穴出し蜥蜴 誰ぞに呼ばれん

 

一条美由紀

 
 


夜明けと共に勘違いした幸福感は剥がれて
人 イコール 一人 とメモる
毎回同じことを繰り返し
やっと他人との距離感を確定する
頭上ではハッピー、ハッピー
と鳥が鳴く

 


誰も住まなくなった家の床が
揺れるボートのようにぐにゃりと沈む
散らかった家は惨めな痕跡となる
立ち止まる風と時間だけがその営みを覚えてる
やがて記憶は薄れて霧と漂う
いつか全てを忘れて空からこの地を見た時、
私は泣くだろう、意味もわからずに。

 


俺が死んだら猫飼うの?
君が先に死んだらホームに行くよ。
どちらか一人になったら寂しいな。
お互い何とか長生きしようね。

 

 

 

佐々木小太郎古稀記念口述・村島渚編記「身の上ばなし」その6

「祖父佐々木小太郎伝」第6話 弟の更生
文責 佐々木 眞
 

佐々木 眞

 
 

 

私には金三郎という、たった一人の弟があった。この弟が十三、私が十七の時、忘れられぬ思い出話がある。

その時、私は蚕糸講習所を卒業したばかり、弟はまだ小学校在学中だったが、家は貧窮のどん底に落ちてしまったので、弟は学校をやめさせて京都へ奉公に出すことにし、私が連れて行った。

京都へ着くと、丹波宿の十二屋に落ち着いてから、程遠からぬ東洞院佛光寺の下村という縮緬屋に弟を連れていき、私はその夜十二屋に泊まり、朝発って帰ろうとすると、弟が帰って来て「もう奉公には行かん。兄さんと一緒に綾部へ帰る」というのだ。

私はそれをいろいろとなだめすかして、主家下村へ連れていき、家の人にもよく頼んで、逃げるようにしていったん十二屋へ戻ったが、何だか弟が後を追ってくるような気がするので、それをかわすつもりで、知りもしない違った道を北へ向かって走っていくと、大変な人混みの中へ出てしまった。

それは北野の天神さんの千年祭の万燈会のにぎわいだったのだが、少しブラブラして道を尋ねて桂へ出、丹波街道を園部へ向かって歩いた。

私は家を出る時、少しばかりの旅費しか貰わなんだので、一文の無駄遣いをしたわけでもないのに、この時財布に十二銭しかなく、これでは昼飯を食ったら今夜の泊まり銭がなくなるので、昼抜きのまま、とうとう園部にたどり着いて、来がけにも泊まったかいち屋という宿屋に泊まった。

十二銭では、まともな泊まり方はできない。
私は、「胃病だから晩飯は食べない」と言って直ちに床に入って寝た。
裏を流れている川の瀬音が、昼飯も晩飯も食べないスキハラにひびいいて、なかなか寝付かれなかったその夜の情けなさが、今も忘れられぬ。

朝は宿屋がお粥を炊いて、梅干を添えて出してくれた。
それを残らず食べて宿賃十銭を払うとあとは二銭。宿屋が新しいわらじを出してくれたのを、「そこまで出ると下駄を預けてあるから」と言って裸足で宿を出、道々落ちわらじを拾って、はいては歩いた。

昼頃になると、朝のお粥腹がペコペコに減ってきたので、いろいろ考えた挙句、寂しい村のある百姓家に入り、「昼飯を食べ損なって困っているから、何か食べさせてください」と頼むと、米粒の見えないような大麦飯にタクワン漬を副えて出してくれた。

私はそれを食べ、最後の二銭をお礼に置いて、一文無しになって明け方川合の大原に着いた。大原には貧しからぬ父の生家がある。そこで出してもらったお節句の菱餅をイロリで焼く間ももどかしく、まるで狐つきのように貪り食い、そのまま道端で寝込んでしまった。

さて私の弟は、メジロ獲りが上手で、メジロを売って儲けた十銭だかの金を、後生大事にこの時の京都へ持っていったものだ。
弟はこのチリメン問屋に三、四年くらいいたと思うが、「アメリカに行きたい」と言って、英語の独習などをやっていたが、ついに主家にひまを貰い、神戸に行って奉公した。
渡米の機会を狙っていたものらしい。

それから朝鮮の仁川に行こうと密航を企てたのだが、発見され、仁川で降ろされた、ということだった。仁川では、日本人の店に勤めて、なかなか重用されていたようだが、その後徴兵検査で内地に帰り、福知山の20連隊に入営した。

