船について *

 

さとう三千魚

 
 

雨になる朝
川沿いを河口まで歩いた

遠い国で
戦争は続いている

どんよりとした空の

下には
流浪する人たちがいる

わたしは
川沿いを歩いていった

売ってしまったけど

かつて
小舟を持っていた

小さな
エンジンを積んで

青暗い
朝の海に出ていった

凪いだ海のおもての
水面の

ゆらゆらと揺れて朝陽に輝いた

魚は
釣れなかった

釣れたこともあった

なにを釣ろうとしていたのかな
糸を垂らしていたな

午後には風がでて飛沫をあげて海は波立つだろう

 
 

* 高橋悠治のCD「サティ・ピアノ曲集 02 諧謔の時代」”自動描写” より

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

息してた

 

辻 和人

 
 

運ばれてきた
2台のワゴンのプラスチックごし
バクバクッ
真っ赤な手足を火のように投げ出して暴れる者
白い布に包まれたままヒクヒク微動している者
こかずとんだ
コミヤミヤだ
昨日妻ミヤミヤから帝王切開の日程が早まって明日になった、と電話があった
コロナ禍だから立ち会えない
但し双子の赤ちゃんには新生児保育室に運ぶ途中の廊下で会える
そわそわ待機していたぼく、かずとん
呼び出されて
ばったり、その瞬間
バクバクッ
嬉しい、とかない
かわいい、とかない
生命体だ
しわくちゃに
白い皮脂震わせて
息してる
見つめて心臓バクバクッ痛くなる
「写真撮っていいですか」「ちょっとならいいですよ」
透明プラスチックに光が乱反射
不格好な写真が撮れた
「ではエレベーター来ましたのでまた後ほど」
慌ただしく運ばれていき
バクバクッ
バクバクッ
痛いッ
ぼくも息してるじゃないか
ぼくとぼくから分離した小さな者たち
薄暗い廊下でばったり邂逅した計3体
揃いも揃って
息してた

 

 

 

夢素描 23

 

西島一洋

 
 

嘘つき

 

小学校三年か四年の頃だと思う。10歳、1962年頃か。

家業はうどん屋だったので、うどん粉と小麦粉とメリケン粉は同じものだということは、当然のごとく知っていた。ある時、通学団で学校へ行く時か、家へ帰る時か忘れてしまったが、僕が皆に「うどん粉と小麦粉とメリケン粉は一緒だよ。」と言うと、こぞって「嘘つき。」と皆が言う。

皆は、うどん粉と小麦粉とメリケン粉は違うものだと思っていたのだ。僕が、何度も、強く主張すればするほど、「嘘つき。」の連呼は激しくなる。泣いた記憶はない。とてつもない理不尽さに怒りを感じて憤怒の極みになったが、暴れたり大声を出したりはしなかった。ただただ、歯を喰いしばって、耐えていた。

僕はどちらかと言うと、おどけ者で、皆を、驚かせたり、楽しませたり、よくしていた。突飛なことを言ったり、やったりしていた。イソップの狼少年のように普段から人が困るような嘘をついて、自分自身が喜んでいたわけではではなく、まあ、他の人のためにおどけていた。嘘のようなことを言ったりやったりして、でもそれは他愛のないことばかりで、皆もそれを分かっていて喜んでいた。と思う。多分。おそらく。

この時は、おどけたり、喜びそうなことを言ったりしたわけではない。ただ、当たり前のことを、さらっと言っただけだ。

これとは別の話だが、意図的に嘘をついたことはある。その時は、嘘をついたという感覚がなかった。小学校一年の時だから、7歳、1960年か、う?計算違うか?、まあ良い。

小学校一年だったことは、間違いない。というのは、伊勢湾台風のあった年だからだ。なぜ、はっきり覚えているかというと、名古屋の南の方で、水害で家を流されたりした人達が、僕の通っている小学校に避難してしばらく暮らしていたが、その避難所になった場所が、僕の学校の一年生の校舎だったからだ。一年生の校舎だけ、平屋で別棟だったから、使い勝手が良かったのだろう。

