パンドラモン、雨が降り始める

 

サトミ セキ

 

九月一日の朝 空気のにおいが変わった
雨の降りそうなにおいがしますね
と机から顔を上げて言うと
そうなんだ と上司は書類を見たままぼんやり答える
その昔 季節が変わる日
においと気圧と音の聞こえ方と微妙な気温の下がり方が違うやろ
と理科教師の母は言った
(湿度が上がると空気中の水分量が多くなって、水分が振動して遠くの音が聞こえやすくなるんよ。普段聞こえない踏切の音、隣町の中学校のチャイムの音も耳に届くし)

耳の奥が水の中にいる時みたい。隣りのデスクにいる人が遠くにいてゆらり姿が揺らぐ
雨が降る 降り始めます もうすぐ
鼻の奥に感じる重苦しさ、安いポリエステルの制服ブラウスの下の肌がべたべたしてきて、わたしはどうしてここに毎日通っているの 狭いビルの一室に電話とパソコンと電卓に囲まれて
(なんてね)

故郷の町の雨は
海に降るとき 大きな港に魚たちの粒子が油まじりに泡立ち
山に降るとき 緑がざわめく 海も山も雨が欲しいのだ

降り始めと雨上がりのにおいが違うのって知ってた?
だれかとお昼休みに話してみたい
(いいえ母と)
雨に濡れる公園の土の上に寝転んで土のにおいを全身にまぶしたい

三階の事務所から コンクリートの階段を音立てて駆け下りる
キュイーン、カウィーン、
雨や雪が降る前は耳鳴りがする、耳を上から押されたみたいに
エビアンを地下のキオスクで買う エビアンは雨水の味がする
このビルには下水道のにおいが上がってくる
わたしの身体が見えない水に圧迫されているんだ
故郷の町は 染色工場の酸っぱいにおいが流れて来ると雨が降った 今はその染色工場もないけれど
窓を開けると
新幹線の架橋が近いこのビル街でも 草のにおいがしてくる
目に見えないどこかで 草たちは勢いよく繁茂している
もうすぐ雨が降り始める

母と喋りたい

  初雪が降ると布団の中でわかる。深夜から朝にかけてのにおい
  初雪のにおいには名前があるんよ ラノリーノン、今名付けたよ
  季節が変わる雨のにおいはパンドラモン  なにそれ、パンドラの函?
  うんそんなもの

その昔 母は喋り続けた
雨の日には なんでカエルがたくさん道に出てくるんやろね (雨の降り始めはカエルのにおいに似てる) ちゃうちゃう、濡れたアスファルトや土のにおいや
いつもより早く学校に来た時のにおい、マラソン大会の冬のにおい、桜の花びらチラチラする新学期の夕方のにおい、運動会の朝は子供のにおいが濃ゆいし、みんな違うわ (ああわかる)
家の扉を開けると収穫時の田んぼは早よ刈り取ってというにおいがしたし、雨降りの前日は牛糞のにおいが遠くからはるばるやってくる
(それは知らんわ、)とわたしは笑った

土曜日の午後のわたしの故郷 海へと下る坂のにおい
母が最後に入院していた人工島に飛行機で降り立つといつも あの九月一日がどこかに混じっている

パンドラモン ラノリンノーリン ンドラモン
(十一年前の八月三一日は晴れていて 九月一日夜明け前に雨が降った)

今日 季節が変わった
もう言葉で伝えられないけれど
今あなたが感じるにおいはどんなものなの
教えてよ
この世ではないその場所のにおいを
パンドラモン 今日で十一年
新幹線が見えるこのビルにも 雨が降り始めた
草のにおいが濃くなって来る
わたしもこの街で一本の草になるんだろう
おかあさん あなたの顔を忘れてしまった

 

 

 

シングル・マザーとともに
(2019年作品の改作)

 

今井義行

 
 

おめでとう リアン!

「記憶にのこすのではなく 記録にのこしてほしい」と シングル・マザーの
アルジェリーが言ったので
わたしは いま この詩を書いています

アルジェリーの 長女のリアンは
母が 出稼ぎ労働をしている
ドーハに 今年 単身渡って
レバノンの男性と 結婚したという
彼女はもう22歳になっている

写真にうつっている レバノンの男性は 
リアンの腰に 優しく手を回している

おめでとう リアン!