明治四十四年に退営後、福知山の長町筋に家を買い、嫁も貰ってなかなか盛大にメリヤス雑貨の卸問屋をやっていたが、その資金などをどうしたものかは分からない。
その頃の私の家は、相変わらず貧乏だったはずだが、父はトコトンまで貧乏するかと思うと、不意にまた儲けて盛り返し、七転び八起きしたもんだから、あるいは調子の好い時、弟に相当の資金を与えたのかもしれない。

ところが弟は女房運が悪く、初めの嫁は離縁し、二度目の嫁には病死され、それに腐ってひどい道楽者になり、芸者の総揚げなどという身分不相応の大大尽遊びなどをやって、とうとう福知山で食いつぶしてしまい、京都へ出て西陣の松尾という大きなメリヤス問屋の番頭に住みこみ、そこで好成績をあげて主家に信頼され、間もなく自立して同商売の店を持ち、なかなか好いところまでやっていたのであるが、またもや酒食に身を持ち崩し、手形の不渡りなどで度々窮地に陥り、そのたびに私のところへ無心にきた。

その都度私には内々で、妻がだいぶ貢いだものだが、結局京都の店は持ち切れず、東京に逃げ、ここでも一応成功していた風だが、大正十二年の大震災で焼け出され、一時は人力車夫までやったようだ。

それから大阪に帰り、親戚をたよって、今度はお家芸の下駄屋の夜店を出し、少し儲かったので、手慣れたメリヤス雑貨にかわり、ここで嫁を貰って、今度は堅気になるかと思ったら、また性懲りもなく道楽をはじめ、商売もめちゃめちゃになり、手形の不渡りなどでだいぶ好くないことをやったとみえて、警察から綾部の私の家へ弟のことを尋ねてきたりして、ひどく心配したものだ。

その時父の病が篤く、電報で知らせたのだが、なかなか帰ってこない。
ようやく帰ってきて臨終に間に合ったが、これがまた隠岐から帰った時の父同様、着の身着のままのみすぼらしい姿だった。
後で聞けば帰ろうにも旅費の工面がつかず、河内の方まで行って、友だちに帯を借り、これを質に入れて旅費を作って帰ってきたということだった。

葬式の時は、幸い私が夏と冬のモーニングを作っていたから、夏の分を弟に着せ、ちょうど四月の花時分だったので、どうにか恰好がついたのであった。

さてこの弟について、私はこの際、父の形見という意味で三、四千円の金を与え、好きな所へ行って、好きな仕事をさせようと思った。
実を言えば、この道楽者とは、後難のないよう、きっぱり縁を切りたかったのである。
それを弟に、今日は言おうか、明日は言おうか、と折を狙っていた。

だが私は、キリスト教入信以来すでに十余年、弟に対してこんな仕打ちをすることに対して、愛の足らぬことを深く反省させられた。
これは全然肉親の愛情に欠けた、神の御旨にそむくことで、クリスチャンのやるべきことではない、と思い直した。

かつて本間俊平氏から聞いた、氏が、凶悪な強盗犯の免囚を、自己の経営する大理石工場の金庫番にして更生させた話を思い出し、ただ己の安きを求めて弟を疎んじるようなことせず、「救わるるも、滅ぶるも、いっさい弟と共に」の決心を固め、まずこれを心に誓い、神に祈り、それから容を改めて弟に語った。
はじめに私の考えていたことが、まったく兄弟の義に背いた悪魔の考えだったことを述べて、「まことにお前に対して申し訳ない」と、手を突いて詫びた。

すると弟は、オイオイ泣き出して、「兄さん何をいうのだ。兄さんに詫びられるわけがどこにある。どうか手を上げてください。皆私が悪かったのです」と、気狂いのようになっていうのだった。

互いに心の奥底まで打ち明けて、兄弟の間の溝はすっかり取れ、弟が京都へ奉公に行った時のことを思い出して、神の前に幼子となり、「兄弟力を合わせて一仕事やろう!」と誓い、私の希望を容れて、弟は酒も煙草も絶って、更生することを誓った。

薄志弱行、放蕩無頼の弟も、永久にこの誓いを破らず、深く私徳とし、私を尊敬して、次節に記すつもりだが、私が財産の大部分を投じ、兄弟共同の事業として経営したネクタイ製造業に粉骨砕身し、よく私を助け、持ち前の商売上手と過去の経験を生かして、工場を守りたててくれた。