伊勢湾台風の直後、一年生の国語の作文の授業で、課題が「伊勢湾台風の思い出」というのがあった。思い出となるほどには、時間は経っておらず、まあ、今から考えると、ドギュメンタリーを書け、ということだったのだろう。小学校一年生という年齢にとっては、かなりきつい作業を要求されたとも思う。

あの時、つまり、伊勢湾台風の渦中、(僕の家は鶏小屋を解体して出てきた古材で作ったボロ屋だったが)瓦一枚も飛ばされず、ガラス一枚も割れなかった。たまたま、風上に大きな家があって、その建物の陰で助かったからだろう。名古屋市千種区と昭和区の境目のところだったが、僕の家以外の周辺は、かなりの被害状況で、屋根が丸ごと飛ばされた家もあった。全く被害のない家は皆無だったと思う。電信棒も倒れていたし、根こそぎ倒れている木もあった。

僕は、全く被害のない自分の家のことを、良かったと当然思うには思ったが、一方、変な心情が生じていて、悔しくもあった。台風一過の翌日、学校へ行くと、みんなが、瓦が飛んだ、ガラスが割れた、などなどと、自慢(?)し合っている。何の被害もなかったことが悔しかったのだ。おそらく、僕は、黙っていた。おどけ者で、しゃべり好きの少年が、無言でいるのは皆にとっても異様だっただろう。もしかしたら、よっぽどの被害があって、悲しみに打ちひしがれていると誤解されていたのかもしれない。この辺の心情は、変ではあるが、今でも理解できる。

作文で、僕は、嘘をついた。いや、正確には、作文というのは嘘を書いても良いと思っていたのだろう。小説という概念は、小学校一年生の僕には持ち合わせていなかったが、虚構を書いても良いと、勝手に思っていた。

内容で、はっきりと覚えているのは、自分の家の被害状況を克明に筆記したことだ。もちろん、被害は受けてないので、全て捏造であるが、捏造という概念すらも無い。

当時、台風が来るとなると、近所全員、全家屋が、戸板を材木で、窓や扉に、釘で打ちつけ、建物を防御した。あたりは、まるで学生運動で校舎に砦を作ったバリケードが連鎖するような風景である。あの、釘を打ち付ける響く音の記憶も濃厚だ。

僕の家も、南側の、扉や窓は、そのようにガンガンと材木を釘で打ちつけたが、何故か西側の一間ほどの引き戸だけは無防備だった。その引き戸の透明ガラス越しに、外の台風の様子が見れた。看板とか、瓦とかが、飛んでいるのも見える。雨もたたきつけていた。ずーっと、ずーっと、見ていた。

作文では、『その扉の透明ガラス越しに、外の様子を見ていると、飛んできた看板が、ガラスを割って家の中に飛び込んできた、僕達は咄嗟に逃げたので、怪我は無かったが、家の中はみずびたしになった、しかし、隣の家の陰になっていたからか、瓦一枚も飛ばなかったというのは、不幸中の幸いだった。』というようなことを書いた。そのように書けば、先生も含めて、みんなが感心すると思って書いたのだ。

案の定、その作文は、とても優れているということで、先生に褒められて、皆の前で自分で朗読させられた。とっても、自慢だったし、嘘をついている感覚は皆無だった。

蛇足かなあ。
もうひとつ、下駄箱のザラ板の話を思い出した。

小学校二年生。1961年。(ま、どうでもいいけど、僕の記憶の中では、そうなっている。1961が、反対から読んでも、1961、それに気が付いたのが小学校二年生の時、感動してみんなに言ったが、みんなは無関心だった記憶がある。)

で、小学校二年生の時、僕は、特に、美意識や道徳意識も無く、毎日、下駄箱あたりの掃除をしていた。掃除当番でも無い。そのような役割があったわけでも無い。ただ、なんとなく、毎日、掃除していた。

