とても難しい ***

 

無一物野郎の詩、乃至 無詩! 15     yuko 様へ

さとう三千魚

 
 

食べる
歯をみがく

歩く
生きる

わたしを見る
子ども

わたしの
子ども

いない
子ども

生きる

ポピーが好き
赤いポピーが好き

揺れていたね

ポピー
難しいね

とても
生きる

 

 

memo.

2022年8月22日(月)、自宅にて、
「 無一物野郎の詩、乃至 無詩!」として作った詩です。

お名前とタイトル、好きな花の名前を伺い、その場で詩を体現しプリント、押印し、お送りしました。

タイトル ”とても難しい”
花の名前 ”ポピー”

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

鈴木志郎康著「続・鈴木志郎康詩集」を読みて、歌える

 

佐々木 眞

 
 

生きる意欲が、急に減退してきたとき、
詩が、まるで書けなくなってしまったとき、
おらっちが思わず手に取る1冊。
それが、この詩集だ。

とりあえず、パラパラと頁をめくろう。
思潮社の現代詩文庫の121号だ。
パラ パラ パラ パラ パラ パラ
すると、こんな一節にぶつかる。

 言葉を探せ!
 ムッグゥーッ 声帯から血
 舌からも血
 血は口腔内に氾濫する*1

よりによって、この<スズキ詩>が転がり出てくるとは、驚いた。

じつは西暦2022年7月29日、
つまり今日のお昼前のこと、
電気コードに躓いた妻が、
床に倒れて、顔を強打したんだ。

彼女の顔の下から、とろーり、とろーりと流れ出て、
たちまち床に小さな人造湖をつくった、真っ赤あ赤な鮮血が
あまりにも、あまりにも、美しすぎて、
おらっち、正直彼女を助け起こすのも忘れて、じいーっと見入ってたのよ。

言葉の前に、美を探せ!
ムッグゥーッ 顔から血
とろーり、とろーりと流れ出て、床に真っ赤な人造湖
美は、リビングルームに氾濫する。

ここで突然、おらっち、志郎康さんの助言を思い出す。
「書けない時は、なんでもいいから、とりあえず書いてみること」
「短くてもいいから、なにかを書くこと」
そう、詩は、簡潔さこそ命なのだ。

 爆裂する路上性交!
 温順おまわり、私の絶頂する身体にさわるな
 これは、温順詩人の悲愴なのだ。*1

そうなんだ。
悲愴でも、思想でも、歯槽でも、
まずは最初の言葉を探すことだ。
なんでもいいから、ひとつ言葉を書いてみよ。

「萬犬、虚に吠ゆ」

そうそう、いいぞ、ワンワン、なかなかいいぞ。

そして、次へ行く。
何がなんでも、次へ行くんだ。

おや、傍から誰かが、おらっちにアドバイスしてくれているようだ。
おらっちの好きな詩人、ブコウスキー選手みたいだ。

 次の1行は常に待ち受けていて、
 その1行こそ遂に何かを見つけだし、
 遂に言いたいことを言っている1行となるかもしれないのだ。*2

そうだ。次の1行を探せ!

おらっちの、次の1行。
おらっちの、次の1歩。
おらっちの、真っ白白な未来。

 
 

 *1 鈴木志郎康「爆裂するタイガー処女キイ子ちゃん」より
 *2 チャールズ・ブコウスキー著・中川五郎訳「死をポケットに入れて」より

 

 

 

いっしゅんで充満し、いっしゅんで遠ざかる

 

工藤冬里

 
 

家原さん
外から見れば無音じゃん

現存するイノシシ旅館で72歳の男が死んでも誰も騒がないご時世になった、そうだ、レコード盤を裏返す手つきがナベサンのマスターに似ていた
https://youtu.be/1VOJi9Lwg-o/
申し訳ないけどもう少しプログレ喫茶で酔っ払っていたい
https://youtu.be/_Sls_QCMG2Y/