昨年十二月、私の家に弟が来た時、私は鯛づくめの御馳走をつくり、絶対に買ったことのない上等の酒二合を求め、私が手ずから温めて弟に勧め、「よく辛抱してくれた。今日はひとつゆっくり呑んでくれ」といって、とりもった。

弟は、「こんなうまい酒を呑んだことがない」といってよろこんだが、血圧が高いからといって、みなまでは飲まなかった。

その時弟は、死んだ妻のことを「実に良い姉さんだった」とほめ、「私が酒をやめてからこのうちへきて泊まる時、姉さんは、土瓶の中へお茶と見せかけて酒を入れ、私の枕元において飲ませてくださったものだ」と白状した。

それから弟は、「私は、ほんとうはキリスト教に入れてもらいたかったのだが、私のような者は、とても入れてもらえんと思って、今まで黙っていた。兄さんはきっと長生きされるが、私は血圧は高いし、とても長生きはできん。死んだらせめて葬式だけでも、キリスト教でしてもらえまへんやろか」といった。

私は、「お前のその心が、すでに神に通じとるのだから、葬式などわけもないことだ」と返事しておいたが、その言葉がシンをなした如く、ことし五月七日脳溢血で死に、葬式は遺志の如く、京都紫野教会で山崎享牧師の手によって行われた。

遺児男二人、女一人、いずれも同志社大学に学び、長男、長女はすでに卒業し、長男は早くより父の業を継ぎ、弟は、後顧の憂いなく安らかに眠った。
神の御恩寵は、私の上のみでなく、父の上にも、弟の上にも豊かだった。
感謝の至りである。

 

 

 

モコ、ぼくの犬 **

 

さとう三千魚

 
 

今朝
木蓮の白い


咲いたよ

モコ
お母さんと植えたね

白木蓮の花だよ

木蓮の花は
モコのようだよ

ふんわりと
白く

ひらいたよ

 

・・・

 

** この詩は、
2024年2月28日に、書肆「猫に縁側」にて開催された「やさしい詩のつどい」第2回で、参加された皆さんと一緒にさとうが即興で書いた詩です。

愛犬のモコが、1月2日にあの世に旅立ち、モコを想い、この詩を書きました。

モコの死、パレスチナの人びとの死、ウクライナの人びとの死、われわれの死を、想い書きました。

また、2024年3月3日 15時〜18時に、静岡駅北口地下広場にて、「無一物野郎の詩、乃至 無詩!」第22回としてスタンディングを行い、この詩と憲法前文などを拡声器を使って朗読しました。

以下、資料をご参照ください。

・・・

イスラエル軍の攻撃で3万人以上が殺害されたパレスチナ自治区ガザで、2月29日、支援物資を求めて集まった人々が発砲を受け100人以上が死亡したことが報道されました。
国連安全保障理事会は緊急会合を開き「深く懸念する」という声明に、理事国15カ国中、14カ国が賛成しましたが、米国が反対し、合意に至りませんでした。


ウクライナでもまだ戦争は続いています。

日本では、いま、憲法の基本原理である「国民主権主義」「基本的人権尊重主義」「平和主義」が脅かされ、軍事費が増強され、国内で製造された兵器が輸出され戦争に加担されようとしています。

戦争 やめれ!
すぐ やめれ!
殺すな。


・・・

日本国憲法 前文 読みます。


日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

・・・

先の戦争の過酷な体験を基盤とした日本国憲法の基本原理である「国民主権主義」「基本的人権尊重主義」「平和主義」を、わたしたちは忘れてはならない。

戦争 やめれ!
すぐ やめれ!
殺すな。

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

日の果て

 

工藤冬里

 
 

線路内で傘を差した女が土筆を採っていた
男も久米土と思える線路脇の泥を裏返した袋で掴んで走って逃げた

移動が思わしくなくなった世界で未だに観光を続ける群れがいると旅の不可能が際立ってくる
シャブ喫茶も値上げして暮らしにくさと移動しにくさが定点を襲う
観測はプルーストが得意としたものである
その男は旅に行けない、と「私」は書く

その男の走り方はよくなかった
歩くほうがまだましだった
日の果ては
近づいてくるものではなく
満ちていくものだからだ
つぎつぎとクリアしてゆく障害走のようなものではない
一歩ごとに地雷を踏んで、と女は呟く