ホームルームか、なんか他の授業だったかは忘れた。先生が、「毎日、下駄箱の掃除をしている子がいます。素晴らしいですね。とっても良い行いです。皆もこういうこと見習って下さい。」と言った後、「やってる子は、手を挙げてください。」というので、僕は、勢いよく手を挙げた。僕は、褒められることを目的にやっていたことではないけれど、若干恥ずかしかったが、胸を張って「はい」と言って立ち上がった。

なんと、先生は、「こういう事は、黙ってやるから素晴らしいのです。人前で言うことではありません。正直に人前で言ってしまっては、駄目です。」と、言う。

僕は、手を挙げて、と言うから、素直に手を挙げたまでだった。その時、子供の時、すぐ反論はできなかったが、今から考えても、理不尽だ。

端的に言うと、僕は嘘つきは嫌いだし、嘘をつくのも嫌いだ。

 

 

 

現れについて 08

 

狩野雅之

 
 


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Description

 
わたしがそれに対して現れることによってのみそれは現れる。
しかしそこに在るものにわたしは直接触れることは出来ない。

FUJIFILM X-T2, FUJINON XF18-55mm F2.8-4 R LM OIS

Masayuki Kano

 

 

 

「夢は第二の人生である」或いは「夢は五臓六腑の疲れである」第97回

 

佐々木 眞

 
 

 
 

西暦2021年師走蝶人酔生夢死幾百夜

 

名物カメラマンの写真の撮り方は、まず顔から始まって、次にボディ、次に全身、最後にまた顔のアップに戻る、というものだった。12/1

展覧会その1では1000円の入場料を取り、その2では無料どころか茶菓までサービスしていたので、10年も経つと両者の経営には大きな格差が生じたようだった。12/2

おらっちはひそかにA子を贔屓にしているのだが、それを他人には知られず、当の本人だけに分かるように伝えるにはどうすればよいか、あれこれ迷っていた。12/4

おらっちは源氏の末裔なので、もしも敵に襲われて捕虜になっても恥ずかしくないような由緒ある衣装を身に纏っていなければならないと思うのだが、それがどういう格好なのかさっぱり分からないのよ。12/6

「酒を飲めないこの子たちは、アッパークラスのバーで修行させたらええ酒飲みになると思うがな」と、さる酔っ払いがいうたずら。12/7

死にかけの痩身の老人の分際で、まだ名前もついていない難病中の難病を、3つも抱えこんでしまったもんだから、湘南鎌倉病院に行っても医者が喜ぶばかりで、いっこうに治してくれないので、雨の水曜日を自宅で静養することに決めた。12/8

私は、東西南北を行き来しながら、すべての営為の虚しさを、嫌というほど思い知らされていた。12/9

バーンスタインの私は、ブラームスのヴァイオリン協奏曲の劇伴だけをつとめて、ニールセンの交響曲なんかは、三流指揮者の棒に任せて帰宅した。12/10

整形外科の先生が「その後どうですか?」と聞くので、「相変わらず痛いです」と答えると、「じゃあ注射でもしてみますか」と言うので、「痛いのは嫌ですよ」と言うと、「ちょっとピリッとするだけですよ」と言うので、「ではお願いします」と言うて、注射してもらったら、やっぱり痛いのだった。12/11

その夫婦の生甲斐といえば、毎月1度だけ、それなりのレストランで、ランチを楽しむこと、だけだった。12/12

敵は、額に黒いサングラスをかけているので、それが、太陽光線で光る瞬間に射撃すれば、射斃せることが、分かった。12/13

今月のおすすめふぁつちょんは、レディスの白に対して、メンズはグレイだったが、その理由については、カラリストのイチカワさんにしか分からなかった。12/14

おらっちは、さっきまで、楽しく酔いしれていた、壮大な夢の尻尾が、大魚の尻尾のように、ゆらゆら、消え去っていくのを、呆然と眺めていた。12/15

その有名な素材講座では、2人の講師がかわるがわる教壇に立つのだが、今回の講師をよく見ると、あまりにも昔の恋人に似ていたので、ちと驚いた。12/16

長い間コロナや交通事故のせいで外出を避けてきたのだが、気がつけばぶらりと電車に乗って京都みたいな町にやって来て、あちこちをほっつき歩いているのだが、誰一人いない。12/17