苦さの活性化のようにして残暑
空の冷蔵庫から夏の思考として氷

「窯にまかせて」じたいに中立的チャンス・オペレーションの妙があるのではない
「窯にまかせて」という決断に偶然性があっただけである
つまり何故「窯にまかせて」かを知らずに「窯にまかせて」いるのである
その点人間は人間ではなく器に似ている
磁界のバランスの中で浮いている重さは数値の多寡を問われない その揺れは定まらず刻一刻と純粋経験を積む
tu dois はil fautとして、恰も憲法のようにして来る
持続が真に持続である時を待ち望むあまり持続は常に一瞬でありそれ故に求め続けることになる
人間牧場という言い方で貶められているのは 言葉を刈り取られる羊である
リックライトやギルモアが囲むようにしてはじめてバレットの標野wasteが不在を確証され、あのno man’s landのサインが境界線上に掲げられる
突出したニュースたちを話題にしてはならない
突出するものがあるということは相対的に沈み込む関心事があるということだからだ
例えば「統一」と発した時に下降してゆく澱を掬い取るようなまだ生きている人たちとの対話の可能性があるだろう
イデオロギーもひとつの宗教だとすれば政教分離は不可能なので面倒くさくなってその勢いで政・教双方の廃絶に向かわないだろうか

穴子は炭火をよく熾して決して裏返さず、皮面だけを焦がす 鱧もそれに準じて裏返さない 目玉焼もそれに準じて裏返さない
なべて裏返さないでじっくり

我思う故にとかじゃなくて主体とは恥が五割罪五割の裂傷に過ぎない
「べからず集」が欲しいだけなんだ、と三谷は言った。
アート独裁

Sigue venciendo el mal con el bien
「べからず集」がなくても音楽はできるが親は恥をかく
頭蓋がよく分かる
先が尖って
目尻から蟀谷に稲妻線がある

遠さと近さに濃淡はなく、限りなく遠いか限りなく近いかのどちらかしかない
だから遠さを利用して隙間でどうこうしようというやり方は立たない
常に少数派が正しい情況の中で、清和会潰しのようなことを表にするという南極なしの戦略でしか進みゆきがない、と地の球軍団AIジョーのエヒメ新聞コラム
詐欺を見抜き全力疾走で阻止西垣生コンビニ店員48歳の笑顔

豆の鞘
主体ずたずた

国際食豊かな母が子を煮たのである
あ喉痛いコロナかな

広い洞窟に階段

目玉焼きの二階から銀天街をモップ拭き

“reality”とオーダーしてAIに描かせるとバグる
では、と”real world”で指定すると、VRを装着した男が立っていて、こちら側にwaste landふうの標野が映しだされている

ニーチェは七日目に関する法的時間軸がずれている。「われわれ」は八日目の休みの国に向かうのであって、一週が七日である間はブラック企業のごとくに働くときだ。
そこではすべてがいっしゅんで充満し、いっしゅんで遠ざかる。
キョリは時間だ。時間は、労働だ。

タイトルを決めようということになり僕はアルトーを念頭に身体が思うように動かないと言った。それを踏まえて思いつく言葉を出し合って羅列しようとなったときガセネタの諸君は蠢くと言い、灰野さんは気配と言い、金子は「傷」と言った。今となっては主体が外傷的であることが際立っているのではないか。

https://twitter.com/simoneweil_bot/status/1558069061543571457?s=20&t=XzAFRVoiZeggiW9KZPjBNA/
だから裂け目なんだけれども、息も風も”フォース“も全てプネウマの一語で括るから余計にそれが目立つような仕掛けになってるんだよ

水脈の言おうとしていることの中には正しさも真実もないが、言っていることの中には彼女を離れた一面の正しさがある。もちろんそこにも真実はない、大体そのような構造になっている。そしてリベラルはその逆ではない。その捩れが都合良く現実を作っている。

シドバレット(様)が庭で「今日もひとつ音を殺したよ」などと宣っているロック雑誌特有の浅いマンガがあったが 、彼が囲い込んでみせたのは現実界そのものではなく、no man’s landという囲いに過ぎない。現実界が存在していると思った時点でそのベクトルは不能性を帯びる。心はそこにあったとしても。
伊牟田はその線を引く男だった。接する界面の、内側に拡がるその原は、牧場であるらしかった。
半野田拓もこの前新作を渋々呉れたが、明石海岸のホセ・マサダがマーク・ロスコの抽象をやっているような趣きだった。
家の近所に沖縄料理屋が出来た。モンパチのドラムと釣り友達らしい。
意識して眠ることは出来ない。睡眠は常に寝落ちの形でしかやってこない。それをコントロールしようとする意志は裏返った夢だ。

