石鎚残照

 

工藤冬里

 
 

石鎚の尾根伝いにトレッキングしていた知り合いのウェイターが
急にワアーッと叫びながら斜面を駆け下りていった
最近店で怒りっぽく躁に入っていたので心配していたところだった
ジェット機から見ると山は
駆け下りるのに丁度いいようにみえる
樹木などはじゅうたんのようだ
石随の岩は近場の滑川などより数段大きい
体は裂け,内臓が全部出てしまった
夜ラジオを聴いていたら
わたくし機長福山雅治がご案内します

宣伝していて
なにが機長や
ラジオでわたしらがジェット機に乗れるわけないやん
いくら美男子で人気あっても
そんな台詞言わされるくらいなら
死んだほうがましや
そんなんやから日本は滅ぼされるんや
役でやった幕末の志士とかさえあんぽんたんに見えてくるわ

怒りがこみあげてきた
ジェットストリームでは
末日記Ⅱがかかったこともある
伊武雅人が
パリの冬の焼き栗売りは・・
とかやってた頃は
キザやなとは思いつつも
ゲンズブール並みの重さはあった
地震前は
ここまで浮いたことを浮いたままで
風化させる乖離はなかった
わたしの体は日本のようだ
でおなじみのテン年代に
わたしらの言語は安倍化したんや
でも
スポンサーサイドから番組を眺めれば
至極当然の言語空間なのであって
その享楽にミヤシタパークみたいに馴らされていくのが
手に取るように分かる
JALが福山にこう言うてほし言うて
それでこうなっとるんや
この境目の門渡りが
あたらしい詩の場所だ
ここから奴隷の命の大切さに転がり落ちる
殴られてその場で死んだら殺人罪で
ニ、三日生きてれば無罪だが
目が潰れたり歯が折れたりしたらオーナーからは自由になる
胎児が死んだら殺人罪で
人を殺した動物は殺されるがそれを食べてはいけない
放置していたばやいは飼い主も殺人罪
元全共闘Oが言う
宗教的概念と伝統的言い伝えが食い違う時、
言い伝えのほうが真実である
例えば孝行したい時に親はなし
線香上げたって居ないものは居ない
親がないということがどんだけつらいか
分かって作るのが法律や
もう四人殺しちまった
獻身は
イカ焼きの網目
山に向かって被さってくれと言い
丘に向かって覆ってくれと言い出す
このトレッキングの片側が
転がり落ちる詩の場所だ

 

 

 

#poetry #rock musician

わたしと友人と愛犬

 

みわ はるか

 
 

星を見た。
夜中の23時ごろ、久しぶりに再会した幼なじみ3人でアスファルトの上に寝転がって見た。
傍らにはすっかり年老いてしまった我が愛犬もいたけれどおとなしく座ってお行儀よくしていた。
夜のアスファルトの上は気持ちがいい。
少し石っぽい痛さは感じたけれど苦痛というほどではなかった。
どこまでも続く夜空にはこれでもかという程の光が少し遠慮深そうに散らばっていた。
赤い光が一定のリズムで動きながら点滅していたのは旅客機だと思われる。
しばらくすると雲の向こうへ消えていった。
そして、久しぶりの再会を祝ってくれるかのように流れ星がすごい勢いで半円を描いて消えた。
それを見られたのが2人だけだったというのはちょっと残念ではあったけれど・・・・・。
3人とも半袖Tシャツに短パン、楽に歩けるサンダル。
まるで小学校に戻ったみたいな時間だった。
どこからともなくやってくる蚊さえいなければ朝までそこにいてもいいとさえ思えた。

この10年余りですっかり若年の人口が減ってしまった。
田んぼや畑で仕事をしている人はかつてわたしの記憶では若々しかったが今は腰を曲げてしんどそうにしていた。
大型機械に頼る人が増えて少しは楽になったのかと思ったけれど、夏の炎天下は老体には厳しそうに見えた。
ちゃんと水分や塩分を摂っているのだろうかとハラハラする。
それでも順調に生き生きと育っている稲や畑作物を見ると懐かしさがこみ上げずっとこの景色が消えないでほしいと無責任な感情が生まれてしまう。
風になびく稲の穂を目の当たりにするとほっとした。
収穫ももう間近である。
幼なじみから聞いた話によると最近は外国人や都会からの移住者が前と比べて随分増えたそうだ。
空き家になったところに住んだり、安い土地を購入して自分たちでカフェを始めたり。
田や畑を借りて異国の知らない土地で農作業を始め出荷する程の腕前を発揮する人もいる。
そこで家族ができて馴染んでいく人も少なくないそうだ。
もちろんトラブルは少々あるそうだがきちんと話し合えばある程度は解決していくみたいだ。
生きていると周りの様子や社会のシステムはどんどん変わっていく。
こんな「今」になるとは全然予想もしていなかったし、こうやって山や川を駆けずり回っていた友人と小難しい話をする時が来るとも思ってなかった。
愛犬がのそのその動き始めてわたしの方を「そろそろ帰ろうよ」という目で見てくるので2人とまたねと挨拶を交わして別れた。