最後に登場したのは不思議な荷物で、こいつに呪文を唱えると、たちまち容量3倍の大きさの3Dメデイアに膨れ上がり、わいらあ4人組は、その巨大な段ボールに、なんもかんも詰め込んで、上京したのよ。12/18

この白いアフリカの地で、褐色の少年たちにとり囲まれたおらっちだったが、ナイフを握った彼らの右手を掴み、次々に左手のナイフで彼奴らの腋の下を刺していったので、おらっちの周りは、死体がゴロゴロだった。12/19

下半身に茶色い液体が入った、無数の小さいビニール袋がぶら下がっていて、おらっちは、そいつを、2時間おきトイレに捨てに行かねばならんかったのよ。12/20

東京発の最終の新幹線こだまの窓枠にぶら下がって、食堂車にいる知り合いと談笑していたら、いつのまにか発車してしまっった。「さあ大変、どうしよう?」と思うのだが、こうしていても振り落とされはしないので、このままで続けることにしたのら。12/21

3匹の仔豚が行方不明になったので、FM横浜のアオキアナウンサーが心配して、何度も何度も放送で呼び掛けているが、まだ見つからないようだ。12/22

「おめえ、たまにはジョークの一つも言うてみろよ」、と強要されたので、必死に考えた末に「殿下の電話」と言うたのだが、誰も笑ってくれなかったずら。12/23

真夜中に誰かが家族で寝ている4畳半に忍び込んできて、幼い息子をさらっていこうとするので、必死に阻止しているおらっちなのであったあ。12/24

その病院では最強コロナで殆どの患者が死亡してしまい、金子院長は、唯一生存しているリヨ子に望みを託していたのだが、リヨ子は「わたし、一人は堪えられませんので」と言うて、勝手に退院してしもうたずら。12/25

これは昇進を続ける2人のエリート・ゴルファーの内緒の話だが、乳首島の5万羽の貴重種が、いつのまにやら全滅していたそうだ。12/26

腱板損傷で「痛い、痛い」と喚いていたら、「おらっち理学部の学生ずら」と自称する若者が、アルツ25mgを注射して痛みを鎮めてくれたのよ。12/27

今まで通っていた2つの病院に信を置けなくなったので、おらっちは急遽第3の病院を捜し始めたが、選ぶ基準が揺らいできたので、大層難しい作業になってきた。12/28

超多忙で超売れっ子のバリトン歌手のおらっちは、モザールのオペラのアリアなんか全部頭に入っているので、全然練習なんかしないで本番に臨んだのだが、いざ伴奏が始まると、どこから入っていいのか分からず、赤っ恥をかいてしまった。12/29

あの有名なタナカ一家が、展覧会の会場にやってきたので、主催者である息子は、少しばかり緊張しているようだった。12/30

 
 

西暦2022年睦月蝶人酔生夢死幾百夜

 

おらっちはパーティで与太話をしていた貴族から、その街を発展させる計画についての感想と協力を求められたので、すぐさま断ったのだが、それは、そんな難しいことなんか、自分で出来っこないと分かっていたからだった。1/1

私は大阪城を大掃除していたおばはんの実態が、掃除婦ではなく、腕利きの印刷屋であると知ったので、新しい1万円札が出回る前に、偽札作りに協力してほいいと頼んだが、あっさり断られてしまったのよ。1/2

歯が痛い、歯が痛いと七転八倒する息子を見ていると、可哀想になって来て、そうだ日々を無為に過ごしている父親の自分が替わってやろう、と思いついたのだが、どうすれば入れ替わることが出来るのか分からなくて、往生している。1/3