かたちとなかみのちがい
なかみはない
ないなかみのかたちがかたちなのだ
焼き物に良い形、いやな形があるのはそのためだ
その人が良い人だから悪い人だから良い形嫌な形なのではない
唐九郎と魯山人の違いとはそういうことだ
なかみのあるかたちはない
なかみのないかたちというかたちがあるだけだ
焼き物とは眠りながら作るものである
げんに窯屋はてれびを見ながら湯呑を挽いている
マイケル・カーデューの息子も首と肩の間に携帯を挟んで電話しながら轆轤していた
乱入してくるものに気を乱されるようではだめだということだ
無意識の回転がロクロのかたちだからだ
陶芸教室の作品は中身のオンパレードだ
仕事量の多い名作かもしれない
でも中身のない信楽の土を使った中身の表現は、器胎が眠剤飲むような中身のオンパレードになるのだ
眠剤導入という形が無意識とシュールの沃野を殺し
さつりくのかたちとなる
あゝとうげいきやうしつのやきものはちをながしてゐる
きみは食卓に血を置きたいだろうか
否だ
置くべきは骨だ
イエスは復活したがマリアが識別できたのは声だけであった
血と肉と骨は型式であった
それは粘土から造られていた
声とは息であり、風であった
それはプネウマと訳された
それは一瞬で充満するものであり、いっしゅんでとりさられるものでもあった
わたしは声ですと荒野のヨハネは言った
彼の音楽形式はラクダの皮の衣服と食物としてのいなごであった
それはジュビリーを待つパンクスに似ていた
風にそよぐ葦(Reed)を観に来たんじゃないだろ?とイエスは言った、
「ヨハネのプネウマを聴き取ってオレのロックンロールトレインとジョイントしようじゃあないか。」
その引用の形式によって、イエスのアップした全ての動画は父ではなくYouTubeから著作権の申し立てがありますという警告を受けた
音楽はジュヌスと呼ばれる束の配列であり束の組み替えが演奏であった
塩基配列の組み替えは、なまじヒトがやると種の絶滅をもたらす。音楽が死だとゆうのはそーゆうことだ
だからあ、やめた方がいいんだってば作りに行くタイプのやつ

ユリにおわない
コロナかなあ


三幸の柿の種が復活
「ピーナッツが少なくなったような気がする
「からい
と言いながらも
「量が丁度良い
「パリッとしている
など褒め言葉も

やっと思い出した 8-10死水秋道、5-7漏水夏道、2-4若水春道、11-1泥水冬道

https://apps.apple.com/jp/app/radio-garden-live/id1339670993/
異化とか脱臼といった言葉が廃れて久しい。地上波と衛生波が一足先に統一政府を実現してしまった。
笙やガムランバンドのベクトルが折れるのはそのためである。尚且つ異化も脱臼も封じられた居住区に我々は居る。武器を現実界に持ち替えてもウクライナや奈良でそれはひろがりを持たない。欠けているのは不参加と無音のパブリック放送への意志である。

https://m.youtube.com/watch?v=xZnmJE1XIoE/
沖野さんフジロックの森山さんの時シンセ鳴らしてたけど元ネタはこれかな

真実に寄せようとすると悪場所を歌うしかないのでその代償にストンとした顔になっているがそれは戦争前夜の黒いドブの上澄みの透明であって正しさではないから光ってはいない

「居直り」じゃないかな今年の、お坊さんが書くやつ
「居直り」と「粛々」が合体した感じ
でもそれも延命のための演出だ

 

 

 

#poetry #rock musician

お芋を煮る ***

 

無一物野郎の詩、乃至 無詩! 14     motoko 様へ

さとう三千魚

 

 

おさとうと
おしょうゆだけ

入れた

お芋を
煮た

母から教えてもらった

父は
よく働いた

夏に
ひとり

青森の恐山に行ったことがあった
八重のドクダミが白く咲いていた

わたしのなかに
咲いていた

咲いた

 

 

memo.

