ニクの解凍

 

サトミ セキ

 
 

わたしは新妻、スーパーで五百グラム千円「お買い得の牛肉切り落とし」を見つけ、よしと気負って買い込み、肉じゃがやニンニク芽炒めに使ったはいいが、五百グラムそれしきではなくならない。
冷凍したのは五日前、さあ解凍と電子レンジの扉を開けたところ、わたしは監視レンジ、透明の扉にいま夫ちょっと前まで独り身男十年分の、なめらかソース海老グラタン、ガーリック風味強化鳥唐揚、ひき肉と洋野菜旨味ミートソーススパゲティ、大好物の油と脂がベッタリと黄色い層になり電子レンジ、天使レンジにこびりついている。
天使レンジがわたしへのゴングをチンと鳴らして、外に出たニクは白い深皿の中で血を流している。薄切りニクと呼ばれてニク屋で売っていたこれは、むかしウシだったのだ。ウシのかけらを白い皿に入れたのが間違いだった、でも新婚の家には適当な大きさの深皿は白しかないと決まっている、ウェディングドレスをクリーニングに出さなくちゃ、サスペンスドラマで殺される美女は必ずああああ必ず純白のドレスを、血しぶき、血が白い深皿に溜まって臭う。
白い皿の中のちゃぷちゃぷニクを引き出して、生温さに吐きそうになりながら、錆びた独り身男のニク包丁で、ああ切れない、ギルギルとちぎりむしると白いプラスティックの独り身男のまな板傷、何切ってきたん、が血の色に染まる。これは死んだウシの血なのだ。
この間しゃぶしゃぶが突然食べたくなって、いえ、退屈な会社帰りにフェィスブックに冷やししゃぶしゃぶの写真が載ってたから、近くのニク屋でしゃぶしゃぶ用の肉をください、と言うと、ニク屋はちょっと待ってと口ごもって、ケモノの死体保存庫から、ウシの大きな腕、血まで凍った真紅が霜を振ってる腕を重そうに取り出して(腕なの脚なの)、スライス機械にかけた。いつからパーツになってウシは保存庫に入っているのだろう。
水のようにサラサラの薄い、だけど臭い血を台所に流しかけ(今日のわたしはサラサーティ)、ちょっと間違っているのではと思い、そう、これは丸い便器の中に流すべきもの、そうすれば、全然吐き気はこみ上げない、真っ白の可愛い形に真紅がよく似合う、ヒトの血に慣れてる便器の中に流せば、ウシの血の臭いもきっと日常になる。台所だから吐きそうな、吐きそうになったギルギルちぎりニクで作った肉料理完成する、甘い声で食卓へと誘なう、たぷたぷと十年分のコンビニ脂が積もる腹を揺らしながらやってくる、さあ食べるのよ、わたしの夫。

 

 

 

stanza

 

工藤冬里

 
 

一つの詩を書くのに二年はかかり、長編小説一つ分くらいのエネルギーが要る
問題はそのためにもう千年生きてしまっているということだ
サックスで命を削るというのは嘘で、増やしているだけだ。
死んだのは単にクスリを飲み過ぎたからだ。
一日を一秒にすればきみも長く生きられるよ
二〇一九の電話帳で
行政機関や会社、商店を 探して、
手紙を書く、
あなた方はいつか私を憎み、
殺すだろうと
一つの手紙を書くのに時間はかからない
時計の時間と同じ長さの時間がかかるだけだ
二〇一九の電話帳で
行政機関や会社、商店を 探して、
手紙を書く、
あなた方はいつか私を憎み、
殺すだろうと

 

 

 

#poetry #rock musician

夢素描 06

 

西島一洋

 

飛ぶ(飛ぶ方法)

 
 

トントントンと走って、トトントンのト、で、すうーっと垂直に天空に。簡単だ。でもこのタイミングが微妙に難しい。

いったん、この状態になれば、あとは結構自在だ。フワフワとして若干降下し始めた時は、地上の細い細かい尖端を見つけて、そこをツンと軽く蹴れば、さらにグーンと高くにいくことができる。

時に、崖っぷちのようなところに降り立って、悩んでいても、それそこに、とんがった尖端が、あるではないか。そうそう、そこを蹴れば良いのだよ。またまた、ツーンと高くに、すぐに行っちゃう。ピョーン、ピョーン、ピョーン、というよりも、トンスーッ、トンスーッ、トンスーッ、という感じ。

景色はかなり悲惨だ。街は全て崩れている。人の声も聞こえるが叫び声でも、呻き声でもない。ひそひそと話している。その、ひそひその声は、倍音の二乗の繰り返しで豪倍音になっている。その割には、静謐感もある。

その辺りを、ヒョイ、ヒョイ、とすり抜けて、やっぱり天空へ。ああ、天空は良いな。何も無くって。だが、漂うことはできない。あるところまでくると、急に失速し、というより落下し始める。落下する時間感覚は、ここまで上昇してきた時間感覚よりはるかに早い。ビューとさらに加速度的に落下し始めるのだ。