正月になっても、朝から晩まで町内をほっつきまわっている夫婦がいるので、「どうしたの?」と訊ねると「暮れからうちの愛猫が行方不明なので、正月どころではないんです」と答えてから、またあちこち探し続けるのだった。1/4

犬派と猫派のふた手に別れて新春大討論会が開かれたのだが、両者相譲らず、まるで革マルと中核派のように武装して、時ならぬ大ゲバルト大会が始まった。1/5

「雨が降っても、雪が降っても、槍が降っても、おらっちは断固として前進するぞ!」と息巻いていたら、本当に雨と雪と槍が降ってきたので、ちと驚いている。1/6

若輩ながら販売チーフに抜擢されたおらっちは、年長の先輩たちに天文学的な売り上げノルマを課したので、たちまち総スカンを喰らい、その会社から追放されちまった。1/7

ここは陸軍の散髪屋なのだが、軍隊刈りのショートカットにあこがれる大勢の市民が、門前市をなして詰めかけている。1/8

明日からダム工事が始まって、村は湖底に沈められてしまうので、おらっちたちは、三々五々涙をぬぐって、住み慣れた襤褸家を後にした。1/9

生来おっちょこちょいのおらっちは、よせばいいのに両組の出入りの最先端に飛び出したので、あっというまに全身をなますのように切り刻まれて、儚いいのちを散らせてしまった。1/10

「「フィガロの結婚」を聴く前に、お互いの言い分を言いあって手打ちにしようぜ」と、敵の親分が提案したのだが、その時遅く、かの時早く、オペラの序曲が始まってしまった。1/11

その戦士は、女子供には傷一つつけないで、敵の男どもを皆殺しにしていくのだった。1/12

横浜市では毎年スポーツ大会を開いているので、それをそのまま毎年五輪に昇格することにしたそうだ。1/13

リュウホウ部長が、「企画のヒサミツ課長と相談して、新ブランドのPR案を考えてくれ」というので、おらっちは急遽、中目黒に出向いたのよ。1/14

木造の古いモナコホテルには、無数の貧民たちが住んでいるのだが、ここに30年以上住み続けると、その部屋を無料で払い下げてくれるので、とても人気があった。1/15

われひとは、何故か人世に失敗したのではないか、という疑いにとらわれて、城門の傍らで長く立ちずさんでいた。1/16

街中を歩いていたら「相撲取りになりませんか?」と勧誘されたのだが、人から勧誘されたのは生まれて初めてなので、「相撲取りになってみようか? どうしよう?」と、ずっと悩んでいるのよ。1/17

ゲーム カナリチ エニンシア カーターなどになって叩く僕。1/18

ボク、紅衛兵用の新品マスクを付けて「気をつけー!」で 「エライ、エライ」と、誉めてもらった。1/19

おらっちは新入社員なので、先輩たちに「おはようございます」と挨拶すると、「おい、そういう月並みの挨拶をしていると、すぐに社長から首にされるぞ」と警告された。1/20

八幡様の二ノ鳥居の傍で休んでいると、左側に自転車に跨ったセイさん、右側には仲間と連れだって歩いているセイさんがやってきたので、おらっちはどっちに声を掛けようかとしばらく考え込んでいた。1/21

そのマラソンレースは、ちと風変わりで、走者は、1キロ走る毎にシェークスピアの芝居のせりふ、例えば「生きるべきか、死ぬべきか」を喋らなければならないのだった。1/22

毎年大学を留年ばかりしているので、今年こそは卒業するぞ、と心に誓って久しぶりに登校したが、自分に必要な単位と講座がさっぱり分からないので、ただただキャンパスの中をうろうろしているのよ。1/23

新しいCMの製作を依頼されて、まずその企画内容の予告編を作らなければならないのだが、じつはおらっちビデオの撮影はやれても編集作業なんてやったこともないので、ひどく消耗しているとこ。1/24