2022年8月15日(土)、自宅にて、
「 無一物野郎の詩、乃至 無詩!」として作った詩です。

お名前とタイトル、好きな花の名前を伺い、その場で詩を体現しプリント、押印し、お送りしました。

タイトル ”お芋を煮る”
花の名前 ”八重のドクダミ”

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

カナリィ

 

道 ケージ

 
 

かなり大きい
あまり動かず
まりい
たりい

遠目からは箒草
黄土色に滲み
見ようによっては
くだん

従順なふんいき
高音のくぐもり
ポッコリ腹に
予言はない

心許して近づき
手がない
ピュイ
異種のけものである

干からびた嘴は曲がり
粟と稗の臭み

おぉ、カナリィ
カナリィじゃないか

「鼻が効かん
 雑巾の匂いと言われ
 何もわからん」

モップの腐ったような毛は
すでに黄色ではない

三里塚、上九一色では
囀るだけでワーキャー
止まり木で
すかす

今じゃ毎日
生きるに値しない音頭を
聞かされる

削いで尖って
も一つ削ぐと
丸まった丸まった
刃ない
警告できない

いないことを望む人たちを
選び
ちょっと戦う
喉に引っかけ
もうやめとき

滅びな

 

 

 

喪亂帖的筆意在空雨中顯現

 

Sanmu CHEN / 陳式森

 
 

《喪亂帖》的筆意在空雨中顯現
雨,落。 奈何!
書頁也落; 羲之頓首
花容失卻病態
舌下的罌粟彌留, 居所!
血液沖刷著熱肺
受驚的魚躍出匿名的時間
與利爪搏鬥
不眠的手機月亮一般靠近頭顱
平靜,從湮沒的海中昇起
空氣中充滿了《喪亂帖》的筆劃
奈何,雨的種籽淌過夜,葉子
深處的歷史意亂情迷,無法注釋
雨水静靜地流向天賦的溪谷
被囚的骨鎖成為輪廓。
一切來臨,一切
             來臨。

2022年8月13日香港西貢

 
    .
 

《喪亂帖》的筆意在空雨中顯現
 『喪乱帖』の趣はきまぐれな雨のなかに現れ出る
雨,落。 奈何!
 雨は、降る。 いかんせん!
書頁也落; 羲之頓首
 本のページも脱け落ちる、 羲之拝啓
花容失卻病態
 花の容色は失われていた病態を現出し
舌下的罌粟彌留, 居所!
 舌下の芥子粒は留まりつづけ、 身を何処に置く!
血液沖刷著熱肺
 血液は熱き肺より激しく押し流し
受驚的魚躍出匿名的時間
 驚いた魚は匿名の時間に躍り出し
與利爪搏鬥
 鋭い爪と闘う
不眠的手機月亮一般靠近頭顱
 眠れぬ携帯電話は月のように頭蓋に近づき
平靜,從湮沒的海中昇起
 平静は、沈み込んだ海中からわき上がり
空氣中充滿了《喪亂帖》的筆劃
 空気の中に『喪乱帖』の筆さばきが満ち溢れた
奈何,雨的種籽淌過夜,葉子
 いかんせん、雨の種は滴って夜を越え、木の葉の
深處的歷史意亂情迷,無法注釋
 奥深くひそむ歴史は思い悩ましくかき乱され、
  注釈を施すすべもない
雨水静靜地流向天賦的溪谷
 雨水は静かに天賦の谷間にむかって流れ行き
被囚的骨鎖成為輪廓。
 囚われた骨の鎖が輪郭となる。
一切來臨,一切
 すべてがやって来る、すべてが
             來臨。
                やって来る。

2022年8月13日香港西貢
 2022年8月13日香港サイクンにて

*『喪乱帖』 中国東晋の書家王羲之 (おうぎし) の書蹟。戦乱の中、先祖の墓が再度北方の異民族によって荒らされたのを悲しんだ手紙を後人が模写したもの。「羲之頓首」はその冒頭と末尾の語。

 

日本語訳:ぐるーぷ・とりつ

 
 