でも、安心、どっかに突起物があるだろう。そこに、ツンとやればまたピューンだ。

まだ他にも色々な飛び方がある。たくさんたくさんあるので迷ってしまうが、今回はもう一つだけ書いておこう。

屋根、何故か黒瓦。二階の物干し台からポンと降りればこの黒瓦屋根、だから、一階の屋根なのだ。面積は身体感覚からいえば若干広い。頂点つまりうだつのところまで上がり、滑り台では無いけれど、道路、ここが結構具体的なのだが、飯田街道に向けてスルスルというか、ヒヨヒヨというか、つまり、若干瓦より数ミリ程度浮いた状態で街道に向けて滑り落ちるのだ。

瓦屋根の先端の縁からヒュイと街道に落ちるのだが、ダメかというすれすれで、ビュイと宙空に身体が放り出されるのだ。これが飛ぶ瞬間だ。この時は結構長く飛べる。というか、いったん飛び始めるとあとは自在だ。

でも、そんなにそこから遠くへ行くことは無い。周辺をヒョロヒョロと飛び回っているだけだ。でもそれが逆にリアリティが生じてしまうのだ。薄暗いが、妙に輪郭がくっきりしているのだ。石っころも、うどん屋のコールタールの塗ってあるトタン壁も、曙町子供会開催のお知らせのための自転車の後ろに乗っている少女の呼び鈴も、銭湯の壁で鳴いている蝉も、理科室のアルコールランプの匂いも、川名神社の石垣にいた小さな草亀も、広路小学校の近くでアイロンで火災になって避難した山崎川のほとりとか、
 ‥とここまで書いて中断した。そして数日がたった。文頭から読み直し、若干推敲したが、読めば読むほど、元のが良いかと思われて悩んでしまう。

で、一応なる推敲作業を終えて続きを書こう。

なんといっても、やっぱり草むらだ。草むらの中ではなく、風景としての草むらだ。牛蛙が鳴いている。草むらの奥は川だ。ただここに突起物はないので、バサバサというかフワッというかボテチョというか、草むらのさらに草むらの凝集している若干固いところに着地するというか、まあ若干包まれるという感じか。でもそこでは寝れない。不安定ということもあるが、風が強い。この風に乗ればきっと飛べる。待とう。良い風が吹くまで。

草むらの風景はなぜだか暗い。蔓がある。牛蛙のこえ。自転車。遠くに光が見える。あそこはきっとエレベーターだ。あそこのに行けば、違う階に行ける。もう飛ばなくとも良い。あのエレベーターに乗ろう。

さて、今回は、意図的に中断する。次にいつ書くか不明だが、今月23日が締め切りなので、それまでには追筆すると思う。今日は、2020年9月4日。‥。

追記、エレベーターは、次回か次々回回しとしよう。

追筆、まずは、先端つっかけビューンの飛び方の方法の伝授をしよう。

飛び方はとても簡単だ。まず落ちる。飛ぼうと思ってはいけない。初心者は高いところからではなく、上記のように、一階建ての屋根ぐらいが丁度良い。飛ぶのに失敗しても、一階の屋根から飛び降りても若者だったら平気だ。(僕は夢では無く実際に子供の頃は一階の屋根から飛び降りていた。もちろん僕だけで無く、他の子供もビョンビョンとびおりていた。2メートル強3メートル弱くらいはあったと思う。)臆することはない。地面すれすれでビユイーンというかフワッと宙にうかび、そのままスイーッと飛ぶことができるのだ。

もうひとつ勇気のいる方法がある。高いところ、ビルの屋上とか高い崖の上とか、そこから飛び降りるには極めて勇気がいる。飛べるとは思っていても、不安はある。飛び降りてそのまま落下ということも否めない。やはりこの時は自分を信じる力だ。きっと飛べるというより、飛べないわけがないという感じかな。でも、心理的に恐怖はあるのだ。それなのに、ふっと宙空に。あら飛べた。やっぱり飛べた。飛ぶのはとても簡単なのだが、そこまでの心の揺らぎがあることは事実だ。

さらなる飛び方、色々あるが、きりがないのでとりあえず今回は筆を折る。

そう言えば、ここ最近、というか、長らく、おそらく20年ほど、飛んでないなあ。

 

 

 

So much for today.
今日はこれでおしまいです。 *

 

さとう三千魚

 
 

last night

“Mikawaya” was vacant

always
I couldn’t enter because it was full

many times
I couldn’t enter

“Mikawaya” oden

I ate

Then
I went to the “bridge”

The “bridge” was also vacant

Empty chairs were lined up

I drank the transparent liquor of this country

on the way home
I walked home

alone

I crossed the bridge and went home

when crossing the bridge

on the horizon
people’s lights were lined up

there are many people’s lives in the horizontal lights

So much for today *

 

 

昨夜

“三河屋”は
空いていた

いつもは
いっぱいで入れなかった

なんども
入れなかった

“三河屋”の
おでん

食べた

それから”橋”に行ったのだったか

“橋”も空いて
いて

空の
椅子が

並んでいた

この国の透明な酒を飲んだ

帰りは
歩いて帰った

ひとり

橋を渡って帰った

橋を
渡るとき

地平には
人々の明かりがならんでいた

水平に並んだ明かりのなかにたくさんの人々の生がある

今日はこれでおしまいです *

 

 

* twitterの「楽しい例文」さんから引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life