どういう風の吹き回しか、おらっちはリーマンになっている。総務から机と椅子や文房具一式が届けられたので、とりあえず座ってあたりを見回してみると、なんだか嬉しくてたまらぬ。こんなに仕事がしたくなったのは、じつに生まれて初めてのことである。1/25

しかしここはどういう組織で、どういう仕事をすればいいのだろう。そもそもこの会社の名前はなにで、どういう職種に属するのだろう?誰かに聞いてみようと思うのだが、みな忙しそうに立ち働いているので聞けない。そうこうするうちにお昼になったので、弁当を使ってお茶を飲んだ。1/26

眠くなったので昼寝をしようかと思ったのだが、ふと午後いちで試写会があったことを思い出し、急いで会社を出てから地下鉄に乗って銀座で降りて試写会場に入ったら、顔馴染みのキサラギさんがいたので、ちょっと会釈して安楽椅子に座って映画鑑賞しているうちに眠ってしまった。1/27

しまった、これは申し訳ないことをしてしまった。試写会で見る映画は9割がたは詰まらない映画なのだが、今日のはそれほど酷い映画ではないので、ちゃんと終わりまでみようと思っていたのに、寝てしまった。これで感想文を頼まれても書けない。困った、困った。1/28

どうしたものかと考えてみたら、さいわいまだ試写は数回あるので、また来ればいいやと思いついて外に出たら、もう誰もいない。みんな3時半からの試写に行ってしまったのだ。おらっちも負けてなるものか、と銀座の別会場の試写会に駆けつけて、今度は居眠りしないで最後までしっかり見届けた。1/29

終って外に出たらもう5時半だ。これで会社に戻っても仕方がない。6時からはクロコダイルでロック、渋公でパンク、武道館では松田聖子のコンサートがあるので、急がなくっ茶。明日から午前中に会社の仕事をして、午後からは映画とお音楽にしようと決めた。1/30

ふぁっちょんライターのおらっちが久しぶりに巴里に行ったら、今年の秋冬のトレンドガ「ステルス・ろまんちっく」から「極超レアル」に180度大転換している、という話だったので、こないだアンアンに書いたお洒落速報を書き直そうと連絡したのだが、もうデリバリー済だった。1/31

 
 

西暦2022年如月蝶人酔生夢死幾百夜

 

三連沼に棲むオオウナギが、村人たちを襲ったので、おらっちは、長靴で沼の中に入っていって、オオウナギの大きな顔を、ズタズタに引き裂いたので、彼奴は、村役場のビルのエスカレーターに乗って、逃亡したようだ。2/1

オルハインと少年は、昨夜から一緒に過ごしていたんだが、面倒くさいので、昼間も一緒に過ごすことになってしまった。2/2

久し振りに銀座電通主催の新年会に出たのだが、相変わらず専務のフルカワちゃんが三色ホースを持ち出して、「鼠退治だあ!」と喚きながら、3色の汚水を撒き散らすので、フロアはたちまち水浸しになってしまった。2/2

昔むかし、田舎の森の中の巨大な岩壁の下に、広大な空間が発見されたが、そこは、とても音響効果が優れていることが、分かった。2/3

そして今、そこは町内で唯一、というか全国随一のコンサートホールとして生まれ変わり、第一発見者であるおらっちは、そのホールの支配人に選ばれたので、ブレンデルとマリナー指揮アカデミ―室内管を呼んで、モザールの協奏曲全集を再録音したのよ。2/4

コンミューン最後の日に、同志たちが一人また一人と墓地で処刑される姿を悲涙を呑みつつ胸に畳んでから、半年間寝床を共にした男女(♂♀)と別れ、深い森の中を一晩中歩き続けて露でぐっしょり濡れた体で村に入ると、村人たちが朝餉を準備する物音に交じってヤマガラの囀りが聞こえてきたので、なにやら生きる力が湧いてきたようだった。2/5