再会は驚くほど早かった。
朝5時30分頃携帯が鳴った。
誰だこんな朝早くにと少し不機嫌な顔でコンタクトもつけてないので名前も分からず電話に出た。
昨日の友人の1人だった。
我が愛犬の散歩を3人でしようという旨だった。
もう1人にもすでに連絡してあるのであと15分程で我が実家に到着するという。
こんな朝早くにと驚いたけれど暑い日差しを避けての選択だった。
久しぶりに会ったので名残惜しかったのだろうと少しニヒヒとにやけながらも急いで洗面所に向かった。
コンタクトを入れ終え、歯ブラシに歯磨き粉をつけ終わった所で「おはよう~」と友人たちがやってきた。
案の定もう1人の友人もいきなり電話があったらしくまだ顔は起きてなかった。
麦茶をすすめ待ってもらうことにした。
歯を磨きながらこうやって昔の友人が実家の居間に座っている姿を見るのは何年ぶりだろうかと小首をかしげた。
なんだかあまり違和感を覚えなかったのも不思議だった。
麦わら帽子をかぶり日焼け止めをたっぷり塗って出発した。
愛犬は老犬になってしまったためノロノロと歩いた。
伐採されてしまった木々、いまでは遊べなくなったエリアの川、人気のない家々、手入れが行き届いていない林・・・・。
見るもの見るもの1つ1つに新たな発見があった。
昔通学路だった道、当時は小学校までがものすごく遠く感じだがものの10分で到着してしまった。
一掃された遊具、1匹もいなくなってしまったウサギ小屋、白から鮮やかな黄色に塗り替えられた校舎、水温が高くて入れないため開かれないプール。
200mある運動場のサークルはものすごく短い距離に見えた。
朝早く歩くというのはとても気持ちがよかった。
「早起きは三文の徳」と昔よく亡くなった祖母が言っていたけれどこういうことかと遅かれ気付いた気がした。
1時間も歩くと老犬とともに人間3人もさすがにくたばってきたので家路に急ぐことにした。
愛犬は舌をハッハッと出して体温調節しながら最後の力を振り絞って歩き出した。
わたしたちもそれに倣った。
家に帰って冷蔵庫の中をゴソゴソ探ると水ようかんが大量に出てきた。
麦茶とともに頂くとそれはそれはツルンとしてとても美味しかった。
特段何か特別な会話をしたわけではないけれどただいる、ただそこに古い友人がそこに存在しているという時間が心地よかった。
またまたねと言って別れた。
次はいつになるか未定だけれどまた並んで我が愛犬の散歩に行けたらなと思った。
心なしか愛犬も名残惜しそうに2人の友人の背中が見えなくなるまでいつまでもいつまでもしっぽを振りながら見つめていた。

 

 

 

She wept like anything.
彼女はひどく泣いた。 *

 

さとう三千魚

 
 

once

I have fallen in love with the women

once
I have lived with the woman

The woman gave birth to a child
The Woman and I raised a child

once
I thought I couldn’t make the woman happy

once
I have hated the woman

once
I have seen the woman cry

now
living with another woman

morning
seeing the woman go out

watering plants with a hose

do the laundry
hang out the laundry
make miso soup

drink tea

She wept like anything *

 

 

かつて

女を好きになった
ことがある

かつて
女と暮らしたことがある

女は子どもを産んだ
女と子どもを育てた

かつて
女を幸せにできないと思ったことがある

かつて
女を憎んだことがある

かつて女が泣くのを見たことがある

いまは
別の女と暮らしている


女の出かけるのを見送る

草木に
ホースで水をやる

洗濯をする
洗濯物を干す
味噌汁を作る

お茶を飲む

彼女はひどく泣いた *

 

 

*twitterの「楽しい例文」さんから引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life