・・・・・・・・・・・・・・・・

わたしは 2年前には婚約していた
相手は14歳年下の フィリピーナ
彼女の名は アルジェリーといった
わたしたちは日本で暮らしたかった
けれどねがいは無くなってしまった

どちらがどう ということではなくて・・・・・・・・・ アハ 考え甘かったね

わたしは 彼女を妊娠させる事はなかった
彼女には 既に3人の娘がいて
わたしたちには 4人目の子どもを育てる余裕などなかったのだ 

・・・・・・・・・ アハ 考え甘かったね

長女のリアンは 20歳で美しかったよ

・・・・・・・・・・・・・・・

フィリピンでかんがえていた あいについて ────
(そんな事 わかるわけ ないでしょう)

さらりとした 夏の気候の アルジェリーの家で
日本では そろそろ 春が 近い
けれど わたしの こころは 春から とおい

・・・・・・・・・・・・・・・・

それは どちらからともなく
あいが とおざかって いこうと していた からだ

(あいって なに・・・?)
(そんな事 わかるわけ ないでしょう)

日々に 薄らいで いくものは
どうする ことも できない

42日間の 滞在期間のなかで
わたしたちは しばしば 手をつないで ショッピングモールに出かけた
「Do you love me ?」
大通りで 乗り合いジープを 待ちながら
あなたは しばしば 私に 問いかけてきた

けれども あなたの 手からは 
伝わって くるものが なかった
いや わたしの手が 
何も 伝えて いなかったのか

「Yes, of course」と わたしは 言ったのだが ───

愛って なんだ ────・・・・・・・・・?
(そんな事 わかるわけ ないでしょう)

ある日の ショッピングモールの ホーム用品売り場で
アルジェリーは 電球を 1個買った
フィリピンでは
電球のことを 「 Akari 」と いうのだった

「 Akari 」わたしは その言葉に 惹かれた
なにか とても あたたかい言葉

家に戻って 電球を 新しいものに 取り替えた
煌々とひかる Akariに わたしは見入って
なにか 健康的な象徴を 見つけたような気がした

夜には わたしたちは
ふたり ならんで ねた ────
きまって アルジェリーは 先に 寝息をたてた

ときに 明け方に
アルジェリーは わたしのからだに しがみついてきた
黒い髪が わたしの口に 入ってきた

「Do you love me ?」
あなたは わたしに 問いかけてきた
「Yes, of course」と わたしは 言ったのだが ───

わたしたちは 服を 脱がなかった

それから・・・・・・・・・・
「トイレに行ってくる」と 言って
あなたは しばらく 戻ってこなかった

やがて 部屋に 陽がさしてきて
戻ってきた あなたは
わたしの首に 腕を巻きつけて

「Good morning, Yuki!」と 明るく笑った
わたしも
「Good morning!」と 明るく笑った

わたしは「Do you love me ?」と 言わなかった

・・・・・・・・・・・・・・・

アルジェリーのアイディアで
わたしたちは フィリピンから 少し 足をのばして
ブルネイ王国に
旅をする ことになった

ブルネイ王国には アルジェリーの
クラスメイトの ネリヤがいるのだ

空港では ネリヤと彼女の夫のジェームスが
にこやかに歓待してくれた
ネリヤは晩い第1子を身籠っていて
そのすがたを ジェームスが傍らで 見守っていた

ネリヤとジェームスは
5日間かけて 車で
ブルネイ王国を 案内してくれるという

・・・・・・・・・・・・・・・

何といっても美しかったのは
3日目の 早朝の青いビーチだ

わたしたちは はだしになって 寄せる波と戯れた
アルジェリーは 両手に
一生懸命 貝殻を 集めていた

わたしたちは ネリヤとジェームスが 用意してくれた
朝食を 木の椅子に 座って 一緒に食べた
そこで 記念撮影をしあおう ということになった

わたしは 寄り添い合って 微笑んでいる
ネリヤとジェームスを 撮影した
「今度は わたしが 撮るわよ」と ネリヤが言った

わたしとアルジェリーは 並んで砂浜に立った
「手でも つないだらどうだい?」と ジェームスが言った

わたしは しずかに アルジェリーの肩に手を回した
ネリヤが「そうそう いい感じ」と言った

わたしたちが撮ってもらったその1枚 ────それが
わたしたちにとって 一緒に写っている 1枚の写真になった

・・・・・・・・・・・・・・・

ブルネイの ホテルでは
わたしたちは シャワーを浴びたり
共同のキッチンで
コーヒーを 飲んだりして過ごした

わたしは ぼんやり 考えていた

日本では そろそろ 春が 近い
けれど わたしの こころは 春から とおい

・・・・・・・・・・・・・・・

それは どちらからともなく
あいが とおざかって いこうと していた からだ
日々に 薄らいで いくものは
どうする ことも できない

愛って なんだ ────・・・・・・・・・?
(そんな事 わかるわけ ないでしょう)

