アルシーヴ

 

工藤冬里

 
 

‪分離はほんらい‬
ひとつだったものの記憶だ
剥がそうとすればするほど
上へ上へと逃げる

父も母も系譜もなく
いつ生まれていつ死んだかも分からない男に永遠は属する

歯が無いので呂律が回らない
呂と律で楽となるが
楽の音は廃され
契約は新しいものに取って代わられた
あらゆる通知がそれを知らせる
その度に携帯は震え
避難訓練だと教える

洗濯機の渦の中に愛情を流し込む
夕日のパノラマの中
車は赤より赤くモノクロームを走る
オタマジャクシの呂律はデジタルなマーカーで蛙の項を囲い
バターナッツかぼちゃのラインの分かり易い契約を知らせる
揺れる謡の展示の延命

痺れるような柔和さと燦めくような分かり易さで諸体制の延命を図る頭脳らの世俗性を俺は拒否する
体制に延命など要らぬ
今滅びろ

体がない!
きっと病気になる
欠落と妄想を上に分離して
完全にアルシーヴの時代となった
glory,kept open
未来はなく過去を変えることでしか今の栄光はない

タイヤは換え此方側familyの善意で手帳は見つかったが体がないので生贄としての財布を失くす。それは愛の定義の暴露に依るものだから隙とかじゃなく防ぎようがない。此方側の認知の問題ではなく彼方側の悪意の問題なのだ。非道く攻撃され灰は糸の血を咥え てれん とした朝だこと
止揚を相殺と訳すノヴァーリス、偶然と悪霊が殺し合うのか

更に蜂に刺される
溝があるのに気付かず大腿骨を強かに打撲する
パスポートも失くしたことに気付き

 

 

 

「あのそこ」

 

小関千恵

 
 

塀から放たれ
空は反転した

彩度は急激に落ちて
ご近所は裸足でしか歩けなくなった

人のもの 人肌
自分と人を隔てる境は見えなくなった

外の塀が無くなったとき 同時に
こころの中の箱も消えてしまっていたこと
‘わたしのものごと’ を 容れるばしょが無くなっていたこと

それに気がつくまでに
30年近くかかったこと

0からはじまり
肉体から紡ぎ直していた器は
動脈や静脈、内臓
あらゆる管が絡まって
今はこの身体にたぶん良いように合わせてある

酷い人にもやさしい人にも出会った
だから とにかく編む一目は尊きもので
そのあとのわたしに
わたしはわたしの器に
この容れ物に
注がれていくものは流れていくものと捉えながら
詰りながら 確かめている

 
彩度の落ちた景観の中でも
魂は 夏の銀杏の樹の下へ 自然と集うことができた
はずなのに
萌えるあの大きな銀杏の下での
再会は
密会として告発されて
わたしはそれを知ったとき
大人にならないことを誓った

あの銀杏の淋しい黄色がいつか美しく見えるようにと

本当の話を聞いてくれる人に出会えるようにと

反転した空にぶらさがった風船を
逆さまに見ていたずっと

それを取ろうとする手を
三和土の底からわざと見過ごしていたのは
愛を知り始めたころの
歯痒さからの仕業

いまここの詩がまだ書けないよ

それが全て誰だって

なのかどうかも

いつだって
いまここの
あのそこ と

いまここ

 

2019秋

 
 

 

 

 

ひと噛みに涙も忘る唐辛子

 

一条美由紀

 
 


「嘘」という名の私。切り刻むのが好きだった。でもいつも本当のことを言ってきた。

 


後悔の土塊が増えていく。幸せの植木鉢もいくつか増えた。
いつも混ざり合う。いつも喧嘩する。
何を植えようか、何を育てようか。

 


ハイウェイの先に広がるサボテンの楽園、
そこでの待ち合わせには間に合いそうにない。
多分、永遠に。そして永遠に。
私は永遠に。

 

 

 

西壁の植物

 

芦田みゆき

 
 

 

草の記憶による再生は、私の接触によっても消えることはなかった。私は草をいっぱい抱えこんで向こう岸へむかう。草は匂いを放つことなく、一様にうなだれている。一歩、踏みだした私の足くびを冷たいものが掴まえる。私は振りかえる。何もみえない。瞬きをする。何もみえない。正確にいうと、私の掴まれた足くびの接触部分を除いて、全てが消えた。私ははじめから草など抱いてはいない。そもそも、私自身、発生していない。一面に草が茂っている。その上を靄が立ちこめている。

 

『ミドリとハエの憂鬱(メランコリア)』/思潮社2002年より