若い頃、戯れに天井からぶら下った巨大な三角形を燃やして、危うく、大火事にしてしまうところだったずら。2/6

どこかで鳴くアブラゼミの声が響き渡る両国駅。そこからは、遠く白い三角形をした富士山の山頂が望まれたが、おらっちは、その長い長いプラットフォームの反対側のその先を、どんどんどんどん進んで行った。2/7

おらっちはなぜだかお大尽だったので、立派な神輿のような乗り物にのせられ、4人の苦力に担がれて急な坂を登り、カブトムシやクワガタが群がっている栗林を過ぎて、高い高い山の中に入っていく。

おらっちは病気なのか、それともどこかを怪我しているのか? 胸に手を当てて考えてみたがさっぱり分からない。山のてっぺんを過ぎた神輿は、今度は急なヒヨドリ坂をいっさんに下っていくようだ。

山の麓には小さな村があり、村の真ん中の道に沿って一軒の古本屋があり、物珍しいので神輿から降りて中に這入ってみると、中世の古文書と江戸時代の黄表紙ばかりが整然と並んでいるので、店主に挨拶もしないで飛び出すと、完全武装した数人の米軍の兵士がぶらぶら歩いていた。2/7

眼前に宇宙戦争が迫ってきた。宇宙人の地球攻撃には各家庭で対応して下さいと阿呆莫迦政府がいう。「地下に潜ったら」と町内会長がいうので、おらっちはトラクター借りてきて、地面に防空壕を掘り、一家でその中に閉じこもることにしたのよ。2/8

教会が作っているカボチャやキュウリやナス、トマトを提供することになり、牧師夫人が「どうご自由にお持ちください」というた時には、モジモジしていた貧民たちだったが、彼女が姿を消すや否や、我勝ちに獲物に殺到し、獰猛な男どもは、女子供が持つ野菜を無理矢理ひったくるのだった。2/9

おらっち、殺人公社の専属スナイパーなんやけど、「殺傷対象が反社会的存在なら、勝手に判断して殺してもよろしい」と上司がいうんやけど、「自由に殺してもええ」と言われれば言われるほど、引き金を引けんようになっていくんや。2/10

北欧某国のデザイナーⅩ氏は、デザイン後進国のこの国で、ふぁっちょんから車、文房具、ビルジングまで、デザインと名のつくもののすべてを、超高値で引きうけて、荒稼ぎして来たのだが、最近ようやくメッキと化けの皮が、剥がれてきたようだ。2/11

韓国の山奥の珍しい景色をビシバシ写真に撮っていると、突然画面の右から左に、長い葬列が延びてきた。きっと、どこかの貴人の葬式なのだろう。2/12

キタカマのケンチョウジの北側は低山なのだが、なぜだか池の向こうが砂浜になり、そこからいきなり海になっている。おらっちはその海を見渡す厳島神社もどきの「立って半畳み、寝て1畳」の陋屋に住んでいたのだが、いつのまにか男好きのする女が棲みついてしまった。2/13

よく見ればまだ若い女なので、さぞや夜には、性欲的オーラを寝屋に発散しているのだろうが、なんせこちとらは、生まれながらのインポテンツなので、彼女がおらっちに跨って挑発しても、隆起の兆しはなかったのだが、最近は「もしかすると」という感じになってきたかも。2/13

会社の新しい上司が、社長のドラ息子になったのだが、こいつが嫌な野郎で、もうイヤデイヤデ仕方がない。出来るだけ話をしないよう、顔も見ないようにしているのだがあ。2/14

椿姫が亡くなったので、おらっちは彼女の遺言どおり、広大な庭の真ん中に本の紅白の椿の木を植えたのだが、今ではそれが亭々と茂る大樹となって、大空に聳え立っている。2/15

イシガキ医師は余の主治医であり、なおかつガンで余命半年の宣告を自らに下しながらも、10時間に及んだ余の右肩ガン手術を成功させ、予言どおり半年後に命終された。216

映画のラストで、主人公を海底深く沈めてしまうか否かについて激しく迷った監督のおらっちだったが、ここで美貌のヒロインを殺してしまえば、本作の印象は強化されても、続編の依頼が来なくなってしまうことを懼れて、やっぱ生かすことにしちゃったのよ。2/17