部屋の中で 持ち物の整理を していた時のこと
アルジェリーが 咄嗟に
わたしのパスポートを掴んで においを嗅いだ

「Bad smell!!(悪臭ッ)」
それが あなたの わたしへの印象だったのか

わたしは 黙っていた

ダブルベッドで わたしたちは
ふたり ならんで ねた ────
それから アルジェリーとわたしは 抱きあった

抱きあいおわって
ぼんやりとした 空間が わたしたちに残った

しばらくして
わたしは アルジェリーに 囁いた

「Let us break our engagement and become just friends.
I think it is good. (わたしたちは 婚約を解消して 普通の お友達になりましょう
それが良いと わたしは思います)」

アルジェリーは うなずいた
そして
あなたは ゆっくりと こう語ったのだ

「My love for you is gone… I dont have love for you anymore Yuki…
before when we met in the first time, I love you … but now no more…
(わたしのあなたへのあいはきえてしまった・・・もうあいがないのですユキ
わたしたちがはじめてあったときわたしはあなたをあいしていた・・・でもいまはもう
I tried to love you again but I cant!! Friend」
わたしはもういちどあなたをあいそうとしたの でもできない 

・・・・・・・・・・・・・・・

アルジェリーは 再婚しなかったという
アルジェリーとリアンとその夫の
しあわせそうな写真が 何枚も送られてきた

リアンは いまでも わたしの事を
「お父さん」と 呼んでくれている

アルジェリーは 家族の写真とともに
「How are you, Yuki?」と 
わたしに メッセージも添えて送ってくれる

「Fine!!」と わたしも メッセージを
添えて返信する

わたしたちはとても良い友達になっている

 

 

 

内なる声 *

 

さとう三千魚

 
 

もう
三日が過ぎた

土曜日
飲んだのだったか

三日が過ぎたことになる

頭が
すっきりしない

胃の後ろの背中も
痛い

飲み過ぎということか

なぜ
そんなに

飲むのか

急いで
きみは

どこへ行ったのか
どこへ行くのか

朝からの雨はあがった

窓辺は
急に明るくなった

さっき
外で

ハクセキレイが
鳴いた

ハクセキレイは嘴から目に黒い線を引いていた

きみか
きみなのか

ひかりだと言った

きみは
西の山の頂は白い雲に隠れていた

 
 

* 高橋悠治のCD「サティ・ピアノ曲集 02 諧謔の時代」”犬のためのだらだらとした前奏曲” より

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

cop26

 

工藤冬里

 
 

ホーボーから攻撃を受けて
湖畔の町は札を数える手を止め
(駅前ホールを借りたこともあった)
コンビニの前でうとうとしていると
ヤンキーが停まった
頭は曇って
頭蓋に窓はなかった
忠実であることを奪い合った
子供も大人もトリコロールだった

26回目の締結会議がグラスゴーで開かれていた
バオバブの木が暑さで倒れ
ヤンキーらは肥えて若鮎のように力強い


 

 

 

#poetry #rock musician

車椅子の少年

 

有田誠司

 
 

独りぼっちで死ぬのは怖いから
君が死ぬ時には僕も死ぬよ

息苦しくて目が覚めた
マスクもしてないのに
呼吸するのが苦しいんだ

僕は家の中の酸素が少なく感じ
フラフラしながら外に出る
大きく息を吸い込むけど息苦しくてたまらない

また同じ夢を見た

小学校の時の友達 坂本君だ
僕は思ってる事が上手く言葉にして喋れない
人が普通に出来る事が出来ないんだって

お母さんや学校の先生がそう言ってたよ
僕のたった一人の友達だった坂本君

小さな頃は生きてる事って不思議でさ
死んだら人はどうなるんだろ
この感情はこの感覚は
何処に行くのかな
怖いよ怖くて怖くてたまらないよ

そんな話をして震えてた

坂本君は僕に言ったんだ
独りぼっちで死ぬのは怖いから
君が死ぬ時には僕も死ぬよ

坂本君の車椅子を押しながら
いつも一緒に学校から帰ってた

動物園みたいな学校で
少し人と違う姿をしてる人ばっかりだった
皆んな仲間だからねって先生は言った
仲間なんかじゃないよ
僕はそう思ってたけど
誰にも言えなかった

独りぼっちの僕に
優しくしてくれたのは彼だけだった

繰り返し同じ夢を見る
あんなに怖いって言ってたのに
一緒に死ぬよって言ってたのに

息苦しくて目が覚めた

坂本君の車椅子を押しながら
話をしてる
また同じ夢を見た

車椅子の少年はもう居ない