I remember this poem in particular.
私は特にこの詩を覚えている。 *

 

さとう三千魚

 
 

sunday
afternoon

I finished cleaning the living room

then I drove to the fitness club to pick up the woman

at the new bookstore “HIBARI”
I received the october issue of the art notebook I had ordered, “Post-Capitalism and Art”

there were a lot of people in the new bookstore
there were a lot of women

the art notebook contained a critique of Mr. Minoru Shimizu from the “heavenly peach” exhibition by Masahiko Kuwahara.

Radioactive contamination, earthquakes, tsunamis, heavy rains, pandemics, astronomical debt, heavy taxes that are unusual even in developed countries …
The uncomfortable and confused appearance is more than a metaphor for the desolation of all postwar Japanese. **

at the exhibition of Masahiko Kuwahara
this man bought a painting of nuclear power plant

at the entrance
I hung the painting

when you open the front door, there is the painting of the nuclear power plant
that would be the final painting

I met the word “final” when I was young

Final ink ***
Final shape ***
Final color ***
Final lust ***

Final lust
this young man didn’t understand

Final
Lust

It will be the lust after the lust is over

I remember this poem in particular *

 

 

日曜日
午後

居間の
掃除は終えた

それから車でフィットネスクラブに女を迎えにいった

新しくできた本屋”HIBARI”で
注文してあった美術手帖10月号「ポスト資本主義とアート」を受け取った

本屋にはひとがたくさんいた
女のひとがたくさんいた

美術手帖には桑原正彦「heavenly peach」展の清水穰さんの批評が載っている

放射能汚染、地震、津波、豪雨、パンデミック、天文学的な借金、先進国でも異例な重税・・・ その慰めのない混乱した様は、戦後日本人すべての荒涼を表す比喩にとどまらない。 **

桑原正彦の展覧会で
この男は原子力発電所の絵をひとつ買った

玄関に
飾った

玄関のドアを開けると原発の絵がある
最終の絵画だろう

最終ということばに若い頃に出会ったことがある

最終のインク ***
最終の形 ***
最終の色 ***
最終の欲情 ***

最終の欲情って
若いこの男には

わからなかった

最終の
欲情は

欲情が終わった後の欲情だろう

私は特にこの詩を覚えている *

 

 

* twitterの「楽しい例文」さんから引用させていただきました.

** 美術手帖10月号 清水穰「アレゴリーとしての戦後日本」より引用

*** 西脇順三郎詩集(村野四郎編)新潮文庫「失われた時」より引用

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

TV、zoom、Twitter

 

工藤冬里

 
 

テレビないから観てないけど半沢はもう小栗判官とかと同じ歌舞伎の演目になるんじゃないか

3C 12さんの国立のシェアハウスのはしりみたいな家に居候をさせてもらっていたがその頃彼は既におじさんだったのでもう40年以上おじさんをやってることになり人生の中でおじさん部分がビーフハートとかジャリ並に長い

男には二種類しかない
おじさん部分が長い奴と無い奴の二つだ
無い奴はいきなり老人になろうとする

おじさんも老人もほんらい必要ない
人間の独特の習慣である

それに対して老女は存在しない
1歳児から見て2歳児はおばさんである
生まれた時にオトメとして死んでおりおばさんとしてオトメを一日一日と生き延びているのだ
100歳になっても2歳児をおばさんと呼ぶ

今週はどうだったでしょうか
何を履いていましたか
蚊に食われました
ダーツが火矢だったら
扑はどうすればいいですか
冬瓜を請願しますか
肉に屈して未然に防ぎますか
半分透けたピンクの耳
顔とはラッセル車
かき分けてゆくのは死者
嘘つきは心の中に弁当箱を持っていない
わたしはそれを持っている
15
10
あ、映画の出口だ

このディスタンス
によって何が変わったかというと
俳優が死ぬようになった
ということだ
演技はいよいよデフォルメされていき
歌舞伎役者くらいしかそれを担えなくなる
俳優は演技で生きていたのではなく
演技の伝わる距離の中に生きていただけなのだ

役者において生と死は垂直に対立するものではなく水平に点滅する日常であったはずなのだが
その点滅が暴力的に間延びさせられたのが網の目の緩さに繋がった

私たちは死ぬのではない
網の目から零れ落ちるのだ

 

 

 

#poetry #rock musician

別れの不穏と悲しみとは

 

ヒヨコブタ

 
 

さようならをする準備を
させてはもらえない
今年はそんな年になった
身近なひとが幾人も旅立てばこころあわだち
荒波が押し寄せる
笑顔多きひとの印象は
悲しみでひとりの背中を想像させてくれもしない
一人一人に問いたい
あなたは
あなたはひとりだったのですか

去年の秋に発表された歌に希望をみた
その頃にはマスクだらけのこの世界はまだなかった
殺伐としたスーパーもなかった
他愛ない会話に満ちていたんだ
その秋にうまれた歌に
過去に救われたんだ
あなたはそうではなかったのですか

ひとの死を美化しているといわれたことがある
わたしは
口をあんぐりとさせてなにも言えなかった
ときに
話を通じさせあうことができればいいのに
できないひとも多いのだと知っている
わたしもひとりになる時間かもしれない

とある死
その人の死からその年齢の倍になったことに気がつく
わたしは未だにわからずにいる
あのときどれほど誰かとその人について語り合いたかったか
語り合い続けたかったか
20年
以上の日々ひとりで考えている
形見分けには多すぎるものはしまってしまった
生きてきた証という苦しみの塊も含まれた段ボール
なぜこんなに手放されたのだろう
わたしのもとで休んでいるといいのだけれど

ただ息をして息をし続けるということは
これほどまでに困難なことなのか
それだけは知っている
つもりだ
なぜなのかは
わからぬままに

生きていられる喜びというものは
脆くて危なっかしい
それが生き続けるために足りないときがある
魔の時間だ
そんなときは休もう
じぶんにも言い聞かせているのだ
そちらとこちらは近いようで
あまりに
遠いから

子どものころから願っているのに
まだ神様とやらはきいてくれない
届いていないのだろうか
もう誰も死なずにすみますように
お願いです
そんな日がありますようにと

今日も願う
もしも誰かに届くなら
このちっぽけなわたしの言葉でも
きいてくれやしませんか
あなたが大切です、どうかいなくならないでと

不穏な秋は
いらない
ともに空を見上げよう
どこかまで繋がっていると信じてみませんか