王羲之 喪亂帖

​釋文:
羲之頓首。 喪亂之極。 先墓再離荼毒,追惟酷甚,號慕摧絕,痛貫心肝,痛當奈何奈何。 雖即修復,未獲奔馳,哀毒益深,奈何奈何。 臨紙感哽,不知何言。 羲之頓首。

 

 

 

 

holy day

 

工藤冬里

 
 

Aug1 Separados de mí, ustedes no pueden hacer nada
漢字混じりの角が立つのか眺めているといらいらする

Aug2 Estos dos reyes se sentarán a una misma mesa diciéndose mentiras el uno al otro
うすやみにかなかなをきくはまれにしていつころよりかあきらめてまつ

音楽は倫理ではなく技術にすぎないので
分断?なにそれ、という感じである
身体性という器に関する即興的な技術があるだけだ

Aug3 Yo Seré lo que Yo Decida Ser
全体とは欠如である、とすれば政治的全体は充満ではなく、%で表せるものではない
空のバケツに手を突っ込み合うようなものだ
突っ込むならolé!と間の手を入れるテオリアでありたい

ペロシです

ちゃん系バンドのチェーン展開でしよ食べないけど

取り去ったのは
付け加えたのは

ヒカルがジョイフルとコラボした焼肉定食を食べた
見回すと皆ヒカルの焼肉定食を食べている
僕も「これでヒカルの焼肉定食を食べたと人に言える。」と思いながら食べた

Aug4 vida y aliento
歌には乗っかって歌うやつとぶら下がって歌うやつの二種類しかない
その聴こえ方は虫や鳥の音が混ざり込んで現前するものと遮断するものとがある
あと,会えなくなってもキャラ化して泳ぎ回る記憶と、そうでないやつとがある
生きてきて分かったのはそれくらいだ

ガスパッチョ
キュウリとトマトとピーマンをミキサーにかけ、
オリーブ油とクミン、塩とヴィネガーで味をつけて水に浸けたパンを一切れ浸してできあがり
冷製スープとして非常に優れているのみならずキュウリ地獄から抜け出る一条の光

軟禁されていることを忘れて
状況が変わる時改めて意味を持つようになる

Aug5
https://twitter.com/tsukamotoK_bot/status/1555513115940618241?s=20&t=ce9yIn1-oOZAS3mVbqIU8Q
死に方を色で分けむず

https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu3/toushin/attach/1332145.htm
炭素年代測定法

Aug6
https://www.craiyon.com
AIに描かせると皆フランシス・ベーコンみたいになる
集合的無意識とか一般意志の視覚化を狙えると思った
裏はない
世界に裏があると思っているうちはまだだめだ
表が裏だからだ

Aug7
traveler’s joy
クレマチスの仲間で世界中に咲いているらしい
traveler’s joyで検索すると南アフリカのホテルが出てきた

練習しないとやれないような音楽は必要ない、
という言い方が成立するのは今だけである。
終わりの時のための音楽は志向するものではなくずるずると中身のようにして付いてくるものである。

Aug8 ¡Basta ya! Quítame la vida

 

 

 

#poetry #rock musician

白と黒 ***

 

無一物野郎の詩、乃至 無詩! 13     yuri 様へ

さとう三千魚

 

 

白と黒の世界に
生まれた

わたし

ひかり
待ってた

あまい香り
した

オレンジの

花粉
こぼれた

白い花
カサブランカ

こぼれた
ひかり見てた

 

 

memo.

2022年8月6日(土)、自宅にて、
「 無一物野郎の詩、乃至 無詩!」として作った詩です。

お名前とタイトル、好きな花の名前を伺い、その場で詩を体現しプリント、押印し、お送りしました。

タイトル ”白と黒”
花の名前 ”カサブランカ”

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

死者たちの顔

 

駿河昌樹

 
 

   一度死んだ人が、わたしの身体のなかで何度死んでもいい。
   土方巽

 

まぢかに見た死者たちの顔を
詳細に思い出したくなったので
思い出してみていた

そうして
気づいたのだ

かれらの顔は
すこしも
“死”んでなどいなかった

やはり
大きな考え違いを
し続けてきていたのだ

ためつすがめつ
見つめ続けられるようになったことを
怠惰から
“死”などと
呼んで
済まそう
過ぎ越そうと
慣らされ
強いられてきたのだった