 

 

 

#poetry #rock musician

鈴木

 

塔島ひろみ

 
 

鈴木のおやじは目が半分見えなくて 足も悪くて
よたよた危なっかしく歩き回っては 会う人会う人に悪態をついて
ボロボロの服でいつも汚く
よぼよぼで 直死ぬだろう 死んでしまえ
みんなから嫌われ わたしも嫌いで
いつしか姿が見えなくなった

冷たい沼底の どろどろの 暗くて臭い 沼底の一隅に
そこだけぼわっとあったかい場所があり
つぶれかけた家がある
傾いた木戸の隙間からぬるんとメダカが出たり また入ったり
狸がいた
護岸工事で河原を追われた狸たち
何もしないでただゴロンと
あったかいどろどろに身を任せ
窓からふきのとうが顔を出す
ヤブカンゾウ
ノビル
つくし
オオイヌノフグリ、われもこう
いろいろいた
道端にも 土手にも 生えてこなくなった植物たち
生えても引っこ抜かれるだけの雑草たち
そこにいた
誰も寄りつかない 見つけない場所
そこだけあったかいけど そこだけあったかいことは誰も知らない
みんな もういないんだと思ってた
もういないと思って
次々に3階建の家が建った
スマートな家 スマートな犬 スマートな庭 ピカピカの車
もう思いだされることもない鈴木のおやじは
暗い目で 毛並みが荒く人になつかない野良猫といっしょに
そこにいて
相変わらず悪態をついている

傾いて 崩れて どろどろになったその家は
カレンダーを見なくても 天気予報を聞かなくても
春が来たことをわかってて
だからこんな沼底なのにじわっとあたたかくて
なんかうれしくて

わたしはそこにいなかった
路地に立って「鈴木」という表札を見ている
古びたプランターにパンジーが咲いていて
見上げると大きなスモックが物干し竿に袖を通して 揺れている

 
 

(2月某日、細田4丁目、路地で)

 

 

 

詩2 トーキョーセッションIn Japan2024(ポエマー)

2023©Cloudberry corporation
 

今井義行

 
 

〈まずは、堕胎……、から、始めよ!〉
……、と、ポエマー※1の僕は、記したのだった。
聖地「ウグイスダニ」
レオンパレスウィステリア2
……、という…、この建物の……、
……、地下2階へと……、
僕は、降りていった。
ひとりのをんなが、天井から吊り下げられて、
「堕胎させてください!堕ろさせて!」と、
叫び声を響かせている……。
或る業者が、彼女を、用意してくださったのだ。
彼女は……、
存在は、しているというだけで
プロフィール、なんて、
置き去りにして 生きて
いる……、という具合だ……。
……、他人からひりださせられる、自分からヒイヒイとひりだす……、というのが……、彼女の……、愉悦の中核にあるのだ、と僕は、想う。自分から望んでやられる、自分から望んでやるという、被虐・加虐の背中合わせが中核にあるのだ、と僕は、想う……。

近頃では、このような、声も、聞いた!
「そんなことばかり、書いていてはいけない!
……、ヨシユキ。それは、とても危険だ!」
「詩が、泣きます。或いは、笑います。やめて!!」
でも……、それも、
「詩人」の、魂でしょう。
虐げられる、歓びあり、虐げる、歓びあり、
……、例えば現世での詩賞の候補……、だとか、或いは、原稿依頼だとか……、そのようなモノに……、
「僕は……、もう関心を奪われたくないのだ。」
そういうものに、拘る人たちのことが、僕は、今では、好きではありません。
尤も、制作費を捻出できないから、僕は……、もう詩集を出版できないけどね。
現代詩、のような、紋切型になるな! 
すべての、「詩人」さんッッ……、
すべての、「詩人」さんッッ……、
それも、
「詩人」の、魂ですよ。
ってか、僕は、単なるポエマーだから、      
という、以前にさ……、 「堕胎プレイ」
が、だーい好きであり、また、
僕自身も、彼女に、身を置き換えて、「墮胎プレイ」を、今強いられているのだと、想像に耽ることが.大きな悦びとなっているのだ。
僕もまた、全裸で、天井から吊り下げられて、きっと誰かに視られているのだ。その状況に、すっかり高揚してしまうのだ……。
困ってしまうほど、の、性癖なの、さ!  

