治の折り込まれ

Estén llenos de fruto justo

CyTwombly

ウクライナの友人から届いた非常に情報量の多い焼き物
仕事量は資本主義の詰み具合に準じ、即興と偶然のパラメーターは十五代吉左衛門に近似する

正当性を標榜することの終わりを説明する時に目が泳いでいてはいけない

さびしく、再び会いたいと思っている
弱くて無力な人を特に深く気にかけている
数年以内に100万種以上絶滅
たとえ透明人間であってもメタな設定の配役を増やすことは出来ない
大変であることが分かっていても産んで育てるのは優生や駆除の逆の位置
一人も滅ぼされることなく、全ての人が悔い改めることを望んでいる
もらい泣きではなく死そのものをさびしく思う
忍耐しながら寄り添う
俯瞰してまとめる力

万緑に花の一瞬途絶えたり
と手帳を読み上げたのは何年か前に僕に書いておけと言われたものらしい
名句じゃないか!と僕は自画自賛する
すると日曜版の子供俳句に
万緑におしっこくさい犬のそば
というのもあります、と言う

組曲わすれこうじをやっと返却した. 名指す時の通例を変えてみることを学んだ. たとえばうたう黒い円盤、とか. 河岡義裕「新型コロナウィルスを制圧する」(文藝春秋)を借りる
図書館車に90のお婆さんがまた加藤周一日本文学史『序説』補講二冊を寄贈すると言って持ってくる。バカだから二冊買ってたの、と言う

 

 

 

#poetry #rock musician