おらっちはケータイで、その都度「しんたんソフト」を駆使して、要所要所を微分積分したが、しばらくすると、その後にはなんにも残っていなかった。2/18

ここは大英博物館の地下だと思うのだが、なんとだだっ広い墓場に似たうすら寒い空間なんだろう。おらっちの仕事は、ここをなんとか無理やりにでも「活性化」させることなんだけど、ちょっと難しいなあ。2/19

わいらあワイラー監督の戦争映画を手伝っているのだが、彼は連合軍内部の因果応報を描くシーンを、みなカットしてしまったので、ついつい疑惑の暗雲が湧いてきたのよ。2/20

夜中にずきずき頭が痛むのだが、これが一体夢の中の頭痛なのか、それとも実際の頭痛なのかが分からず、朝になれば分かるだろう、と思っていたのだが、起きてみると頭痛はなかったずら。2/21

由緒ある大寺の床下で古布団にくるまって寝ていたら、真夜中に住職がやって来て「何か困っていることがあるのか?」と聞くので、「最近前向きに生きられないのです」と答えると、「そういう時には家ごと歩けばいいのじゃ」という。気がつけばおらっちは、大寺の地面毎前進していた。2/22

おらっちは新聞社に入って、あこがれの記者になったのだが、上司がいう公正公平な記事というやつが、何年経っても書けないので、擱筆、退職して郷里に帰ったのよ。2/23

最難関の洋裁学校を首席で卒業するために、私は毎朝早起きして、イの一番にミシンを磨き、イの一番に仕立てに必要な着分の生地を、全生徒の机の上に並べたのだった。2/24

「でもあんた、怪我はしたけど、死ななくてほんとに良かった。持って生まれた強運の星のお陰よ。ノーブルなサラブレッドはいつまでも走り続けるのよ」、とか言われると、おらっちも、だんだんその気になってくるのだった。2/24

あったかい宮殿でふんぞり返って「キエフを目指せ!ゼレンスキーの首を獲れ!」、などど矢継ぎ早に命令を下されたロシア軍兵士たちは、極寒の地で阿呆らしくなり、全員が戦車や戦闘機から降りて、投降したのよ。2/24

コロナ患者対応で、きりきり舞い。疲労困憊して、、金欠病の町医者たちに、おらっちが、金の延棒を呉れてやると、彼らは、たちまち、らんらんと目を輝かせ、勇気百倍、燃える闘魂、元気溌剌、になるのだった。2/25

そこであたいがしゃしゃり出て、「さあさ修学旅行帰りの皆さん、長旅でさぞやお疲れでしょう。でもこの我が家の特製麦茶を一口飲めば、ああら不思議、疲れなんてどっかに吹き飛んでしまう。さあ、1口いかが?」と2/26

知恩院前のバスに向かって呼びかけると、超ミニスカートの女生徒が、「あたしの目尻の皺を見て、まるで郷里のお母さんだと思って、一斉に駆け寄って来て、原価ほとんど無料の番茶が、バンバン売れちゃうの」と、商売の秘訣を語ってくれたずら。2/27

とうとう戦争になった。時代物の旧型長谷川戦車を駆使したおらっちは、3台の敵戦車を破壊したけれど、あっと言う間に殲滅されちゃったずら。2/28

 

 

 

百年後の.

 

原田淳子

 
 

 

四月
すみれ色の時刻

くぐもった声に似た宵
あの満月が身籠る

樹々に呑みこまれ
わたしは身籠られる
領土の争いから逃れて横たわる
荒地

記憶の断片に震え
涙すら石となる

クローゼットの奥に密やかに墓
そこが最期の家となろう

墓碑にあしらわれた羽根
林檎を配した
わたしの心臓とおなじ色の.
 

小石を置いてゆく

離れれば離れるほど
それが星座となるように
 

ー 百年後の荒地にて