人間の基本、「性」について、露わに書くことに何の問題があろうか?
どのような者が、このような状況を、用意してくださったのか?
性の……、天使か?!
被虐・天井から吊るされている、
痴女。
そいつは……、強烈な、堕胎ズキ!

加虐・パックリ開いたあそこからシカバネ、    
シカバネ、落とすぜ!
愉楽の為には、ヒトの命なんて顧みないぜ!スキスキ……ズキズキ!
変形された悦びが……、わたしたちの悦びそのものとなり、
血だらけの裸の肉塊が、
そこに蠢いて、「ひとりの熟年の男主人」は、
その中核に、存在しているというわけなのだ。
「ひとりの熟年の男主人」というのは……、
ポエマーの、僕、であった。変形された悦びが……、わたしたちの、悦びの中核となり、
そよ風の……、吹く……、
逆さまに、天井から吊り下げられて
いるだけ、
「奇妙な果実」みたいに、さ
……、見た者に、つらい衝撃を与えるものでは
なくって、ね……、悦びだけ、ね……!

※1 聞いていて恥ずかしくなるような詩的な表現を頻繁に使用する人を意味する語。 英語で詩人を意味する単語は「poet」であるため、ポエマー「poemer」は和製英語である。(ネット辞典より)

 

〈まずは、堕胎……、から、始めよ!〉
……、と、ポエマーの僕は、記したのだった!
それは、さ、
喪うことから……、始めようというワケでね。
文学的過ぎるのかもしれないが……、でもね、それは、
僕が、僕を生かす……、手立て……、でも、あるの、さ。
さー……!
さー……!
さー……!

intermission
僕は……男遊び、にも……、熱中していた頃、がある。
1986年から、2020年頃までは……、
エイズで死なないように……、死なないように、
やたらと気をつけて、セイファーセックス、
ばっかり、
していたよ。
親を遺して死ぬわけにはいかない、と想っていたけど、本当は苦しむのが怖かった、だけなんだ。
コンドーム無しで、生で種付けされたり、精子を飲み干していた方がしあわせ、だった、と思います。
そのうちに……、
クッソー、歳、くってしまったぜ……、
ぜッッ……!
ぜッッ……!
ぜッッ……!
喪った分、取り戻そうに思ったら急に、
異性愛にもまた、目覚めてきちゃって……、
乳首は上を向き、尻には張りがあって。そんな、世界。

もう、劣化して、おちんちん、勃たないから……、おちんちん、勃たないから、さ……、
性器を使わなくても、良い……、
「ウグイスダニ」の、特殊性愛クラブに、入会した、というワケなんだ。

 

ひとりのをんなの、またぐらから出てきた
もう息絶え耐えの、ちいさないのちを……、
ひっぱりだして、僕は、ゆかに捨てた……、愉楽。
と、ポエマーの僕は、書き留めた……。
さらに、続く……、
trumpet!

percussion!

piano!

そのような……華やいだ、演奏に支えられて
僕たち、は……ズキズキ……と、死ぬ、生きる
死ぬ、生きる? 死ぬ、生きる?
「いやだーッッッ……!」
「はあッッッ?」
「いやだーッッッ……!」
「はあッッッ?」
生きる、死ぬ?
生きる、死ぬ?
さらに、続く……
trumpet!

percussion!

piano!

 

(2024/02/24 グループホームにて。)

 

 

 

詩1 手紙を、書くつもり。(We Are Ending Note、)

2023©Cloudberry corporation
 

今井義行

 
 

その冬の林檎は、酷く美しかった。「情慾」ばかりを話題にしてきた僕、ではあった……。
林檎の腹を、かち割ってみれば、
胎児ではなく、金の蜜が垂れ下がっていた。
あかんやろ!
……、好きになったら、あかんやろ!
初戀、のように……。
なつめさん、のこと。
おしごと、なのだから。
乳首は上を向き、尻には張りがあった。
虐げられる、歓びあり、
虐げる、歓びあり、
平手打ち、し合った。
We Are Ending Note、
強く抱き締め合って、それから、長い口吻をした。
「おやすみなさい。」
と、彼女は、笑った。
その人柄の良い笑顔を忘れられません。
後日、あなた、へと
手紙を、書くつもり。
専用、掲示板へ、と……。
「お金を溜めますので、
また、お会い致しましょう。」

 

(2024/02/20 グループホームにて。)